たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

祈り_満天の星空を見上げながら思う

2014年01月04日 12時52分58秒 | 祈り
「1995年1月13日(金)

疲れているのだが・・・
年が明け、まだペースがつかめなくてぼうっとしている。
Mちゃんの死が、どんどん信じられなくなっていく。
ほんとにそんなことあったのって感じだ。
今日はまたrealになってしまったが・・・。
カウンセリングを勉強しようと思う。
通信も続くし、生真面目過ぎて疲れてしまうかなあと思うのだけど、
心を通わせることなく、もう会えなくなってしまったMちゃんへのつぐないだし、唯一これからしてあげられることだと思う。
結局は自分のためだけどね。
所詮、ひとりなのだと思う。
生まれてくる時も、この世を去る時もただひとり、
ひとりだと感じるからこそ、人間関係の大切さもみえてくるーのかもしれない。
あまり、あせることなく、少しずつ進んでいこう。
息抜きに陶芸を習いたいなあ。
できれば引っ越しもしたいけど、なかなか・・・
前向きな気持ちで進んでいこう。
きっと大丈夫だよー」



妹とのお別れの後の自分のことを、日記を読み返しながら思い返すと、わたし本当に苦しかった。最後の電話の声が耳から離れなくて胸かきむしるように自分を責めて責めて責め続けた。わたし自身の状況も後から思えば最低だった。今も不器用だけどさらにさらに不器用でどうしようもなかった。

でも、今断捨離していると、わたしその後も大好きな映画やミュージカル(宝塚が好きでした)を観続けていたことがあらためてよくわかります。大学の通信教育も細々とだけれど続けていた。
心のバランスをとろうと必死になっていたんだと思います。

妹がわたしに教えてくれたことははかり知れない。こんなことがなければ気づかないまま一生を終えていたであろうたくさんのことに気づかされ、出会うことができた。そのことを大切に生きていこうと思います。

昨日の夜ラジオのニュースで、4歳の男の子が誤って川の事故で亡くなられたときいた時悲しくて涙で出てしまった。たぶん誰が悪いわけでもない、なぜなのかは誰にもわからない、突然のお別れにご家族はどれほど苦しいだろうと思うと心が痛くてたまらない。御霊が安らかであれと祈ることしかわたしにはできない。

わたしがとりわけ子供の事故のニュースに心痛むようになったのは、乳幼児精神保健学会で学んでいることと、日航ジャンボ機墜落事故で9歳の男の子を亡くされた女性が書かれた『御巣鷹山と生きる』(美谷島邦子著、新潮社)、『日航ジャンボ機墜落 朝日新聞の24時』(朝日新聞社会部編、朝日文庫)を読んだことがとても大きいのですが、このことはもう少し先にきちんと書きたいと思っています。

祈り-特定の宗教を信仰しているわけではないけれど、人が生きていく営みの中で自然に生まれてきた、必要不可欠な行為のように思います。
これを書いている今はお昼ですが、毎夜心の中で思っていることを今こうして書いているので、このようなタイトルとなりました。