◎天皇はもはや国家政治の一機関でもない(南原繁)
南原繁著『人間革命』(東京大学新聞社出版部、1948)中の「憲法改正」という文章の紹介に戻る。「一」は、すでに紹介を終えているので、本日以降、「二」を紹介する。
二
(一)憲法草案内容について質疑の第一項目は、日本国家の政治的基本性格の問題である。これは申すまでもなく天皇制を繞る日本政治の民主化の問題に外ならぬ。私は先づ最初自分の主観を雑へ〈マジエ〉ずに、法案に規定されてあるところを純粋に客観的に解釈して、それが政府の言明せるところとの間に大なる齟齬〈ソゴ〉或は矛盾なきやをお尋ね致す積りである。吉田〔茂〕首相は去る六月廿四日当院〔貴族院〕における一議員の質問に対する答弁の際、改正案に於ては日本の政治的基本性格は変更されてゐないと申されたが、果してさやうであるのか。
先づ第一点は天皇制自体に就いてである。草案に於て天皇は日本国或は日本国民統合の単なる「象徴」と呼ばれ(第一条)、凡そ政治に関する権能を有せず(第四条)、単に儀礼的事項をのみ行ふことが規定せられてある(第七条)。これを現行憲法に於て「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ」等々(第四条)とあり、そこに広汎なる大権事項を列記せるのと比較するときに、正に対蹠〈タイセキ〉の位置に在ると謂へるであらう。
改正案に於ては、従来のわが国の法典に嘗て使用されたことのない新しい「象徴【シンボル】」という言葉が用ゐられてある。この本来、詩的芸術的なる言語が持つ神秘性により、天皇制を潤色せるが如きも、法理論的にはそれは何等実体概念でも機能概念でもないのである。今や国会が国家の最高機関であり(第三十七条)、天皇はもはや国家政治の一機関でもない。即ち、もはや国家の政治的意志の構成に対して何の関係――形式的の関係をも持たれぬ単なる儀礼修飾としての天皇である。その可否は暫く別として、かくの如きは日本国家の政治的基本性格の根本的変革と解釈されなければならね。天皇制と称するも単に名目のみに止まり、政治制度としては既にその意義を喪失したものと謂ふべきである。終戦以来歴代の内閣――別しても当時の幣原〔喜重郎〕首相が、臣節を尽して護持せんと謂はれた天皇制は、本来かくの如き内容ものであつたのかを、同国務相に伺ひ度いのである。【以下、次回】
最後の「幣原首相が、臣節を尽して護持せんと謂はれた」の「護持」は、原文では、「議持」となっていたが、引用者の責任で訂正した。