礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

天皇はもはや国家政治の一機関でもない(南原繁)

2023-09-25 01:27:02 | コラムと名言

◎天皇はもはや国家政治の一機関でもない(南原繁)

 南原繁著『人間革命』(東京大学新聞社出版部、1948)中の「憲法改正」という文章の紹介に戻る。「一」は、すでに紹介を終えているので、本日以降、「二」を紹介する。

      
(一)憲法草案内容について質疑の第一項目は、日本国家の政治的基本性格の問題である。これは申すまでもなく天皇制を繞る日本政治の民主化の問題に外ならぬ。私は先づ最初自分の主観を雑へ〈マジエ〉ずに、法案に規定されてあるところを純粋に客観的に解釈して、それが政府の言明せるところとの間に大なる齟齬〈ソゴ〉或は矛盾なきやをお尋ね致す積りである。吉田〔茂〕首相は去る六月廿四日当院〔貴族院〕における一議員の質問に対する答弁の際、改正案に於ては日本の政治的基本性格は変更されてゐないと申されたが、果してさやうであるのか。
 先づ第一点は天皇制自体に就いてである。草案に於て天皇は日本国或は日本国民統合の単なる「象徴」と呼ばれ(第一条)、凡そ政治に関する権能を有せず(第四条)、単に儀礼的事項をのみ行ふことが規定せられてある(第七条)。これを現行憲法に於て「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ」等々(第四条)とあり、そこに広汎なる大権事項を列記せるのと比較するときに、正に対蹠〈タイセキ〉の位置に在ると謂へるであらう。
 改正案に於ては、従来のわが国の法典に嘗て使用されたことのない新しい「象徴【シンボル】」という言葉が用ゐられてある。この本来、詩的芸術的なる言語が持つ神秘性により、天皇制を潤色せるが如きも、法理論的にはそれは何等実体概念でも機能概念でもないのである。今や国会が国家の最高機関であり(第三十七条)、天皇はもはや国家政治の一機関でもない。即ち、もはや国家の政治的意志の構成に対して何の関係――形式的の関係をも持たれぬ単なる儀礼修飾としての天皇である。その可否は暫く別として、かくの如きは日本国家の政治的基本性格の根本的変革と解釈されなければならね。天皇制と称するも単に名目のみに止まり、政治制度としては既にその意義を喪失したものと謂ふべきである。終戦以来歴代の内閣――別しても当時の幣原〔喜重郎〕首相が、臣節を尽して護持せんと謂はれた天皇制は、本来かくの如き内容ものであつたのかを、同国務相に伺ひ度いのである。【以下、次回】

 最後の「幣原首相が、臣節を尽して護持せんと謂はれた」の「護持」は、原文では、「議持」となっていたが、引用者の責任で訂正した。

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憲法改正問題と近衛文麿国務相

2023-09-24 02:12:00 | コラムと名言

◎憲法改正問題と近衛文麿国務相

 今月になって、松本重治(しげはる)の『昭和史への一証言』(毎日新聞社、1986)を入手した。松本重治(1899~1989)は、昭和期のジャーナリストで、内外に広い人脈を持っていた。
 彼は、憲法改正にも関与していた。ちょうど、南原繁の「憲法改正」という文章を紹介しているところなので、『昭和史への一証言』のうち、憲法改正の成立に関わるところを、少し紹介しておきたい。
 本日、紹介するのは、同書の第八章「敗戦とマッカーサーの日本」のうち、「幣原内閣と憲法改正」の節の全文である。聞き手は國弘正雄(1930~2014)。

