◎どうしても気になった片岡良一の文章
一昨日、〝志賀直哉「清兵衛と瓢箪」の読み方〟という記事を書き、そこで、片岡良一著『近代日本文学教室』(旺文社、1956)にあった文章を引用した。
引用しながら、どうしても気になった箇所があった。
ところが、清兵衛が教室でみがいているのを怒ってとりあげた先生が捨てるように小使にやってしまった瓢箪は、もともとただの十銭で清兵衛が町の小店から買ったものであったのに、小使から先生の月給四カ月分に相当する値段(五十円)で買い取った骨董屋の手で、六百円というさらに高い値段で地方の豪家に売られていた、ということが書いてある。
この部分である。文章がよくない。センテンスが長すぎる。「清兵衛と瓢箪」を読んだことのある人なら、意味は理解できるかもしれないが、読んだことがない人には、意味は通じないだろう。僭越ながら、添削を試みた。
ところが、清兵衛が教室でみがいていた瓢箪は、もともと、清兵衛が町の小店から、ただの十銭で買ったものであった。清兵衛が教室で瓢箪をみがいていたのを見た先生は、怒ってそれを取りりあげ、捨てるように小使にやってしまった。骨董屋は、小使からそれを五十円で買い取ったが、その値段は、先生の月給四カ月分に相当するものだった。その瓢箪は骨董屋の手で、地方の豪家に、六百円というさらに高い値段で売られた、ということが書いてある。
センテンスが、四つになってしまった。せめて三つぐらいにしたかったところである。
一昨日、〝志賀直哉「清兵衛と瓢箪」の読み方〟という記事を書き、そこで、片岡良一著『近代日本文学教室』(旺文社、1956)にあった文章を引用した。
引用しながら、どうしても気になった箇所があった。
ところが、清兵衛が教室でみがいているのを怒ってとりあげた先生が捨てるように小使にやってしまった瓢箪は、もともとただの十銭で清兵衛が町の小店から買ったものであったのに、小使から先生の月給四カ月分に相当する値段(五十円)で買い取った骨董屋の手で、六百円というさらに高い値段で地方の豪家に売られていた、ということが書いてある。
この部分である。文章がよくない。センテンスが長すぎる。「清兵衛と瓢箪」を読んだことのある人なら、意味は理解できるかもしれないが、読んだことがない人には、意味は通じないだろう。僭越ながら、添削を試みた。
ところが、清兵衛が教室でみがいていた瓢箪は、もともと、清兵衛が町の小店から、ただの十銭で買ったものであった。清兵衛が教室で瓢箪をみがいていたのを見た先生は、怒ってそれを取りりあげ、捨てるように小使にやってしまった。骨董屋は、小使からそれを五十円で買い取ったが、その値段は、先生の月給四カ月分に相当するものだった。その瓢箪は骨董屋の手で、地方の豪家に、六百円というさらに高い値段で売られた、ということが書いてある。
センテンスが、四つになってしまった。せめて三つぐらいにしたかったところである。
*このブログの人気記事 2024・12・20(10位の古畑種基は久しぶり、8・9位に極めて珍しいものが)
- 志賀自身の、父との確執が投影されている
- 志賀直哉「清兵衛と瓢箪」の読み方
- 対敵情報部のキャノン中佐が、車の助手席にいた
- 大森実「国鉄総裁下山事件のミステリー Ⅱ」を読む
- その車に、下山総裁が乗っているのを見た(大津正)
- GHQ民政局「調査を続行しても無駄骨だよ」
- 五反野駅で萩原詮秋駅員に末広旅館を教えられた
- 木偏に屠と書いて何と読むか
- 美濃部達吉と「八月革命説」
- 古畑種基と冤罪事件
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます