最近よく夢を見ます。父が新聞を手に中国大陸の地図に爪楊枝で作った日の丸を刺して、興奮しながら近所の人に一生懸命説明している姿です。
その頃の私はまだ一二歳のはずですが、何故かほんとうに嬉しそうにそれを見ていたような気がするのです。そんな事もあり、友達から当時の写真集を借りて眺めてみました。北支から南京・武漢・広東へと戦線は拡大し、新聞は写真入りで凱旋の報道を送り続けました。その度に父は日の丸を増やし、写真に見入り感激したのでしょう。
当時、町の世話役をしていた父は、銃後の守りの責任者として奮闘していたようで、銃後の訓練に熱が入り遅刻した町の人を厳しく叱り付けて戦後恨みの罵声を浴びたそうです
ともあれ、父が六十何年かまえ感激に震えて見ただろう写真を今私は無感動に、いや嫌悪感すら感じながら見ています。
戦争は悲劇をも感激に変える魔力があるようです。孫たちがそんな時代に生きないよう祈るのみです。
その頃の私はまだ一二歳のはずですが、何故かほんとうに嬉しそうにそれを見ていたような気がするのです。そんな事もあり、友達から当時の写真集を借りて眺めてみました。北支から南京・武漢・広東へと戦線は拡大し、新聞は写真入りで凱旋の報道を送り続けました。その度に父は日の丸を増やし、写真に見入り感激したのでしょう。
当時、町の世話役をしていた父は、銃後の守りの責任者として奮闘していたようで、銃後の訓練に熱が入り遅刻した町の人を厳しく叱り付けて戦後恨みの罵声を浴びたそうです
ともあれ、父が六十何年かまえ感激に震えて見ただろう写真を今私は無感動に、いや嫌悪感すら感じながら見ています。
戦争は悲劇をも感激に変える魔力があるようです。孫たちがそんな時代に生きないよう祈るのみです。