礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「しかし誰が白旗をあげるのですか」

2016-06-06 02:15:34 | コラムと名言

◎「しかし誰が白旗をあげるのですか」

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、『原爆投下は予告されていた』から、六月六日~九日の日誌を紹介する(一六六~一七二ページ)。

 六月六日 (水) 雨
 強い雨が朝から降っている。昨日、板張りの穴をふさいだことで、この前の二の舞いは演じなくてよさそうである。それにしても、昨日うまくやってくれたものである。
 午前八時上番する。下番者田中候補生の報告では、
「前任者田原候補生の申し送りによりますと、昨日午後十時のニューディリー放送では、昨日(六月五日)、米軍B29約五百基が神戸、西宮、芦屋を空襲し爆撃したというのであります」と。
 あまりのことで、あっと思った。中卒後、自分は三菱重工神戸に入杜して入営まで勤務していた。仕事らしい仕事を一度もしたことがないので、勤務していたというより、在籍していたという方が正しいかも知れない。【中略】
 それにしても五百機とは大変だ。三菱〔重工〕も川崎〔重工〕も標的になっていることだろう。ビル建築は火災に強いとしても、木造の工場や民家に火がついたらどうする。和田岬から兵庫まで兵庫から灘までずっと焼野ヶ原になりはしないだろうか。
 雨という天候はどこからのベルもない。昨日の神戸の空襲は、懐かしき娑婆の思い出の姿に留めて欲しい。無事を祈るのみだ。午後になっても雨やまず。隊長は今日は全然姿を見せられたい。上山少尉は午後、ちょっとおられたが早々に引きあげられた。
 午後四時、下番する。内務班の床下を雨水が川のように流れる。こんな雨の中では洗濯もできそうにない。手拭を水で絞って体を拭く。

 六月七日 (木) 雨
 昨日からの雨は今日も降りつづく。六月になってこんなに降るとは。四月に雨期だと聞いたようだったが、六月にこんなに降るのか。
 午前八時、上番する。下番者田中候補生が、「本日は申し送る事項はありません」という。【中略】
 午後四時、下番する。雨が降って錆びては大変と油布をもらって来て、牛蒡【ごぼう】剣の剣身と鞘〈サヤ〉の手入れをする。田中候補生ははじめて見たという顔をしていたので、教えながら若い二人の候補生の剣身、鞘も一緒に拭いてやる。
 明日はもう着るものもないが、この雨の中では洗濯できぬ。明日朝を期待する。雨が降ると、日の暮れるのも早い。

 六月八日 (金) 晴
 午前六時、朝靄【あさもや】立つうちから起きて洗濯する。衣袴は本日午前八時からの衣袴もないので、量的には大量となる。内務班に吊って乾す。
 午前七時すぎの朝食のときにはちょうど乾いているので、畳んでその上に座って食事をすればアイロン代わりにぴしっとできる。今朝の洗濯で気持よく勤務に出かけられる。
 午前八時、上番する。下番者田中候補生の報告によると、
「前任者田原候補生の報告でありますが、昨日午後十時のニューディリー放送によりますと、米軍B29は昨日、四百二十機にて大阪を空襲し、爆弾、焼夷弾を投下しました、というのであります」
 昨日は雨で静かだ、静かだと思っていたのに、内地は雨も降らないで神戸の次は大阪か。大阪も何回か行ったことがあるので、思い出のある街だ。こんなにつぎつぎと四百機、五百機と空襲されたら、日本の都市という都市は壊滅するのではないだろうか。これ以上もう原子爆弾なんか落とす必要はないだろう。
 今日は久しぶりの晴天。先日、ハゲワシ〔B27〕、ハクトウワシ〔B28〕をそれぞれ一機ずつ失っているので、今日は来るだろう。レシーバーを耳に待機するも、どこからもベルなし。
 正午、NHKのニュースが流れてくる。
 ――東京都国民義勇隊の結成式が本日午前九時より東京都議会議事堂で、三十五区から隊長など四百名近くが参集致しました――
 国民義勇隊義勇隊といって、はたして武器はどのくらいあるのだろうか。手榴弾くらいではないだろうか。
 午後こそは来るだろう、来るだろうと待機するが、ついにあらわれず。午後四時下番し、田原候補生に申し送る。【後略】
 
