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鍼灸院通いのチン電小旅行

2019年06月18日 21時57分28秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ

高石の実家の近くに、今も通っている鍼灸院があります。そこには今も、隔週日曜毎に通っています。

その鍼灸院は完全予約制の治療院です。私が大阪いずみ市民生協に在籍していた頃から通っているので、もうかれこれ20年以上通い続けています。当時は、確実に休めるのは日曜ぐらいしか無かったので、実家近くにあり日曜も開業している、この鍼灸院は非常に有難い存在でした。
健康保険が利かない実費診療で、費用も1回に付き6千円と割高ですが、1時間半みっちり治療してくれるので、いつも予約で一杯です。しかも、ただ治療するだけでなく、生活環境の改善にも取り組んでおられるので、職場の労働問題の相談にも乗ってもらっています。私のブログの話題も出ます。だからこそ、実家を離れた今も、こうして通っているのです。

今までは南海電車で新今宮から通っていましたが、最近では南海ではなく阪堺電車で通うようにしています。時間だけで比較すれば、南海電車で行く方がはるかに早く着きます。それでも阪堺電車で通うようにしたのは、チンチン電車の阪堺電車の方が、車窓の変化に富んでいるからです。

今や南海本線の難波寄り区間はほとんど高架になってしまいました。急行電車ではたった20分で鍼灸院の最寄り駅に着きます。しかし、車窓には何の変哲もない風景が広がるだけです。それに対し、阪堺電車の方は、専用軌道(鉄道)と併用軌道(路面電車)の区間が交互に現れ、途中にはY字クロスや車庫のある乗換駅もあります。下町の住宅街を抜け、住吉大社の鳥居前をかすめ、併用区間では老舗が立ち並ぶ商店街のど真ん中を進むので、見ていて退屈しません。

今や大阪でもここだけとなったチンチン電車に乗れて、終点の浜寺駅前では、産業遺産に認定された南海電車の駅も堪能できます。ちょっとした小旅行気分が味わえるのです。浜寺駅前から鍼灸院までは徒歩30分で、ちょっとした散策気分が味わえます。交通費も割安で、南海よりも片道120円も安いのです。前回は天王寺まで出て上町線経由で通いましたが、今回は新今宮駅前から阪堺線に乗って、我孫子道で浜寺行きに乗り換える事にしました。

(左)天王寺駅前電停 (右)新今宮駅前(旧・南霞町)電停

阪堺電車には阪堺線と上町線があります。線路の名称は、今でも恵美須町―浜寺駅前が阪堺線、天王寺駅前―住吉が上町線です。しかし、実際の運転系統は異なります。天王寺駅前方面から乗れば、全てそのまま乗り換えなしで浜寺駅前に着きます。それに対し、恵美須町方面から乗った電車は、全て我孫子道までしか行きません。我孫子道で改めて浜寺駅前行きの電車に乗り換えなくてはなりません。我孫子道は車庫や本社もある中核駅です。今や上町線経由ルートが事実上の本線です。

阪堺線に乗って進むと、我孫子道より数駅手前の住吉で、上町線の線路とY字の形に合流します。昔は、上町線の電車は、そのまま阪堺線の線路をX字形にクロスして、直ぐ横の住吉公園駅まで行っていました。その後、住吉公園駅の廃止に伴い、今のY字形のクロスになりました。

 
 
 
(左)帰り道で我孫子道車庫を望む。 (右)行き道での上町線との合流点

しかし、どの電車にも乗降口にはICリコーダーが装備されているので、我孫子道での乗り換えもタッチするだけで済みます。我孫子道から乗ったのは堺トラム(1001系低床式電車)の「紫おん」でした。紫色の線が車体に入っているのが「紫おん」、茶色の線入りが「茶ちゃ」、青色の線入りの「青らん」。この3種類の堺トラムが、浜寺駅前と天王寺駅前の間を走っています。いずれも、阪堺線の赤字対策として、堺市からの補助で導入される事になった低床式車両です。まだ一部の運用に止まっています。どの電車が堺トラムなのかは、時刻表を見れば分かります。まだ一部でしか運用されていない堺トラムに乗れたのは、滅多にない幸運でした。