   幣原内閣と憲法改正

 ―― 先生が軽井沢から東京に戻ってこられて間もなく、同盟通信社は解散させられ、先生ご自身の身辺があわただしくなるころ、東久邇〔稔彦王〕内閣のあとを継いだ幣原〔喜重郎〕内閣の下で、憲法改正の作業が始まります。『民報』創刊、そして創刊後の話は後で伺うことにして、憲法改正問題と近衛〔文麿〕さんとのかかわり合いについて、いくつかお聞かせください。まず、マッカーサーが近衛さんに憲法改正を手がけるよう示唆したと一部では伝えられていますが、事実でしょうか。
 松本 それは本当ですよ。九月一四日だったか、横浜にあつた総司令部で近衛さんはマッカーサーに会っています。そのとき、マッカーサーは近衛さんに、君はまだ若いし、リベラリストだから、現憲法を民主的、平和的なものに改正してはどうか、と肩をたたいていったのです。
近衛さんにしては、マッカーサーにそういわれたけれども、自分が戦犯にされる危険もある。近衛さんがどちらが本当なのか何度もたしかめられるので、私は高木八尺〈ヤサカ〉先生といっしょにマッカーサーの高級副官であつたボーナ・フェラーズ代将を総司令部に訪ね、マッカーサーの真意をただしました。フェラーズはマッカーサーが憲法改正を近衛さんに示唆したことは間違いない、というのです。
 ―― マッカーサーのいつたことに「コンスティチューション」という言葉が出、近衛さんはそれを「憲法」と受けとつたのですが、「コンスティチューション」には、いろいろな意味があり、マッカーサーは全く別な意味でいったのに、近衛さんが自分に憲法改正をせよ、といわれたとカン違いしたという説が一部にありますが……。
 松本 そんなことはありません。近衛さんがマッカーサーに会ったときには奥村(勝蔵・英語通の外務次官)が通訳としてついていっているのですからね。
 ―― 近衛さんが、どういう方向で憲法改正をしようとしていたのでしょうか。
 松本 近衛さんは、日本を再建するには天皇を中心にしなければならない、と考えていました。だから憲法改正も、天皇さまになるべく傷がつかないようにやってほしかったのです。
 明治憲法の前文には、この憲法を改正する必要があるときは、「朕がみずからその発議の権をとる」となっています。文字どおり読めば、憲法改正の発議の権をとるのは天皇さまでなければならない。明治憲法は欽定憲法なのだから、それを改正する発議は、天皇さまにやってもらったほうがいい、というのが近衛さんの理論です。そこで、憲法改正の作業をするために内大臣府御用係が設けられたのです。木戸〔幸一〕が内大臣をしていました。
 近衛さんは京都大字の出身だから、京都大学教授をしていた佐々木惣一という憲法の大家に憲法改正案を頼み、内大臣府御用係に任命します。佐々木さんは弟子を二人連れてきて、箱根で草案づくりの作業をつづけます。佐々木さん自身はリベラリストなのですが、弟子の一人は大石義雄という大変な保守的学者でした。
 ―― 近衛さんは東久邇内閣では国務大臣でしたが、幣原内閣に代るとそのポストからはずされました。そのうち、マッカーサーが幣原に対してあらためて憲法改正を指示しますね。そうなると、近衛さんが憲法改正の本流からわきに押しやられることになります。
 松本 東久邇内閣が総辞職して、幣原内閣ができるとき、東久邇内閣の外務大臣だった吉田茂がそのことを知らせるためにマッカーサーに会いに行ったのです。マッカーサーは吉田に対して、内閣が東久邇内閣から幣原内閣に代わっても、とにか憲法改正はしなければいけない、といいました。組閣を終えて幣原がマッカーサーを訪ねたときも、マッカーサーは同じことをいいました。マッカーサーにすれば、憲法改正を、近衛さんに頼んでも幣原に頼んでも同じだ、と思っていたのです。近衛さんと幣原とに別々に二元的な意味で指令したわけではないのです。
 そこで、幣原は松本烝治を委員長にした憲法問題調査委員会を一〇月一三日に設置します。松本烝治は、国務大臣をしていましたが、頭の切れる人でした。大学では商法の講義をしていましたが、憲法の問題にもくわしかったのです。
 そのうちに、内大臣府が憲法改正をすることに対する批判が出てきました。その急先鋒は、東大の宮沢俊義教授です。宮沢は憲法改正は「国務」であって、当然、内閣の責任でなされるべきものだ、という議論を展開するのです。たとえ、発議の権を天皇さまがとられても、実際の憲法改正の仕事は内閣がすることになるので、本当はあまり大きな違いはないのですが、宮沢理論によると、近衛さんははじき出されてしまうわけです。宮沢は大学で私と同級で、学問もよくできた人ですが、新聞でそういう意見を述べていました。近衛さんの立場が苦しくなりました。
 ―― 近衛さんに対する風当たりが強くなっていくなかで、近衛さんは一二月四日、自決します。
 松本 マッカーサーは、憲法改正を近衛さんに正式に指令したことはないという取り消しの声明を出すのです。それに対して近衛さんは激しく怒った。最初、自分に頼んでおいて、いまになってそういうことは知らないとは、マッカーサーは自分をだました、というわけです。しかも、今度は自分を戦犯として逮捕しようとしている。憲法改正をしてほしいと肩をたたいておいて、それから二ヵ月たてば、逮捕するというのはなにごとか、と。戦犯として巣鴨に行き、法廷に立つことになれば、天皇さまと自分が近いことがわかり、戦争責任の累が天皇さまに及ぶ危険がある、それを防ぐために自殺したのではないか、と私は思います。〈169~171ページ〉

