◎大本営、沖縄作戦の終結を発表(1945・6・25)
この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
本日は、『原爆投下は予告されていた』から、六月二三日~二七日の日誌を紹介する(一八五~一九一ページ)。
六月二三日の分は、一昨日の六月二三日に紹介すべきであったが、「日本会議」関連のコラムを書き続けていたため、遅くなってしまった。
なお、『永田町一番地』は、すでに、六月二九日までの分が紹介済である。
六月二十三日 (土) 曇
午前零時、上番する。下番者田中候補生の報告は、
「昨日午後十時のニューディリー放送によりますと、昨日、米軍B29四百二十機は山陽路の中小都市明石、姫路、岡山、福山の各都市を空襲し爆撃致しました」と。
「班長殿、広島はありせんでした」とつけ加える。やっぱり彼も、自分〔黒木〕の出身地を気にしている。
山陽路でほかの諸都市が攻撃されて広島がないのがどうも理由がわからんとも思ったが、黙っていた。広島が空爆を受けないのは有難いことなんだが、どうして残しておくのだろう。あるいは広島だけ五百機で別途にやって来るのではないだろうか。もしかしたら、原子爆弾の投下予定地に考えて残しているんではないだろうかと、ふとそんな考えが横切った。いうべきではない。
「NHKの放送で大本営発表はなかったか」と聞くと、
「軍需省が東京ガスなどにガス料金四割値上げを許可するとの指令をしたそうです。これは二十日に遡及して実施。大正十五年以来の引き上げだそうです」
「ほかには?」と聞くと、「東京手形交換所が総会で解散を決定し、今後は日本銀行が実施するそうです。自分はこの意味がわからず報告しませんでした」と。
彼は追及されたと思ったのか、下を向いていた。私は追及でなく、沖縄戦線について放送があったかと聞きたかった。言葉は注意して話さねばならぬ。それにしても、沖縄はどうなっただろうか。気になってならぬ。【後略】
六月二十四日 (日) 晴
午前零時、勤務に上番する。下番者田中候補生の報告は、
「(一)午後七時、NHK放送によると、義勇兵役法が公布され即日施行。すたわち男子十五歳より六十歳まで、女子十七歳より四十歳までを国民義勇戦闘隊に編成する。(二)午後十時ニューディリー放送によりますと、本日米軍P51約八十機は茨城県内の航空基地を空襲し、銃爆撃を加えました。以上二件、報告致します」
昨日つぎつぎと質問したので、整理して報告してくれた。満年齢は普通は使わないので、数え年をいうのであろうか。田中や田原を考えてみたら、数え年では当然のことながら該当する。茨城の航空基地とは海軍予科練の霞ヶ浦〈カスミガウラ〉のことだろうか。
一勤の勤務時間の早いこと。八時問という時間がどんどん経過してゆく。交換器のマイクに向かって対峙するのみ。
午前八時、下番。下番後は二回目の勤務が気になって早く寝る。そして早く起きる。午後三時半起床し、昼食の後、服装を整える。
午後四時、上番し、田中候補生と上下番の挨拶をする。申し送りの事項について聞くも、ないとのことである。隊長、上山少尉の二人ともおられる。久しぶりに顔を合わせる。ちょうどそのとき国民義勇隊の女子も加わる件で、隊長は、
「女子【おなご】を戦場に出さねばならないような戦争はすべきでない。女子は留守を守ると、昔からおしえこまれている。例外はあるが、上山、どう思う?」
「はッ、同感であります」
「それと最近ときに耳にする言葉だが、一億特攻と叫んでいるが、言わんとする意味は本土決戦に当たっては軍官民、老若男女を問わず、一億の人間は特攻の攻撃精神を発揮し、敵に殴り込んで敵を撃滅しようとの言葉だ。一億一心、一億総動員、一億特攻になったの
だろうが、このまま進んで一億玉砕になりはしないか心配だ。一億玉砕となれば、日本民族はこの地上から消滅するんだよ。そんな考え方は危険だよ」
