礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

スチムソン委員会、日本への原爆投下を勧告

2016-06-02 03:32:34 | コラムと名言

◎スチムソン委員会、日本への原爆投下を勧告

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、『原爆投下は予告されていた』から、六月二日から五日までの日誌を紹介する(一五七~一六五ページ)。六月一日の日誌に、初めて「原子爆弾」という言葉が登場する(一五八ページ)。この本が、「タイトル通り」の内容になってくるのは、まさに、このあたりからである。
  
 六月二日 (土) 晴後曇
 午後九時ごろまで久しぶりでゆっくり休む。田原も下番してもう休んでいる。田中は上番してやっと歯車が普通の回転通りになった。【中略】
 午後四時、勤務に上番する。今日も意外と静かな模様でかえって気持が悪いくらいだ。
 午後七時ごろ、上山少尉が入って来られた。午後八時ごろ、隊長も入られて、珍しくお揃いとなる。
 午後十時、例の口調でニューディリー放送が流れて来る。
 ――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべき情報によりますと、アメリカのスチムソン委員会は、全会一致で日本への原子爆弾投下を大統領に、ワシントン時間の六月一日午前九時、勧告書を提出しました。また別の情報によれぱ、米艦載機約六十機が南九州地区の航空基地を主体として空襲し、銃爆撃を致しました。繰り返し申しあげます。…………。――
 しばらく黙っておられた隊長は、手帳にメモをとっていた上山少尉に対し、
「原子爆弾とは何か」と質問された。上山少尉は、
「原子核が破裂する爆弾であります。米側が使うとなれば日本も使うでしょう。日本では昭和十七年〔一九四二〕、陸軍の第八技術研究所〔東京・小金井〕が『に号研究』という名で、原爆製造の研究をはじめたと聞いております。自分が士官学校時代、化学の時間にこのことは聞いたのですが、原子核の破裂により高温を発し、高温とは何万度、何十万度の熱量で、爆風直下の場合には即死を意味します。しかも広範囲に一物も残さず焼土と化すために、毒瓦斯【ガス】以上の殺人化学的兵器で、原子爆弾禁止協定はないものの、毒瓦斯で受ける損害以上のものをあたえ、戦闘員、非戦闘員を問わず老若男女を差別なく殺戮することとなるので、人道上から考えても毒瓦斯禁止協定がある以上、それ以上のものを使用することは許されない。毒瓦斯も米国でも造っているし、日本でも造っている。が、相手が使用しない限りお互いに使用はしないものであります。それと同じであります。
 スチムソン委員会がどんな委員会か知りませんが、原子爆弾をどんな性質のものであるのかを知らないのではないでしょうか。ただ単に強力な爆弾であることのみで、一般人を巻き添えにするような武器とか、人だけでなく犬や猫やあらゆる家畜、さらに庭の草木にいたるまで対象になります。日本の木造家屋は一瞬にして焼野ヶ原になることなどまったく知らないと思います。とにかく大都市に落ちれば、何十万、何百万の犠牲者が一度に出るばかりか、この世の中が生き地獄の世の中に変わることと存じます」
「生き地獄の世の中とは?」
「生き地獄の世の中とは、着衣は一瞬にして焼け、大火傷の状態で皮膚も肉も破れ、血は流れ、髪は燃え、人だけでなく家も焼け、立木も焼けただれ、ただ人間は水を求めて歩くでしょう」
「よしわかった。本件については連隊長殿並びに連隊幹部の方々に報告しよう。今後この種の情報についてもよく収集してくれ」
 上山少尉が、あまりによくなんでも知っているのに驚いた。一体、この人は何年生まれの人だろうか。自分より二年くらい年上の人だろう。あるいは三年上だろうか。しかし、蒼白な顔を見ると、自分と同じくらいかも知れぬ。われわれ下士官の身分で、「上山少尉殿、貴殿はお幾つですか」と、口に出して聞けるものではない。
 隊長と上山少尉の二人は、そろって午後十一時半ごろ出ていかれた。午後十二時下番し、田原候補生に申し送る。

