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ニシノジャパン(34)今夜、決勝戦   文科系

2018年07月15日 11時57分37秒 | スポーツ
 昨夜の三位決定戦って、あれがもう実力通り。ベルギーはゲーム中盤の多くを守備を固めて流していたし、イングランドはサイド攻撃以外にはなにもなかったし、そもそも「止めて、蹴る」が相手と比べて下手。

 さて、今夜決勝。僕はフランスと言い続けてきたが、それもエンバペ(と強い守備と)頼りで、クロアチアの底力は驚きの目で見直してきたところ。と言っても、昨日のイングランド戦を観た後は「この相手ならクロアチアが勝てたはず」と見方が変わったのだが、まーイングランドの力を僕が過大評価していたと、反省した。


 で、やっぱり優勝は、フランス。ベルギーのアザールらが「ジルーまでが30メートルも下がって、引いて守ったフランス。臆病なアンチ・フットボールだ!」と批判したが、これはいつもの悔し紛れの言いがかりとは、明らか。エンバペ攻勢を計算して「引いてコンパクト」をやったフランスに、シュート数で倍も上回られては、負け惜しみ以外の何物でもない。

 それにしても、このベルギー相手にシュート数が倍以上って、今回のフランスの力は確かに凄い。と言っても、ワントップのジルーが「いつも30メートルも下がって来て」、守りの先頭に立っていたのだから、エンバペ圧力がそれだけ強かったということだろう。準決勝などと違って今夜のエンバペは、アルゼンチン戦以来の全力を迸り出すことだろう。アルゼンチンは、PK獲得含めればハットトリックというエンバペに負けたのだ! PK獲得時のあの4人ごぼう抜きスプリントは、本当に凄まじかった。歴史に残るマラドーナの5人抜きと違って、ストライド走法でぶち抜いて行った、かって観たこともないあの光景! 
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オウム一斉死刑、宇野重規氏の寄稿から   文科系

2018年07月15日 09時44分26秒 | 国内政治・経済・社会問題
「オウム真理教元代表の麻原影晃死刑囚を含む7人の死刑が執行された」が、同一事件のこれだけの多人数死刑執行は「大逆事件」以来百年ぶりの出来事とか、という書き出しで、宇野重規東大教授が昨日の中日新聞に寄稿されている。死刑というこの問題は、国の主人公である国民を、主人公らの生活手段として生まれたに過ぎぬ国家がどうして殺すことができるのかという重大問題を含んでいる。同様に、国の主人公の命を、国民のためにあるとされる国家が奪うことができるのかという問いを、宇野氏は発しておられるが、その中心部分はこんな文章になっている。
なお、日本という国は先進国には珍しい死刑大国である。これは案外日本人の知らないこと、この点では中国や北朝鮮に近い国なのである。

『多くの処刑者を出してきた欧州では、これを抑制するために、まずは個人間の私刑を否定して、死刑を国家の権限として一本化した。やがて民主化が進むにつれ、個人の権利を守るために作られた国家が、個人を殺す権力を持つのはおかしいとする意見も生まれてくる。私人はもちろん、国家もまた死刑に対する正統な権力を持たないという考え方の広がりは、民主主義発展の指標でもあった

『その意味で、今あらためて考えるべきなのは、はたして国家は死刑を行う正統な権限を持っているか、という問いである。筆者自身は、民主主義国家において権力が個人を殺す正統な権限を持つとは考えていない。被害者の権利をより重視すべきだとの声があり、それ自体は正しいと判断するが、そのことは国家の死刑への権利を正当化するとは考えない。報復という私刑的発想はまして評価できない
 今回の出来事を機に、国家による死刑の権限の濫用という人類の歴史を振り返り、今一度、死刑制度の是非について考えるべきではないだろうか』

 以上について、この問題理解が何をもたらすかということで、僕から一言を付け加えたい。死刑を肯定する人は一般に、主権者との比較で国家への尊重が昂じやすく、国家主義、全体主義に陥りやすい。否定する人において国家との比較で国民個人への尊重が昂じれば人間性悪説が剥き出しになると見る人が、この日本には他国比較で多いようだ。宇野氏が以下のように述べているのも、そういう日本の傾向を示していよう。

『死刑制度を廃止し、これを欧州連合加盟の条件にまでしているヨーロッパ・・・に対し日本では、死刑制度廃止に対する世論はそれほど大きくないようだ。世論調査を見ても、死刑制度を容認する意見が圧倒的多数を占める』

 なお宇野氏がアメリカはちょっと例外と述べて、こんな解説を加えられていた。
『それでは同じ民主主義国家の米国で、なぜ死刑制度が存続しているのか。・・・・・米国では、むしろ市民間の正統な裁判によって死刑を執行するという発想が強かった。国家に死刑を委ねないという意味では、民主主義と言えなくもないのである』


 
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