◎マラリアの発熱を予告しておく
この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
本日は、『原爆投下は予告されていた』から、六月一一日~一三日の日誌を紹介する(一七三~一七七ページ)。
六月十一日 (月) 曇後雨
午前零時、上番する。下番者田中候補生の報告によれば、
「昨夜午後十時のニューディリー放送では、(一)米軍B29約三百機、P51約七十機は、関東地区南部の各地を空襲し銃爆撃を致しました。(二)沖縄米軍司令官バックナー中将は、日本軍司令官牛島〔満〕中将に降伏勧告をしたと放送してました。以上であります」と。
それにしても、米軍の司令官バックナー中将とは失礼きわまる奴だ。戦いの最中に降伏を進める〔ママ〕とは何事や。もってのほかではないかと思いながら、上山少尉の書かれている沖縄地図を見ると、糸満から知念を結ぶ線上まで敵は南下して来ているようだ。後は与座岳、八重瀬岳と南部の一握りの地域となっている。上山少尉も涙を流しつつ書かれたのであろう。
関東南部には、三百七十機のコンドル〔B29〕、ホークス〔P51〕の大戦爆連合の大群だ。先日の隊長の話ではないが、この爆撃のたびに日本国内では親を失い、子を失い、あげくの果てには家を焼かれるという悲劇が、そのつど起こっていることを思うと耐えられない気持がする。【中略】
厠に出たが、何度出ても曇っているのか、月も星も姿を見せてくれない。当番兵が朝食を持って来てくれて、ああ朝かと気づく。午前八時、下番する。内務班に帰るやすぐ横になる。
午前九時半、せっかくよく眠っているところを、「班長殿、空襲です」と起こされる。
「おい、月曜日の空襲は恒例になったなあ」と話す。B29五機の模様である。広東といえぼ、白雲山を目標に攻撃する以外ないのかと聞きたいくらいに、一番に白雲飛行場を攻撃してくる。ドオーン、ドオーンと地響きをあげて爆弾の音が聞こえてくる。【後略】
六月十二日 (火) 雨
昨日からの雨はまだ降りつづいている。午前零時、上番する。下番者田中候補生の報告によると、「昨晩午後十時のニューディリー放送は、米軍P51約八十機は昨日、京浜地区を空襲し銃爆撃を加えたと発表しました」と。
内地は昨日といい一昨日といい、爆撃を受けていることは梅雨の中休みなのか空梅雨〈カラツユ〉なのだろうか。あるいは梅雨の本番はまだなのか。こぢらは昨日今日と連続の雨。
レシーバーはちゃんと耳にかけているが、閑にまかせて先月、マラリアで発熱を起こした五月十六日から前例を計算すると、二十九日目に発熱を起こしており、同様の計算をすると明日の十三日ということになる。病気を予告することはどうかと思うが、勤務を変更するときにはみんな予定があり、予告できればした方がよい。そんなことを考えさせてくれるほど一勤は閑である。二度厠に行くも、二度とも雨で、しかも真っ暗である。厠の中も雨水のため満水で板が水に浮いている。板を踏みはずすと落ちてしまう。無理もない、厠には屋根がない。あるのは四本柱と茣蓙〈ゴザ〉だけだ。
午前八時、上下番挨拶を田原候補生と行なう。下番時、田原候補生に自分のマラリアの現状を話し、午後四時からの田中候補生の三勤と明日の一勤を交代してやって、もしマラリアが発生しなかったらよしとするが、「万一その時点でおれがマラリアになっていたら、明日の二勤から一応、十二時間勤務の午後八時まで、田中君がその後をやってもらうようによく相談してくれ、おれからも頼んでおく」と事前に了解をとっておく。【後略】
六月十三日 (水) 晴
午前零時五分ごろ、内務班に帰って横になる。横になったときは案外、もう大丈夫ではないかと思いつつ眠った。まったく普通通りで心配なかった。
午前三時ごろからぞくぞく寒くなった。自分の毛布をまず体にぐるぐる巻きにしてもなお寒い。田原が気づいて彼の毛布や田中の毛布もかけてくれるが寒い。しばらくもがいていたが、寒さの中、眠り込んでしまう。田原が午前五時ごろから水を汲んで来て手拭を水につけ、よく絞って頭に乗せてくれる。多謝多謝だ。
田原が「班長殿、朝食少しでも」といってくれるが、食事する気力なし。
午前八時、田中が下番して体温計を借りて来てくれた。やっぱり四十度五分ある。静養第一と睡眠を採る。
三人の中で一人欠けると大変だ。若い二人に長時間の勤務は酷だけど、二、三日だ、許して欲しい。自己暗示をかけて眠ることのみを考えた。
午後七時、田中が「班長殿、朝も昼も食べておられないからぜひ」といって夕食をすすめてくれる。自分も元気になれるからといって、自分にいい聞かせるように食べた。意外とよく食べられた。
午後八時、下番者の田原が帰って来た。体温計で熱を計るも、四十度のまま下がらず。病気は気を病むことが一番だからと、熱が下がるまで眠ることとして横になる。