たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

第六章OLを取り巻く現代社会-③人間存在の「意味喪失」

2024年09月01日 00時39分44秒 | 卒業論文

 次に、現代社会においては固有な性格が見失われやすいという点について考察していきたい。とりわけ、都市という社会的世界においては、人々の固有な性格が見失われやすい。群衆に紛れ込んでいるほど、隠れやすいことはないのである。集団の規模と密度が大であれば、それだけ集合的な注意は広大な地平に分散してしまい、各個人のいろいろな動きを追うことはますます難しくなる。個人は次第に社会に包み込まれなくなってしまうのだ。[1] 

 とりわけ先進諸国においては科学技術の発展による高度な生産力に支えられて飛躍的な「産業化」が成し遂げられ、またマスメディアも急激に発展し、「情報化」が一層促進されている。このような現代社会においては、巨大かつ複雑な組織が発達していく。個々の組織は、合理的に、すなわちその目的を「効率」よく遂行するために、組織メンバーの主観的感情や欲望などによる恣意性を排除し、組織それ自体の論理に従って管理・運営される必要がある。このため、あたかも「精密機械」のように職務を遂行する「官僚制」が組織原則として採用され、国家諸機関や民間企業をはじめとして、学校や病院、軍隊や教会、政党や労働組合に至るまで、官僚制的に組織されている。国家が積極的に経済に介入し、国家の活動が市民の公的及び私的生活の細部にまで及ぶに至った今日、管理・統制のための官僚制機構が社会全体に網の目のように張り巡らされている。また専門分化した機能を果たす様々な組織が複雑に相互に連関している高度な社会にあっては、官僚制は個々の組織にとどまらず、社会全体の趨勢を決定している。官僚制化の具体的な事例として、私たち現代人は日常生活を送る上で夥しい数の「番号」をもちそれによって処理されていることが挙げられる。保険証、運転免許証、年金手帳、各種サービスの会員証、銀行口座、クレジットカード、などなどである。官僚制化により、現代社会は大量かつ迅速な処理を可能とする科学技術の発達と相俟って様々な組織が高度に相互連関しているシステムをなしている。[2] 「産業化」によって、人類は自然を能動的に支配し始めた。動物と人間のエネルギーの代わりに、機械エネルギーが、次いで核エネルギーが、さらに人間の頭脳の代わりにコンピュータが用いられるに及んで、技術が私たちを全能にした、科学が私たちを全知にした。そして、誰もが富と安楽とを達成すれば、その結果としてだれもが無制限に幸福になると考えられた。だが、限りない技術の進歩は幸福への道ではなかったのである。自分の生活の孤立した主人になるという夢は、私たちみんなが官僚制の機械の歯車となり、思考も、感情も、好みも、政治と産業、及びそれらが支配するマスコミによって操作されているという事実に私たちが目ざめた時に終わった。[3]

 高度な社会のシステム化の一方で、現代人はますます個別化されていく傾向にある。農村社会では土地に縛られて血縁や地縁に縛られた人間関係を結ばなければならなし。そこで生まれ育ってそこに住む、ということは生まれる前から用意されていた人間関係に自動的に組み込まれるということだ。だが、都市の人間は土地に縛られることがない。どこに住むかは必然ではなく偶然だ。都市では職業に就くのも偶然の産物である。会社に入ってからも偶然の連続で転属を繰り返していく。偶然による人間同士のぶつかり合いによって生まれた人間関係は「社縁」と呼ぶことができる。[4] 社縁を前面に押し出した社会で、血縁や地縁による共同体から解き放たれた諸個人は、お互いに関連性のない「孤独な群集」(リースマン)であり、サラサラとした砂粒にたとえられるような存在である。社会のシステム化にとって、人間的なしがらみから自由で情緒や感情とは無関係な没主観的な存在こそがその担い手として適合的である。先ず生産の担い手として、次に消費の担い手として、そしてさらに生活の担い手として現代人はシステムに適合することにより個別化の度を深めていくことになる。そして、それがまた社会のシステム化の進展を促すという相互連関を形づくっている。官僚制機構は、組織の論理に即してみれば、たしかに「効率」という点で形式的に合理的である。しかし、その機構に一個の歯車として組み込まれた人間にとってそれは実質的に非合理的であるといわざるを得ない。なぜならば、形式合理性が追求されればされるほど、人間存在にとって不可欠な実質的な意味や価値が剥奪されていくからである。こうした事態を「意味喪失」と呼ぶ。[5] 人間関係に基づく社会機構も著しく機械化され、人間は機械化された社会機構の中の一つの歯車に過ぎなくなってしまった。

 巨大な官僚制機構に一個の歯車として組み込まれた人間は、あらゆる点において抽象的で記号的な存在となってしまったのだろうか。個別化の度を深めた現代人をフロムは、「自ら意志する個人であるという幻のもとに生きる自動人形」であると述べた。次に、フロムの文脈に沿って、現代人が位置喪失という状況に置かれていることをさらに概観したい。

 

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引用文献、

[1] 山岸健『日常生活の社会学』28-30頁、日本放送出版協会、1978年。

[2] 船津衛編著『現代社会論の展開』210頁、北樹出版、1992年。

[3] E・フロム著、佐野哲郎訳『生きるということ』15-17頁、紀伊国屋書店、1977年。

[4] 加藤秀俊『人間関係』21-25頁、中公新書、1966年。

[5] 船津衛、前掲書、211頁。

 


第六章OLを取り巻く現代社会-②日常生活の世界は社会的世界

2024年08月29日 14時25分16秒 | 卒業論文

『ファウスト』の第一部でゲーテは、道化師に次のような台詞を言わせている。

「こんな芝居を一つ出そうじゃありませんか。

 なにしろ充実した人間生活に手を突っ込みなさい。

 だれでもそれを経験していながら、ただ無意識なんです。

 そいつを掴まえさえすれば、面白いものが出てきますよ。

 雑然たる絵のなかにちょいとはっきりした所を入れ、

 間違いだらけのなかに、一点真理の光を点じる。

 そうすると最上のお酒が醸されて、

 それが全世界の人を元気づけ、啓発するのです」[i]

 

 次に、仕事=労苦、遊び=安楽といったステレオタイプ的な捉え方から出発する、私たちにとって自明のこととなっている日常生活とその中で経験している社会に少しスポットをあててみたい。現象学的社会学を構想したシュッツは、社会学の研究の対象者である行為者が日常生活の中で経験している社会を捉えようとした。シュッツが捉えようとした社会、私たちが日常生活で経験している社会とは、私たちが「今ここ」で経験している社会に他ならない。ところが、私たちが「今ここ」で経験している社会は、私たち自身にとってあまりにも当たり前のものであるために、かえって自分自身ではそれに気づかなくなっている。「今ここ」で常に当たり前のものとして経験されていながら、自分ではそれに気づいていない日常生活で経験するこの社会[ii]は、「社会的世界」であると言える。

 日常生活に照準を合わせて人間とその世界に注目した山岸健は、平凡な日常生活―このありふれた言葉こそ社会学の出発点となる、[iii]と述べている。OLという立場の視点に立つとき、「平凡な日常生活」というのはきわめて重要な言葉である。OLといえば、一般事務、一般事務に携わるOLの毎日はきわめて平凡、何の変化もなく同じことの繰り返しでつまらない、といった一般的なイメージが付きまとうからだ。だが、「なんじ自身を知れ」という言葉がある。日常生活のいたるところで、私たちは、絶えず人間と向き合う。私たちは、日常的に私たち自身と対面するのである。[iv] 日常的な社会的世界においてこそ、私たちは存在する。先ず、私たちは個別の生活史を持っていることを、山岸の次のような記述から説明したい。

 誰もが人びとのなかで生きている。誰もが人びととともに生きてきた。人それぞれの生活史と人生があった。<人間>と<世界>というそれぞれの言葉を切り離すことはできない。人びとはさまざまな仕方で社会生活を営んできたのである。誰にも<平凡な日常生活>があった。人生を旅していない人はいない。私たちはなによりも人生の旅人なのである。旅する人間homo viator(ガブリエル・マルセル)なのだ。私たちにとっては日常生活の場面、場面や光景が深い意味を持っているのである。一日というものを安易に考えるわけにはいかないのだ。平凡な日常生活trivial round of daily life をごくありふれた、つまらない、単調な生活と見ることはできないのである。見方によっては、一日、一日はたしかに似ている。ほとんど同じではないか、と言う人もいるだろうが、似ているようでも、一日、一日は異なっている。人々の顔がそれぞれ異なっているように。人それぞれの人生も似たようなものだ、といえばそれまでだが、私たちの人生も生活史も間違いなく個別的なのだ。ふたつとして同じ人生はない。ひとつ屋根の下で暮らしていても、生活史はそれぞれに異なっているのである。私たちはたがいに個人としてこの世に生まれ、つねに個人として人びとのなかで、人びととともに生きてきているが、社会生活や共同生活ほど誰にとっても日常的なものはない。人びとはたがいに交わりながら、声をかけ合いながら、手に手を取り合って、たがいに身を寄せ合うような状態で生きてきたのである。もちろん歩くのはこの私であり、水を飲むのもこの私、睡眠をとるのも私自身であって、さまざまな衣服や服装に自分の身を包むのはまさにこの私なのだから、私たちの誰もが自分の生を生きており、絶対的とも言うべき孤独のなかで生きていることを疑うことはできない。私たちは身体的には互いに切り離された状態で生きている。確かに個別的存在であり、個人なのだが、私たちの生活史をたどるならば、また、私たちの日常生活の場面と光景に目をむけるときには、人びとの生活が人びとのなかで営まれてきたことに誰もが気づくだろう。自明な事実だろうが、こうした日常的な事柄に注目しないわけにはいかないのである。私たちは社会生活を営んでいる。たがいに向き合いながら日常生活を営んできたのである。そこにいる人びとにほとんど気づかないこともあっただろうし、たがいに無関心、無頓着といった状態で時を過ごすこともある。私たちはまわりにいる人びとを注視しつづけているわけではない。隣り合っているのに、声をかけないことは日常的だ。電車のなかでの私、街頭での私たち。人と人との接し方、コンタクトはまことに多様だ。見知らぬ人に声をかけることもあるが、日常的とはいえないだろう。窓口や店先でのさまざまなやりとりはあるが、そうしたやりとりやコンタクトは身近な人びととの食卓を囲んでの交わりやコンタクトとは異なっているのである。互いに背を向け合っているように見える人びともいる。人々はいつも手をさしのべ合っているわけでもなさそうだ。だが、人と人との交わり、コンタクト、他者に対するさまざまな働きかけ、社会的行為、社会的行動ぬきで私たちの日常生活を語ることも理解することもできないのである。人それぞれの日常生活はそれぞれに<社会的>なのだ。[v]

 山岸は、「人間とその世界」に注目した。個別的存在である私たちは、同時に社会的存在でもあるのだ。他者の存在抜きに自己の存在証明はできない。人間には、他者性と社会性、孤立性と社会性が認められるのだ。[vi] 山岸の次のような記述を引用したい。

 日常生活に照準を合わせる場合、人間とその世界という地平に注目したいと思う。生活の日常性とは何か?人間と社会の関連性は、どのようなものであろうか?社会とは何か?日常生活の世界は、社会的文化的世界である。また、日常生活の世界は、時間的空間的世界に他ならない。人間に眼を向けるということは、時間と空間に注目することだ。生活する人間とは、意識する人間、行動する人間であり、他者たちのおのれをかかわらせてゆく人間でもあるといえるだろう。存在するということは、いわば生活するということだ。生活とは、他者たちのなかでの自己の存在証明なのである。足場を築くという態度で人間とその世界に眼を向けてゆきたいと思う。その世界とは、「社会的世界」である。社会的世界とは、私たちがそこに生まれ、そこで日常的に互いに行為し合うような時間的空間的世界であり、私たちに共通に与えられている世界にほかならない。こうした世界においては、様々な集団が存在しており、また各種の制度が見られる。この世界は、意味・価値・規範によってコントロールされている。[vii] 山岸は日常生活における他者と自分という軸を強調する。引き続き、山岸の記述に沿って、日常生活を次のようにまとめてみたい。

