「向き合う、ということ Iさん
2014年5月6日からの続き
家の見学を終えると、安藤さんは船を出してくれた。小さめのボートに、大勢で乗り込む。リアス式の港は小さく見えるが、漕ぎ出すとすぐに視界には大きな海が広がった。小さな浜があるので、そこで泳がせてくれるという。歩いては行けない場所なので、ちょっとしたプライベート・ビーチだ。浜辺に近づくと、地元の海と同じ太平洋側とは思えない程に水が透明で、みんな興奮していた。僕はすぐに船を飛び降りて、海を満喫した。泳ぐには少々寒い気もしたが、気合いの問題だ。安藤さんは特別に、捕って生かしておいたウニを割って食べさせてくれた。頂くと、ウニのおいしさだけが口の中に広がった。表現が妙だが、普段口にするウニは、薬の味がどうしても鼻につく。そういう余計なものがない、本物のウニ、ウニだけの味だった。一度浜辺に上がると、サンダルを忘れたことを後悔した。ちくちくと刺さる。刺さる?浜をよくよく見ると、それは岩ではなく、貝殻が幾重に重なったものであった。貝塚なのか、それとも貝で地層が出来たのか、それにしては殻の形が残っているなと思い、安藤さんに聞くと、この貝の壁は加工した牡蠣の殻を積んで人が作ったものだと教えてくれた。ここ30〰40年程のものだと言う。地震で半分程くずれてしまったとも語ってくれた。半分になっても、高さ3m、横幅はどこまで続いているのかよくわからない、それほどのものである。この海がどれほどのものをもたらしてくれたのか、この海でどれほどの人が生きてきたのか。今は静かで美しい海を見ながら、その壮大さに思いを馳せずにはいられなかった。
宿に戻る道すがら、安藤さんは自分の仮設住宅も見学させてくれた。仮設住宅はテレビで見た通りの箱上の住居で、風通しがよくないとか、物音が響いてしまうとか、よく聞くことを安藤さんも語っていた。しかし、安藤さんのことばと、実際に足を踏み入れたことからそれらを実感することができた。安藤さんは、君のアパートよりもずっとひどいだろう、と言っていた。一見すると、調度品は大差ないようにも思った。だが壁に触ると安藤さんの言う通りだとわかった。壁が薄い、薄い、危ない。つまり、仮設住宅は僕の思っていたよりずっと、圧倒的に頼りないのである。なんとなく、いや、何もかも弱々しいのだ。さすがに僕のアパートは中で暴れても壊れはしないだろうが、仮設住宅は本気で体当たりすれば壊れてしまいそうだ。いや、多分壊れる。震災の後、早いところで二カ月ぐらいで仮設住宅は整い始めたはずである。仮設住宅は被災した方のひとまずの安息になると、僕はニュースを見て思っていた。良かった良かったと。だがこのとき、余震はまだ大きなものが続いていた。弱々しい仮設住宅の中で余震を耐えるのはどんなにか不安だったろうか、と思わされた。」
(2014年3月20日 慶応義塾大学文学部発行より引用しています。)
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まだまだ続きます。
2014年5月6日からの続き
家の見学を終えると、安藤さんは船を出してくれた。小さめのボートに、大勢で乗り込む。リアス式の港は小さく見えるが、漕ぎ出すとすぐに視界には大きな海が広がった。小さな浜があるので、そこで泳がせてくれるという。歩いては行けない場所なので、ちょっとしたプライベート・ビーチだ。浜辺に近づくと、地元の海と同じ太平洋側とは思えない程に水が透明で、みんな興奮していた。僕はすぐに船を飛び降りて、海を満喫した。泳ぐには少々寒い気もしたが、気合いの問題だ。安藤さんは特別に、捕って生かしておいたウニを割って食べさせてくれた。頂くと、ウニのおいしさだけが口の中に広がった。表現が妙だが、普段口にするウニは、薬の味がどうしても鼻につく。そういう余計なものがない、本物のウニ、ウニだけの味だった。一度浜辺に上がると、サンダルを忘れたことを後悔した。ちくちくと刺さる。刺さる?浜をよくよく見ると、それは岩ではなく、貝殻が幾重に重なったものであった。貝塚なのか、それとも貝で地層が出来たのか、それにしては殻の形が残っているなと思い、安藤さんに聞くと、この貝の壁は加工した牡蠣の殻を積んで人が作ったものだと教えてくれた。ここ30〰40年程のものだと言う。地震で半分程くずれてしまったとも語ってくれた。半分になっても、高さ3m、横幅はどこまで続いているのかよくわからない、それほどのものである。この海がどれほどのものをもたらしてくれたのか、この海でどれほどの人が生きてきたのか。今は静かで美しい海を見ながら、その壮大さに思いを馳せずにはいられなかった。
宿に戻る道すがら、安藤さんは自分の仮設住宅も見学させてくれた。仮設住宅はテレビで見た通りの箱上の住居で、風通しがよくないとか、物音が響いてしまうとか、よく聞くことを安藤さんも語っていた。しかし、安藤さんのことばと、実際に足を踏み入れたことからそれらを実感することができた。安藤さんは、君のアパートよりもずっとひどいだろう、と言っていた。一見すると、調度品は大差ないようにも思った。だが壁に触ると安藤さんの言う通りだとわかった。壁が薄い、薄い、危ない。つまり、仮設住宅は僕の思っていたよりずっと、圧倒的に頼りないのである。なんとなく、いや、何もかも弱々しいのだ。さすがに僕のアパートは中で暴れても壊れはしないだろうが、仮設住宅は本気で体当たりすれば壊れてしまいそうだ。いや、多分壊れる。震災の後、早いところで二カ月ぐらいで仮設住宅は整い始めたはずである。仮設住宅は被災した方のひとまずの安息になると、僕はニュースを見て思っていた。良かった良かったと。だがこのとき、余震はまだ大きなものが続いていた。弱々しい仮設住宅の中で余震を耐えるのはどんなにか不安だったろうか、と思わされた。」
(2014年3月20日 慶応義塾大学文学部発行より引用しています。)
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まだまだ続きます。