(左)浜寺駅前電停 (右)同電停に停車中の「紫おん」

やがて、鍼灸院での治療も終わり、再び浜寺駅前から新今宮駅前まで阪堺電車で帰る事にしました。浜寺公園は、昔は海水浴場も併設され、海水浴客で大いに賑わいました。阪堺電車そのものも、当時遊園地だった新世界の行楽客を、浜寺の海水浴場まで呼び込むために、敷設されました。そして、並行して走る南海電車と、熾烈な競争を演じました。明治時代に、南海がいち早く蒸気機関車から電車運転に転換したのも、阪堺電車との競争があったからです。当時は、天下の大私鉄がチンチン電車と競い合っていたのです。今では到底考えられない事ですが。

阪堺電車の浜寺駅前電停の近くに、南海本線の浜寺公園駅があります。この駅を設計したのは、今の東京駅の設計も手掛けた辰野金吾博士です。その当時の建築様式が今もよく残っており、国の登録有形文化財にも指定されています。

(上)南海本線浜寺公園駅の外観

浜寺公園駅の駅舎内にカフェが併設されていたので、そこでランチにしました。メニューはそんなに多くありませんでした。セットメニューはカレー・ハヤシライス・ピザ・ピザトースト位しかありません。私は500円のピザトーストセットを注文しました。

(左・右)浜寺公園駅の駅舎カフェの様子

出てきたピザトーストセットは、はっきり言ってショボかったです。しかし、店内にはツタヤみたいに絵本や児童書が一杯置かれていたので、それを読んで時間を潰す事ができました。

(左)カフェで注文したピザトーストセット (右)ステーションギャラリーの天井

駅舎には他にギャラリーも併設されていました。昔、この駅が海水浴場への行楽客で賑わった時代に、貴賓室として使われた部屋が、そのままギャラリーとして活用されていました。そこでは有名人の似顔絵が展示されていました。

私は、駅舎カフェのピザトーストだけでは物足りなかったので、浜寺駅前電停前にある福栄堂というお店で、チン電どら焼きを買って食べました。この福栄堂は、浜寺公園の松ぼっくりをかたどった、「松露だんご」というお菓子で有名です。次来た時には、「松露だんご」も是非、食べてみようと思います。

(左)チン電どらやき (右)福栄堂の外観

しかし、浜寺公園駅の駅舎は確かに風情がありましたが、駅前広場は閑古鳥が鳴いていました。海水浴場華やかなりし頃に繁盛していた駅前商店街は、今はもう跡形もありません。店として残っているのは、前述の福栄堂だけです。後はタワマンと空地、廃屋だけしかありません。

阪堺電車(阪堺電気軌道)そのものも、堺市からの補助で、どうにか経営を維持できている状態です。それでも、上町線の方は、まだ沿線に高校や大学も多くあり、ターミナルの天王寺にも接続しているので、今でも6分おきに満員電車が来ます。

問題は阪堺線の方です。ほとんど南海本線と並行して走っているので、南海に乗客を奪われているのです。以前は南海電鉄の路線網の一部だったので、それでも良かったのですが、80年代に南海電車の子会社となってからは、南海本社からの補助も無くなり、経営に苦労する事になります。特に住吉以北は、日中でも20分間隔の不等時ダイヤで、夜8時以降ともなると、1時間に1本のローカル線並みのダイヤとなってしまいます。

大阪市西成区の、阪堺線の北天下茶屋電停前には、駅のホームから直接入れるルンバという喫茶店があり、地元のミニコミ誌にも紹介されたりしたが、そこも今日見たら事実上、閉店してしまっていました。

(左)北天下茶屋電停横の喫茶店ルンバ (右)新今宮電停の上り時刻表

でも、阪堺線が寂れてしまった原因は、単に南海本線に乗客を奪われただけではないと思います。私は、それよりもむしろ、地元商店街のシャッター街化によるものが大きいと思います。

1964年の堺泉北コンビナート造成で浜寺公園海水浴場が閉鎖になって以降も、阪堺電車はプール客輸送で賑わっていました。それが、沿線の商店街が次々と寂れ、公設市場も閉鎖されるに従い、乗客は減り続け、少子化がそれに拍車をかけたのです。

今、阪堺線の起死回生策として、難波までの路線延長が検討されているようですが、交通渋滞を恐れる地元商店街の反対もあり、そう簡単には実現しそうにもありません。今や大阪ではここだけとなったチンチン電車を、是非とも残してほしいものです。

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