 六月三日 (日) 雨
 午前零時半、まだ寝つかれぬ。原子爆弾というものの恐さ、上山少尉の話を聞いていたら、人類が人類を滅亡させるものではないかと思うようになった。頭が冴えると、あのときに同時放送していた南九州地区航空基地を攻撃した敵艦載機の六十機は、発進の空母は、どの位置からだろうか。鹿児島県近くの海上からで、付近に上陸用の艦船があれば大変なことだ。
 先日、上山少尉が、たしか日本上陸には敵として最低二ヵ月は必要だといったことを思い出し、ようやくにして眠りにつく。午前一時ごろか。
 午前七時三十分起床。上番準備をする。大忙ぎで朝食をする。今日は日曜日で勤務変更日である。先週、田原の病気でちょっとおかしくなったが止むを得ぬ。今日は田中の休日の日で自分は二勤。田原は一勤と三勤である。
 午前八時、上番する。雨は明け方から降っている。日曜日であることに加えて、雨ということは今日は静かな一日であろうと予測される。隊長も、上山少尉も見えていない。予測どおり午前中、どこからもベルなし。
 正午のNHKのニュースが流れてくる。
 ――沖縄に向けて振武特攻隊三十五機は本朝、第十次総攻撃を実施しました――と報じる。
 神風とか振武とか義烈とか七生報国〈シチショウホウコク〉とか、それぞれ隊名を頭に○○特攻隊第何次、第何次と出て征く。征く人送る人、涙、涙の毎日であろう。同期が征けば俺も征く。そういった周囲の環境の中なれば自然の流れと受け止め、死もまた恐いとは思わなくなるのであろう。自分もその環境なら環境に合わせて征くだろう。しかし、命ずる者は命ぜられる者以上に断腸の思いであろう。
 それにしても、いつもは十機、十五機どまりなのに三十五機とは多い。手を合わせて冥福を祈る。
 ラジオはさらに東京の新聞朝日、毎日、読売報知、東京、日本産業経済の五社が共同で、共同新聞を先週日曜日から発行したそうだが、今度は昨日から東京都内の銀行は各罹災地に共同で店舗を設置し、どこの銀行でも自由に引き出しができると放送している。時代はつぎつぎと変わってゆく。
 上山少尉は午後一時ごろ、部屋に入って来られた。いつもと変わらず憂欝な顔である。
 隊長は午後一時半ごろ、情報室に入って来るや否や、
「今日は雨で静かやなあ」といいながら上山少尉に、「昨日の原子爆弾の問題について、今日午前十時から連隊本部で連隊長殿並びに連隊本部幹部に集まってもらって説明した。もしこの原子爆弾が内地の都市に投下されるとした場合には、非戦闘員である女、子供まで全部巻き添えになる可能性がある。米国スチムソン委員会はどういう組織形態かわからぬが、大統領に意見具申したという情報を聞いている。沖縄戦闘も、米軍の包囲することとなって、ここでも勝ち目はない。とにかく原爆投下がされぬうちに、日本としては何らかの手を打つことを、運隊長殿から上申してもらうことを懇願したが、幹部の中には、『芦田大尉、貴様は敵側情報に躍らされているのではないか。情報室の主たる目的は敵機の飛来の予告通報であり、敵側情報に腰を抜かして臆病になることではない』という者もおり、航空情報連隊の幹部たる者の中にすら、米側の機動力、新兵器力を理解しようとしない者があって残念至極であった。しかし連隊長殿は、『貴重な情報だ。絶対に上申して貴様たちの苦労を報告する』といわれてほっとした」といわれた。上山少尉は、
「そういう考え方は、情報そのものをいつも扱っておられないと、情報連隊でも当たり前であります。いずれの日にか、皆さん方ば日本は勝つと信じておられます。自分も敵側の放送を信じてよいかどうか迷います。しかし、敵側の放送は予告したことはつぎつぎと事実となっており、毎日のように日本内地の空爆も、敵側放送が正しい放送をしているように思います。大本営発表は負けた負けたとか、どこどこが爆撃されたとは、国民の戦意向上のためにはできないでしょう」
 二人とも沈思黙念としておられた。【後略】

