礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

古畑種基の日本民族論(1949)

2016-06-15 09:17:43 | コラムと名言

◎古畑種基の日本民族論(1949)

 先日、早稲田の古書店で、古畑種基著『法医学雑記』(筑紫書房、一九四九)という本を手にした。法医学者として知られた古畑種基の論文、エッセイを集めた本である。
 その最後に、「血液型より見たる日本民族」という一篇がある。東京人類学会編『日本民族』(岩波書店、一九三五)所収の古畑論文「血液型より見たる日本民族」の再掲であろうと思われたが、明らかに、書き直された跡がある。これも、ひとつの史料であろうと思って、購入することにした。
 本日は、「血液型より見たる日本民族」(一九四九)の論旨を、端的にあらわしている部分を引用してみたいと思う(二〇四~二〇五ページ)。

 日本民族の血液型
 以上血液型の人類学上の応用に関して概略を叙説したがこれによつて血液型の研究が人類学上参考になることが多い事を了解されたと思う。兎に角今まで述べて来たように、血液型の分布を調べると或民族と第二の民族との血縁が近いか遠いかと云うことが凡そ〈オオヨソ〉推測されるものである。【中略】大体からいつて日本人の血液型分布は日本民族独特のものと考えてよく、日本人であれば何処で調べても必ず「日本人型」を呈するとゆうことは、血液型の人類学的に応用される根本原理である。「一民族の血液型は混血さへなければ一定である」とゆう原則を如実に証明しているものである。これによつてみると、日本民族は殆ど平等に血液が分布していると考えられる。これは日本人は全部血縁を等しうする大家族民族たることを示しているとゆうべきであつて、「四海同胞」とゆう言葉の字義通り我我日本人の脈管の中には一様の血液が流れて居るのである。つまり日本島とゆう大陸から離れた島の中で、二千有余年の間一所に住居して居る間に、混血が行われ、東北人の血管にも、南方九州人の血管にも、等しく日本人に共通の血が流れて居るものと見られるのであつて、又日本人は共同の祖先を持つ民族と考えてよいのである。

 途中、【中略】の部分があるが、このあたり、文章の脱落があるらしく意味がつながらない。やむなく、【中略】としたものである。
 さて、古畑は、「二千有余年の間」に、「日本島」で混血がおこなわれたとしている一方で、「日本人は共同の祖先を持つ民族」とも述べているわけだが、この論理がよくわからない。混血した民族のうちで、ある民族が、「共同の祖先」として特定できるというなら、まだ意味が通る。しかし、古畑が言おうとしているのは、そういうことではない。
 混血の結果、日本人独特の血液型分布が生じ、この分布は、東北から九州まで共通している。だから、日本人は、「血縁を等しうする大家族民族」であるという見解は、わからなくはない。しかし、日本人が「血縁を等しうする大家族民族」だという見解から、「日本人は共同の祖先を持つ民族」だとする見解を導くのは無理がある。
 また、古畑は「四海同胞」という言葉を、間違えて使っている。「四海」というのは、全世界ということである。
 古畑種基が一九三五年(昭和一〇)に発表した論文「血液型より見たる日本民族」の問題点については、以前、このブログで取り上げたことがある(古畑種基と「血液型ナショナリズ..)。その問題点は、一九四九年の「血液型より見たる日本民族」においても、ほぼ同様に、指摘できるように思う。【この話、続く】

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