九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

「歳々年々人同じからず」続き  文科系

2007年03月17日 22時10分04秒 | Weblog
 「昨夜あれから太一が私の部屋に来て、喋っていったんだよ、知ってた?」、二人それぞれの沈黙を、加代子の声が破った。
 「少しだけど聞こえてきた。どんな話だったの?」
 「去年、高校時代の友達が山で死んだらしくてね。それからずっと考え込んできたみたい。切り出しは、『生きる』って、ほら黒澤明のあの映画ね、どんな筋だったのかときくんだよ」
 加代子は覚えている限りのあらすじを話したそうだ。するといきなり、太一がたずねたというのだ。
 「死ぬってその人が永遠に無になるってことかなぁ」
 それで、加代子は答えたそうだ。そう考える人もいるし、心がそのまま残ると答える人もいるし、心は残るけどその入れ物が人間だけでなく他の動物になったりして、入れ物が替わる度に以前の記憶もなくなっていくと説く宗教もあるなどと。
 「家にはあんたたちの時代から仏壇も神棚もなかったし、霊魂のことなんかが頭をかすめる奴もいないし、太一もどっちかといえば『永遠の無』の方だろ?」
 省治がきいた。
 「うん、そうみたい。『俺にも永遠の無が来るとしたら、俺どうしようかなぁ』とか言ってたから」
 そして、加代子はこういうことをいつ考えたかともきかれたのだそうだ。
 「それで、どう答えたの?」
 「この頃になって初めてねとありのまま答えたよ」
 すると太一、一瞬だまった後に、「じゃーっ」とか言ってあっけなく出て行ったということだった。
 「あんた、あいつの『永遠の無』について、何か言ったった?」、省治は改めてたずねた。
 「きかれなかったし、きかれてもちょっと答えられないよ」
 「あの考え方が落ち着ける先って、土や草木、動物それに宇宙なんかへも、そういうものへの愛着のような問題じゃないかなぁ。俺なんかとてもそんなものは縁が遠いと観念しかけてるけど」
 
 サザンカがきれいな時を過ぎ、開きすぎて汚れた花が木や地面をおおっていた。その横でヨメナ群落の、枯れ残った残骸が揺れていた。それらの手前にある丈高い白木蓮の古木や、その根元近くで伸びたままのようなボケ二株にはつぼみがあるだろう。輝いている空気の中のそれらすべての草木が、薄暗い部屋の中にいるせいばかりではなく、省治の目に眩しいように入って来た。省治はしばらくベッドの横の椅子に座り、母の言葉を待っていたが、加代子はもう話さなかった。あいかわらず顔の下半分を布団で隠し、今は、目も閉じている。
 「行くよ」
 「うん」
 省治はゆっくりと母の部屋を出た。

(三) 
 〈昨夜お祖母さんから、「例の問題」をヒアリングした。彼女は、最近までリアルタイムをフルパワーで生きてきてそんなことを考える暇はなかったと語り、俺の今の心境にも半信半疑みたい。ただし、今はかなりマジだ。歎異抄とか『死に方のこつ』なんて本が枕元に置いてあったから。俺の質問にも、いろいろダイジェスト的に応えてくれたが、俺にとってのヒントはなかった。「永遠の無」を認め、その上でそこから「ノープロブレム」を求めていこうというコースではないようだ〉
 太一の深夜の日記だが、若さは一途に駆けて行く。

