◎一旅は五百人、五旅が一師
松本文三郎『仏教史雑考』(創元社、1944)から、「支那に於ける印度音訳字」という講演記録を紹介している。本日は、その六回目。
又音だけ写したものならば間違もないやうですが、実際に於て混乱を来し易いことが屢〻起り、文字だけを見ては、それが支那語であるか外国語であるか判らないやうな場合があります。支那の言葉に師といふ字がある。師とはもと二千五百人をいふのである。師団の師である。一旅といふのは五百人であり、五旅が一師となる。これが師本来の意義らしい。それから師といふ字は衆といふ意味にも転用された。京師といふ時のは即ち大衆の称と解せられる。又更に大衆が団体生活をするには必ず之を統率するものを要する所から、長を師ともいつた。それから道を以て人を教へるものも師といふことになつた。これだけの意義は説文にも既に載つてをり、支那字の本義から次第に転じ生じたものであります。ところが師には又後世此等以外の新たなる意義が加はつて来た。それは師子といふ時の師である。これは即ち梵語のSimbaの俗語 Sihaの音訳である。師子は動物であるから、後世では獣扁〈ケモノヘン〉を附し獅の字が成立した。而して師は既に音を写したのであるから、この一字で十分なのである。子の字を附したのはこれは単に支那の助辞に過ぎない。此師の意義は従来ない新たなるものであり、又獅も新たなる字である。古来支那では六書といひ六種の原理によつて字の構成から発音及び意義を説明することになつてゐますが、昔の支那の文字はこれで説明が出来るとしても今日の支那文字には到底六書のみでは解釈の出来ない新しい字が沢山出来てゐる。時には字の構成を解釈し得ないものもあれば、又時には発音の由来を説明し得ないものもあり、又別の系統から新たなる意味の加はつたものも少くないのであります。
師に関連した語としては、支那には狻猊〈サンゲイ〉といふ文字があります。これは獅子のことだといはれ、穆天子伝〈ボクテンシデン〉中に野馬とあり、又走る事五百里ともあります。註には狻猊は獅子なりとある。而して野馬とは馬に似て小さいものとしてある。野馬といふのが果して獅子と同一なるものか否かは明らかではないが、何れにしてもこれは想像を以て書かれたものでなからうかと思はれる。此には穆天子が色々の動物を連れて西の方に行つたといふのであるが、其中に狻猊といふものが出てゐるのである。若しこれが果して師子であるとすれば、獅子は元来支那に居ないものであるから、狻猊といふ語も矢張り支那の言葉でないに相違ない。狻猊といふ語は二字で一つの意味を現はしてゐるが、狻といふのは獅子を現はすものと字書にも出てゐるが、猊だけでは何の意義もない、後と合して始めて一義をなすものである。狩谷掖齋〈カリヤ・エキサイ〉の箋註和名頼聚抄〈センチュウワミョウルイジュショウ〉には、師子の条下に釈の潮音――これは真宗の坊さんで江戸時代に在世した人であるが――この人の説を引いて次のやうなことを云つてゐる。「獅子とは梵語には枲伽といふ、梵語雑名に見ゆ。猊、麑は即ち枲伽の一転、師も亦枲伽の下略なり。しからば即ち狻猊も師も、梵語の偽略なり」と。これは梵語の音写だといふのであります。狻〈サイ〉とか、枲〈シ〉とかいふ字音は梵語シンハのシン、俗語シーハのシーに幾らか近いが、猊〈ゲイ〉といふ字を以てハの音を現はすごとは殆んど其例がない。ハは普通伽、訶を以て現はしてゐる。で果して猊がハの音を現はしたものか否かに就いては大なる疑があるのである。私は寧ろ次のやうに考へたらどうかと思ひます。狻猊の獣扁は、獅子のそれと同じく其物の性質を表はすために後世附けられたものである、本来は音だけを現はしたもので、夋であつたのである。而して兒は獅子の子と同じく助字である。例へば花兒といふときの兒と同様である、実は狻だけで其音を写したものである。かういふやうに考へたらどうかと思ひます。而して後世犭を附する時、夋兒を以て師子を現はしてゐたから兒にまでも犭扁を附するに至つたのでせう。斯く考へることによつて狻猊の語は始めてはつきりと理解が出来るやうに思はれるのであります。若し果してさうであるならば,何時頃からか知らぬが、高僧に対して何々猊下といふやうな尊称を用ひることゝなつてゐるが、しかし猊下の猊だけでは何の意味もない事であつて頗る奇怪な語であるといはなければならぬことになる。かういふやうに、本来支那の言葉か外国の言葉か判らないやうになつてゐる語の例は随分他にもあるのであります。又かういふ事から考へて来ると、穆天子伝といふのは何時頃出来たか少くともいつ頃現在の形となつて来たかといふ大体の推察も出来るわけである。即ち獅子といふ言葉が支那に伝はつてから出来たものでなければならぬと思ひます。〈241~244ページ〉【以下、次回】
文中に、「釈の潮音――これは真宗の坊さんで江戸時代に在世した人であるが――」とあるが、この「釈の潮音」とは、潮音道海禅師(1628~1695)を指すか。だとすれば、「真宗の坊さんで」というところは「黄檗宗の坊さんで」と訂正されなくてはならない。