 日常生活とはなにか、という問いに答えることは、決して容易ではない。習慣づけられた手順・慣例・行動のパターン化、あるいは時間及び空間との恒常化された秩序づけられた対応にも、日常性を見ることができる。先の山岸の記述にもあったように、私たちは、毎日を同じように生きるわけではなく、一日一日を新たに生きるのである。この私によって生きられた時間・空間は、私の社会的経験として蓄積され、私自身の生活史に組み込まれてゆく。私たちは、時間と空間から逃れることはできない。私たちの生活の舞台である日常的世界は、私たちに共通に与えられた時間的空間的世界である。私たちは、己を中心として、私たちの回りにある様々なものを私との位置関係において捉えることができる。それぞれ異なる地点に位置づけられている他者との対応を通じて、私たちは社会を意識したり、経験したりする。やがて共通に与えられた時間的空間的世界を独自の社会として捉える。社会はそれぞれの人々の意識の世界に位置づけられた主観的リアリティとしても存在するようになるのである。他者とのコミュニケーションを通じて私たちのselfは形作られる。selfを形作るためには他者の存在が必要なのである。私たちは、他者が存在する日常的世界に身を乗り出しながら生きている。日常生活は、私たちが他者と協力しながら、人間の世界を構築し、さらに私たち自身の自己実現を図るためにフィールドに他ならない。[viii] 日常生活の中で私たちはかけがえのない一人の人間として生きる。日常生活は共同生活の中での位置確認の活動だといえる。「ひと」とは日常性の主体であり、誰ででもあると共に誰ででもないような人物だといったのは、ハイデッガーである。私たちは、日常生活において行動の主体であるのだ。行動的主体としての私たちは、日常生活において常に私たち自身と対面する。日常生活は、私たちの自己形成の場なのだ。多様なスタイルで社会的世界と関係づけながら、特定の他者との関係において私たちは日常生活の中でselfを形成してゆく。

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引用文献

[i] ゲーテ著、相良守峯訳『ファウスト』(第一部)、18-19頁、岩波文庫、1958年。

[ii] 浜日出夫「社会学理論と“知の反省”」『三色旗 2000年1月号』慶応義塾大学出版会。

[iii] 山岸健編著『日常生活と社会理論』序章、「顔と手」、慶応通信、昭和62年。

[iv] 山岸健『日常生活の社会学』2頁、日本放送出版協会、1978年。

[v] 山岸健編著『日常生活の舞台と光景[社会学の視点]』5-6頁、聖文社、1990年。

[vi] 山岸、『日常生活の社会学』、95頁。

[vii] 山岸、『日常生活の社会学』、2-3頁。

[viii] 山岸、『日常生活の社会学』、59-165頁。


第六章OLを取り巻く現代社会-①前のめりの時間意識

2024年08月26日 01時43分18秒 | 卒業論文

  序章で少し触れたが、働きがい、生きがいを考える時、仕事=労苦、遊び=安楽といったステレオタイプ的な捉え方から出発するのが私たちの日常生活では一般的である。そこには、仕事には何かを生み出す、何かを創り出すという加算のポジティブな意味があるのに対して、遊びの方には普通、何かを使う、あるいは消費するという減産のネガティブな意味しか認められない。こうした一般的な捉え方のように仕事=労苦であるなら、学校を卒業して就職するのはとても辛いことであるはずだ。反対に定年退職を迎えた人たちはそうした苦しみから解放されてゴージャスな時間が約束され、その表情は輝いているはずである。なのに、定年退職にはなぜか悲哀が伴う。ここで先ず、鷲田清一の記述に沿って、現代を生きる「人々」には、「前のめり」の時間意識切が浸透していることを記したい。「前のめり」の時間意識は、性別役割分業によりかかった日本型企業社会を見るのに有効な切り口の一つかと思われるからである。ここでいう「人々」とは、あえて男性とは書かれていないが、男性をイメージしていることは間違いないであろう。このように、人間といえばあえてことわらなくてもイコール男性であること自体が、日本型企業社会は男性中心に動いてきたことを物語っている。

 「ザンギョー」という国際語もあるくらい、日本人のワーカホリックは名高い。そのような中で、ふと、なぜ働くのかという問いがもし自分の中から否応なく頸をもたげてきたら、私たちは生活するため、自分や家族の豊かで安らいだ将来の生活のためといった理由を挙げるにちがいない。少なくとも、高度経済成長期を迎えるまではそうであった。満ち足りた老後を迎えるために人は気張る。あの時がんばっておいたから今このように安楽にしていられるのだ・・・というわけだ。ここで幸福な老後とは過去の業績に乗っかっている。それは過去の記憶と過去から蓄えてきた財に寄りかかって生きるということなのだ。皮肉な見方をすれば、これは別の生き方をあらかじめ封じ込める生き方である。それはすでに確定した過去の延長線上で生きるということであり、したがってその満ち足りた老いの生活はますます枠を限られた狭い世界に入っていくともいえる。成年の間は未来のために働き、老後は過去の業績に寄りかかって生きる。どちらにも、「現在」の充溢というものはない。働いても、働かなくても、どちらの場合も、生が輝いていないと、当事者は心のどこかで感じている。

  次にこれから就職する人の場合、就職するということは、しばしば「社会に出る」と表現される。このことに関して鷲打は、社会学者藤村正之の論考を紹介している。子供たちこそ、本来「遊び」が「仕事」であるかもしれないのに、現代日本社会では幼年期の「お受験」から大学入学までの受験競争が、むしろ彼らの「仕事」として与えられている。年間3,000時間も越えなんとする勉強時間は日本の普通の労働者の労働時間の比ではない。そのような「仕事」としての受験に、深刻さとともに偏差値に代表される「遊び」的ゲーム感覚が複雑に同居するのは子供たちにとって、ある意味で当然なのかもしれない。そのような「仕事」から解放された青年たちが大学で「遊び」に走ることもうなづけよう。なぜなら、大学時代とは「仕事」たる受験を「定年退職」した彼らが、就職という「死」を迎えるまでの「余生」の時間なのだから。この論考の根底には、就職とは「死」であるという意識が根底にある。

 「社会から下りる」定年退職者の意識も、「社会に出る」就職予備軍の意識も、ともに「社会」に出入りするというイメージで今の自分を捉えている。この対照的な二つの意識が共に同じ時間意識に囚われていることに鷲田は注目した。先ず、どちらの意識においても人生がまっすぐな「線」のようにイメージされている。労働に携わる前の未成年の段階から、労働する者としての成年、そして労働という形での公的生活からリタイアしたあとの老年。まだ成年でない段階と、もう成年でない段階とにはさまれたものとして、労働する世代があるということになる。それぞれの年代にも「線」のメタファー、もっといえば「段階」のメタファーが適用される。(略)さらに、それぞれの世代にはさらにそれぞれのイメージや価値意識が投影され、例えば無垢な子供時代、静かな侘びの老境といったイメージがそれぞれに押し付けられる。そしてその区切りのところで、例えば「社会に出る」といった表現がなされるのである。(略)人生といえばすぐ、まっすぐな線のように思い浮かべる癖は根深い。人生のある時期までは無垢で、ある時期からは汚濁にまみれだす、そしてやがて枯れる、というのはフィクションである、と鷲田は述べる。ある時期までは人生は幸福で、ある時期からは不幸になるというのもうそである、という。

 さらに「社会」に出入りするというイメージに共通に前提しているのは、共に現在というものが別に時間のためにあるという価値観である。先に記した「満ち足りた将来のために働く」ということは、未来の幸福のために現在を貧しくすることなのだ。決済のつめを先送りにしているとも言える。人生がまっすぐな「線」のようにイメージされていることと、現在が別の時間のためにあるという価値観とは、ともに、常に前方を見ている「前のめり」の意識、つまりprospective(前方的)な時間意識を前提にしている。prospective は、proという「前方」を現す接頭辞と、specereという「視る」を意味する動詞との合成語である。proという言葉で表示されるこの「前のめり」の時間意識は、近代の社会経営を巡る様々な場面に浸透しているものである。例えば、「進歩」(progress)、「企業」(project)、「プログラム」(programme)などは、proという接頭辞を多角的に用いた例である。と同時に、「前のめり」の時間意識は、近代社会を生きる人々の生活意識の非常に深い部分にまで入り込みその行動を規定してきた観念である。[i]

 終身雇用にすがっていれば過去から蓄えてきた財に寄りかかって老後を生きることができた例として、松下電器産業の「福祉年金」と呼ばれる退職年金は、少し前まで7.5から10%という高利回りで給付されていた。それが2002年6月松に会社側が年金利率の2%を発表すると、松下OBの一部が猛反発。「裁判で争う」というOBまで出てきて大騒ぎになった。[ii] このようなOBは、第二章で記した終身雇用にすがり企業に依存してきた、一見自発的に残業しているようだが、実は半ば強制されているという会社人間の姿だ。彼らには会社を通した「個」しかない。会社は実に巧みに彼らに期待されているという錯覚を持たせてきた。清水ちなみの記述から引用しよう。

 おじさんはほとんど会社を休まない。病気になっても、二日酔いでも、骨折しても会社に来る。おもしろいのは、もし万に一つ、おじさんが会社を休んだとしても、昼頃に必ず電話がかかってくるのである。「何か、困ったことはないか」おじさんは本当に責任感が強い。しかし、困ったことがあったためしがないというのが現実だったりする。こうやって考えていくと、おじさんに対する思想統制のようなものが実にまんべんなく行き渡っていて、スゴイもんだなーと思う。平日には絶対に休まず、休日にも会社のために働いたり、仕事のために遊んだりして、そして一歩会社から出ると、アレを着るコレを着るという自己主張もない。全く会社のために生きているかのようだ。会社にいた頃、自分の上司を見ていて「この人は、あー オレは会社のために尽くしたーって満足しながら死ぬのかな」と思って怖かった覚えがある。取引先の人に向かって「わが社としては」とつい、威張っちゃう人だった。「まったく電通もしょーがねぇなー」などという独り言を大声で言ってしまう人だった。周りの視線を見ていると「しょーがねぇなーのはおまえだ」と全員心の中でつっこみをいれているのがわかる。でも、たぶん、本人としては、会社名を名乗る幸せを感じているはずだ。会社はその「幸せ」を彼に与えている。だからこそ、おじさんたちは、ここまでがんばることができたんだと思う。OLは会社から期待されていない。会社がおじさんに与えている「幸せ」は、ズバリこの「期待されている(という錯覚)」じゃなかろうかと思う。「オレは、期待されている!」この気持ちが、どんな困難でも乗り越えさせてしまう。会社の仕組みや中で行われていることを見ていると、この期待という錯覚をおじさん達に見破らせないように、すごーく慎重にていねいに会社側が考えていることがわかる。(略)おじさんのメンツを満たすために会社は気を配る。おじさんのメンツは、「実力」ではなく、「男」であって「年とっている」人であれば誰にでも与えられる。どんなボンクラにも希望を持たす。[iii]

