3月最後の日曜日の昼下がり、陽射しがあふれています。明日から金曜までフル出勤の予定。自分には合わないとわかっと仕事に行かなければならないのはきついです。外からも中からも怒られる毎日にエネルギーそがれて、疲れてしまっています。作業自体はつまらないし、少しも楽しくありません。それでも実績として次につなげていくためには完走するしかないのだと自分に言い聞かせています。つぶれる心配はないようなところだし。つぶれる心配がないので働きたい人がたくさんいるとききますが、私には少しもいいとは思えません。
今日は電車に乗りません。出勤中は普通にパソコンを操作することがまったくなくなったので、こうして部屋でパソコンをやっているの時間がささやかな幸せ。前職で体にしみついてしまったものが全く役に立たないどころか邪魔っけだと感じます。感覚的にあまりにも違いすぎて、気づかいのつもりでやったことが余計な先走りだったり、逆に変に差別的なことをしたくないと思って普通にしたつもりのことを配慮がたりないと怒られたり。精神保健福祉士も含めて自分の中では当たり前になっている感覚と違いすぎて戸惑いの毎日です。そんな言い方しなくてもいいのに、っていういやな言い方をされるたびに傷ついています。ひとつひとつはほんとに小さなことですけどね、すり減りにはこたえることばかりです。前職の苦しい日々を思い返すとむなしさだけが胸の中に去来します。10年以上も実際に同じ会社で働き続けたのに何も残りませんでした。よかれと思って一生懸命にやったことの全てが仇となってかえってきました。全て一生懸命にやった、がんばってしまった私の「自己責任」です。己に鞭打ってがんばりつづけてしまったあの日々は私にとっていったいなんだったのか。あの会社での、あったかいとさえ思えた人間関係はなんだったのか、信頼を築き上げたはずの人間関係はいったいなんだったのか。貴重な40代をつぶしてしまいました。悔しさと心残りがありますが私が戻ることはないし、もう忘れたい気がします。何も残らなかった日々。むなしくて仕方ありません。
ここに詳細を書くことができないのがとても残念ですが、日本はすごく疲弊してしまっているのではないかと感じてしまう現実を目の当たりにする毎日。自分はこうなってはいけないし、すきでこうなっている方はいないはずだと思います。労働環境の悪化、非正規雇用の増加がこうさせているとしか私には思えません。いったいこの国はどうなってしまっているのか、考えさせられます。一昨日うまく書けなかったこと。4年前に他界した母はなくなるまでの25年ぐらい統合失調症でした。そのためにずいぶん苦しんできたことはなんどかブログに書いています。受け容れられなくて、どんな病気なのか理解したくて精神医学をかじり、結果精神保健福祉士の国家試験にも合格しました。そのプロセスで私の中で精神疾患は特別なものではなくなりました。障害者手帳には身体、療育、精神の三つがありますが、精神だけ特別なものであるかのような扱いはしたくない、みんな同じ人、好きで精神の手帳を持っている人などいないと私なりに受け容れることができるようになりました。その頭で精神の手帳を持っている方を受け付けたとき、身体の手帳を持っている方と全く同じように書類に記入しました。そしたら人権に配慮が足りない行為だと上からも他の方からもすごく叱られました。その根底には精神の手帳を持っていることを人に知られてはいけないことだと特別視する意識があるのではないかと私は感じてしまいました。区別or差別なのではないかと。それは長い間苦しんできた末にようやくたどり着いた私の感覚。普通はまあ知られちゃいけないことだと思うのが自然でしょうからこの感覚は伏せなければなりません。明日からもまた毎日のように対応することになると思います。接遇なんて私には向いていないし、すごくむずかしくてうんざり。私には辛い職務です。
今日は電車に乗りません。出勤中は普通にパソコンを操作することがまったくなくなったので、こうして部屋でパソコンをやっているの時間がささやかな幸せ。前職で体にしみついてしまったものが全く役に立たないどころか邪魔っけだと感じます。感覚的にあまりにも違いすぎて、気づかいのつもりでやったことが余計な先走りだったり、逆に変に差別的なことをしたくないと思って普通にしたつもりのことを配慮がたりないと怒られたり。精神保健福祉士も含めて自分の中では当たり前になっている感覚と違いすぎて戸惑いの毎日です。そんな言い方しなくてもいいのに、っていういやな言い方をされるたびに傷ついています。ひとつひとつはほんとに小さなことですけどね、すり減りにはこたえることばかりです。前職の苦しい日々を思い返すとむなしさだけが胸の中に去来します。10年以上も実際に同じ会社で働き続けたのに何も残りませんでした。よかれと思って一生懸命にやったことの全てが仇となってかえってきました。全て一生懸命にやった、がんばってしまった私の「自己責任」です。己に鞭打ってがんばりつづけてしまったあの日々は私にとっていったいなんだったのか。あの会社での、あったかいとさえ思えた人間関係はなんだったのか、信頼を築き上げたはずの人間関係はいったいなんだったのか。貴重な40代をつぶしてしまいました。悔しさと心残りがありますが私が戻ることはないし、もう忘れたい気がします。何も残らなかった日々。むなしくて仕方ありません。
ここに詳細を書くことができないのがとても残念ですが、日本はすごく疲弊してしまっているのではないかと感じてしまう現実を目の当たりにする毎日。自分はこうなってはいけないし、すきでこうなっている方はいないはずだと思います。労働環境の悪化、非正規雇用の増加がこうさせているとしか私には思えません。いったいこの国はどうなってしまっているのか、考えさせられます。一昨日うまく書けなかったこと。4年前に他界した母はなくなるまでの25年ぐらい統合失調症でした。そのためにずいぶん苦しんできたことはなんどかブログに書いています。受け容れられなくて、どんな病気なのか理解したくて精神医学をかじり、結果精神保健福祉士の国家試験にも合格しました。そのプロセスで私の中で精神疾患は特別なものではなくなりました。障害者手帳には身体、療育、精神の三つがありますが、精神だけ特別なものであるかのような扱いはしたくない、みんな同じ人、好きで精神の手帳を持っている人などいないと私なりに受け容れることができるようになりました。その頭で精神の手帳を持っている方を受け付けたとき、身体の手帳を持っている方と全く同じように書類に記入しました。そしたら人権に配慮が足りない行為だと上からも他の方からもすごく叱られました。その根底には精神の手帳を持っていることを人に知られてはいけないことだと特別視する意識があるのではないかと私は感じてしまいました。区別or差別なのではないかと。それは長い間苦しんできた末にようやくたどり着いた私の感覚。普通はまあ知られちゃいけないことだと思うのが自然でしょうからこの感覚は伏せなければなりません。明日からもまた毎日のように対応することになると思います。接遇なんて私には向いていないし、すごくむずかしくてうんざり。私には辛い職務です。