精神保健福祉士の受験に向けて、専門学校の通信教育で勉強を始めたのは
2005年の4月でした。
職場では完全なオーバーワーク状態の日々。
毎日は出社しない、責任感もないパートタイマーの女の子と二人で、隣の部署では
社員と派遣社員とでやっていること以上の業務をこなさなければなりませんでした。
当時の上司が厳しい方で、プレッシャーも半端ではありませんでした。
でも、2007年1月末の国家試験受験まで、一言も事情を話すことなく、二人分の業務をこなし、スクーリングと実習で休むためにさらなる業務をこなし、全てをやり抜きました。
その先にどうしようということは何も考えていませんでした。
ただ、カウンセリングスクールの「精神医学」の講義でそうした資格があることを知り、
妹の自死のこと、母の病気のことを受け入れられる自分になりたいという思いだけで
一心に走り続けました。
この時のがんばりが私にとって、どんな意味をもっているのか、
この時のがんばりをこれからどう大切にしながら生きていけるのか、専門家協会もやめてしまったし、今はまだ見えてはきません。
手帳の記録から、一度書いていることもありますがもう一度辿ってみます。
よろしかったらおつき合いください。
2005年4月29日(金)みどりの日
疲れが出て辛い一日だった。でも、がんばってテキストを読み進めようとした。
2005年5月30日(月)
「社会福祉原論」レポート提出
2005年6月26日(日)
「精神医学」レポート提出
2005年8月17日(水)-21日(日)
バンクーバーへ三泊五日で行った。
2005年8月27日(土)
スクーリング「精神医学」
2005年8月28日(日)
スクーリング「精神保健福祉士援助技術論」
2005年8月29日(月)(有給を使い果たし無給休暇)
スクーリング「社会福祉原論」
2005年10月31日(月)
「精神科リハビリテーション学」レポート提出
2005年11月20日(日)
「精神保健学」レポート①ようやく終了
2005年11月27日(日)
「精神保健学」レポート②下書き終了、とにかく書いた。
2005年11月30日(水)
「精神保健学」レポート提出
「2005年8月20日AM11:01 バンクーバー空港にて
短かったカナダでの滞在は終わりに近づいている。
ゆるやかな時間は終わり、現実だけが私を待ちうける。
私は立ち向かわなければならない。
疲れ切った私の顔が、少しゆるやかになったようだ。
束の間の心のお休み・・・。
疲れるが、旅はやめられない。
いろんな所に行ってみたい。
さわやかな緑の空とお別れ。
日本に帰るのは、本当に辛い。
でも、きっとまたくる。
無理をしているが、無理をするのももう限界にきているが、へこたれてはいられない。
生きている限り生きるのだ。
ハードな毎日が待っている。
ゆるやかな時間は終わり。
がんばれ、がんばれ、と私に言わなければならない。
がんばりすぎずにがんばれ、私。
さよなら、カナダの空。
きっとまたくる。」
「2005年11月7日(月)
毎朝起きると胃が痛くてたまらない。
ソラナックスをできるだけのまないようにがんばっているが、無理しているのか。
朝晩の冷え込みと、昼間の冷房で身体が冷え切っている。
こんな不自然な生活からは抜け出したいと思いながらいつかなうことやら・・・。
眼の疲れもひどいし、これで国家資格を取ろうなんて大変な道を選んだものだ。
一週間ははじまったばかり。
がんばれ、わたし。
無理するな!」
「2005年11月
精神保健学のレポートに思いの他手間取っている。
終わればスクーリングの準備、そしてまたレポートと息つくヒマもない。
昨夜、25年前のシルクロードのテーマ音楽をきき、思春期の頃の色んなことへと興味の翼が
広がっていった自分をなつかしく思い出したが、それと共に愚かだった、いきなり社会へ放り出されたあまりにも幼い自分を思い出すことでもあり、妹、母、父へと思いはつながっていって、苦しくなった。足の痛みもあって、寝苦しい夜となった。
なぜ妹は死ななければならなかったのか、その答えはみつからない。
必ずしも物事には明確な答えが存在するわけではない。
あいまいなものをあいまいなままに私は受け取めていかなければならない。
PSW(精神保健福祉士)という仕事は、これまで私の中に蓄積されてきたもてるものを発揮できる仕事かもしれない。
苦しいが40代前半のうちにまずは講座終了をめざすこと。
がんばれ、私。
英語の勉強もしたい。」
振り返りはまだ続きます。
こうして人生の棚卸を進めた先に、次に進むべき道が見えてくると信じて進んでいきたいと