上山少尉は話題を変えるのがうまい。
「隊長殿、その後の沖縄が気になりますが」
「そうだ。黒木、大本営発表など聞き逃してはないだろうな」
レシーバーをはずし、起立して答えた。
「はッ、十八日の敵側情報でありますが、バックナー中将が戦死したというのが、沖縄関係の最後の情報であります。自分も非常に気になって、上番のつど前任者に確認をとっています。部下にも充分気をつけて聞き逃しのないように指示しております」
隊長は帰られた。上山少尉は、何かしら手帳に小さな文字で書き込んでおられる。
午後十時、久しぶりに聞くニューディリー放送が流れる。
こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。米軍は本日B29約三十機にて福岡、唐津を空襲し、それぞれの港湾地帯に機雷の投下を致しました。これとは別にB29約二十機は堺および新潟を空襲し、同様、港湾地帯に機雷の投下を致しました。繰り返し申しあげます。…………。
上山少尉も放送直後に席を立たれた。午後十二時、上下番挨拶を交わし、田原候補生に勤務を申し送り下番する。
六月二十五日 (月) 晴
昨日の一勤と三勤をやったので疲れたのか、先週前半の勤務の疲れが残っていたのか、目が覚めてからも、また思い切り朝寝する。起床は午前十時近くなる。
朝食を食べ洗濯を終えると、もう十二時となる。午後、何もする元気もなくて、ただ要点的に日記にメモする。
午後三時半、服装を正し午後四時、上番する。【中略】
午後七時、NHKのニュースが流れてくる。「海ゆかば」の静かな物悲しい音楽につづいて、
――大本営発表! 大本営発表! 沖縄戦における日本軍は去る二十二日以降詳か〈ツマビラカ〉ならず。組織的作戦は終結したものとして発表する――
私は唖然として聞いていた。牛島〔満〕中将をはじめ第三十二軍首脳は、二十二日ごろ本当に自決されたのであろうか。それとも電信通信が不能となって全員、地下ゲリラに変身されたか。米側の発表を待ちたい。こんな情報なんで日本側は発表を早くするんだろう。
午後十時、ニューディリー放送が流れてくる。
――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべき情報によれば、米外国経済院総裁クローリは下院予算委員会で、ソビエト連邦に対する武器貸与を従来通り継続すると言明しました。繰り返し申しあげます。…………。――
沖縄のことを何もいわないのに、不思議さを感じた。おそらくゲリラ戦が随所に行なわれているに違いない。最後の最後まで健闘することを祈る。また、米国から従来ソ連に武器貸与が行なわれていたことを初めて知る。ドイツは南北から米国の武器にやられたようなものだ。【後略】
六月二十六日 (火) 曇後風雨強し
午前九時起床。よく眠れたので気持がよい。気持と裏腹にどんよりした天候である。雨に降られたらと、早目にドラム缶浴場に行って行水する。水では石鹸も泡が立ちにくいが、とにかく汗をきれいに洗い落とし、雨を心配しながら洗濯をする。洗濯を終わったころからぽつりぽつりと降り出した。午後になって雨はますます強く風も出て来た。この雨では敵さん、やって来ないだろう。
午後四時、上番し、田中候補生から引きつぐ。午後五時ごろ、隊長と上山少尉があいついで入って来られた。隊長は、
「牛島司令官はまだ生きておられ、ゲリラ活動を指揮されている」と話しかけ、上山少尉も、
「あの南部のバックナー中将が戦死したという真壁以南、あれからもう十日もたっており、あの小さな面積を考えるとどうともいえませんが、全員が地下ゲリラになってもと頑張っておられることを期待します」【中略】
