◎とても帝銀の凶悪犯人とは思えない
いま手元に、『サンデー毎日』の特別号「六十五人の死刑囚」(一九五七年九月)がある。そこに、「天国の鍵を捜す男」と題する記事が載っている。筆者は、毎日新聞東京本社地方部の杠国義記者である。
いわゆる「日本堂事件」を発掘した杠国義記者は、一九五七年(昭和三二)七月、東京拘置所を訪れ、平沢貞通(さだみち)死刑囚と面会している。「天国の鍵を捜す男」は、その面会の模様を記した記事である。本日以降、数回に分けて、この記事を紹介する。
天 国 の 鍵 を 捜 す 男
=平沢貞通の昨今 杠 国 義
浴衣姿、ごきげんの平沢
お盆の入りの〔一九五七年〕七月十三日、わたしは小管〈コスゲ〉の東京拘置所を訪れた。高いコンクリート造りのへイに沿って埃〈ホコリ〉っぽい道を進むと、袋小路のような突当りに面会人の待合所がある。その横のやっと人ひとり通れるぐらいの小さな門を潜る。いま中野訴状やら精神再鑑定で、再審を取沙汰されている帝銀事件の死刑囚、平沢貞通にあうためだ。
あらかじめ何の連絡もしておかなかったし確定囚のことでもあるので、いささか面会を危ぶんでいたが、受付で申込むと本人に伝えたらしく、やがて出てきた係の者の答えは簡単だった。
「平沢さんは先刻からお待ちかねです」
「はてね?」
人違いかな――と首をかしげたが、いずれにしてもあえるにこしたことはない。厳重な身体検査の後(このとき私のカメラはお預りということになった)奥へ通される。土曜日の午後とて、他の面会人の姿はなく、すこぶる閑散だ。定められたのは薄暗い電灯がぽつり、挟っ苦しい第八号室。
間もなく金網ごしに高木教育課長に伴われて、平沢が入ってきた。監獄法によると確定囚の処遇は未決囚に準ずとか、だから平沢も獄衣で作業をするわけでもなく、差入れの紺がかった浴衣〈ユカタ〉で、くつろいだ姿である。高木課長みずから看守席についてメモをひろげる。獄窓でも平沢ぐらいになると貫録十分といったところ。
あいさつがすむといきなり、
「やぁ、あなたがお見えになることをわたしは朝から知ってましたよ。ここしばらく面会は途絶えていましたが、きょうはいまか、いまかとお待ちしていたんです」
予告もなしに訪ねてきたのに、そんなはずは――と思ったが、平沢はおっかぶせるように、
「けさの勤行で、きっと誰か訪ねてくるとのインスピレーションをうけたのです。やはり当りました」
それで判った。最近の平沢は仏典にこり、独房にはアミダの掛軸を飾って、朝夕の合掌をかかさぬという。きょうは盆の入り、ことさら念入りにお題目でも唱えているうちに何か暗示を得たらしい。とにかく、まことに都合がよかった。
「ですからね、ほら、きれいにヒゲもそってお待ちしていたんです」
柔和な微笑を近づける。血色もそう悪くはない。七分どころまでもう銀髪、上品にかりこんだ口ヒゲ、人品骨柄〈ジンピンコツガラ〉といいこれほどの人物は娑婆でもちょっとみつからない。とても十二名も毒段して金を奪った帝銀の凶悪犯人とは思えない。ただクルクルよく動く眼玉だけが、抄に気にかかる。
平沢はつづけて、
「T君は元気ですか」
「Tさんと申しますと?」
「あなたのところのT某君ですよ」
冗談じゃない。T某といえば終戦直後の毎日新聞の代表取締役、いまはたしか客員、随分気安く呼ぶものだと思いながら、
「さあ、もう第一線を引かれたので、あまり社の方にはお見えにならないので……
と言葉をにごし、
「何か御関係でも?」
「なぁに、わたしの長女のつれあい(配偶者)の兄ですよ」
こともなげに、いってのけた。いまそれを確かめるヒマはないが、ことごとに意表をつく平沢ではある。【以下、次回】
文中にある「中野訴状」については、後で詳述される。
平沢が、「T某」と言ったのは、おそらく、東京日日新聞社代表取締役、毎日新聞社代表取締役等を歴任した高田元三郎(もとさぶろう)のことであろう。この記事の時点では、毎日新聞社最高顧問であった。ただし、その高田が、平沢貞通の「長女のつれあいの兄」であったかどうかは不明。
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