たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『ルノワール展』に行ってきました

2016年08月22日 20時49分00秒 | 美術館めぐり
 オルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵『ルノワール展』、行ってきました。

http://renoir.exhn.jp/

 今日はわたしにとって大切な土曜日。午後住まいの近辺は少し嵐がおさまった感だったので出かけました。六本木に着くと大嵐が吹き荒れていましたが美術館にいる間に嵐はおさまりました。人へのいつくしみと躍動感にあふれる絵との対話の時間は、心が満たされる幸せなひとときでした。がんばって行ってよかったです。明日から5日間連続勤務。頭がおかしくなりそうな仕事を前に朝から気がおもくって仕方なかったですが心のエネルギーをもらいました。来月、19日は父の命日、21日は妹の命日。妹の旅立ちから25年になるでしょうか。こうしてわたしが幸せだと感じる時間を少しでも多く持つことが、わたしに与えられたいのちの時間を妹の分まで生きることになるのだと思います。そんなことを想いながらルノワール最晩年の絵を観ていたら涙が出てきてしまいました。音声ガイドのナビゲーターが、元タカラジェンヌの大空祐飛さんというのも嬉しかった。宝塚とフレンチカンカンは切り離せません。ルノワールの次男で映画監督になったジャン・ルノワールの「フレンチカンカン」もほんの少しですが映像が流れていました。カンカンを踊る場面、心が湧きたちました。

 今日が展示の最終日。協力が日本航空となっているので、明日以降日航機でパリに帰るんでしょうね。すっごい保険がかかっていると思いますが無事にルノワールのいのちが宿るような100点余りの絵がパリに帰ることができますようにと祈ります。ほとんどがオルセー美術館からの出展でした。

 2008年にツアー旅行でパリに行った時は、一人でオランジュリー美術館に行き、モネの睡蓮を堪能しました。すぐご近所のオルセー美術館には行っていないし、オランジュリー美術館でも地下のルノワールの絵は駆け足になってしまったので、こうして観ることができてよかったです。フレンチカンカン、ムーランルージュ・・・。パリではモンマルトルの丘にも行きたかったですが、残念ながら丘はとてもいいけれど丘に行く途中の坂道が女性の一人歩きは非常に危険だという説明を受けたのであきらめました。今回、日本でこうして安全に、無事にパリの息吹を楽しむことができてよかったです。

 ルノワールとは20歳の時に、一つ年上のモネと出会い、一緒にのちに最初の印象派展と呼ばれる絵の展覧会を開いたのですね。ルノワール77歳、最晩年の「浴女たち」という絵に、モネの最晩年の絵に感じたものに通じる、あくなき探究心と生きるエネルギーを感じました。生きるには厳しい条件ばかりの中で晩年、「最善を尽くしきるまで死にわけにはいかない」と絵を描き続けたそうです。描き切った翌年78歳で家族に見守られながらルノワールは生涯を閉じました。

 74歳の時に、18歳年下の妻に先立たれ、第一次世界大戦で従軍した息子たちは負傷、自身はリュウマチを患い車いす生活を余儀なくされていました。でも「絵は楽しくなければいけない」というルノワールは哀しみ、苦しみを描きませんでした。生命力と躍動感に満ちあふれる生き生きとした裸の人間を描き切りました。先ほども書きましたが、絵の前で涙がにじみました。ルノワールの生命力が伝わってくるような絵でした。

 誰もが一度は観たことがあるルノワールの絵。でもこうして画家の生涯に触れながら絵と対話する時間をもつことはなかなかないですね。お写真もあるのでまた後日あらためて書ければいいなと思います。出勤日は残念ながら、「しばられてなにもできなーい♪」(『エリザベート』の中でルドルフが歌う一節)です。美術館めぐりのあれこれ、ゆっくりとお写真載せながら書きたいことがたくさんありますがなかなか追いつきません。少しずつ、少しずつです。

 三連休で少しは断捨離、進んだかな。ここまでという目標には到達できませんでしたがまあまあ。次回は日曜日。明日から5レンチャンでつまらないグチブログになると思いますが、よろしかったらまた訪問してください。