松本文三郎『仏教史雑考』(創元社、1944)から、「支那に於ける印度音訳字」という講演記録を紹介している。本日は、その六回目。
又音だけ写したものならば間違もないやうですが、実際に於て混乱を来し易いことが屢〻起り、文字だけを見ては、それが支那語であるか外国語であるか判らないやうな場合があります。支那の言葉に師といふ字がある。師とはもと二千五百人をいふのである。師団の師である。一旅といふのは五百人であり、五旅が一師となる。これが師本来の意義らしい。それから師といふ字は衆といふ意味にも転用された。京師といふ時のは即ち大衆の称と解せられる。又更に大衆が団体生活をするには必ず之を統率するものを要する所から、長を師ともいつた。それから道を以て人を教へるものも師といふことになつた。これだけの意義は説文にも既に載つてをり、支那字の本義から次第に転じ生じたものであります。ところが師には又後世此等以外の新たなる意義が加はつて来た。それは師子といふ時の師である。これは即ち梵語のSimbaの俗語 Sihaの音訳である。師子は動物であるから、後世では獣扁〈ケモノヘン〉を附し獅の字が成立した。而して師は既に音を写したのであるから、この一字で十分なのである。子の字を附したのはこれは単に支那の助辞に過ぎない。此師の意義は従来ない新たなるものであり、又獅も新たなる字である。古来支那では六書といひ六種の原理によつて字の構成から発音及び意義を説明することになつてゐますが、昔の支那の文字はこれで説明が出来るとしても今日の支那文字には到底六書のみでは解釈の出来ない新しい字が沢山出来てゐる。時には字の構成を解釈し得ないものもあれば、又時には発音の由来を説明し得ないものもあり、又別の系統から新たなる意味の加はつたものも少くないのであります。
師に関連した語としては、支那には狻猊〈サンゲイ〉といふ文字があります。これは獅子のことだといはれ、穆天子伝〈ボクテンシデン〉中に野馬とあり、又走る事五百里ともあります。註には狻猊は獅子なりとある。而して野馬とは馬に似て小さいものとしてある。野馬といふのが果して獅子と同一なるものか否かは明らかではないが、何れにしてもこれは想像を以て書かれたものでなからうかと思はれる。此には穆天子が色々の動物を連れて西の方に行つたといふのであるが、其中に狻猊といふものが出てゐるのである。若しこれが果して師子であるとすれば、獅子は元来支那に居ないものであるから、狻猊といふ語も矢張り支那の言葉でないに相違ない。狻猊といふ語は二字で一つの意味を現はしてゐるが、狻といふのは獅子を現はすものと字書にも出てゐるが、猊だけでは何の意義もない、後と合して始めて一義をなすものである。狩谷掖齋〈カリヤ・エキサイ〉の箋註和名頼聚抄〈センチュウワミョウルイジュショウ〉には、師子の条下に釈の潮音――これは真宗の坊さんで江戸時代に在世した人であるが――この人の説を引いて次のやうなことを云つてゐる。「獅子とは梵語には枲伽といふ、梵語雑名に見ゆ。猊、麑は即ち枲伽の一転、師も亦枲伽の下略なり。しからば即ち狻猊も師も、梵語の偽略なり」と。これは梵語の音写だといふのであります。狻〈サイ〉とか、枲〈シ〉とかいふ字音は梵語シンハのシン、俗語シーハのシーに幾らか近いが、猊〈ゲイ〉といふ字を以てハの音を現はすごとは殆んど其例がない。ハは普通伽、訶を以て現はしてゐる。で果して猊がハの音を現はしたものか否かに就いては大なる疑があるのである。私は寧ろ次のやうに考へたらどうかと思ひます。狻猊の獣扁は、獅子のそれと同じく其物の性質を表はすために後世附けられたものである、本来は音だけを現はしたもので、夋であつたのである。而して兒は獅子の子と同じく助字である。例へば花兒といふときの兒と同様である、実は狻だけで其音を写したものである。かういふやうに考へたらどうかと思ひます。而して後世犭を附する時、夋兒を以て師子を現はしてゐたから兒にまでも犭扁を附するに至つたのでせう。斯く考へることによつて狻猊の語は始めてはつきりと理解が出来るやうに思はれるのであります。若し果してさうであるならば,何時頃からか知らぬが、高僧に対して何々猊下といふやうな尊称を用ひることゝなつてゐるが、しかし猊下の猊だけでは何の意味もない事であつて頗る奇怪な語であるといはなければならぬことになる。かういふやうに、本来支那の言葉か外国の言葉か判らないやうになつてゐる語の例は随分他にもあるのであります。又かういふ事から考へて来ると、穆天子伝といふのは何時頃出来たか少くともいつ頃現在の形となつて来たかといふ大体の推察も出来るわけである。即ち獅子といふ言葉が支那に伝はつてから出来たものでなければならぬと思ひます。〈241~244ページ〉【以下、次回】
文中に、「釈の潮音――これは真宗の坊さんで江戸時代に在世した人であるが――」とあるが、この「釈の潮音」とは、潮音道海禅師(1628~1695)を指すか。だとすれば、「真宗の坊さんで」というところは「黄檗宗の坊さんで」と訂正されなくてはならない。
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