◎日本人は血縁が等しい大家族民族(古畑種基)
昨日の続きである。昨日、古畑種基著『法医学雑記』(筑紫書房、一九四九)から、「血液型より見たる日本民族」の一部を引用した。
その際、意味が通らない箇所を【中略】とする形で引用したが、その後、この意味が通らない箇所は、二ページ分の「誤植」に起因していたことに気づいた。つまり、二〇五ページにあるべき記述が、そっくり二〇六ページにあり、二〇六ページにあるべき記述が、そっくり二〇五ページにあったのである。
本日は、この「誤植」を補正し、昨日、引用した部分を、【中略】なしの形で、再度、引用してみたい(二〇四~二〇七ページページ)。なお、昨日のブログでおこなった、引用部分についてのコメントは、特に、変更の必要を認めなかった。
日本民族の血液型
以上血液型の人類学上の応用に関して概略を叙説したがこれによつて血液型の研究が人類学上参考になることが多い事を了解されたと思う。兎に角〈トニカク〉今まで述べて来たように、血液型の分布を調べると或民族と第二の民族との血縁が近いか遠いかと云うことが凡そ〈オオヨソ〉推測されるものである。元来血液型が人類学的に応用される基礎は第一に血液型は遺伝する性質のものであつて性によつて変化なく、又食物、風土、病気等の外的条件によつて変化しないことである。前にも述べたように一民族の血液型の分布率は混血さへなければ、数十代にわたつて変化しないものである。
我が国に於ける血液型の研究はかなり盛〈サカン〉に行われていて、その研究の多いことは世界各国の研究中群をぬいているものである。日本各地の血液型の分布は、多数の研究者によって報告されている。今これらを総括して述べて見ると、今日まで調査されたものは大体五十五万九千五百人を越え、A型三八・四%、B型二一・八%、O型三〇・四%、AB型九・四%でヒルシュフェルドの生物化学的民族示数は一、五三である。この成績はヒルシュフェルドの分類法に従うと「中間型」に属し、オッテンベルグ、シュナイダーの分類に従うと「湖南型」即ち我々が「日本型」と称しているものに当る。日本内地、各県民の血液型分布はいづれもこの「日本人型」を示して居ることは勿論である。海外に於ける日本人でも百人以上に就いて調べる時は、常にこの「日本人型」を示している。この「日本人型」に近い血液型分布を示しているものは、フインランド人、ポーランド人、トルコ人、ロシア人、シリヤの一部、南方支那人である。大体からいつて日本人の血液型分布は日本民族独特のものと考えてよく、日本人であれば何処で調べても必ず「日本人型」を呈するとゆうことは、血液型の人類学的に応用される根本原理である。「一民族の血液型は混血さへなければ一定である」とゆう原則を如実に証明しているものである。これによつてみると、日本民族は殆ど平等に血液が分布していると考えられる。これは日本人は全部血縁を等しうする大家族民族たることを示しているとゆうべきであつて、「四海同胞」とゆう言葉の字義通り我我日本人の脈管の中には一様の血液が流れて居るのである。つまり日本島とゆう大陸から離れた島の中で、二千有余年の間一所に住居して居る間に、混血が行われ、東北人の血管にも、南方九州人の血管にも、等しく日本人に共通の血が流れて居るものと見られるのであつて、又日本人は共同の祖先を持つ民族と考えてよいのである。
次に、一九三五年発表の同タイトルの論文において、上記に相当する部分が、どうなっていたのかを確認してみる。
日本民族の血液型の分布率
以上血液型の人類学上の応用に関して叙説したことによつて、血液型の研究が人類学上参考となることが多い事を了解せられたと思ふ。こゝには我国に於ける血液型の分布を表に依て示す事とする。これは一九一六年〔大正五〕から一九三三年〔昭和八〕の三月迄の報告を集めたものである。其後も多数の報告が出て居るが、本論文中には一九三三年四月以降のものは引用しなかつたことをお断りしておく。
各県の血清学的位置をストレング・ウェリッシュに従つて図示したものが別図版【略】である。
これによると日本人の血液型の分布は殆ど一定してをると云つてもよい。三〇一九五九人に就て調べた処では、O型三〇・五%、A型三八・二%、B型二一・九%、AB型九・四%で特有の「日本人型」を示してをる。ヒ氏〔ヒルシュフェルド〕の人種示数は一・五二で、pは二・七六四、qは一・七一三、rは、五・五二三である。
日本内地各県民の血液型分布がいずれも日本人型を示していることは無論であるが、海外にある日本人、すなわち在朝鮮日本人、在満日本人、在旅順日本人、在大連日本人、在台湾日本人、いずれも「日本人」型に特有の分布率を示しておる。
これは一面から見て、血液型の人類学的応用上必要なる根本原理である、『一民族の血液型は混血さえなければ一定である』という原則を立派に証明しておることになり、また他方、日本民族は血液型より見ると、その混血がほとんど平等におこなわれておることを示す。これは日本民族が建国以来上に万世一系の皇室を奉戴する大家族民族たることを闡明〈センメイ〉しているものというべきである。
「四海同胞」という言葉の字義通り、我々日本人の脈管の中には一様の血液が流れている、即ち日本民族は血液型学的に見て、血縁を等しうする兄弟姉妹にほかならぬことを示すものである。日本島という大陸から離れた島の中において、三千有余年の間一所〈ヒトトコロ〉に居住しておる間に、混血がおこなわれ、東北人の血管にも南方九州人の血管にも、等しく日本人に共通の血が流れておると見られるのである。
新旧の文章を比較して気づいた点、考えたことなどについては、次回。