◎皇国が敗れるとき国民はすべて討死すべし
この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
本日は、『原爆投下は予告されていた』から、六月一〇日の日誌を紹介する(一七二~一七三ページ)。
六月十日 (日) 晴
今日も朝から暑い。今日は久しぶりの休日の日となった。田中は気の毒に一勤と三勤を、田原は二勤である。
昨夜は暗くなったころから横になったが、なかなか寝つかれなかった。考えて見れば見るほど、今度は隊長の意見の方が正しくも思えて来た。しかし、破れて国におめおめ生きて帰れるだろうか。生きて汚名を残すより、死んで国に殉ずべきではないだろうか。
杜甫の春望の前段にある「国破れて山河在り 城春にして草木【そうもく】深し 時に感じては花にも涙を濺【そそ】ぎ 別れを恨んでは鳥にも心を驚かす」というのが思い出されて来る。
支那の国だから天の命これ改まるということで、国滅び国生まれるのでこんな詩もできるが、日本の国は二千六百有余年、日本の歴史と共に生まれ、万世一系の皇室を戴いた皇国が戦いに敗れてよいものか。敗れるとすれば、国民全部総打ち死に〈ソウウチジニ〉すべきだという上山少尉の意見に賛同したい。
それでは自分もまだ若いのだろうか。昨夜から考えれば考えるほどわからなくなって、あるときは隊長の意見の方が正しく思い、またあるときは上山少尉の考えの方が正しいとも思う。【後略】