午後七時、NHK放送では戦況報告は何もなく、ただ本日の閣議について逓信院総裁から、「国内戦場化に伴う通信確保方策」が報告され了承されたという。
午後十時、ニューディリー放送が流れてくる。
――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべき情報によれば本日、米軍B29二百七十機は、名古屋および航空基地の各務原【かがみはら】を空襲し爆弾を投下しました。また別のB29二百二十機は阪神間の各地を空襲し爆撃致しました。繰り返し申しあげます。…………。――
内地は雨が降らないのだろうか。おそらく雨の合い間か降らない日を選んで行なっているのだろう。沖縄のことを何もいわないのは、戦闘がまだつづいているのだろう。
隊長は午後十時半、上山少尉は少しおくれて退出された。雨の夜は涼しいはずなのに、壕の中はむせるように暑い。扇風機は暑い風を回しているだけだ。午後十二時、下番する。
六月二十七日 (水) 雨
雨風が内務班の小屋に吹きつける。屋根からの雨洩りはどうにもならない。下番したと思った田原は、もうすでにぐっすり寝込んでいる。時計をみれば八時十五分。自分の寝ていた雨の当たらないところに転がしてやる。もう蚊帳の一方は、すっかり濡れている。編上靴やズック靴を床の上にあげる。雨の中では水浴も洗濯もできない。途方に暮れてただ雨の降るのを眺めるだけである。【中略】
午後四時、上番する。外の雨はどこ吹く風か。情報室は素晴らしい事務所である。難をいえば壕の中の一室換気はよいとは決していえない。煙草を二人が一度に吸うと換気は悪い。自分も煙草を吸うが、隊長や上山少尉のおられるときには遠慮するようにしている。午後六時現在、部屋に一人なので煙草を吸う。このころは煙草もマッチも配給がある。昨年の西江作戦のころのように三ヵ月も、煙草もマッチも米の飯も補給ゼロの時代を考えると有難い。
沖縄戦線では、配給品なんか何もないのだろう。糧秣も底をついているのではないだろうか。
午後七時、当番兵が食事を持って来てくれた。雨に濡れている。外はまだ雨が降っているようすだ。内地も雨が降っているのか、それとも、米軍の飛行基地が雨で飛び立ちにくいのか、飛行途中に大雨地帯があるのか、午後十時になっても、ニューディリー放送は流れてこない。静かな夜は、時計だけがどんどん針を動かして進めてくれる。午後十二時、下番する。
六月二三日の項で、黒木伍長は、敵が広島を爆撃しないのは、「原子爆弾の投下予定地に考えて残しているんではないだろうか」(下線)と疑っている。もちろんこれは、本書における「伏線」のひとつである。
また、六月二五日の項で、黒木伍長は、大本営が沖縄作戦の終結を発表したことについて、「こんな情報なんで日本側は発表を早くするんだろう。」(下線)と批判している。
しかし、この大本営発表は、沖縄の沖縄守備軍将兵および沖縄県民に対し、敵国への抵抗を中止せよというメッセージだったと捉えるべきではないのか。
一九四五年(昭和二〇)六月二三日、沖縄守備軍の最高指揮官である第三十二軍司令官牛島満中将らが自決し、これによって、沖縄守備軍の指揮系統は消滅した。しかし、牛島中将は、自決前に、「最後の一兵まで戦い悠久の大義に生きよ」と命令したとされ、事実、生き残りの将兵の抵抗は、八月二九日まで続いたという(ウィキペディア「沖縄戦」)。
大本営のこの発表には、牛島中将の自決前の命令を否定するという意味があったのではないか。だからこそ、六月二五日という、比較的早い時期に、この発表がなされたのではないか。
今月二三日、摩文仁〈マブニ〉の平和祈念公園で、沖縄県主催の沖縄全戦没者追悼式が開かれた。沖縄県が、六月二三日を「慰霊の日」と定めているからである。しかし、沖縄守備軍最高指揮官の自決した日を以て、「慰霊の日」としていることには、釈然としないものを感じている。