 六月四日(月) 曇
 午前八時、上番する。月曜日は割合に敵機来襲のときが多く、朝からレシーバーを確実につけて待機する。
 午前八時三十分、上山少尉が入って来られる。
 午前九時十分ベル。――こちら石狩岳、石狩岳ハクトウワシ五羽、北江沿いに南下中――「了解」石狩岳とは横石【ホンシー】のことで、広東の真北約九十キロくらいのところか。ただちに発信ベルのボタンを押して放送する。「各所! 各所! 石狩岳よりハクトウワシ五羽、浅間山に向けて南下中」――了解――の声つづく。
 午前九時二十七分ベル。――こちら志賀山、志賀山ハゲワシ二羽、ハクトウワシ三羽、浅間山に向けて進行中これは近い。志賀山とは赤泥【チーニー】のことで、広東の北北西五十キロあまりのところである。ただちに発信ベルのボタンを押して放送する。「各所! 各所! 志賀山よりハゲワシ二羽、ハクトウワシ三羽、浅間山に向けて南下中」――了解。了解。了解――ハゲワシのB27、ハクトウワシのB28、共にコンドルのB29の旧型の重爆撃機で、二年くらい前の花形機である。
 午前九時三十八分ベル。――こちら浅間山、浅間山、三分くらい前よりハゲワシ二羽、ハクトウワシ三羽、白雲飛行場を旋回しつつ爆撃しております。あッ一機、高射砲弾命中し火を吹いて飛行場に撃墜です。ハクトウワシです――「了解」お見事、お見事と拍手を送りたい。いつもながら、白雲山頂からは情報室に知らせてくれる。【中略】
 午後三時、珍しくニューディリー放送が流れる。
 ――こちらはニューディリー、ニューディリーでごいます。信ずべき情報によりますと、先般、スチムソン委員会においては、原爆投下勧告を米大統領に進言しましたが、軍内部において軍独自に実験してみる必要が急遽発生したため、本日、実験準備命令が出されました。実験部隊、実験場所は公表されておりません。繰り返し申しあげます。…………。――
 なるほどなるほどと驚く。早いのにも驚く。上山少尉から隊長に報告された原子爆弾、一体、どこで実験するのだろう。日本内地でやられたらたまらない。無人の島か、廃棄する艦船ならともかく、沖縄あたりで実験されたらと思うと、身の毛がよだつ。もっとも沖縄には米軍もおり、あくまで人のいないところでやるだろう。今後のニュースには充分に注意を要する。
 今日は上山少尉がずっとおられるので、上山少尉から隊長に報告はあるだろうが、記録はちゃんとしておかなければなるまい。【後略】

 六月五日 (火) 曇
 先日の雨の横なぐりが気になって、朝食前に板切れの落ちているのはないかとあちこち歩いたが、四枚ほど拾って帰った。みんなに話をして集めることにしよう。
 午前八時、上番する。下番者田中候補生の報告によると、
「前任者田原候補生からの申し送りでありますが、午後十時のニューディリー放送によりますと、米軍は昨日(六月四日)、B27約二十機がボルネオ島のサンガサンガ油田地帯を空襲し、銃爆撃を加えたと放送したということであります」といった。
 なぜか昨日はハゲワシ(B27)に縁のある日だ。それにしても、ボルネオはわが軍健在なりかと、あらためて情報室内に張ってある太平洋戦争関係図を見ると、本当に唯一といってもよいくらい、セレベスとボルネオだけは敵さんが上陸していない。もっとも台湾もそうであるが。
 午前中、敵機の動静もなく静かである。
 昼のNHKのニュースが流れてくる。
 ――国民義勇隊発足を機に解散することになった翼賛壮年団が、本日午前十時より東京下谷〈シタヤ〉で最後の団長会議が開催され、国民義勇隊に自然の裡〈ウチ〉に移行するように話し合いが持たれている――という。午後も静かで敵機の動きなし。【後略】

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