思います。
2005年の4月でした。
職場では完全なオーバーワーク状態の日々。
毎日は出社しない、責任感もないパートタイマーの女の子と二人で、隣の部署では
社員と派遣社員とでやっていること以上の業務をこなさなければなりませんでした。
当時の上司が厳しい方で、プレッシャーも半端ではありませんでした。
でも、2007年1月末の国家試験受験まで、一言も事情を話すことなく、二人分の業務をこなし、スクーリングと実習で休むためにさらなる業務をこなし、全てをやり抜きました。
その先にどうしようということは何も考えていませんでした。
ただ、カウンセリングスクールの「精神医学」の講義でそうした資格があることを知り、
妹の自死のこと、母の病気のことを受け入れられる自分になりたいという思いだけで
一心に走り続けました。
この時のがんばりが私にとって、どんな意味をもっているのか、
この時のがんばりをこれからどう大切にしながら生きていけるのか、専門家協会もやめてしまったし、今はまだ見えてはきません。
手帳の記録から、一度書いていることもありますがもう一度辿ってみます。
よろしかったらおつき合いください。
2005年4月29日(金)みどりの日
疲れが出て辛い一日だった。でも、がんばってテキストを読み進めようとした。
2005年5月30日(月)
「社会福祉原論」レポート提出
2005年6月26日(日)
「精神医学」レポート提出
2005年8月17日(水)-21日(日)
バンクーバーへ三泊五日で行った。
2005年8月27日(土)
スクーリング「精神医学」
2005年8月28日(日)
スクーリング「精神保健福祉士援助技術論」
2005年8月29日(月)(有給を使い果たし無給休暇)
スクーリング「社会福祉原論」
2005年10月31日(月)
「精神科リハビリテーション学」レポート提出
2005年11月20日(日)
「精神保健学」レポート①ようやく終了
2005年11月27日(日)
「精神保健学」レポート②下書き終了、とにかく書いた。
2005年11月30日(水)
「精神保健学」レポート提出
「2005年8月20日AM11:01 バンクーバー空港にて
短かったカナダでの滞在は終わりに近づいている。
ゆるやかな時間は終わり、現実だけが私を待ちうける。
私は立ち向かわなければならない。
疲れ切った私の顔が、少しゆるやかになったようだ。
束の間の心のお休み・・・。
疲れるが、旅はやめられない。
いろんな所に行ってみたい。
さわやかな緑の空とお別れ。
日本に帰るのは、本当に辛い。
でも、きっとまたくる。
無理をしているが、無理をするのももう限界にきているが、へこたれてはいられない。
生きている限り生きるのだ。
ハードな毎日が待っている。
ゆるやかな時間は終わり。
がんばれ、がんばれ、と私に言わなければならない。
がんばりすぎずにがんばれ、私。
さよなら、カナダの空。
きっとまたくる。」
「2005年11月7日(月)
毎朝起きると胃が痛くてたまらない。
ソラナックスをできるだけのまないようにがんばっているが、無理しているのか。
朝晩の冷え込みと、昼間の冷房で身体が冷え切っている。
こんな不自然な生活からは抜け出したいと思いながらいつかなうことやら・・・。
眼の疲れもひどいし、これで国家資格を取ろうなんて大変な道を選んだものだ。
一週間ははじまったばかり。
がんばれ、わたし。
無理するな!」
「2005年11月
精神保健学のレポートに思いの他手間取っている。
終わればスクーリングの準備、そしてまたレポートと息つくヒマもない。
昨夜、25年前のシルクロードのテーマ音楽をきき、思春期の頃の色んなことへと興味の翼が
広がっていった自分をなつかしく思い出したが、それと共に愚かだった、いきなり社会へ放り出されたあまりにも幼い自分を思い出すことでもあり、妹、母、父へと思いはつながっていって、苦しくなった。足の痛みもあって、寝苦しい夜となった。
なぜ妹は死ななければならなかったのか、その答えはみつからない。
必ずしも物事には明確な答えが存在するわけではない。
あいまいなものをあいまいなままに私は受け取めていかなければならない。
PSW(精神保健福祉士)という仕事は、これまで私の中に蓄積されてきたもてるものを発揮できる仕事かもしれない。
苦しいが40代前半のうちにまずは講座終了をめざすこと。
がんばれ、私。
英語の勉強もしたい。」
振り返りはまだ続きます。
こうして人生の棚卸を進めた先に、次に進むべき道が見えてくると信じて進んでいきたいと
思います。
