たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

浪漫活劇『るろうに剣心』_楽しかったでござる(3)

2018年11月19日 23時48分54秒 | ミュージカル・舞台・映画
『るろうに剣心』、大阪公演も大盛り上がりで早くも折り返し。行きたいなあ。初日のカーテンコールに登場された小池先生、川口君の個人情報漏洩?でちぎさんにつっこまれたとか、稽古場にすっぴんで現れたちぎさんが男性にしかみえなかったとの発言があったとか。二日目にはマチネ?では松岡さんが木にひっかかったのが時間かかって一回目のカーテンコールに間に合わないというハプニングがあったとか、舞台は生ものですね。

 宝塚を知らず、剣心を演じているのが女性だとは知らないで観ている方もいらっしゃるようで、それぐらい早霧さん剣心は男性陣の中でも、男性陣を相手にした殺陣でも違和感がなかった。ライブビューイングで拝見した『幕末太陽傳』ですごい運動神経の方なんだと感心しましたが、剣心役はそれが存分に生かされていますね。幕末血風録の場面、早霧さん、セットの上から下へひょいっと身軽に下りてばっさばっさと新選組を斬り倒していくの。それぞれ高い身体能力を持ったばかりの方々とはいえ、受ける側の男性アンサンブルさんたちとのタイミングが少しでもずれたら怪我につながりかけない殺陣の連続。稽古場でここまで作り上げていくの大変だったと思いますが、それを感じさせず余裕をもってやっているようにみえるところがさすがです。ほっそいほっそい早霧さんが体格のいい男性を相手にしていると折れてしまうんじゃないかと少し心配しながらも、刀さばきの美しさに見惚れていました。たぶん、早霧さん、トップスターというプレッシャーと男役はこうあらればという型から解放されて、より自由に、精神的に楽に剣心を生きていらっしゃる。だから男性相手の殺陣でも無理がないのかなと感じました。

 幕開けはこの構図、幕にこの剣心の影が現れて十文字が描かれていくところから始まります。なんか始まるぞってわくわく感いっぱいになるオープニングでした。

 この歌詞もなかなか好き。宝塚版のプログラムをみると歌詞が少し違うようです。


「不殺(ころさず)の誓い

頬の傷だけが 知っている
不殺の誓い 立てた理由
最初の傷は 京の小道
月が満ちた 夜だった

その後出会った 運命の人
巴は清里の許嫁
復讐の炎に燃える女
俺の命狙い 近づいてきた
知らずに俺は巴を愛し
二人結ばれた

女の愛がこの頬に
二つ目の刻印を刻み込む

愛する人を亡くした時
誓いを立てた
いつか 戦が終わって
新しい夜が明けたら
二度とは人に
刃を抜けないと


敵と切り結んだ
奪った命は 戻りはしない
生き残った者には
義務(つとめ)がある

剣の力に頼らずに 造る
誰もが睦あえる国
他人(ひと)を愛(いつく)しむ心に満ちた
憎しみの思いが 消えた国

この刀は
不殺の誓いの証
この傷は
不殺の誓いの印」

 早霧さん剣心が過去を語るこの場面。人斬り抜刀斎の松岡広大さんの殺陣のスピード感と切れのよさがすごかったのですが、ちゃんと心があった。早霧さんと背丈が同じぐらいの印象で剣心と抜刀斎の表裏一体感がよくでていたと思います。剣心をかばって命を落とした雪代巴さんがすごく可愛かった。どなたが演じていらっしゃるのかと気になったらアンサンブルのお一人で松村沙瑛子さんという方。強くて儚くて敵と知りながら抜刀歳に惹かれていった感じがよく出ていました。アンサンブルさんたちも見逃せない舞台。ほんと目が足りなかったです。もう一回観たいなあ。





早霧さんを観に行って、斎藤一のイケメンぶりにもすっかりやられてしまったという方、たくさんいらっしゃるようです。
新選組大志から、維新後は警察官へと、信念を貫いた生き方が素敵すぎました。
「悪・即・斬」のポージングと低い声がイケメンすぎました。




 松竹つながりで古い資料を整理していたら20年以上前の歌舞伎座のフライヤーがでてきました。勘太郎、まだ子供、可愛い。



 11月6日の観劇のあと、友達と待ち合わせて楽屋からでていらっしゃったの男性アンサンブルの伊藤さんかな。『1789バスティーユの恋人たち』でも高い身体能力を披露されていました。後姿がものすごく細くてものすごく筋肉がついている感じでした。こういう方でないとアクロバティックなダンスはできませんね。

この街とお別れ

2018年11月19日 17時03分28秒 | 日記
 昨夜は眠剤を飲んで1時頃に就寝。部屋での最後の食事は残ったものをなんとか片付け冷蔵庫を空にしなければならなかったので実にしょぼいものでした。隣のチャラ坊は案の定12時半頃帰ってきてドッタンバッタン。でも眠剤のおかげでなんとか5時間半ぐらいの睡眠は確保できました。実家へ送る荷物とお別れする荷物、引っ越し業者と廃棄業者の、どちらもいい人たちがきてくれて丁寧な仕事ぶりで9時から10時半にかけて無事に終わりました。心配していた集合住宅の出入り口の工事のためにやはり正面に車をつけることはできず、駐車場に回れと言われてしまったそうで、ちょっと時間がかかります、大変ですとのことでしたが、この築50年の集合住宅の大変さをわかってくれました。10時半頃不動産屋もきて部屋をみていきました。担当者が変わっているので、あらためて水漏れの件を話しました。だって業者が何回も何回もきたために結局、台所と洗濯機置き場の間の床、空いたままですから。入って二週間ほどで水漏れ起こって、実は前の人が入っている時から水漏れは起こっていたのを修繕せずに貸すなんてひどくないですか。大家はクリーニング代を払ってもらえるのか、と言っているとか。いやいや敷金と相殺じゃないですか、これ以上一円もはらいませんよ。クロスも張り替えるなら20万ぐらいかかるそうですが故意に壊したり汚したりはしていません、引っ越し業者さんも言っていましたが窓際の湿気がひどくってカーテンをかけていた壁がカーテンをとるとかびてしまっていました。それわたしのせいじゃありません。宅建の窓口に電話したら、営利目的で貸しているなら大家も負担すべきとのガイドラインがあることをおしえられたと話し、もう一円もはらいませんと伝えました。昨今は借主寄りの法整備されてきているとのこと。こんな大家、大家をやる資格なんかないぜよ。不動産屋とのやりとりをきいていた引っ越し業者さん、一円も払ってはだめですよ、お疲れ様でした、と言ってくれました。アートさん、いい人でした。アンケートの評価が高くってもお給料はあがらないそうですが、丁寧な仕事。格安業者に頼めばさらに安いのかもしれませんが安心できる業者の方がいいですね。まだ実家への搬入がありますがここにしてよかったと思います。気がつけば10年以上お世話になってきた家具たち。それぞれ劣化が進んできていました。さらにいくつかお別れ。それでも未練がましくお別れできずすて、実家に持ち込むものもあります。弟に怒られちゃいそう、少しずつまたお別れしていくことにしましょう。テーブルとイスとハンガーラックをのぞいて大きな荷物はかなりお別れしたのでわたしにしては荷物少ない引っ越し。こんだけの荷物を抱えて、よくあのちっそくしそうな部屋に暮らしていたなとあらためて思います。築50年、修繕工事したって塗りなおしているだけだから、廊下に大きな段差があるのもせまいのも変わりません。車椅子が通れないことにかわりはないので資産価値があがるとは思えません。地の利で納得かな。それだけです。日比谷を満喫したから納得。

 スパにきてむくんだ足を休めながら更新中。明日は午前中高速バスに乗って郷里へと向かいます。3千円。大丈夫かな。明後日は役所と銀行巡り。駅まで徒歩だと20分以上。すぐ近くをJRが走ってしますが駅はありません。給料明細と通帳をみると溜息しかでないし、休みながらまた次をさがしていかねば。離職票が届くまで時間がかかります。きびしい。長い間こっちにいたから慣れるのの時間がかかるのかなあ。弟とうまくやっていけるかなとか不安もあります。それよりも家賃負担から解放された安堵感の方が今は大きいですけどね。


一週間前、業務終了時にいただいた小さな花束。紫色の花はルピナスかな。
まだまだ呼吸していますが、残念ながらお別れせざるを得なかったので写真を撮りました。
東京宝塚劇場のデザートの容器に飾っていました。




昨日の、夕暮れまえの風景。
はじめてここを訪れたとき、この銀杏並木に憧れ、この街に住みたいと思いました。
結果的に苦しいことの方が多かったですが、前の部屋からは緑がたくさんみえて幸せでした。
近くに知る人はほとんどいないままでしたが楽しい思い出もたくさん。



水曜日のお別れ行脚、観光客気分で乗ったシーバスからの眺め。
この街で七転八倒しながら生きてきました。
楽しいこと、苦しいこと、どちらもたくさんありました。

























観光客気分で歩いた晩秋の公園。

























イギリス人邸。無料で見学できました。






 部屋の引き払いが終わったあと、3年前ズタズタになって泣くことしたできなくなっていたわたしの話を聴いてくださった窓口の方に電話でお礼を伝えました。3年前、労働紛争のことですが、「あなたがやったことで助かる人が必ずいる、あなたはそれがわからないだけ、一人でも助かる人がいればいいじゃない。そう言ってくださったことがようやくわかってきましたと伝えることができました。ここまで苦しかったよね、苦しかったけどここまで元気になったよ、仕事辛かったけどズタズタに擦り減ってどうにもならなかった私がウルトラハードな仕事を一年間もやったよ。今後になにかつながっていく道があると信じて、まだやり直せると信じて明日は帰郷します。こんな私を心配してくださり、ありがとうございます。またいずれかの空でお目にかかればと思います。

 観劇ブログも書きたいですが時間があるようであっという間かな。夜ごはんでお疲れ様でしたのビールでも飲もうかな。