今日はアンセミナーでご一緒させていただいている方と久しぶりにお会いして、吉村和敏さんの写真展とギャラリートークショーに行ってきました。すごい人ごみの新宿駅を抜けて西口のビルへ出ると少しほっ。
プリンス・エドワード島の写真で有名な吉村さんですが、プリンス・エドワード島ばかりではありません。
入った頃にはまだ余裕がある感じでしたが、トークショーが始まる頃には、気がついたらぎゅうぎゅうになっていました。吉村さんが各写真パネルの前で説明をして、吉村さんが移動するのに合わせて私たちも移動するという形式で、人が集まり過ぎるとちょっとせまかったかな。
むずかしいところでしたが、久しぶりに弁舌爽やかな吉村さんのトークをきいて元気をもらえた感じです。ちびたの私は、背伸びをしても見づらい位置に最初いましたが、途中から近い位置に場所をとりながら見ることができました。
イタリアの美しい村の認定は毎月更新されるので、写真集は去年の6月時点の234の村としたそうです。白い建物一色の村、花にあふれた村、もうすぐなくなってしまうと言われていて今は8人しか住んでいない村、映画『木靴の樹』の舞台ロンバルディア地方のけむりがかぶるような北イタリアの村の写真もありました。
こういう村に暮らす人々はどんなふうに暮らしをたてているのでしょうね。
ある村の路地で刺繍に専念していたおばあさんは吉村さんが写真を撮るのをやめた途端、
できあがった刺繍作品を売り込もうと一生懸命になったとか。芸術家は作品を作るのには
必死になるけれど、自分も含めて売り込むのは苦手なので、見習いたいですねというお話でした。
シチリア島に行くというとマフィアのイメージが強いので人から止められたそうですが、吉村さんが行ったのは街中ではなく田舎の安全な場所。そこで漁師さんの仕事を眺めているおじいさんは背広に帽子姿でそれだけで絵になってしまう。マフィアスタイルでかっこいい。イタリアのおじいさんたちは、どんな服装をしていてもかっこいいという吉村さんのお話でした。
村の名もない教会に入った途端、フレスコ画が描かれた宗教画が目に入ってくるとそれだけで感動だったそうです。先日ボッチチェリの巨大壁画をみたばかりなので、また深く感じるものがありました。
村のなんでもないような石づくりのところに、何でもないようにマリア様が描かれていたりするのは、宗教と共にある日常生活の風景のひとつ。
こうやって日本からは遠い国でも日常生活が日々営まれているというのは当たり前すぎて
普段は考えることがありません。
そんなことにあらためて思いを馳せる時間を過ごすことができたと思います。
終わってからはお茶を飲みながらいろいろとお話もさせていただきました。
気持ちを整理するための作業を少しずつ進めてきて、どうやら自己肯定感と落ち着きを
ゆるい歩みですが少しずつ取り戻しつつあることに気がつくことができました。
まぶしい陽ざしの鮮やかさと共に、外はちょっと暑かったですが爽やかな一日でした。
ありがとうございました。
プリンス・エドワード島の写真で有名な吉村さんですが、プリンス・エドワード島ばかりではありません。
入った頃にはまだ余裕がある感じでしたが、トークショーが始まる頃には、気がついたらぎゅうぎゅうになっていました。吉村さんが各写真パネルの前で説明をして、吉村さんが移動するのに合わせて私たちも移動するという形式で、人が集まり過ぎるとちょっとせまかったかな。
むずかしいところでしたが、久しぶりに弁舌爽やかな吉村さんのトークをきいて元気をもらえた感じです。ちびたの私は、背伸びをしても見づらい位置に最初いましたが、途中から近い位置に場所をとりながら見ることができました。
イタリアの美しい村の認定は毎月更新されるので、写真集は去年の6月時点の234の村としたそうです。白い建物一色の村、花にあふれた村、もうすぐなくなってしまうと言われていて今は8人しか住んでいない村、映画『木靴の樹』の舞台ロンバルディア地方のけむりがかぶるような北イタリアの村の写真もありました。
こういう村に暮らす人々はどんなふうに暮らしをたてているのでしょうね。
ある村の路地で刺繍に専念していたおばあさんは吉村さんが写真を撮るのをやめた途端、
できあがった刺繍作品を売り込もうと一生懸命になったとか。芸術家は作品を作るのには
必死になるけれど、自分も含めて売り込むのは苦手なので、見習いたいですねというお話でした。
シチリア島に行くというとマフィアのイメージが強いので人から止められたそうですが、吉村さんが行ったのは街中ではなく田舎の安全な場所。そこで漁師さんの仕事を眺めているおじいさんは背広に帽子姿でそれだけで絵になってしまう。マフィアスタイルでかっこいい。イタリアのおじいさんたちは、どんな服装をしていてもかっこいいという吉村さんのお話でした。
村の名もない教会に入った途端、フレスコ画が描かれた宗教画が目に入ってくるとそれだけで感動だったそうです。先日ボッチチェリの巨大壁画をみたばかりなので、また深く感じるものがありました。
村のなんでもないような石づくりのところに、何でもないようにマリア様が描かれていたりするのは、宗教と共にある日常生活の風景のひとつ。
こうやって日本からは遠い国でも日常生活が日々営まれているというのは当たり前すぎて
普段は考えることがありません。
そんなことにあらためて思いを馳せる時間を過ごすことができたと思います。
終わってからはお茶を飲みながらいろいろとお話もさせていただきました。
気持ちを整理するための作業を少しずつ進めてきて、どうやら自己肯定感と落ち着きを
ゆるい歩みですが少しずつ取り戻しつつあることに気がつくことができました。
まぶしい陽ざしの鮮やかさと共に、外はちょっと暑かったですが爽やかな一日でした。
ありがとうございました。
「イタリアの最も美しい村」全踏破の旅 | |
吉村 和敏 | |
講談社 |