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イラク攻撃から四年。      天木ブログより

2007年03月23日 02時00分24秒 | Weblog
米国のイラク攻撃の誤りをここであげつらう気はない。4年たった今も、日々悪化するイラク情勢を前に政権末のブッシュ大統領が苦悶している姿を思い起こすだけで十分だ。ラムズフェルド前国防長官の後を受けて責任者となったゲーツ国防長官の姿がメディアにまったく登場しなくなった。そう思っていたら、18日CBSのインタビューで次のように語っていた。「我々がやっていることは基本的に(イラク政府が自立するための)時間稼ぎ。これが戦略目的のすべてある」(3月20日読売新聞)。これがすべてを物語っている。

 イラク攻撃の誤りを指摘した自らの正しさを宣伝つもりはない。少しでも中東情勢を知っていた者であれば、誰しもがあの時の米国のイラク攻撃に気づいていたはずだ。

 そのイラク攻撃を「正しい」と公言して支持した小泉前首相は勿論のこと、それに追従した官僚、財界人、御用学者、有識者、そしてメディアは、潔く自らの誤りを認めるべきである。

 なぜ米国は誤ったのか。米国のイラク攻撃の真相にもっとも肉薄した内部告発本が昨年10月米国で発売され100万部のベストセラーとなった。ワシントン・ポスト紙の記者ボブ・ウッドワードの手によるSTATE OF DENIALがそれだ。その翻訳が日本経済新聞出版社から「ブッシュのホワイトハウス」という題名で日本でも発売された。上下二巻、七百数十頁に及ぶウッドワードの「ブッシュのホワイトハウス」を私は週末を使って通読した。そしてあらためてブッシュ大統領とその政権の罪の深さを思い知った。あくなき権力欲。真実を見ない、聞かない、傲慢さ。異論を申し立てる者を遠ざけ、排除する狭量さ。平然と嘘をつくあつかましさ。権力内部のあくなき競争と面従腹背。そしてなによりもゴルフシャツ姿で市民を空爆する非人間的米国指導者の姿が、そこにはあった。

 そのようなブッシュ政権と運命を共にした小泉前首相の五年半はまた、小泉政権そのものがあたかもブッシュ政権と相似形の姿を見せて、日本を欺き、破壊した五年半であったと思う。しかもその米国が変わりつつある今、日本は変われないままに、ブッシュの米国にさえ取り残されようとしているのだ。

 この期に及んでも、「あの時は大量破壊兵器が存在する疑いが確かにあった」、とか「米国を支持した事は当時の判断では正しかった」などと強弁する者がいる。彼らこそ、渾身の力を振り絞って書かれたボブ・ウッドワードの「ブッシュのホワイトハウス」を読むべきである。当時のブッシュ政権のおそるべき稚拙な戦争決定過程を知って慄然とするであろう。そしてまともな判断力のある者ならば、何も知らずに米国を支持したおのれの軽薄さを認めざるを得なくなるであろう。

 「ブッシュのホワイトハウス」の中でどうしてもここで一言触れておきたい箇所がある。それは占領の直後にイラクの治安回復と復興を任された退役陸軍中将ジェイ・ガーナーに関する記述の部分である。ガーナーは破壊した後のイラクについて何の計画も持たないブッシュ政権の手でイラクへ派遣され、混乱のままわずか一ヶ月で更迭された人物だ。何から手を着けていいかわからない混乱の中で、ガーナーを支え、共に苦労をした末に非業の死を遂げた奥参事官(当時)と井上書記官(当時)もまた日本政府からイラクへ放り込まれた。「いったい何のために自分はバクダッドに派遣されたのか。何をしたらいいのか誰もわからない混乱状況だ。自分でなすべき仕事を見つけるしかない」そう報告していた奥参事官の悲鳴を、駐レバノン大使であった私は聞いていた。彼はまたガーナー中将の突然の更迭に憤慨していた。「米国はいったい何を考えているのか」と。それから半月後、奥参事官たちは非業の死を遂げる。その真相はいまだに明らかにされていないが、あらゆる状況証拠から、私は混乱した米軍による誤射の犠牲だと思っている。その真実がどうであれ、はっきりしていることは奥、井上という前途洋洋たる二人の外交官は、米国のイラク占領の実態を把握することなく、ただひたすらに対米協力の姿勢を内外にアピールしようとした当時の外務省幹部の犠牲者だったということである。彼らの無念さを思うと悔しくてならない。

 ボブ・ウッドワードは、3月24日号の週刊現代のインタビューの中で、次のように語っている。


「日本はブッシュから真実を知らされないままイラクに行った」
これこそ今の日本外交の本質をついている言葉だ。

ブッシュ大統領は国民に対して真実を語らなかったことが最大の問題なのだ」
これこそ小泉前首相が謙虚に耳を傾けなければならない言葉なのである。

 イラク問題の総括は日本ではまったくなされないまま、時と共にうやむやのまま忘れ去られようとしている。それを許してしまうにはあまりにも大きな歴史的間違いである。


              
コメント (2)
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