◎「君達は、この戦争に日本が勝つと思うか」
先日、たまたま、『思想の科学』のバックナンバーを手に取った。一九六〇年(昭和三五)八月号、「よみがえる戦争・戦後体験」特集である。そこに載っていた中野徹雄「知識人の責任」というエッセイがおもしろかった。
このエッセイを、二回に分けて紹介する。
知 識 人 の 責 任
思い出話になるのであるが、昭和二十年〔一九四五〕の春、つまり東京がB29の来襲の度毎に〈タビゴトニ〉灰燼〈カイジン〉に帰しつつあったあの終戦の年の春、私は旧制高等学校の第二学年の生徒で、配属将校の指揮下で軍事教練に参加した。その軍事教練のさなかに警戒警報が、更に空襲警報が発せられて、青空にB29と日本陸軍の戦闘機の空中戦が演ぜられ、日本の戦闘機が煙を吐きながらキリもみに墜落するのが眺められた。今となっては、私達の目〈マ〉のあたりにしたあの戦闘機に乗って戦死した陸軍軍人が誰であったか判ろう筈もないが、平和の時代の感懐としても悲痛な気持が湧く。しかし、あの時の私達は、恐らく無感覚に近かったのではないかと思う。大規模な殺戮が日々、東京都民の焼死という形で、目の前にあった。戦争の巨大な重圧は、私達の心にそのような人間的感傷の余地を与えなかったようである。ところで、この日の出来事で、全く今日においても鮮明に蘇る感情を刺激したものがある。それはややお恥しい種類の感情なのであるが、恐怖感、それも生命の危険にまつわるようなものではなく、配属将校が私達を並べておいて、日本の戦闘機の墜落を見終った後に、次のように質問したときに感じた恐怖感である。
「君達は、この戦争に日本が勝つと思うか、敗けると思うか」
この質問による恐怖感は、少しく説明しないと判らないと思う。一つは、下手な返答をすると、満座の中でハリ倒されるという肉体的恐怖もあった。更に、下手な返答でこの実直な(というのも今日なればこその批評であるが)配属将校を怒らせてしまって、そのブラック・リストに載せられ、教練に落第点をつけられて、入営してから幹部候補生になる途をとざされ、散々な目に遭いはしないか、というやや長期の見通しにそった恐怖もあった。もちろんこれは杞憂で、私は入営すらしないで終戦を迎えたのであるが、「勝つと思います」と答えることは、あまりにも白々しい。寮の中でのヒソヒソ話に、敗戦後の日本の「大統領」は、延安の日本解放委員会とやらいうものの野坂某(というのは、私達は野坂氏の名前を知らなかったし、その時は参三ではなかった)か、それとも最近物故された賀川豊彦氏か、と取沙汰〈トリザタ〉されていた時期であった。
「敗けると思います」と答えることは、当時の敗戦主義者という奇妙な「主義者」の一人と目されることを意味した。当時、私達の西洋史の教授がヨーロッパの情勢の説明を講議でしゃべったら、すぐさま憲兵が「敗戦主義的な講義ではなかったか」といって調べたという状況であった。
しかし、恐怖の原因は、それだけではなかった。もう少し根深い恐怖であった。背を向けて見ないように努めている怪物の方に無理やりに顔を向けさせられるような恐怖である。もう少し平和の時代らしい、日常的な比喩で言えば、朝晩コキ使われても貯金が一銭もできないようた下積みの勤労者が、一体、君の老後の暮しはどうなるのか」と質ね〈タズネ〉られたときに感ずるような恐怖である。つまり、事実に直面することのもたらす恐怖感であった。
配属将校が第一に指さして答を求めた生徒は、日頃温和しい〈オトナシイ〉男で、今日では確か生命保険会社に勤めているのであるが、この男はヘドモドして答えなかった。これはまず最も正直な態度だったと考えられる。好意的に後から解釈すれば、「敗けると思うけれども、敗けると公言することは恐ろしい」という沈黙の、しかも雄弁な答だったのだから。しかし、配属将校は苛立った。口に出して訊ねてしまった以上、自分の発言の後始未をしなければならない。この質問というまことに愚かしい行為は、文弱な生徒達の目の前で自分の同僚が撃墜されたことによる一種の屈辱感を、威丈高〈イタケダカ〉な質問で取繕う、アテのない試みだったのだろうから。もっとも、このような立場に立たされたとき、人はどのような態度をとるべきか、はなはだむつかしいことは事実である。私は何も茶化して言っているのではない。最も平凡で人間的な挙措は、恐らく、墜落した戦闘機の方に向って瞑目して、それから常のごとく教練を再開して、何も言わないことであったろう。或いはもう少し達人めいて、終始少しも顔色を動かさずに、直ちに教練の再開を命ずる、というやり方もあったろう。しかし、この配属将校はそうはできなかった、目前の事件に対する彼の心の反応が、言葉となって外に出てしまったのであるし、もう少し良く解釈すれば、この事件を機として文弱な生徒の精神訓練を試みた、のかも知れない。
日本機の墜落に動じなかった私達も、この質問には色を失った。しかし、第二番目に指さされた生徒の賢明な解答によって、私達は秘かに胸を撫でおろしたのであり、配属将校も満足気に首肯いた〈ウナヅイタ〉のである。それは、今日ではある戦後急速に伸びた貿易商社の海外駐在員となって、キビキビと働いている男なのだが、サッと不動の姿勢を執って、次の通り答えたのであった。
「ハッ、勝たねばならないと思います」
この答はまことに見事であった。進退きわまった私達には天来の妙手というところであった。答に詰った第一番目の正直男もこの不正直な答に感謝したし、配属将校は「そうだ、勝たねばならんのだ」とオーム〔鸚鵡〕のように返答する始末であった。【中略して、次回に続く】
以上は、このエッセイの導入部分であって、まだ筆者は、その説かんとする主題に踏み込んではいない。しかし、ここで、筆者が紹介した、敗戦直前の旧制高校における配属将校および生徒の言動は、それ自体が、実に興味深かった。
それは、あらゆる意味で「手詰り」になってきている今日の日本の状況が、この敗戦直前における日本の姿とダブって見えたからである。
今日、存亡の危機に直面しているような会社はいくらでもある。そんな会社の社員が、社長あるいは上司から、「君達は、この会社が生き残れると思うか、生き残れないと思うか」と問われたとすれば、やはり、「ヘドモドして」答えられないのではないか。
もちろん、「ハッ、生き残らねばならないと思います」という回答はありうるが、そんな回答が何の役にも立たないことは、問うほうも、問われるほうも、よくわかっているのである。