 日本型企業社会に生きる人々を規定してきた「前のめりの」時間意識、それは、第一に、より良い未来に向けて今前進しつつあるという歴史感覚と深く関わる。第二に、資本主義社会の企業も近代市民社会の個人も共に未来における決済を前提に今の行動を決める、未来志向の姿勢をとるのである。第三に、そのような未来志向は、単に人間の活動は価値を生み出すべきものだからより多くのものをより速く、より効率的に産出していかなければならない、という資本主義の基本的な思考法であり、さらに単に価値を生み出すだけでなく、より生産的な未来に備えるという目的性のある生産をしなければならない、という思考をも含む。後にも記すが、ベンジャミン・フランクリンの「時は金なり」は、未来に価値を生み出すものをこそ作らねばならないという資本主義の精神を象徴的に含みこんでいる。第四に、決済を未来に先送りする思考法の変奏として「青い鳥」幻想が挙げられる。それは、今の自分の存在がひどく頼りなく感じられるとき、別のところへ行けばもっと違った自分になれる、ここでは不可能な自分にであえるという幻想を追いかける、「こうすれば自分はもっと自分らしくなれるんじゃないか」という、自分を常に未来の「自己」に至る途上にあるものとして意識する心的メカニズムをいう。そういう形で欲望を再生産していくのである。そして第五に、「新しいものはみなよい」という、欲望の対象を絶えず交替させることで欲望そのものを絶えず再生産していく、そういう意味装置に対応するような感覚と「前のめりの」時間意識とは関わる。少し細かく見たが、こうした未来の始まりとしての現在の意識、proという「前のめり」の意識は、私たちの生活に深く浸透している。そして、仕事=労苦であるという近代的な理解の仕方と深く結びついているのである。

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引用文献

[i] 鷲田清一『だれのための仕事』7-15頁、岩波書店、1996年。

[ii] 『日経ウーマン 2002年12月臨時増刊号』日経ホーム出版社。

[iii] 清水ちなみ「OLから見た会社」内橋克人・奥村宏・佐高信編『就職・就社の構造』126-128頁、岩波書店、1994年。


第六章OLを取り巻く現代社会

2024年08月25日 13時32分45秒 | 卒業論文

 これまで、女性は労働市場において補助的職務に限定され、また雇用調整弁となっていることを繰り返し記述してきた。しかし、働きがい、生きがいといったテーマはOLだけのものではないはずだ。基幹的な「男の職務」に従事している男性たちは、仕事にやりがいや生きがいを見出すことができているのだろうか。この章では、こうした点を中心に、OLを取り巻く現代社会について概観したい。

 何のために働くのか?こうした壁にぶち当たるのは、女性だけではないはずだ。 現代社会は、「より早く・効率よく」を合言葉に、スピード化・効率化を目指して進んできた。いかに効率よく仕事をこなすか。いかに効率よく時間を使うか。コンピュータの普及、携帯電話、家事の簡略化。そのために様々なものが開発され、進化した。だが、便利になるということは、必ずしも豊かになるということではない。

 近年は、男性の会社人間としての働き方に疑問が出されている。80年代バブル景気の頃は「24時間戦えますか」と働かされ「過労死」するサラリーマンが現われ、バブル崩壊後の90年代半ばには企業のリストラの一環として人員整理の対象となるサラリーマン、また企業が倒産して失業するサラリーマンが現われている。あれほど会社のために尽くしたのにという失望感や夫だけが働いていることのリスクを見せつけられている。一方、家庭の中でも会社中心で家庭のことを省みない夫に対する不満、家のことは任せたと相談に乗ってくれない夫に対する失望、コミュニケーションのない冷めた夫婦関係から生じる孤独を感じる妻も少なくない。経済的な豊かさが、必ずしも心の豊かさをもたらすとはいえないのだ。真に豊かに生きるということについて触れていきたいと思う。 

 


第五章岐路に立たされる女性-⑪OLの真の自立を考える

2024年08月22日 01時02分37秒 | 卒業論文

 マンションを購入するシングル女性は今や珍しくない。住宅金融公庫の調査によると、公庫利用者における単身女性の割合は、95年度の5.1%から02年度は8.2%と増加傾向にあり、民間の低金利に流れて公庫の利用者全体が落ち込んでいる中でも目立つ存在だ。住まいと家族の関連性を見つめ続けてきた作家の藤原智美は、女性の住宅購入と晩婚化の関係をこう説明する。「人生の支えとなる土台を結婚に期待しない代わりに、住宅を所有することで大きな“安心感”を得ている」[1] さらに、最近の動向として高層タワーマンションに人気が集まっている。その対極にある「郊外一軒家」が象徴する「一ヶ所に根を張る」ことの価値が以前より薄れていることの表れと考えられる。[2] 結婚すれば働く女性は家事と労働の二重負担を背負うことになる。これが近年の働く女性の晩婚化や出産の遅延、あるいは非婚といった背景になっていると考えられる。女性にとって永久就職と言われた結婚も、日本型雇用慣行が崩れつつある中で、生涯にわたる生活保証ではなくなってきている。一番安定していたものがリスクを抱えるものとなったのである。女性が経済的に自立可能な職業生活者である場合には、結婚から得られる利益はあまり期待できないのかもしれない、と 藤井治枝は述べている。藤井が『結婚難にみる男の意識と働き方』から引用して述べているところによれば、女性たちのなかには、企業人間の妻になるより一人でいた方がよいと考える者が増えてきていて、男性たちに戸惑いを与えている。「出生率の低下には、さまざまな背景があるが、基本的には企業社会の中に埋没している男たちを相手に家庭を作ることを女たちが拒否し、あるいは子どもを生むことを拒絶することによって、引き起こされている」のだ。[3] 例えば、女性は次のような結婚観をもっている。「私は自分のことは自分でやります。仕事もしたい。社会とのつながりも持ちたい。だから男の人も自分のことは自分でやってほしい。なぜ私が夫の身の回りの世話をしなければいけないの。自立した男と女がパートナーとして共同生活をするのが結婚ではないでしょうか」一方、男性はいまだに結婚はパートナーを選ぶというより、会社や母親のためだという。「企業人間を前提とすれば、家事を一切誰かに任せなければ。それを母親がやっていたが、いつまでも母親にやらせておくわけにはいかない。母親の代わりをやってくれて跡取りをつくるために妻を得たい」[4] が大方のサラリーマンの結婚観だとしたら、働く女性に結婚のメリットはあまりないのである。[5] 家族の位置づけが女性たちの中で変化してきている。

 近年は、家族の「個人化」が進んでいる。未婚期間の延長や長寿命化、離死別による単身期間の延長など、一人で暮らす期間が人生に占める割合が大きくなっている。家族の「個人化」は、子供も配偶者ももたないなど、一生のかなりの部分を家族に属さずに生きるようなライフコースが一般化し、その結果、社会の単位が家族から個人へと変化することを意味している。言い換えれば、「個人化」は、家族が女性にとって、生涯その中で暮らしていける場でも運命共同体でもなくなったことを意味する。これまで女性と家族の関係は、生涯安心して頼れる固定的な集団で、女性はその集団の一部だと考えられてきた。女性は自分と家族を一体と思えばこそ、個としての欲求を抑えてでも家族を支える役割に徹することにメリットがあったのである。物質的、精神的両方の意味で家族のものを自分のものと考えることができる、家族からは決して見捨てられないと安心できる、などは、家族と自分が一体と思えばこそ得られるメリットである。固定的集団であればこそ老後も、いえ死後のお墓のことまで安心だった。ところが家族が固定的集団から流動的な一時的関係へと変化しつつある中で、女性にとっての家族の意味もまた大きく変化する。もはや自分を抑えて家族のために生きても、その家族はいつ解消されるかわからない、老後も子供は当てにできない、自分のことを最後まで守ってくれるものではなくなった。自分を抑えて家族のために生きることに、安心感というメリットはなくなったのである。「個」への欲求は女性の高学歴化や社会進出にかかわらず、以前から高かった。家族の「個人化」には、二つの部分の変化が考えられる。一つは、家族を一体ととらえる傾向が弱くなっていることである。家族という集団を、メンバー間に心理的・経済的境界がない一つの単位としてではなく、一人一人が単位である個人の集まりととらえる。家族同士でも、私のものは私のものだし、お互いの気持ちは言葉で伝えなければわからないと考えるのだ。もう一つは、「個人の世界」に求めるものの多様化である。趣味や友人との付き合いであったり、職業上の成果をあげることであったり、あるいはボランティアで中心的役割を担うことであったりと様々なのである。個人化は家族のあり方だけでなく、女性が何を生きがいと感じるかにも関連する。自分と家族の心理的一体感が強かったときには、家族の喜びを自分への間接的評価ととらえ、自分の喜びとすることができた。自分が影で家族を支えていたからこそ夫や子供の成功があるのだ、と思うことができたのである。しかし自分と家族を一体だと思わなくなると、家族の喜びはもちろん嬉しいには違いないけれど、それだけではなく個人としての生きがいや達成感や評価も欲しい、と考えるようになる。心理的側面での「個人化」は、女性の自己主張やわがままが強くなったということではない。家族の一体感が弱まり、女性が人生に求めるものが変化した。その結果、自分を抑えて家族を支える役割に女性は価値を見出せなくなったと考えられる。[6] だが、専業主婦は、基本的生活基盤を夫に依存している。他人に依存していると言う意味では、パラサイト・シングルと同じと言えるのではないだろうか。他人によって経済的安定を得た上での「自分さがし」ということになる。自分を食わせるために市場労働を行う必要はないのである。家事労働をどう評価するかという問題とも絡めて、経済的には自立していない専業主婦の「自分さがし」は、精神的自立に結びつくものなのだろうか。

 「経済的自立なくして精神的自立はない、」と 松原惇子は言い切る。松原は日本において女性の自立が程遠い状況を次のように述べている。私のまわりにもキャリア・ウーマンと呼ばれる、外からは立派に自立して見える女性が沢山いる。しかし彼女たちのほとんどはフリーの立場の仕事をしている人ばかりで、男性と同待遇の安定した将来性のある職場で働いている女性は一人もいない。「女の時代」「女の自立」などといってヨイショしている男たち、女性を理解しているようなことを言っているが、彼らは女性の職場進出を望んでいないような気がする。男社会でさえ椅子とり競争が激しいというのに、その上女性に椅子とりゲームに参加されたらたまらない。自分の首が危うくなる。女性は家にいてほしい、と言うのが男性の本音ではないだろうか。こんなことを言うのもなんだが、男性より女性の方が頭はいいのだから。これは学生時代の男女の成績を比べれば明らかである。女性にも社会的訓練の場を男性と同様に与えてくれたら女性の管理職者はかなりの数に上ると思われる。1990年時点での話だが、続いて松原は若い女性たちの保守化傾向について次のように述べている。

 最近の若い女性たち(新人類たち)の考え方は保守化している。社会にでて働くより、金持ちの男を見つけて結婚したほうがいい。こういう傾向にあるようだ。彼女たちは大人の社会を覚めた目で見、自分たちなりに計算しているのである。女性は自立からどんどん遠ざかっていく。何も私は自立したくない人にまで自立を勧める気はない。しかし自立を目指す女性にとって今の社会の受け入れ体制は余りにも狭すぎる。先進国でこんなに女性が経済的に自立しにくい国は他にあるだろうか。アメリカのように一度家庭に入ってからも再就職の道がある。資格さえあれば年齢に関係なく働き口がある。そうした社会にならない限り、今の日本で女性が経済力を持つことは困難である。経済的自立なくして精神的自立はない。これは私の持論である。現在の我が国の女性で、本当の意味で自立している人はどのくらいいるのだろうか。私には、自立しているように見えるキャリア・ウーマンも、ちょっと押せばくずれてしまう砂糖菓子のように見えてならない。[7] 日本の男性の際だった労働時間の長さや、社会のあらゆる領域における性別分業の根強さ、いわばジェンダー不平等をもたらす日本の制度、慣習、政策。女性を取り巻く環境は、女性が自立するには果てしなく遠いものである。

 女だからとか夫に扶養されればいいのだからといって、自分で働いて生活していくことを否定されたら、女性は自分を扶養してくれる男性をみつけ、彼に従って生きていかなければならない。このような生き方は女性の個人の尊厳に反するものである。ゆえに、国連の女子差別撤廃条約は「全ての人間の奪い得ない権利としての労働の権利」を男女平等に確保することを定めているのである。これは、わかりやすく言えば経済的自立の権利ということができる。しかし、どんな仕事でも生活できればいいというのではない。全ての人が持っている様々な能力(学力ではなく人間としての広い意味での能力)や適性を生かした職業を選ぶことも権利である。女子差別撤廃条約は「職業を自由に選択する権利」を保障しているが、国際人権規約A規約は労働の権利として「全ての者が自由に選択し又は承諾する労働によって生計を立てる機会を得る権利を含む」(6条12項)とその内容をより具体的に表現している)。労働権を個人の権利と捉えると、現在の世帯単位の賃金や福利厚生などの見直しが必要になってくる。さらに、税制や社会保障も世帯単位から個人単位への組み替えが求められる。[8]「地位や名誉のある」職業は男性のものと言う見方は、男性はもちろん、女性の中にも根強い。表向きには女性を差別することは許されないので、それは暗黙のうちに行われる。社会全体が女性の位置は男性より低いものとみているからだ。男女の立場に対する長年の姿勢はそう簡単に消えるものではない。男性たちは、女性の上司を好まず、女性のほうも男性から師事される方が楽だと考えている。だが、権威を行使する仕事へ関心を持つ女性も少しずつ増えている。男性がほとんどいない職場も中にはあるが、それは男性に不適当と思われているだけでなく、一段低い仕事だと考えられているせいだ。男は男の仕事をしなければ、と言う意識のために、女性が多い職種に入ると、男性は「男らしさ」を発揮できないと考えてしまう。このように、男女共社会的心理的圧力があるため、旧来の男女の職域を超えにくく、個人の潜在的能力の発揮が妨げられている。[9] この言いようのない怒りをどこにぶつければいいのだろうか。遙洋子は、性別役割分業社会に対する怒りを次のように記している。

 テレビドキュメンタリーで、男女雇用機会均等法の誕生までを放映していた。昭和59年にその法案が通るまでの女たちの格闘が描き出されていた。最も激しい対立は経営者団体と、女性を中心とする労働団体の戦いだった。そこに登場する女性を見た。女の戦いというと連想する、リブやフェミニズムの、私のもつイメージ通りの女性が映っていた。素顔で、男性のような髪型で、ズボンで、コブシを振り上げ、恐いオバサンが「均等法は、罰則規定をもうけなきゃ意味がない」と怒っていた。やっぱり、昔の女性運動って、こんな姿だったんだと遠いものを見るような思いで見た。そして、次の瞬間、私は涙が止まらなくなった。恐いオバサンが叫んだ。彼女の言った言葉・・・。

「でなきゃ、差別はない、とか、なにが差別かわからん、とか、皆が言う」

一瞬、ドキンと胸が痛くなり、私は言葉を失った。昭和59年の話である。恐いオバサンは私だった。彼女の叫びは時代を超えて、私の叫びになっている。金髪でチャラチャラ生きている現代の女が感じる怒りは、素顔でコブシを振り上げていたころの怒りと、一字一句変わらず生き続けていた。話すほどに孤立し、寂莫に溺れそうになる私の痛みを、等身大で理解してくれる人間とは、私が最も敬遠していた、恐いオバサンだった。現在、彼女たちが作ってくれた均等法は、改正を重ねながら今もなお働く女性の応援を続けている。怒りの言葉は変わらないけれど、私は仕事についているし、なんとか自立もできたし、少ないながらに楽しい日々も獲得できた。叫ぶ言葉は同じだけれど、あの時代からはずいぶんと変わったものも多いだろう。そして現代からまた次の時代にむけて同じ言葉を届ける私がいる。その頃にはなにが解消されているのだろう。今、ここに、この社会で、生き残るチャンスを私は皆に届けたい。その秘密の暗号は、ワ・タ・シ・ガ・ム・カ・ツ・ク・コ・トである。[10]

 従来の「男女共生システム」の肯定を超えて、女性の多数が社会的な労働の場でも十分な力を発揮したいという胸に秘めた欲求を自然に表現できるようになるには、どのような運動が求められているのだろうか。

 「男はいつか管理職」「女は単純補助事務」という性別役割分業にもとづく人事配置は行き詰まり始めている。女性自身が、どう働き、どう身を守るのか主体的に考え、選択していかなければならない。キャリア・ウーマンからイメージする女性像は、高学歴・高収入・総合職・自分の能力を生かしてクリエイティブな仕事をしている人、特定の階層の女性を指すことばであった。平凡な「OL」は、その対極にあるイメージ。企業の女性像としては、「無責任な腰掛女」と「男を踏み台にしたキャリア・ウーマン」という二つの非現実的な類型がまかり通ってきた。しかし、転職することも珍しくなくなった今、キャリアは特定の階層の女性だけのものではなくなってきている。一般事務というと、誰でもできる単純作業なので、これといってできることもなければ資格もない、かといって掃除婦や調理補助といった仕事はプライドが許さないのでやりたくない、といった女性が消極的に他にはやりたくないと望んで就くという場合も往々にしてある。しかし、一般事務だから「個」として生きることができないということはない。職場の家事を担うOLに求められる、専門職にはない様々な心の調整、精神労働の部分にもっと光が当てられてもいいのではないだろうか。

『日経ビジネス』の編集長野村裕知は、『日経ウーマン』の中で読者に対してこうエールを送っている。これまでの社会体系が崩れてきている今は、社会的な変革期。それまで傍流だった人が日の目を見るチャンスなんです。つまり、これまで日本社会で主流だった男性でなく、女性や若者が社会を変える「変革者」になれるということです。[11] 私たち女性が堂々と「おかしい、間違っている」と思うことを主張していく必要がある。現在でも企業はなお、性差別的な労務管理というものを女性のありように関する社会的な「常識」によって正当化しようと執拗に試みている。女性の方もまた、慣行的な規範と闘って職場生活を生き抜くことには、それなりに心の緊張と葛藤を強いられる。「規範と闘う」選択とは、たとえば家事負担の性別不平等が職場のジェンダー差別をもたらす関係を拒むこと、「女らしい仕事」への封じ込めを拒むことなどである。平等な人権というものへの鋭い感性、自立へのつよい志向、そして一定の自信や能力に恵まれなければ難しいほどに、慣行的な規範に従う軌道への誘導力は強力である。性別に基づく労務管理は、女性たちの反発や抵抗によって修正を受けるとはいえ、非常にしばしば、女性たちのなにがしかの主体的な選択がこめられた「ジェンダー化された慣行」によって受容された上で定着しているのである。けれども、その誘導力に身をまかせれば、その程度に応じてジェンダー差別は、差別と意識されなくなり、維持され再生産されるだろう。[12] 自立には経済的自立も含まれると考えれば、OLの「被差別者の自由」の享受は、日本型企業社会の性別役割分業を定着させ、女性の自立を阻むことになっている。今求められているのは、能動的な生き方だ。とはいえ、仕事に働きがいを見出すことができなければ、OLの「被差別者の自由」の享受は続いていくだろう。両親と同居のOLは、いざとなればさっさと会社を辞め、単身の女性は鬱屈を抱いたまま就業を継続させないわけにはいかない。現代社会において、働くことの意味はどこにあるのだろう。

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引用文献

[1] 『日経ウーマン2003年9月号』17頁、日経ホーム出版社。

[2] 『日経ウーマン2003年9月号』41頁。

[3] 「結婚難にみる男の意識と働き方」『労働経済旬報』NO.1433、1991年2月上旬号、16頁、労働経済旬報社。

[4] 前掲書、17-18頁。

[5] 藤井治枝『日本型企業社会と女性労働』331-332頁、ミネルヴァ書房、1995年。

[6] 永久ひさ子「専業主婦の焦燥感」藤田達雄・土肥伊都子編『女と男のシャドウ・ワーク』66-68頁、ナカニシヤ出版、2000年。

[7] 松原惇子『いい女は頑張らない』188-189頁、PHP文庫、1992年(原著は1990年刊。

[8] 東京都産業労働局『働く女性と労働法 2003年版』20頁、東京都産業労働局労働部労働環境課。

[9] 熊沢誠『女性労働と企業社会』岩波新書、2000年。

[10] 遙洋子『働く女は敵ばかり』182-183頁、朝日新聞社、2001年。

[11] 『日経ウーマン2002年12月臨時増刊号』122頁。

[12] 熊沢誠『女性労働と企業社会』15-17頁、岩波新書、2000年。

 


第五章岐路に立たされる女性-⑩シングル・ウーマンの場合

2024年08月19日 12時59分08秒 | 卒業論文

では、生活費を稼ぐ必要性に迫られているシングルの女性の場合はどうか。

「ただ働くだけの人生なんて、絶対にいやだわ」そう言いながらも、自分を食べさせるためだけにシングルの女性は働かなければならない。毎日、同じことの繰り返し。しかし、会社員は会社に行っていればお給料をもらうことができる。フリーで仕事をしている女性と比べればこんな楽な仕事はないという考え方もできる。女性が好きな仕事で生きていくというのはそう簡単なことではないのである。 松原惇子はこんな46歳の普通のOLを創造している。

 OLって、同じ働く女性たちからも軽蔑されているところがあるけど、わたしはOLでよかったと思っています。これ、強がりではありません。わたし、つくづく思うんですけど、仕事ってしょせん地味なものでしょ。やりがいのある仕事、能力を生かせる仕事をしたいという人が多いけど、組織の中で何パーセントの人が、そんな仕事につくことができるのかしら。みんな会社のシステムを知らなさすぎ。男の人だって、90パーセント以上のひとはつまんない仕事を定年まで続けているんですよ。ましてや、女性なんか絶対に、無理。わたしは、お給料が上がることがうれしいけど、管理職になったり、やりがいのある仕事をしたいとは思いません。楽が一番ですよ。そのかわり、仕事は5時までで終わり。わたしは会社のために無駄な残業したり、つきあったりはしないことにしています。わたしは、9時から5時まで会社に時間を売っている。そう割り切って働いています。[1]

 単身女性の場合には、さらに労働がもつ意味は重い。女が自分ひとりを食べさせていくのもたやすいことではない。女ひとりが自立して生きていく、というのは公務員でもない限り、非常にむずかしい。もちろん、人生は経済的に安定していればいいというものではないが、経済はあなどれない。自分が好んでついた職業でなくても、収入がよい、ということは心の安定に通じる。自分のために家を得るというのは大変なことだからだ。自分ひとりを食べさせていく、その重みに耐えられずに結婚に逃げ道を求める女性もいる。安定した収入のある男性と結婚することで、自分を食べさせていくための苦しみから逃れることができるのである。

『クロワッサン症候群 その後』から、40代の単身女性たちのため息を拾ってみたい。日本型企業社会の中では、女性労働者は総じて、若さを失うにつれて「損をする」。[2] 50歳(1998年時点)の製薬会社に勤務する女性は、40代女性社員の会社での状況について次のように語る。「ヘッドハンティングに来るような人は別ですが、一般の会社員の場合、シングルで見た目には華やかにしている女性でも、実際は、大変不安定な中にいるのが普通です。男の人ですら、40代になると、とんでもない部署に配属されたり、通えないような出張所に転勤させられたりする。女性だって同じですよ。40代の女性で安心して働いている女性など、公務員以外以一人もいないんじゃないですか」。ある48歳の課長職にある女性の話。「ついこの間も会社は早期退職者を募った。先のことを考え、早めに多めの退職金をもらって辞めようとする人は多くなっている。しかし、その中にシングルの女性はいない。早期退職希望者に手をあげるのは結婚している女性だけだ。既婚女性はたいてい夫も働いているので、辞めても困らないが、シングルの女性は自分が辞めたら食べることができなくなるからどんなに良い条件を出されても辞められないのだ。シングルの女性は、気楽でいいと思われがちだが、ひとりだけにせよ、一家の主、自分という人を養っているのである」。45歳団体職員の話。「定年の日まで働くというのはつらいことですよ。10年前には、そんなこと全く思わなかったけど、最近、つくづくそう思いますよ。組織の摩擦の中で、どんなにくだらない仕事でも、退職の日までやってきたというのは偉大なことだ、と思います」。[3]

 

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引用文献

[1] 松原惇子『OL定年物語』13-14頁、

[2] 熊沢誠『女性労働と企業社会』18頁、岩波新書、2000年。

[3] 松原惇子『クロワッサン症候群 その後』45-51頁、文芸春秋、1998年。

 


第五章岐路に立たされる女性-⑨パラサイト・シングルの労働観

2024年08月15日 16時30分25秒 | 卒業論文

 第四章で、山田昌弘の『パラサイト・シングルの時代』に沿って、親と同居しているリッチなOLが「被差別者の自由」を享受することができることを記した。ここでも、山田の記述を引用したい。山田が主に想定しているのは、地方出身の親を持つ、大都市圏の未婚女性である。山田が指摘するように、近年の女性の初婚年齢の上昇とパラサイト・シングルの増大とは無関係ではないと思われる。パラサイト・シングルの女性にとって、親の経済的利用価値が高ければ高いほど、結婚前の生活の満足度が高く、結婚は生活水準を下げることを意味するのである。日本では男性も女性も、親と同居可能ならば同居する。進学や仕事の都合で、親とは一緒に住めない場合に限り別居する。これは、「親と別居する理由がない限り別居しない」という日本独特のパターンである。アメリカなど欧米諸国では、成人したら「同居する特別の理由がない限り、別居する」のが原則である。似たような表現だが、この原則の差は、非常に大きい。[i] このような差が、先に紹介した渡辺えりこのエッセイの中にあるように、日本では、自分のことだけを思い、自分のために働くことのできることを可能にしているのである。パラサイト・シングルの女性は、家事を行う時間も格段に少なく、“上げ膳下げ膳”の人が多い。[ii] 基本的な生活コストを負担することなく、親に依存しながら生活する「いいとこ取り」の状態は非常に楽である。楽だから社会人となっても、親元を離れることなく、お給料は全部お小遣いという生活を平然としている。

 戦後から経済の高度成長期にかけて、若者の生活水準を決めるものは、男性の場合は、親の経済力から、自分の経済力へと移行した。高卒後、一人暮らしをする人が多く、また、親の経済力もまだまだ低かったからである。日本では、若いうちの収入にそれほどの格差はつかないから、実質的に高度成長期の若者の生活格差は大きくなく、また、結婚しても、その生活水準に大きな変化はなかった。女性の場合は、高度成長期は、平均初婚年齢が低かったため(平均24歳強)、短い未婚時代の後は、結婚相手意の収入に生活水準が左右されるという状況だった。但し、結婚相手の収入は多くなく、収入格差は若いうちは小さいから、だいたいどの相手と結婚しても、結婚当初は、余り豊かな生活は送れなかった。そういう意味で、平等的だったといえる。高度成長期の若者は、生活水準の格差があまりなく、少々の格差は、「(男性の)能力」の違いとして意識できたのではないか。機会の均等やそれに基づくメリットクラシー(能力主義と訳されたりする。自分の能力によって社会的地位が決まるという理念)を信じやすい環境にあったと考えられる。それは、生活水準が低かったこと、社会が成長期にあった(豊かになりつつあった)こと、年功序列賃金制度の定着期であり、男性の賃金の上昇が期待できたという条件によっている。つまり、今は生活水準が低くても、努力(男性は仕事、女性は家事育児)しさえすれば、豊かな生活が約束されるという希望があったのである。そして、その希望は、多くの若者にとっては現実のものとなった。

 しかし、日本が豊かな社会になるに及んで、パラサイト・シングルが増大する。そして、親の経済的利用可能性によって若者の生活水準が上下するという状況が生じてくる。自分の収入格差がほとんどない中、親の経済的利用性が高い若者は、豊かな生活を享受し、そうでない若者は、あくせく生活に追われるという格差が生じ始めている。つまり、生活水準が自分の努力では決まらず、自分がどの親(経済力、住居のある場所)のもとに、どのような条件(きょうだい数、家の広さなど)で生まれたかによって決まってしまう社会ができてきたのだ。これは、未婚の若者に関しては、メリットクラシーが実質上崩壊し、「生まれ」が生活水準を決めてしまうという社会が復活しつつあることを意味する。メリットクラシーを建前とする社会の中で、事実上の階層化が進行している。親の援助でリッチに暮らせるパラサイト・シングルと非パラサイト・シングル(一人暮らしなどで親の援助を期待できない層)に、若者の二極化が進行しているのが、現代日本の若者の姿なのだ。

 メリットクラシーの崩壊が、若者の社会意識に与える効果は、大きいものがある。自分の努力によらずに豊かな層は、生活にあくせくしなくてもよいと思い、逆に、親に依存することができないあまり豊かでない層は、生活に追われ、努力しても仕方がないと思い始める。「努力しても、しなくても、所詮同じだ」、「依存できれば依存した方がよい」、「なら今を楽しんでしまえ」と考える人が多くなってもおかしくない。パラサイト・シングルだって努力しないわけではない、苦労がないわけではないと反論するかもしれない。さらだたまこ氏の『パラサイト・シングル』(メディアワークス刊、1998年12月刊)の中には、仕事に趣味に社会活動にと努力しているパラサイト・シングルがたくさん出てくる。しかし、その力の入れ方が問題なのである。山田は、パラサイト・シングルの「承認欲求」と有閑階級のもつ「承認欲求」との類似を指摘する。引き続きみていこう。

 パラサイト・シングルが求めるものは何であろうか。それは、パラサイト・シングルは、基本的な生活の心配をする必要がないというところから、導き出される。それは、経済学者ヴェブレンが、約100年も前に「有閑階級の理論」で明らかにしたように、「他者からよく思われること」である。またに、近年のパラサイト・シングルは、ヴェブレンのいう有閑階級の正嫡なのである(ソースティ・ヴェブレン『有閑階級の理論』高哲男訳、ちくま学芸文庫)。生活のために働く必要がない有閑階級がもつ欲望は、「承認欲求」である。それが、消費に向かえば「顕示的消費」となり、労働に向かえば「承認のための労働」、もしくは「趣味的労働」となる。パラサイト・シングルは生活のための消費を行わず、ブランドものなど「高級品志向」が強い。その理由は、他人によく思われたいからである。自分がどれだけ流行に敏感であるか、センスがよいかということを他人に示すために、情報を集め、高級品にお金を使う。いわゆる自己満足というのも、内面化した他者の視線を通して、自分を評価して満足するものである。とにかく、他者の視線に敏感なのが、パラサイト・シングルなのである。

 また、労働観にも影響を与える。お金のためではなく、「自分の好きな仕事」にこだわるというのは、一見、いいことのように思えるが、哲学者の今村仁司が明らかにしたように、「やりがいがある仕事」とは、実は、「他人からよく思われる仕事」である。総務庁実施の世界青年意識調査(1997年)においても、日本の若者は、「収入のために」働くという意識は、先進国の中では最低である(図5-3)。欧米諸国の若者は、とにかく、働かなくては生活できない。日本の若者はパラサイトしていて、生活のために働く必要がないから、「仕事を通して自分を生かすこと」を求める人が多くなるのである。

 それが、やりがいのある仕事を求めて、というよりも、本当の理由は、嫌な仕事は避けて、自分が気に入って、プライドの持てる(他人がうらやましがるような)仕事を探す。これはまさに、一昔前なら所有する財産で暮らせる貴族か有閑階級の労働意識なのである。[iii] 先に記したような20代の葛藤の時期に、パラサイト・シングルは、子供時代のように、親の経済力に完全に依存しているわけではない。かといって、自分の収入のみで独立して生活をおくっているわけでもない。この半依存、半独立状態では、あくせく働く必要はない。こうした立場で、嫌な仕事は避けて、自分が気に入って、プライドの持てる仕事を探す、好きな仕事ならやる、というのは、労働が「趣味化」していることを意味する。パラサイト・シングルが仕事に「自己実現」を求めるのは、豊かな生活を他人に保障してもらったうえでの労働観であるといえる。今村仁司は、今や他人からの評価が労働の動機になっていることを、次のように説明している。

 労働する者は労働と企ての「成功」ないし「成就」を承認欲望の充足のために使用しなくてはならない。しかし成功も成就も自分でそのように評価するのでは十分ではない。他人から評価されてはじめて、労働の結果は、成功か否かが確定する。このように、労働の結果は、他人による評価の素材になるが、素材以上のものではない。商品は素材的要素をもっていても、商品の社会的評価つまり交換価値がすべてである。それと同様に、労働と企てが成功であったかどうかの意味での「価値」は、労働の素材的要素にあるのではなくて、労働の「社会的評価」にある。他人の評価によってだけ労働は運動する.労働の現場において原料の知識に精通しているとか、精算手段の科学的技術的性質の知識とかを職人的労働者はかつては重視していたが、いまではそうしたことは消滅した。その理由のひとつは、結果を含めての労働全体が実在性を喪失したからであろう。実在性の喪失は、労働がついに全面的に承認欲望だけで動く時代が到来したからである。昔も承認欲望はあった。しかしその欲望の作用の強度が今とは違うのである。労働は実在性を喪失し、承認のための余儀ない「手掛かり」以上のものではなくなった。人はブランドと名声の高い企業に就職する。労働の質とか自分に最も適した仕事とかで企業を選ぶのではない。労働の種類は何でもいい。企業の内部での労働であろうと、他の職種であろうと、何でもこなすが、社会的に格が高いと想像されるのであれば何でもいいのである。問題は、そのこなす労働の結果によって、上司と同僚から「格が高い」と評価されることだけが、今や労働の動機になった。こうして労働は、消費財的になったのである。労働は、地位の上昇を求めるひとつのチャンスでしかない。労働は、現実的な、あるいは象徴的な、社会的地位の顕示のための記号に過ぎない。いわゆる労働の喜び、伝統的な喜びは、労働にはもうない。喜びがあるのは、他人の評価によって、自己評価が充足されるときに限られる。上司であれ、同僚であれ、そうした他人の評価を求める欲望が満たされないで挫折するときには、人はさっさと職場を放棄し、別の職場を求めてあてもなくさまようであろう。新規採用者の企業定着率が低い、あるいは一年以内に放棄する率が高いのは、今や労働が消費財的記号としてしか受けとめられなくなったのが大きな要因のひとつであろう。古典的労働は現在では消滅した。勝利したもの、それは虚栄心である。[iv] 「とらばーゆ」の創刊号で、求人情報の職種名に関して、コンピュータ関係、事務職、販売、専門職、営業の5つに限って取り出した職種名の9割以上が、和製英語というべき「カタカナ文字」の職種で占められていたこと、聞こえのいい<かっこ良い仕事>へと女性がいざなわれたことは、この今村の「労働の記号化」に沿って説明することができる。

 現代の親は経済的に豊かである。娘一人ぐらい家で遊ばせておける経済力がある。親と同居する未婚の多くの女性にとって仕事とは、小遣いを稼ぐための趣味的な作業であって生きがいとはいえない。OLは労働の対価としての報酬を受け取るという意識が低いことを第四章で述べたが、周縁労働力に押し込められ、男性と同じ能力なのに、就職できなかったり、昇進できない職場に夢を見出すことは難しい。OLが仕事に行きがいを見出そうとすれば、いま就いている仕事とは別の仕事を探す必要があるだろう。事務屋は結局、事務屋でしかない。そこに夢と希望を持つ方が無理というもの[v]なのだ。だが、多くの人は辞めれば生活できなくなるので、「嫌なこと」があっても我慢して働き続けることを考えれば、生活の心配がないパラサイト・シングルの労働観は、贅沢なものといえないだろうか。そもそも、労働は「嫌なこと」を抜きにできるものだろうか。ここで、松原惇子の次のような記述を引用したい。

 私は、尊敬する友人から言われた言葉を、ふと思い出した。その方は、会社で働くということについて、こう語った。「自分の能力を生かした仕事を組織の中でしたい、と考える方がおかしい。その考えは甘い。能力を生かしたいなら、組織に属さないでやるべきだ。お給料というのは、その人の能力に払われているのではない。その人の労働に対する屈辱賃なのよ」屈辱賃・・・。窓ぎわにされた。目障りだと思われている。つまり、その屈辱に対して給料が支払われているのである。だから、給料取りは文句言うな、ということになる。[vi]

 松原惇子は、別の著書の中で、労働というものはもともとつまらない仕事なのだ、とも述べている。つまる仕事をしているのは、特殊なひとにぎりの人たちだけ。男性で、どれだけ、つまる仕事をしている人がいるというのか。雨の日、自転車で営業まわりしているおじさんを見たことがあるか。雨の日の雪の日も毎朝、魚をとりにいくおじさんを見たことがあるか。あれが、労働の真の姿。わたしたちはオフィスの中で雨にぬれないで働けるだけ幸福と思わなくてはいけない。もし、あなたがそれでも、労働の中に幸福を見出したというなら、わたしはあなたに、OLを辞めることをおすすめする。そして、福祉関係の仕事につくことをおすすめする。なぜなら、人は人の役に立つ仕事をして、はじめて喜びを得られるものだからである。「ありがとう、あんたがいてくれたんで助かったよ」障害者やお年寄りの感謝の言葉以外、わたしたちの労働をいやしてくれるものはない。3Kの仕事こそ、幸福を感じられる仕事である。オフィスでかっこよく働いている人に空しい人が多いのは、自分のためにだけに働いているから。いくら、仕事が認められ、管理職に抜擢されようが年収が一千万をこえようが、幸福って、かっこいいところにはない。地味なところにこそある。神様がそのように配置なさったのである。じゃなかったら誰が重労働のわりには決して報酬が多いとはいえないヘルパーや看護婦になるというのですか。OLたちは、真の幸福と正反対の方角に幸福をみいだそうと暮らしている。だから、空しいのではないだろうか。[vii]

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引用文献

[i] 山田昌弘『パラサイト・シングルの時代』65-66頁、ちくま新書、1999年。

[ii] NHK放送文化研究所編『日本人の生活時間・2000』69頁、NHK出版、2002目年。

[iii] 山田昌弘、前掲書、121-127頁。 

[iv] 今村仁司『近代の労働観』153-155頁、岩波新書、1998年。

[v] 松原惇子『OL定年物語』173頁、PHP研究所、1994年。

[vi] 松原惇子『クロワッサン症候群 その後』52-53頁、文芸春秋、1998年。

[vii] 松原惇子、『OL定年物語』136-137頁。

 


第五章岐路に立たされる女性-⑧20代が追う夢「自己実現」

2024年08月14日 19時45分19秒 | 卒業論文

 「メグミちゃんね。イギリスに留学するそうよ」今年はじめのこと。勤めを終えて帰宅したヨーコさん(27)は、母親の言葉に階段へ伸ばしかけた足を止めた。メグミとは、東京都内の市立大学院に通う2つ年下のいとこ。家が近く、共に一人っ子だったこともあって、小さいときから妹のように接してきた。そのメグミがイギリスの大学に留学するのだという。それまで、おじやおばから「ヨーコを目標に頑張ってきたんだよ」と聞かされ、悪い気はしていなかった。「それが一転、追い抜かされちゃったと思った」のである。ヨーコさんはそれ以来、自分のキャリアに対し、これまでにない違和感を覚え始めた。女子大を卒業して入社したのは、都内の百貨店。ファッションに興味があったし、やりがいのありそうな部署に女性を登用するのが一番早かった百貨店業界だったこともあり、活躍できそうな気がして選んだ。入社後は、紳士服や婦人服など、3年余り店頭で販売員として実務をつんだ後、希望通り商品企画の部署に配属された。午前9時出社、午後9時退社。日々の雑用も、女性が尊重される職場で次につながると思うと苦にならなかった。ところが、留学の一件を聞いた時から次々に疑問が沸き起こってきた。本当に今の仕事が楽しいのか。ここにいて、どんな将来が開けるのだろうか。会社についてもそうだ。「女性の感性が必要だから」と女性を持ち上げながら、経営の中枢にはほとんど女性はいない。「あそこの百貨店の女性店長は飾りだよね」なんて話す上司たちの言葉に神経が逆撫でられた。「自分がだめになりそう」。ヨーコさんは、辞表を書いた。ただし、自分が何をしたいのか、はっきりと分からない。「メグミちゃんのように自己実現しなきゃ」と気持ちばかりが焦った。「漫然と年齢を重ね、そろそろ結婚という“逃げ”の生き方は、絶対に嫌だと思う」。

 以上は、『AREA2001年12月17日号』から紹介した事例である。この女性のように、社会の中で行き詰まり、自己実現を図ろうとしてまた行き詰まる。そんな若者が増えている、と記事は伝えている。第四章で記したように、20代後半の女性の失業率は高い。さらに、「女性の方が自己実現という袋小路にはまり込む傾向が強い」と札幌国際大学の加藤敏明は言う。「女性に夢を持たせない男中心の社会だからこそ、女性の方が自己実現にこだわる。社会に出れば、学生の多くが目を覚ますものだが、女性の場合、就職もままならず目を覚ます機会さえ与えてもらえないのが現実なの」だ。ヨーコさんは、退職から半年経っても適性さえ見極められない自分に苛立った。[1] 気軽に転職を希望する女性が増えたことと、この女性のように働くときに「自己実現」を求める近年の20代の動向とは無関係ではない。現在の仕事には、生きがいが感じられない、自分の能力が発揮できない。何かしたい。20代のうちになんとかしなければ、と焦ったり迷ったりするのだ。30歳という大台を前にもう一度自分を見つめなおしたいと考える。

 『社会学小辞典』によれば、自己実現とは、「自己の能力や可能性を十分に生かし現実化していくこと」である。[2] 自己実現は、日常生活の中で、人々の中にあってこそ、また他者たちとの対応を通じてこそ可能になる、と山岸健は述べている。[3]しかし、自分が本当にやりたいこと、自分の能力や可能性を十分に生かせることは、そうたやすく見つけることはできない。

 もうひとつ事例を紹介しよう。ヨーコさんは両親と同居だが、この女性も自宅通いである。28歳、独身。「恋人はいません。年を取るごとに哀愁を感じてしまいます。この先、どうしたらいいのだろう、何の保障もないし、体を壊して倒れたらどうしたらいいのだろうと、日々不安との戦いです。最近では体力も落ちてきて、何年、今の仕事を続けられるか分かりません。一応専門職なので肩たたきというものはありませんが、ハードワークのため、今まで何人もの人が辞めていきました。給料も男の人並みにもらっていますが、その大半はブランド物に消えていってしまい、貯金はあまりありません。月に二度くらいは友人たちと結構豪華な食事を食べに行きます。時には1-2万円くらいとんで行ってしまいます。両親もついこの間までは、うるさく“結婚、結婚”といい一時はノイローゼ気味になってしましましたが、今ではあきらめモードに入っています。友人も半分くらいは結婚してしまい、休日もずっと家に居る状態が続いています。ちっとも、自立していないし、ちっとも個を確立していません。」[4] 思えば20代はストレスに満ちていた。仕事もよくわからなければ、恋愛も先がよめない。結婚を意識しながら恋をするのは実に疲れるものだ。かといって、純粋に恋に生きる勇気などとても持てない。当然、仕事にだけ生きる勇気なんて、もっと持てない。この先どうなるかわからない宙ぶらりんの状態で、仕事の責任だけは重くなる。ああ、いやだ。毎日、同じ電車に乗って会社に行き、同じ顔を突き合わせながら仕事をするのが突然ばからしくなる。このままでは何の発展性もないじゃないか。[1] 松永真理は20代をこう回想している。この仕事なら長くやれるという確信もなく、この人となら一生やっていけるという男性も見当たらず、どうしていいのかわからない。職場にも家庭にも、どっちにも自分の居場所が見つからない不安と迷いと焦りが渦巻くのだ。そして、何々をすべき、何々はしていけない、といった考え方にがんじがらめになってしまいがちである。

 最初に選んだ仕事、つまり20代のキャリアがその人に合わなくなることは珍しいことではない。それは本人が成長して、仕事を超えてしまったか、欲求、価値観、人生における優先順位が変わってしまったことを意味する。社会的地位やお金にも興味がなくなって、他のものに興味が移ることもある。[5] そうした場合、選択肢は転職ばかりではない。留学・大学進学、また就職しないで大学院へ進学するなど、様々である。いずれにせよ、自分らしく生きて自己実現することを目指しているのだ。こうした20代の状況を先の『AREA』は、満ち足りた世の中で育ち、生活の糧のために働くという意識は希薄。自分の夢や欲求という自己実現を最優先させるという点で、これまでになかった考え方の持ち主が20代の若者なのだ、と分析している。そもそも、働く時に「自己実現」を求めるなんてかつてはなかった現象だ。バブル以後の特徴といえるだろう。働く会社を選ぶ動機も、30年前とは様変わりしている(図5-2)。

こうした20代のモラトリアム(猶予期間にある人間)を可能にしているのは、親の経済力である。第四章で、OLの「被差別者の自由」の享受を可能にしているもうひとつの理由として、親と同居の未婚女性、山田昌弘がパラサイト・シングルと名づけた生活の心配のない女性たちの存在に触れたが、ここでも生活の心配がない場合と生計費を稼がなければならない場合の選択の違いに注目しないわけにはいかない。

 20代でやっておくべきことはなんでしょう?と尋ねられた。考えた。「大人になっておく」これ以外に答えは見つからなかった。他に必ずやらなければならないことなどはないように思える。やりたいことが見つかったら、失敗を恐れずにとことん励み、より多くの人と出会い、自分の肉体などは放っておいて、自分の力以上に無茶をする。それができる世代である。仕事も遊びも死ぬ気でやる。つまり、果てしない自分探しの旅に出かけるのが日本の20代と言っていいだろう。日本の、というのは、国によって20代でなすべきことが違ってくるからである。世界の多くの20代は、すでに大人になっており、国のため、家族のため必死に働かなくてはならない年頃だからである。多くの20代が自分の子供たちや親のために朝から夜まで働いている。自分のしたいことを、好きなことをやっている20代など皆無に等しいはずである。ところが日本では、自分のことだけを思い、自分のために働くことのできる唯一の年代だというのが不思議なことである。あきらかに子供ではないが、大人とも言い切れない奇妙な年代が日本の20代であるように見える。[6] 以上は、女優渡辺えりこが『日経ウーマン』に寄稿したエッセイである。このような、大人とも子供とも言い切れない奇妙な20代を過ごすことができるのは、多くの場合、経済的余裕があるからだと考えられる。先のヨ-コさんも28歳の女性も親と同居であることを筆者はあえて記した。自己実現にこだわって仕事を辞めることができるのは、親のすねを齧ることができるからだ。若者がこのような状況にあるのは、渡辺えりこが述べているように先進国の中では日本だけである。親にとっては「子供」、社会にでれば「大人」として振舞ってよいという落差を最大限に利用しているのが、パラサイト・シングルである。子供であれば、生活費を負担しないし、家事に責任を持たない。人間関係上のトラブルから守られる、好きな道を模索できる。それが許されるのは、大人への成長までの期間、社会から付与された特権であり、それは、親が責任を持って保護することが必要とされる。子供は社会で一人前とはみなされない。反対に、大人になれば、生活のコストを負担し、新たに生じる人間関係状のトラブルは自分の責任で処理しなければならない。その代わり、仕事をして稼いだお金を自分の好きなように使うことができる。社会で一人前とみなされる。この二つの立場の「いいとこ取り」をしている、子供としての保護を引き受ける権利を保ちながら、大人の自由を享受しているパラサイト・シングル[7]に、生活の糧のために働くという意識は希薄であろう。

 今日では、貧困な家庭という背景、低い学歴、短い勤続などの諸要素で女性労働者が特徴づけられる程度はかなり低下しており、そのことが定型的または補助的な労働に対する女性の忍耐力をそれなりに弱めている。それゆえ、こうした仕事の専担者のなかには、ある意味ではジェンダー基準がいくらか相対化されて、定年退職後に再雇用された高齢者、短時間のパートタイマー、学生アルバイト、学校卒業後に定職の見つからないフリーターたち、いずれにせよ就業が極めて経過的な非正社員が増えている。女性正社員の中では、仕事の中味を重視する度合いが以前より高くなっていて、そのことが彼女ら、とくに若い女性の転職率を高めているのである。[8]

 20代のうちに「これが、今の私」と言える確かなものを見つめていこうとすること、試行錯誤を繰り返すことは大切なことである。何をしたいのだろう、何ができるのだろう、何が好きなのだろう、何が欲しいのだろう、何がハッピーなのだろう、とりとめのない自分への問いかけをこの時期にきちんとやっておかなければならない。なぜなら、結婚・出産・子育てに入ってしまうと、こんな面倒な自分との葛藤は棚上げにしてしまうからである。母性への賞賛から起こる拍手の音で自分の中から発する声が次第に聞こえなくなってしまうからである。人生80年の現在は、子育て後に45年という年月が待っている。その時になってポッカリとあいてしまう心の穴を自分で埋めるために、20代のうちに自分との葛藤を通過しておく。そうすれば、誰かの妻、誰かの母という性役割を担っても、年齢を重ねるごとに自分の中に蓄積されていくものを実感できるようになる、と松永真理は述べている。[9] こうした自分との葛藤の時期に、生活がかかっている場合とかかっていない場合とでは、労働観が大きく異なってくると考えられる。経済的に行き詰まってどうしても働かなければならない状況に追い込まれた時、「自己実現」することと、生活のためにしなければならないこととのバランスをどうとるかということは、大きな課題である。次に、パラサイト・シングルと単身女性の場合の、働くことの重さの違いに触れてみたいと思う。

 

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引用文献

[1] 大失業時代ゆえの「本当の自分さがし」20代が追う夢「自己実現」『AREA 2001年12月17日号』9頁、朝日新聞社。

[2] 濱嶋朗・竹内郁郎・石川晃弘編『社会学小辞典[新版]』有斐閣、1997年。

[3] 山岸健『日常生活の社会学』12-12頁、NHKブックス、1978年。

[4] 松原惇子『クロワッサン症候群 その後』239-242頁、文芸春秋、1998年。

[5] キャロル・カンチャー著、内藤龍訳『転職力-キャリア・クエストで成功をつかもう』24頁、光文社、2001年。

[6] 渡辺えりこ『日経ウーマン2003年6月号』12頁、日経ホーム出版社、2003年。

[7] 山田昌弘『パラサイト・シングルの時代』52-53頁、ちくま新書、1999年。

[8] 熊沢誠『女性労働と企業社会』137頁、岩波新書、2000年。

[9] 松永真理『なぜ仕事するの?』41-42頁、角川文庫、2001年(原著は1994年刊)。

 


第五章岐路に立たされる女性-⑦「とらばーゆ」の登場と人材派遣会社の台頭

2024年07月24日 14時57分50秒 | 卒業論文

   1980年代を境に女性の生き方は大きく変化した。お洒落なシングル・ウーマンをターゲットにした生活情報誌の創刊ラッシュに続いて、本格的な女の時代の幕開けを象徴するかのように1980年2月「とらばーゆ」は創刊された。80年代以前には女の仕事情報誌は1冊もなかった。「25」でファッションセンスを磨き「MORE」、「クロワッサン」、「コスモポリタン」を読んで女性の自立について考え、そして、一人で生きていくことを決意した女性は、「とらばーゆ」を読んで仕事を探そう。80年の女性誌創刊ラッシュは、まさにそう語っているようだった。[1] 1980年代、「とらばーゆ」の出現により、女性にとって転職は容易になった。仮に一流企業に就職できなくても、仕事を探すことはそう難しいことではなくなった。「とらばーゆ」が女性の強い味方となった。「今の会社が嫌になったらとらばーゆで次の就職先を探せばいいわ」こんな時代はそれまでなかった。女性は「とらばーゆ」の出現により、転職を知り、仕事はいつもあるものという安心感をおぼえた。「とらばーゆ」は女性たちの心の支えとなったのだ。「いい仕事、条件の良い仕事は一瞬を争う」1980年代、「とらばーゆ」の発売日の朝、都会の中には、まだ薄暗い静かな駅の売店をめがけて走る30代前後の女性たちがたくさんいたのだ。[2]

 篠塚英子は、「とらばーゆ」の1980年7号から25号までの計  19冊を用いて、この就職情報誌にあらわれた求人側の求人情報がどのようなものであったかを分析している。その結果から、次のような事実が明らかになった。まず、ターゲットを都市の未婚の若い女性に絞っていたこと、正社員8割の募集の中で、職種分類では事務職49.5%、営業・販売・サービス等29.0%、残りの21.5%が技術・専門職であった。さらに興味深いのは、求人の職種名である。それは、コンピュータ関係、事務職、販売、専門職、営業の5つに限って取り出した職種名の9割以上が、和製英語というべき「カタカナ文字」の職種で占められていた。このようなカタカナ職種の氾濫について篠塚は次のようにまとめている。このような仕事の内容の個別化と、職種のカタカナ化は、そうすることによって女性休職者に心地よく響くという求人側の配慮が働いていることは確かである。ということは求職側の行動もできるだけ<かっこ良い>仕事、そしてどうせ同じ働くのなら、せめて仕事の名前だけでも夢のあるもの、固定観念のできていないものを期待しているということでもあろう。また、求人条件には年齢が大きな鍵になっているという事実も見逃せない。企業の資格条件のうち、最も多いのが年齢で、35歳までの条件は全体の85%になる。「とらばーゆ」は一見、女性たちの救世主のようだが、年齢制限がやはりあるのである。[3] カタカナ職種の氾濫は、若い一般事務職OLをクリエイティブな仕事へといざなう。それは、ともすれば雑誌がキャリア・ウーマンの標準像として描くような働く女性の姿を追い求めて、聞こえの良い専門職風の仕事を求めることにもなりかねない。それらが達成できないとなれば、あっさり辞めてしまったりもするのだ。

 さらに、人材派遣会社の進出が、女性の「とりあえず」の会社勤めの連続、とらばーゆ人生を可能にした。30歳過ぎの女性も苦労せずに仕事を得ることができるようになったのである。アルバイトなどという聞こえの悪いものではなく、派遣社員として一流企業で働くことができる。日給月給だが社会保険もつく。アルバイトよりはましだ。人材派遣業は、均等法施行と同年の86年、労働者派遣法施行により誕生した。それまでは、水面下のビジネスとして人材派遣とは名乗らずに、業務委託や事務処理サービスと名乗っていたが、社会環境の変化により、法律で認められるようになったのである。当時20代後半から30代初めの年齢の女性たちは、追い風の中嫌なら辞めて転職するのは普通だった。99年の「労働者派遣法改正」で派遣先業種が原則自由化されると、派遣社員数は100万人を突破した。[4] 派遣が認められない職種を除き、どんな職種でも派遣で働けるようになったのである。

 しかし、第一章で記したように人材派遣会社は、ユーザーたる派遣先よりであり、問題も多い。同じ会社で働いていても、社員と派遣社員の間には渡れない川が流れている。会社と派遣スタッフとの間には何の雇用関係もないのだ。「女性と仕事の未来館」には、「派遣はもうこりごり」、辞めて正社員になりたいという相談も絶えない。ほとんどの理由は安定性がないこと、将来への不安である。万一、派遣会社へ転職する時は、派遣で働くことの意味や将来の姿、保険や年金の重要性などを考え、確認しておくことが重要である。会社の決めたレールに乗っかってキャリアを積むのが正社員なら、自分でルートを決めて派遣会社を利用するのが派遣社員だ。自分の能力や適性を正しく表現していく力を身につけることが必要になってくる。そうしたポジティブな姿勢がなければ、派遣も逃げ道のひとつになってしまう。ただ自分をごまかしているに過ぎなくなってしまうのである。『日経ウーマン』2002年8月号によれば、最近では、フリーランスを目指す派遣社員も目立ってきているという。派遣と正社員を行き来しながら確実にステップアップしている人もいる。条件も大事だが、「やりたいこと、大事にしたいライフスタイル」を基準に選べば、どんな選択が自分にとってハッピーかは自ずと見えてくる。大切なのは、自分がどう生きていきたいかということではないだろうか。次に、若年層が自分の生き方を模索する状況を、事例を紹介しながら具体的に見ていきたいと思う。

 

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引用文献

[1] 松原惇子『クロワッサン症候群』36頁、文春文庫、1991年(原著は1988年刊)。

[2] 松原惇子『クロワッサン症候群 その後』90-91頁、文芸春秋、1998年。

[3] 篠塚英子『女性が働く社会』181-184頁、勁草書房、1995年。

[4] 『日経ウーマン 2003年6月号』40頁、日経ホーム出版社。

 


第五章岐路に立たされる女性-⑥転職

2024年07月20日 17時05分58秒 | 卒業論文

 結婚が誰もが納得する退職の理由であることを記したが、近年の晩婚化の進行と共に、従来、固く結びつけて考えられてきた結婚と退職との間に、乖離がみられるようになった。結婚のための退職ではなく、より多くの女性がOLを辞めて新しい職業に就くようになった。派遣会社に登録する女性もあれば、日本企業よりも男女平等という点において一歩先を行くと見られている外資系の会社に勤める女性もいる。またその外資系勤務に必要な語学力を磨く目的で海外留学を志す女性もいる。さらに、何からの専門的な職業に就くために修学・資格取得を目指す女性もいる。ここでOLが転職へと促される様子を概観したいと思う。

 先ず男性に比して女性の方が転職希望率の高いことを裏付ける資料として『平成9年 就業構造基本調査の解説』から転職希望率及び求職率を男女別に見た場合、女性の方が高いことが読み取れる。転職希望者は、男性391万5千人、女性323万1千人、転職希望率は男性9.9%、女性11.8%と男性に比べ女性の方が高くなっている。さらに、転職希望者のうち、実際に仕事を探すなどの求職活動を行っている者(転職求職者)は、男性170万6千人、女性143万3千人で、ともに転職希望者の約4割を占める。また、有業者に占める転職求職者の割合(転職求職率)をみると、男性4.3%、女性5.2%となっている。(表5-1)(図5-1)

