たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

さようなら思い出たち

2024年10月13日 17時59分46秒 | 日記

思い返せば間違いだらけ、おろかなことだらけだった20代、バカな20代の果てに待っていたのは妹が家で首吊って死ぬという、どれだけあがいても逃れることのできない事実。どう考えればいいのか、長い間ぐるぐるぐるぐる回ってきましたが結局わからず、どこにもたどり着けず。

その頃、オタクという言葉はありませんでしたが、いわゆるオタクということになるでしょう。YOU TUBEに動画があがっていることを確認してようやく、ごみの日にあわせて昨日ようやくお別れしました。捨てることはむずかしいです。断捨離を続けていますがここから先一つ一つまだ必要かもはや捨てるべきかを考えなければなりません。いずれ遠からず自分がこの世からいなくなればどのみち全部ゴミだとわかっていても一つ一つ辿らないと捨てることができないので減りません。まだ捨てきれないカセットテープ数本、また次の土曜日までに一つ一つ。


「ない」ことの証明を求める村上氏の発信はワクチン批判として妥当だったか?!

2024年10月13日 13時58分38秒 | 気になるニュースあれこれ

2024年9月21日山路徹さんチャンネル、

Meiji Seika ファルマ 現役社員が告発本!東京理科大学名誉教授 村上康文氏が徹底解説します (youtube.com)

 

 山路さんはお兄さんがコロワクチン接種後に亡くなったので接種を止めたいという純粋な気持ちでこうした動画を拡散されているのだろうと思います。その気持ちを利用して、レプリコンワクチンは接種者の体内で増殖して人から人へ伝播して大変なことになる惧れがある、そんなことはないというなら「ない」ことを明治製菓ファルマが証明すべきという言説をワクチン批判として妥当なものだと裁判所が判断するか、日本人は海外に入国できなくなる怖れがあるという発信は科学者としてあるべき姿か。

 この3年間で起きているコロナワクチン接種後の健康被害はファイザーとモデルナのワクチンを接種した方々なのに、すでに起きている被害よりもこれから被害が起こりうる可能性の明治製菓ファルマのレプリコンワクチンばかりを強調したことでレプリコンワクチン接種者は入店お断りとする美容院や町医者まで現れてしまいました。おかしな方向へと流れてしまったことでコロナワクチンに反対する人はトンデモと一括りにされてしまわないか非常に心配です。

 

 

村上氏の個体間伝播説を真にうけて声明文まで出した日本看護倫理学会も明治製菓ファルマに訴えられてしまいました。学術団体としての信憑性が疑われる団体のようですがSNS削除とフジテレビ系列に書かれる羽目に。このあと東京理科理科大学の新田先生が村上氏発祥のトンデモレプリコンワクチン騒動に対して警鐘を鳴らしているので取り下げていれば訴えられることはなかったのかもしれません。

 20240904_新型コロナワクチン接種とワクチン後遺症を考える議員連盟 - ニコニコ動画 (nicovideo.jp)

 

 


フランクル『夜と霧』より-第一段階収容-最初の反応

2024年10月13日 08時33分43秒 | 本あれこれ

フランクル『夜と霧』より-医師、魂を教導する

「こんなふうに、わたしたちがまだもっていた幻想は、ひとつまたひとつと潰(つい)えていった。そうなると、思いもよらない感情がこみあげた。やけくそのユーモアだ! わたしたちはもう、みっともない裸の体のほかには失うものはなにもないことを知っていた。早くもシャワーの水がふりそそいでいるあいだに、程度の差こそあれ冗談を、とにかく自分では冗談のつもりのことを言いあい、まずは自分自身を、ひいてはおたがいを笑い飛ばそうと躍起になった。なぜなら、もう一度言うが、シャワーノズルからはほんとうに水が出たのだ・・・!

 やけくそのユーモアのほかにもうひとつ、わたしたちの心を占めた感情があった。好奇心だ。わたし自身は、生命がただならぬ状態に置かれたときの反応としてのこの心的態度を、別の場面で経験したことがあった。それまでにも生命のの危険に晒されると、たとえば山で岩場をよじ登っていてずるっと足を滑らせたときなど、その数秒間(あるいはたぶん何分の一秒間か)、ある心的態度でこの突発的なできごとに対処していたのだが、それが、自分は命拾いするだろうか、しないだろうか、骨折するなら頭蓋骨だろうか、ほかの骨だろうか、といった好奇心だった。

 アウシュヴィッツでもこれと同じような、世界をしらっと外からながめ、人びとから距離をおく、冷淡と言ってもいい好奇心が支配的だった。さまざまな場面で、魂をひっこめ、なんとか無事やりすごそうとする傍観と受身の気分が支配していたのだ。わたしたちは好奇心の塊だった。」

 

(ヴィクトール・E・フランクル、池田香代子訳『夜と霧(新版)』2002年 みすず書房、24-25頁より)