 明日は、南原繁「憲法改正」の紹介に戻る。

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映画『南の島に雪が降る』(1961)を観た

2023-09-23 01:18:26 | コラムと名言

◎映画『南の島に雪が降る』(1961)を観た

 八月上旬の猛暑のなか、DVDで東宝映画『南の島に雪が降る』(1961)を鑑賞した。なかなかの秀作だった。映画の舞台が熱帯のジャングルということもあって、観ている間、日本の猛暑を忘れた。
 ニューギニアのマノクワリで孤立した部隊が、演劇分隊を立ち上げ、兵士たちのために、芝居を上演するという話である。敵機の来襲はあるが、戦闘場面はない。いわゆる戦争映画とは性格を異にする。しかし、戦争というものの愚かさに鋭く迫った映画であり、上質な反戦映画と位置づけられよう。
 主演は、加東大介(1911~1975)。演劇分隊のまとめ役・加東軍曹(本人)を演じている。このほかに、志村喬、三橋達也、森繁久彌、有島一郎、フランキー堺といった芸達者が登場する。
 観ていて、最も注目したのは、伴淳三郎(1908~1981)の演技であった。本当に、この人の演技はすばらしかった。もうひとり挙げるとすれば、西村晃(1923~1997)である。特に、劇中劇「関の弥太っぺ」の母親役がよかったと思う。
 一方で、明らかに、映画の雰囲気をコワしている役者がいた。たとえば、桂小金治、三木のり平、そして渥美清。あまりに個性的というか、アクが強すぎて、役者が場面から浮き上がっていた。小林桂樹にも、少し、そういうところが感じられた。
 ずっと以前に、映画の原作・加東大介著『南の島に雪が降る』(文藝春秋新社、1961)を読んだことがある。原作と映画とでは、どちらが傑作かというのは難しい質問だが、私としては原作のほうに軍配を上げたい。

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真理を真理として主張しなければならない(南原繁)

2023-09-22 00:18:57 | コラムと名言

◎真理を真理として主張しなければならない(南原繁)

 南原繁『人間革命』(東京大学新聞社出版部、1948)から、「憲法改正」という文章を紹介している。本日は、その四回目。

(五)或はそれは単に一草案に過ぎぬといふかも知れない。併し、かやうにして作られ、しかも連合軍最高司令官の全面的承認と支持の下に発表せられた草案が、どれ丈〈ダケ〉大きな力と影響を有するものであるかは、蓋し想像の外に在ると思ふ。そのことは、この草案要綱が発表せられた翌日から、従来各政党の公表し来つた改正案が全く影を潜め、俄か〈ニワカ〉に挙げて政府案に賛意を表するに至つたのを見ても明らかである。かくの如きはアメリカ等のデモクラシーの発達せる諸国に於ては見られない現象かも知れぬが、遺憾ながらこれが日本の現状である。日本はいま先づ憲法改正の事業を通じてデモクラーを習練しつつあるのである。
 最近〔1946年〕七月二十一日、今議会〔第90帝国議会〕劈頭〈ヘキトウ〉に当り、連合軍最高司令官は再び声明を発して『かかる憲章の採択が、日本国民の自由な意志の表明たるを示すべきことが絶対に必要である。』『それを草案通り採択するか、修正を加へるか、或は否決するか、即ち、その形式と内容を決定するのは、一に〈イツニ〉日本国民が正当に選出した議員の手によつて行ふべきものである』と。洵に〈マコトニ〉かくあつてこそと思ふ。然るに恰度〈チョウド〉この朝、当院〔貴族院〕に於ては吉田総理大臣が吾々の注意を喚起して『憲法草案に対する論議と修正は自由なるも、唯国際関係を考慮すべき』を特に要請されたのは、いかなる自由によつてであるか。首相のこの注意よ要請は、実に貴衆両院を通じて憲法討議の根本前提となつたと思ふ。以上の如き吉田首相の言明は、マックアーサー元帥の以上の声明の趣旨と背反するものがないであらうか。日本の総理大臣は連合軍最高司令官の公明の態度に応へて、寧ろ同様のことを要望し、議会を激励すべきではなかつたか。
 政府の隠れ場は、またしても国際情勢である。併し、日本としては、ポツダム宣言とその執行に当る最高司令官の声明に、更にその根本に於て真理と正義に忠実なる外に、何に惑ひ何を疑ふことがあらうか。吾々は敗戦国としてどこまでも謙虚であると同時に、しかも大胆に真理を真理とし、正しきを正しとして自由に主張し訴へなければならね。これがまたデモクラシーの根本精神である。連合国が日本に要求するところは、実はそれ以外のものではない筈である。将来、日本が国際社会に伍して列国の信頼を贏ち得〈カチエ〉、世界人類に寄与貢献し得るのは、かかる国民となつて初めて可能であるであらう。
(六)憲法改正に対する政府の態度方針の凡そ自主自律性を疑はしめるものとして私のなほ一つの問題といたし度きは、草案全体を通じてその結構並びに文体に関してである。草案を一読する者は何人〈ナンピト〉も、その構成に於て又表現形式に於て、わが国従来の立法に嘗て見られない外国調を以て書かれてゐるのを感じない者はないであらう。現行憲法は周知のごとくプロシアに範を取つたとは雖も〈イエドモ〉、吾々の先輩はそれを日本のものとするためにいかに苦心し努力したことか。此度〈コノタビ〉敗戦を転機とし、今改めてアメリカの立法例や政治文献を参照したことは十分想像され得るし、また大いにその必要があるであらう。しかし、これはまた恰も初め、何かの都合で一先づ英文で纏め、然る後日本語に訳出したかの如き感を与へずには措かぬ。占領治下の暫定憲法といふならばいざ知らず、これがそのまま果して将来の独立国家たる日本の憲法として後世子孫に伝ふるに足るべき形式であらうか。我が国の立法技術家に果してその人がなかつたのか。これらの点に関し、政府のとつた措置に大なる遺憾はなかつたか。特に吉田総理大臣の弁明を煩はし度い。
 事はひとり文体と結構の問題に止まらない。その内容とそこに盛られた精神に拘る〈カカワル〉問題がある。これより草案内容の主要なる問題について質疑いたし度い。