 六月九日 (土) 晴
 午前八時、上番する。下番者田中候補生は、
「前任者田原候補生の申し送りは、昨日の空襲のことでありました。昨日、田原が午後四時、上番してしばらくして横石から進入し、赤泥を経て広東に入り、黄埔、仏山、三水を抜けて四会から綏江【スウイコウ】沿いに退去しております。爆撃箇所は、広東では白雲飛行場および天河飛行場を、さらに黄埔で艦船を、仏山、三水でも艦船を攻撃しております。B29五機であると教えてくれました」と、報告してくれた。
 午前中、今日はベルもなく静かな日である。
 正午、NHKのニュースが流れる。
 ――第八十七回臨時議会は昨八日召集され、本土決戦に即応した法案の提出が予定されていますが、鈴木内閣総理大臣は本日午前十時からの貴族院衆議院の両院本会議において「本土決戦は我に利ありて有利なり。断じて戦い抜け」と施政演説を致しました。また阿南陸相は、「本土上陸作戦は非常に近い」と指摘致しました――
 たまたま食事を早くすませてニュースの直前、情報室に入られた隊長が、上山少尉に声をかけられた。
「おい上山、貴様どう思う。おれは本土で敵を迎えうつ本土上陸作戦は、絶対にさせるべきではないと思うが。いま沖縄では敵の蹂躙〈ジュウリン〉に合っているが、これ以上、本土の国民にこのような目を合わしたくない。白旗をあげることは、日本軍人としては忍び難い。しかし、兵を日本国に返し、日本の産業を高め、日本人の一人一人を幸福にさせることの方が大事ではないかと思う。このまま本土に敵を迎えることは、前例を見ると、敵は艦砲射撃と空軍力と無尽蔵な弾薬で、完全に制圧するであろう。敵の上陸作戦を許すことは、日本民族の滅亡を意味することにならないだろうか」
 上山少尉「隊長殿、しかしだれが白旗をあげるのですか。われわれは陛下の命によって、こうやって来ております。陛下に白旗をあげよということになりませんか」
 芦田大尉「馬鹿野郎! 貴様、何を錯覚してるんだ。こんどの戦【いく】さは時の政府、東條内閣が天皇に上奏し裁可されたものである。米英の力を過小評価したことによる責任は、日本国政府にある。したがって日本国政府は、もうこの辺り〈アタリ〉で米英との間に和議を出してもよいと思う。米英の力を過小評価の意見を出した敗戦責任は、日本陸海軍の将校であり、そのためであれば、日本陸海軍将校全員が腹を切って陛下にお詫びすべきだ。おれも腹を切る。しかし、下士官兵は全部、日本に返してやって欲しい。日本に帰った彼らは、産業を興し、子孫を殖してもらいたい。国土は昔の大八洲【おおやしま】の国の国土になるかも知れないが、日本の本当の発展を考えると、和議の方が得策と思う。敵を上陸させるということは、日本民族を滅亡させることになる。今でも毎日の空襲で国民に犠牲を強いているのに、これ以上の犠牲はもう酷だ」
 上山少尉「隊長殿、敵が本土に上陸して来るのは、今からすると八月、九月と台風シーズンとなり、それこそ神風となって、一気に逆転するのではないでしょうかカ?」
 芦田大尉「上山ともあろう者が、馬鹿なことをいうなあ。八月、九月には日本に上陸しない。日本に上陸するのは十月になってからだ。おそらく志布志〈シブシ〉湾(鹿児島県東部)だろう。文永の役とは時代が違う。日本以上に科学の発達している敵さん、台風時季は充分心得ている。その間、天候の許す限り空襲して来る。それに先日、貴様が解説してくれた原子爆弾スチムソン委員会が、全会一致で投下勧告を大統領に進言したことは、一発、二発落とせば、もうこの戦争が終結にもち込めると思っての進言ではないか。貴様は毒瓦斯【ガス】防止協定があるから、それ以上のものは使えないというが、戦争終結のために新型の爆弾を使ったといえば理屈が通る。その原子爆弾とやらが落とされぬ前に考えねばならぬ。空爆されるのももう限度だ。毎日毎日、空襲されるニュースを聞いて親を失い、姉を失い、あるいは家を失って路頭に迷う同胞を思うとき、一日も早く和議をすることを考えるべきだ。国内に非戦闘員の死者を、これ以上出してはならぬ」
 上山少尉「隊長のお考えに反対であります。日本人は陛下の御為〈オタメ〉なら死んで何ら悔いはないのであります。死ほど尊いものはありません。万葉の御代以来、海征【ゆ】かば水つく屍【かばね】山征かば草むす屍大君の辺〈ヘ〉にこそ死なめかえりみはせじと、武人は死することが国に報いることであり、日本国民は男女を問わず、敵と戦って死ぬることを喜びとしております」
「ふん。貴様の考え方は間違っているとは言わぬが、貴様はまだ若い。もっともっと大所、高所から物を観る目を養わねばならない。いずれ、俺の言っていることがわかる時期が来る。また話そう」
 隊長は上靴【じようか】の音も高く出ていかれた。今日は珍しく上靴(スリッバ)を履いて来られていたようだ。昼食後もまったく静かな中に時間が過ぎてゆく。
 われわれ下士官が意見具申などできる状態ではないので、静かに話を聞いていた。隊長の意見であるが、今さらそんな話ってあるかと思った。俺も若いのか。大所、高所から物を観る目がないのか。上山少尉は沈思黙考。部屋の中は静寂そのもの。
 午後四時、下番する。下番後は日常通りの洗濯、入浴、夕食と時間を過ごす。

*このブログの人気記事 2016・6・6(8・10位にやや珍しいものが入っています)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする