礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

十三階段の上には五本のロープが

2016-06-03 02:19:18 | コラムと名言

◎十三階段の上には五本のロープが

 先月二四日のコラムで、新東宝映画『大東亜戦争と国際裁判』(一九五九)のラストシーン、すなわち、東条英機が処刑される場面を紹介した。その後、塩田道夫氏の『天皇と東条英機の苦悩』(三笠書房、一九八九)を再読してみたところ、東条英機ら七名のA級戦犯が処刑される場面は、次のように紹介されていた(二二三~二二六ページ)。

 処刑された七名のA級戦犯
 巣鴨プリズンの獄舎が建ち並ぶ西北の一角、高いコンクリートの塀に囲まれたところに、黒い鉄扉があった。その鉄扉の真ん中には、白いペンキで「13A」と不吉な文字が記されていた。これがいわゆる「巣鴨プリズンの13号鉄扉」と呼ばれる処刑場への入口であった。
 見るからに寒々とした鉄扉をくぐると、そこには隔離された処刑場の建物があり、その中に、一度に五人が処刑できる十三階段が造られていた。この場所は、獄舎の位置と高さによっては、収容者が居房から直接見渡せることができたのである。笹川良一は使役の時に、この処刑場の掃除もさせられたことがあった。
 十二月二十二日の夜は次第に更けていった。午後十一時半、巣鴨プリズンで処刑されたBC級の死刑囚に、これまで立ち会ってきた教誨師の花山信勝博士が、これから行なわれる儀式の準備をはじめた。第一棟の獄舎の一階に降りた花山教議師は、仏間にしつらえた三畳の部屋で、グラスにブドウ酒をついだり、水差しを置いたりしながら七人の到着を待っていた。
 やがて獄舎の三階から、土肥原、松井、東条、武藤の死刑囚四人が、一列になって降りてきた。両脇は看守兵に付き添われ、手錠をかけられた両手は、ベルト替わりの腰紐に結ばれていた。それは時代劇に出てくるような、不自由な罪人の引き回しの格好であり、憐れみを感じさせる姿であった。
 彼らの服装は米軍の作業衣にシャツは見え、日本製の繍み上げ靴を履いていた。囚人は仏間に入ると、花山教誨師が死刑囚の一人一人に線香を手渡した。四人は揃って十五分ほど読経をしてから、仏前に灯るローソクの火で線香をつけ、香炉に立てた。
 花山教誨師は奉書を差し出し、死刑囚に署名を求めると、手錠をした不自由な手に墨汁を含ませた筆を取り、死刑囚は順に奉書に署名をした。次に、グラスに注いだブドウ酒を飲み干してから水を飲んだ。
 わずかなアルコールを含んで、死刑囚の表情は少し明るくなった。誰からともなく「万歳」をすることになり、松井大将の音頭で「天皇陛下万歳っ! ばんざい! バンザイッ!」と三唱した。さらに「大日本帝国万歳っ! ばんざい! バンザイッ!」と三唱した。彼らは、命果てる時、国家のために死ぬことを誇りとしたのである。
 獄舎の出口の扉が開くと、当番将校の先導で米人教誨師と花山教誨師、死刑囚の順に進んだ。死刑囚の両脇は看守兵がつき、そのあとを将校二人が続いた。中庭を進む間、念仏の声が続いたが、東条の声が長かった。処刑場に入るコンクリートに囲まれた13号A鉄扉が開いた。花山教誨師は、ここで死刑囚と握手をして、別れの挨拶を交わした。
死刑囚たちは、処刑場にある十三段の階段を登った。階段の上には先端を輪にした太いロープが五本垂れていた。生を断ちきれない死刑囚の念仏が聞こえた。執行兵は、四人の頭に黒い布のフードを被せてから、ロープの輸を首にかけた。
 花山師は念仏を背にしながら、急いで仏間のある建物に戻る途中、ガタンと絞首台の分銅が落ちる強い音が響いた。死刑囚が処刑された時刻は、十二月二十三日午前零時一分であった。刑の執行に立ち会ったのは、執行兵や軍医のほかに、連合国の代表五人がいた。
 それから二十分後の午前零時二十分に、今度は板垣、広田、木村の死刑囚三名が、同じ手順にしたがって行なわれた。教誨師の田嶋隆純が処刑場入口まで付き添い、そのあと処刑されたのであった。彼らも「万歳っ! バンザイッ!」と元気に三唱したが、広田だけは「バンザイ」ではなく、なんと「マンザイ」と唱えたという。
 広田弘毅は、軍人と一緒に処刑されることが、ばかばかしく、可笑しなことだと思い、それが漫才のように思えたのかも知れない。それにしても、自分の悲劇を喜劇に仕立ててしまい、最後まで値打ちを下げてしまった人であるが、石屋の伜に生まれた広田は、なんとも堅物で要領の悪い生涯を終えたのである。
 東条英機は広田とは逆の考えだった。
「自分は実に幸せだ。人間として最高の栄誉、最高の地位につかしてもらった。そして今こうなっても、信仰の喜びの深い中に入れてもらったし、自分ほど自由にものが言える者はない」
 東条は、最後にこう言い残した。他のA級戦犯で未決組の連中から見ても、束条は日本のために元首相として、また武人らしく、歴史に残る立派な死に方をしたのである。【後略】

 この文章を読んだあと、映画『大東亜戦争と国際裁判』のラストシーンを、もう一度、観てみた。すると、いくつか気づいたことがあったが、これについては、明後日に述べる。

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