 東京・三田にある「女性と仕事の未来館」の事業報告によれば、転職に関する相談は、大別すると人員整理などでやむなく転職を迫られる層と、自分の生きがい・能力発揮を目指して転職を希望する層に分けられる。日本では従来、男女を問わず転職に良いイメージはもたれなかったが、最近の企業倒産、人員削減の中で転職せざるを得ない人々が増え、女性にもその波は押し寄せている。一方、ヘッド・ハンティングや引き抜きによる一見華麗な転身が話題になる時代でもあり、実に気軽に転職の相談を寄せてくる相談者が多い。また、今なお女性を補助的な仕事の担い手として位置づけている均等法以前の古い体質の企業が数多くあり、女性が転職せざるを得ない状況におかれているケースもある。女性たちの年齢層は20代後半から30代初めが圧倒的に多く、特に29歳、30歳という年齢は転職を考えるメルクマールかと思われる。[i] 

 平凡な毎日の中で、平凡なOLが自分を見出していくのは難しい。銀行員生活3年目の終わりの日記にわたしはこう書いている。「OL生活もうすぐ4年生。丸3年間毎日同じことの繰り返し。けだるさを感じずにはいられない。仕事に振り回されて、心が乾いてしまいそうでそんな自分がいやなのだ。毎日毎日をもっと大切に生きたいのだ」。

 25歳を境に女性のライフサイクルは分化し、就業を継続していた場合28歳頃に男女の壁にぶつかることはすでに記した。OL7年目は転職に揺れる時期である。先の「女性と仕事の未来館」の事業報告から次のような事例を紹介したい。Aさん27歳は製造業に就職、事務職として勤務してきたが、仕事は営業に出ている男性の補助業務、雑用ばかりで会社にはそれ以上のことは期待されていない。気が付くと同期の女性も次々と結婚、子供をもって働いているような先輩女性の姿もない。「一生このままかと思うと自分の人生は空しくなります」と転職を考え始めた。「何で私、今こんなことしているんだろう。このままじゃいけない、何とかしたい」といった自身の心の叫びを大多数のOLは幾度となく聞いているだろう。しかし、何か始める時は大きなエネルギーを必要とする。リスクも伴うものだ。唯川恵は、27歳にして突然上京した友人の姿にOL7年目の自身の焦燥感を次のようにも回想している。無謀でもいいじゃない。そんなパワーが私にも欲しい。パッと花咲く花火のようにたとえ一瞬でも私も無茶に生きてみたい。このままこの会社でOLとして、ただ年をとってしまうなんて、あまりにも哀しい。でも、でも・・・そんな簡単にはいかない。そんな勇気はない。[ii]

 転職を契機に何か資格を身につけて出直そうと考える人も多い。しかし、大多数は何をやっていいのかわからないのが現状だ。資格を取ること自体が目的になってしまってその先が見えない場合も往々にしてある。「どうして女性はそんなに資格・資格と資格にこだわるのか」という男性の声がきかれることがあるが、資格を持っていないと自分を証明することができないことがあるのだ。一つの企業に勤め続けている男性には経験ないだろうが、男性に比して女性にとって資格は、「自分の証明してくれるもの」として重要である。男性の肩書き同様、社会に出て信用を得られるものだと位置づけることができる。なぜなら女性が日本型企業社会の中で身元を証明しようとするとき、所属企業や学歴よりも資格の効果の方が高い場合が多いからだ。女性にとって所属企業に勤めていることは、男性のようにそこの住人とはみなされにくい。管理職になっていれば別だが、通りすがりの人、いっときの社会見学者ぐらいのものである。「そしていつか、いなくなるんでしょ」といったところだ。「専業主婦」をしている女性の場合は、誰々の奥さん、誰々のお母さんとしか呼ばれず、また役所の書類から銀行の振込みまでいつも旦那さんの名前をサインしていると、自分の名前がいつか消えてしまいそうな不安にかられる。資格をとることで、自分の名前を取り戻した「専業主婦」もいる。自分が自分であることを証明する。一生ものの資格とは、そんな自分の存在証明ができる資格のことをさしているのだ。[iii]

「今の仕事はつまらない」、「長く勤めたところで仕事内容や待遇が改善されるわけではない」、こうした理由から退職へと補助業務に固定されたOLは促される。退職したOLの結婚以外の選択肢の一つとして転職はある。しかし、とにかく今の仕事をやめて新しい仕事に就けば新しい人生が開けるというような安易な転職はすべきではない。そうした考え方は、結婚を仕事からの逃げ道とする、いざとなれば結婚という伝統的解決方法をとればいいという考え方と質的には同じである。「今の仕事はつまらなくて、やりがいが感じられないので適職をみつけて転職したい」。これは、「女性と仕事の未来館」の事業報告から短大卒業後食品会社に就職して6ヶ月の女性の場合である。とにかく会社を辞めさえすれば新しい人生を開けるというような、一歩間違えば安易な行動を起こしかねない。そんなOLに唯川恵は次のようなエールを送っている。ただ会社がつまんない、とか、仕事が面白くない、なんて理由で転職を考えるのははっきり言って愚かでしかありません。どこに行っても、つまんない会社はあります。面白くない仕事だって、そっちの方がほとんどなのです。仕事は仕事です。私たちは報酬をもらうために労働を提供しているのであって、楽しみを得るために勤めているわけではないのです。継続は力なり。私は、この言葉をOLの座右の銘としてささげます。いいえ、OLだけでなく、生きることにおいて必要不可欠なことだと信じています。それを踏まえた上で、転職するかしないか考えるべきです。決めるのは自分自身。腹をくくって考えてほしい。[iv] 一度辞めてしまえばどれほど後悔しても元の会社に戻ることはできない。現在の会社に見切りをつける前に他にやりたい仕事は何か、その可能性や到達手段を考えて在職中から準備をしておくことが必要だ。すぐにも会社をやめる前に、まず現在の日々の仕事を遂行していく中でやりたいことの関連知識や技術をしっかり習得して、キャリア・アップを図るための自己研鑽を怠らないことが重要である。仕事を通じて着実に蓄積された能力は職務遂行の上でも、転職、再就職の際にも有効なものとなろう。また、社内研修、社外の勉強会等にも積極的に参加し、多くの人々との人間関係を大切にしておくことも忘れてはならない。民間の専門学校等を含め学ぶ場は多くあるので、積極的に情報を集め、まず自ら行動が起こしてみることが大切である。[v]

 転職とは、キャリアの進むべき方向を大きく変えることである、とキャロル・カンチャ-は述べている。カンチャーによれば、キャリアとは単に仕事・経歴をさすものでなく、「生涯に経験するすべての職業、行動、考え方、姿勢」まで含む、自己実現、人生そのものなのである。仕事を変えることは大きなリスクを伴う。従来の価値観に捉われず、自らのキャリアの創造のため仕事と人生を変えるリスクを冒す勇気を持つ人をカンチャーは「キャリア・クエスター」と名づけている。「キャリア・クエスター」とは、よりよい人生を実現するために、転職というリスクを進んで侵していく意志のある想像的な人のこと、言い換えれば、「転職力」を身につけている人のことである。[vi]「自分らしさ」を求めて、転職をする、留学を志す、派遣社員という働き方を利用する、さらに専門的な職業を求めて就学するなど選択肢は様々であるが、いずれを選ぶにせよ、ポジティブなOLは、「キャリア・クエスター」と言えるだろう。自分さえちゃんとしていれば、「失敗」は「失敗」ではない。「失敗」を恥ずかしいとか、取り返しがつかないとは思わないほうがいい。長い人生から見たら、「失敗」の一度や二度、どうってことはないのだ。だいたい失敗しない人生なんて、平坦でつまらないではないか。[vii]「キャリア・クエスター」タイプは、フレキシビリティに価値を認め、自分で選択したキャリアを通じて、自分を作り変える。自分の尺度を持ち、仲間に尊敬されるよりも、自分で自分を尊重できることに重きをおく。世間の常識に束縛されることを嫌い、独立心に富む。仕事と精神的生活のバランスをとろうと努力するタイプである。

カンチャーは、仕事に対する姿勢を三つのタイプに分けている。ポジティブな生き方をするOLが先に記した「キャリア・クエスター」タイプだとすれば、「被差別者の自由」を享受し、巨大で強烈な消費者集団としての顔を持つ、特に親と同居のOLはカンチャーの分類の二つ目に当たる、「自分の生活が一番、責任なんて負いたくない」タイプと言えるだろう。このタイプは自分の満足を求めることだけがその行動の基準なので、企業戦士などもってのほか。恋愛のため、余暇のため、家族や自己実現のための時間を欲しがり、完全にバランスの取れた人生を送りたいと望む。このタイプは、仕事はお金のためと割り切り、昇進や難しいビジネスにまつわる話題は避ける。そういったことは生活を脅かす要素と考える。キャリアのために生活を犠牲にする気はさらさらなく、また、仕事が生活を圧迫することも好まないのがこのタイプである。三つ目としては、組織から与えられる仕事に受け身で関与する、「組織内での評価がすべて」タイプである。昇進、権力、役職、そして他人の評価と尊敬に何よりも価値をおく。転職など考えもせず、その適応能力も、組織内で動き回ることと組織内での生き残りにおいてしか発揮されない。日本の「会社人間」は言うまでもなく、このタイプに当たる。いずれのタイプにせよ、キャリア・クエストという生き方を選ぶことによって、人生を変えることができる。キャリアを積み上げながら人間として成長していくことが大切なのである。そのためには、ひとつの職場で昇進することよりも、個性の多くの面にフィットする複数の仕事が必要だとカンチャーは述べている。目的をもって人生を生き、その目的がキャリアの目的と一致するときにはじめて、「私は何者なのか。私は何になりたいのか」という誰もが抱く疑問の答えが見えてくる。それは人生に意味を与える仕事とライフワークの選択を可能にしてくれる。キャリア・クエスターは自己に忠実である。自分で確信を持って、「こうありたい」という人生を生きている。人生の道に沿って、キャリアも常に動いている。本当に満足できる人生とキャリアの実現のためには、人生のあらゆる要素をよりよいものにするように努め、自分の内と外に調和をもたらすようにしなければならない。[viii] すでに概観したように、女性にはしばしば人生の転機となる機会が訪れる。そうした転機は自分を成長させ、次のステップへと進むチャンスなのである。ライフ・サイクルの変化に沿って、自ら選択しキャリアをフレキシブルに変化させていく。転職とは、より充実した人生を歩んでいくための手段なのである。

では、女性が働くことの意味がどこにあるのか、生活費を稼ぐ絶対の必要性に縛られている場合に、より良い人生を歩もうとする「キャリア・クエスター」がどのような選択をするか、やりがいや目的のある仕事の探求と生活のためにしなければならないこととのバランスをどのようにとりながら「自分らしさ」を見出していくか、こうしたことについては、さらに考察していきたいと思う。「自分らしさ」を見つけることは簡単ではない。

 

 

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引用文献

[i] 『女性と仕事の未来館 報告書 NO.3 働く女性が拓く未来』7-8頁、2001年。

[ii] 唯川恵『OL10年やりました』160-161頁、集英社文庫、1996年(原著は1990年刊)。

[iii] 松永真理「なぜ仕事するの?」80-83頁、角川文庫、2001年(原著は1994年刊)。

[iv] 唯川、前掲書、162-163頁。

[v] 『女性と仕事の未来館 報告書 NO.3 働く女性が拓く未来』22頁。

[vi] キャロル・カンチャー著、内藤龍訳『転職力-キャリア・クセストで成功をつかもう』8-9頁、光文社、2001年。

[vii] 松永真理『なぜ仕事するの?』199頁、角川文庫。

[viii] キャロル・カンチャー、前掲書、18-26頁。