 第90回帝国議会(臨時会)の会期は、1946年5月16日から10月12日まで。南原繁が質問演説をおこなったのは、前述したように、1946年8月27日。
 南原繁の「憲法改正」は、「一」から「三」の三節によって構成されているが、ここまでが、「一」である。続いて、「二」を紹介したいと思うが、その前に、一度、話題を変える。

*このブログの人気記事 2023・9・22(8・9・10位に珍しいものが入っています)

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新憲法は「外より」与へられた印象を感ぜしめる(南原繁)

2023-09-21 02:20:28 | コラムと名言

◎新憲法は「外より」与へられた印象を感ぜしめる(南原繁)

 南原繁『人間革命』(東京大学新聞社出版部、1948)から、「憲法改正」という文章を紹介している。本日は、その三回目。
 文中、傍点が施されていたところは、太字で代用した。

(四)更に第四の私の質疑は、三月六日、憲法草案要綱発表の際、幣原首相が「謹話」に於て『連合軍司令部との緊密なる連絡の下に』それが作製された旨、特に宣明されたことに関してである。これは恰も時を同う〈オナジウ〉して発展せられた最高司令官の声明によつて『連合軍最高司令部関係当局との苦心にみちた研究と幾回となき会談』によつて成つたものと了解せられるのである。我が国の運命を決する憲法改正案の起草が最後の段階に於て、かくの如き結果に陥つたことについて、政府はいかに考へられるのであるか。その間における政府の苦心については察するも、吾々は日本政府が自主自律的に責任を以て、遂に自らの手によつて作製し得なかつたことを頗る〈スコブル〉遺憾とし、これを日本国の不幸、国民の恥辱とさへ感ずる者である。かくては新憲法は上より与へられたといふ丈でなく、これはまた外より与へられたとの印象を国民に感ぜしめる惧れ〈オソレ〉はないであらうか。現に巷間さやうな臆惻の行はれつつあるは覆ふべくもない事実である。若し、これが国民の相当範囲に滲透するに到らば、新憲法の安定性から見て甚だ憂慮すべきことと思ふが、政府の所見はどうか。また政府はかかる印象と臆惻を払拭するために果していかなる確信を持ち、いかなる方策を講ぜられつつあるか吉田総理大臣より承り度い。
 吾々はポツダム宣言の関係文書により、『わが国の統治権は、連合軍が占領中、その最高司令官の下に置かれてある』ことを知つてゐる。また実際これによつて、本来自らの手により為すべき我国の多くの善き改革が、最高司令部の指示により為されつつあるところである。併し、同じ文書により『日本国の最終の政治形態は自由に表明された日本国民の意志によつて決定せられねばならね』ことを吾々は知つてゐる。随つて少くともこの問題に関しては、政府草案作製に当つても、右の精神と趣旨に従ひ、たとひ国際の状勢がいかに変化しようとも、一々それによつて左右されることなく、わが国としては飽くまで根本のポツダム宣言に要求せられたところを忠実に、初めから確乎たる方針に立ち、政府の運命を賭けても、自主自律的に改革を断行すべきであつたと思ふ。このポツダム宣言附属文書との関係を政府はいかやうに解釈されるのであるか、吉田総理に伺ひ度いのである。【以下、次回】

 憲法草案要綱が発表された1946年3月6日の時点では、幣原喜重郎が首相だったが、同年4月22日、幣原内閣は総辞職。同年5月22日に、第一次吉田茂内閣が成立した。

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