 それにしても、人はなぜ、こんなはっきりしたことを知らないふりして生きてるんだろう。この前の秀吉のテレビ、彼の辞世の歌、「露といで露と消えゆく命かな 浪速のことは夢のまた夢」とかいうやつをやとった。あんな「生きる」なんて映画もあって、かなり昔から「ゴンドラの歌」、今の大人みんなが歌ってきたんだ。大昔でも始皇帝のヘイバヨウ。この世で持ってた威力を死後へも持ち込もうと、ものすごい準備じゃないか。宗教や哲学でも、死が最大の問題となっとるのに。なんかみんな、馬鹿じゃないのか。お前らもやがて永遠の無で、その前の一度しかない命なんだぞ、分かっとるのか!おいっ!!
 確かに俺も、あいつのことがなければ今でもちゃらちゃらやっとったろう。あいつの「永遠の不在(俺にとっての)」、信じられんかった、どこへ行ったんか、もう謎だった。でも、そこからちょっと考えてったら、「俺の永遠の無」に出くわした。そして、ものすごい焦燥感だ。居ても立ってもおれん、身の置き場がない。あれだけ入れ込んだテニスも、パッカーンとサービスエースを決めたそのリアルタイムに、「これを人間が『ナイス、上手い!』と、勝手に決めたんだなぁ、と醒めとるようになっちゃったもんなぁ。「永遠の無」が解けぬうちは、すべてが、どうでも良い言うならば「人工的問題」になっちゃったんだ、俺の中で。
 ところで、みんなだって、身近な者の一人や二人、「永遠の不在」は経験しとるだろうに。なのに何だ。やっぱり、馬っ鹿ばっかりだ!
 この日本、例えば東京の地下鉄は、世界一のブランド物展覧会場だと外国人が言うそうだ。「私だけに分かるこの良さ」とか「コーディネイトでさりげなく」などの「内面的個性」で「ブランド物人生」を言い換えてみたって、他国から見れば世界一の成金趣味国の一員に変わりない。さすが、金ぴか秀吉の末裔だね。
 女が大好きな「ブライダル人生」と「貴方任せ人生」。男は「金儲け人生」か「お山の大将人生」ってとこか。貴方の行きたい先はビル・ゲイツですか、秀吉や始皇帝ですかってきいたりたいもんだ。そういう奴に限って、秀吉みたいに間際になって慌てる。「露」だってさ。自分でそれを選んだんだ、初めから分かっとるこったろう。「人間五十年   」秀吉はぁ、御大将のこのリピートを聞いてきたんだしぃ、修練の覚悟ができてたんじゃないの、そう笑ったりたいよ、ホント。
 それにぃ、例え死後の世界があったとしてもぉ、二人ともあれだけ殺してきた、キラーだ。まず地獄ですよ、ヘルですよ。あっ、そうか、地獄の執行権力を蹴散らす?そのためのヘイバヨウなんだ?確かめてみたいもんだね、ホント、全く。
 「死後が無だからこそ好きなことをやるんだ、今の俺はそういう選択をしとるんだよ」、訳知り顔にこう開き直っとる奴も、確かにおる。そういう奴には言ったりたいね。「そのお前の『好きなこと』が、死ぬまで『露』にならないという保証はどこにあるかね?」と。それに、「好きなこと」と言えばそれで何か主体的な一貫性があるようだけど、人間、昨日赤が好きで、今日黒が好きに変わることなんてしょっちゅうだよな。ならば、「好きなこと」をやるって、知らんうちに自分の混乱をまき散らしとるだけじゃないか。そんな奴がえらそうに「露」でないなどと言ってくれるな、ホント、恥ずかしい!!
 さて、いま言ったすべての奴らとはちょっと違うかも知れんけど、「本当の生きがいは歴史の方向に沿って生きること」なんて説教しとる奴もおったな。例え万一歴史があの説教屋の言うように進むもんだとしてもぉ、何でそれに沿って生きなならん?それで「永遠の無」が解けるか?この問題を考えたこともないような奴がぁ、わざわざ時間とらせて余分なことを説教しに来るなってんだ!忙しい俺にぃ!
 さて、こういう奴ら全部含めて、「奴らが死んだって、祭ったるな。そんな死者はそしれ」、俺の唯一大事なことを何も教えてくれない人生には、俺は少なくともそう言うしかないね。

 この調子で、太一の日記はまだまだ続いていく。
 そして、ほとんど眠れなかった夜も明けて、さらに、正午近く、透明な日差しを厚いカーテンで遮断して、スタンド明かりの下で、太一はこの文をもう何度読み直した事だろう。正気なのか、若い、眠れぬ一途が狂気に近づいたのだろうか、日記を打っているワープロの端が、随分前から、落ちた涙で濡れていた。

(終回へ続く) 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする