たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

これからどう生きていくのか

2018年12月27日 17時46分26秒 | 祈り
 極寒の年の暮れ、なんとかがんばってハロワに行ってきました。息抜きに帰りはまたド〇ールでお茶しながらモバイルパソコンを立ち上げています。窓口の女性に履歴書と職務経歴書のドラフトをみてもらいながらこれからのことを相談しました。もうひとつ自己PR分を用意した方がいいですよとのアドバイス。ハードな業務を通して自分が感じたことを、人にわかるように簡潔かつ具体的に書く、難しくて気持ちが折れることも多かったけれどほんの少し、自分のすることが人の助けになることもある、何もできないけれど何か力になりたい、応援したい、この人のために今自分は何ができるのだろうかと一生懸命に考えた、そんなこともある、だから仕事を続けることができた。そういう気持ちを書く。一番核になるところ。どうしてもこの仕事をやりたいというものはわたしにはありません。経験を生かして、ハードすぎないところでやりたいと思えるものがあればというところ。あと通勤に最寄り駅まで徒歩30分で巡回バスを利用しますだけではやはりどうにもならないので、せめて自転車に乗ることを考えなければなりません。年末年始の間に自転車を購入して練習しないとまた勤めにでるのは無理。ひとつずつハードルを越えていくしかないです。これからどう生きていくのか、また自分の力を必要とされる場所はあるのか、負なんですが、新しい年が明けたら少しずつ動いていきます。アドバイスをもらったので、まずは書面の準備。断捨離で日記を整理していたら13年前の自分に再会しました。資格の勉強を始めようとしている頃でした。この頃は福祉の仕事をしたいという気持ちがあったわけではありませんでしたが、結果的にまわりまわって資格をとったことが自分を救ってくれることには一応なりました。ハードですけどね、事務に戻ると物足りなさを感じてしまうのだろうなあ。大変な仕事をしてきてすごく疲れているんだろうなって思います、って最後に言われました。ハードだったこと、伝わりました。

 
「2005年1月10日(月)晴

こうしてまた何年かぶりでノートを書き始めることとなった。ヤジロベエのようにゆらゆらと揺れながらも安定しているために。

また誰にも会わない休日が終わっていく。
靴をはかないこんな日も必要だ。
電話もメールもほとんどないので淋しさがないわけではないが、孤独と友達になれたら、私も「おひとりさま」上級者かも・・。

勝ち組だとか負け組だとか、そんなマスコミのいうことにとらわれてはならない。なにをもってして勝ち負けは決まるのか。
どんなに一生懸命生きていても、自分探しをしていても結婚して子供を産まなければ、女としては足りない、ということになるのか。幸せにはなれないのか・・・。
休日に出かけることも疲れるようになった。若くはない女が一人でいると、人の見る目は「あのオバサン・・・」
人の目が気になる。緊張を強いられる。どんな時には凛としていたい。きれいでありたい。

休日の朝あまり眠れなかった時もお日様がふりそそぐ中で過ごしていると、前向きな幸せな気持ちになれる。お昼寝で疲れをいやして、レポートを書いて、今日も日吉の杜に暮れていく夕陽をみることができた。
かなりGoodな今度の部屋は、きっとわたしに元気といい運気をもたらしてくれるにちがいない。
部屋の中で過ごす時間、淋しさと背中合わせの心地よさを感じる。

セスクの基礎科のレポートについては、またあらためよう。
書いているうちに自分でも思いがけないところへ流れていってびっくりしている。
Y先生に読んでいただきたいのだがどうしよう。

「精神保健福祉士」という国家資格。
私が漠然と考えている女性の自立支援には、カウンセラーよりもそちらの方が近いのかもしれない。はたして、精神医学などという困難そうな分野が私に理解できるのか・・・。
その前に自立ということの意味を追及していきたい。
精神的自立と経済的自由・・・、私にはわからないのだ。
私はまだ自分が自立できている、という実感がもてない。
一生自分で食っていけるという確信が得られないからだ。
これが自分が、という言えるものを見つけることはそうたやすいことではない。
道のりはまだまだ長い。
一生懸命生きていくだけだ。肩の力を抜いて必死に・・・。

明日からまたバカなオヤジどもとのたたかい、アホな組織との葛藤。
食うために、すごいエネルギーを吸いとられる。

がんばれ、わたし。

 20時30分 ド〇ールにて。」


 過去から抜け出していくための振り返りでした。もがいてましたね、わたし。結婚歴があっても、出産歴が何回もあっても、自分一人の面倒すらみることができない女性も少なからずいることがわかった今は、それはどっちでもいいことなのかなって思います。人生の時間には限りがあるので、人が自分をどう見ているかなんていうのもどうでもいいこと。自分のために生きていきたいです。この頃より少しは成長できているのかな、わたし。