たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『木靴の樹』ストーリー(1990年公開映画パンフレットより)

2014年01月26日 16時27分07秒 | 映画『木靴の樹』
19世紀末。北イタリア。

パティスティは、ドン・カルロ神父のたっての勧めで、息子のムネクを小学校にあがらせる決意をした。「子供を学校にやるなんて聞いたら、みんなが何て言うだろうか・・・?」

 農村は貧しく、パティスティ一家が他の数家族と一緒に小作人として住みこんでいるこの農場の土地、住居、畜舎、道具、そして樹木の一本一本に至るまで、ほとんどすべて地主の所有に属し、小作人があげる収穫の2/3が地主の物となる。

 秋になって最初の霧が出ると、冬支度がはじまる。とうもろこしの計量の日が来ると、けちのフィナールは、例年のように、馬車のひきだしにいっぱい小石をつめこんで計量をごまかした。その年の収穫は豊作だった。地主は蓄音器を買った。

 ルンクの後家さんは、夫に先立たれた後、洗たく女をして6人の子供たちを養っている。牛の世話と耕作は長男のぺピアーノとアンセルモおじいちゃんがうけもち、上の女の子ふたりは村にいって洗たくの注文をうけてくる。ペピーノはまだ15歳だが、力がある。この冬から彼は、トウモロコシ製粉工場の力仕事をつとめ、家計を助けることにした。

 けちのフィナーレが息子のウスティを叱りつけ、つかみあいの親子喧嘩をするのは日常茶飯事で、喧嘩するだけのたいした理由はないのだった。

 ブレナー一家のマッダレーナは、美しい娘だった。紡績工場につとめている彼女は、ある夕方、工場で知り合ったステファノ青年に送られて家路を帰ってくる。これは彼女のひかえめな意志表示である。彼女の両親も、農場の人々も何も言わない。ふたりの交際は、みんなに認められたのである。

→まだ続きます。

春の嵐のように

2014年01月26日 15時34分45秒 | 日記
1月下旬ですが、季節の変わり目が突然やってきかたのように、急にあたたくなり今は春の嵐が吹き荒れています。

私自身も変わり目なのか・・・。

ほんとうの事実関係と自分が納得できるかたちでの決着となるのか、
今週わかるはず。納得できないまま終わるかもしれません。

自分の色々を整理してみると無我夢中でやってきたので、グチャグチャ状態です。
まずは棚卸をきちんとやらなければと思います。

年始早々、自分を否定されるような話が突然降ってきてから、今いろんなおかしいことの狭間で翻弄され状態。
自分はこれからどうなっていくのだろう。

ドライすぎる仕組みについていくことができていません。
すごく苦しいですが、ふんばろうと思います。
それからほんとうに気持ちを切り替えて、新しい一歩へと踏み出していくことになるのだろうと思います。

なんともいいのようのない中途半端な状況なので、中途半端な力のない文章しか書けていません。