たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

考えはじめると不安しかない

2019年04月24日 17時32分37秒 | 日記
 昨日今日と自転車で資源ゴミ回収ボックスとコンビニに寄った後マックに来ています。安いしお店の人に見られることなく長居できるので気持ちが楽。連休明けの作文の試験に向けて、ネットで検索した、覚えておかねばならないだろうと思われる資料をワードにコピペしてさらにPDF化してコンビニでプリントアウト。読むだけでは頭に入らないので、パソコンで要点をまとめながら整理しています。終わったらこれをまたコンビニでプリントアウトし、さらに手書きしながら頭に入れていくつもりです。頭に入っていくのか不安。印刷代だけでもかかります。こうしてがんばってもむなしい結果にしかならないかもしれません。もしご縁がつながったとしても家から通いきれるでしょうか、勤務時間に相談の余地はあるでしょうか。わかりません。はたまた、社会から孤立し続けている自分にやれるのでしょうか。本当に社会にまた戻ることができるのでしょうか。誰にも会わないまま、誰とも話さないまま家で考えはじめると不安しかないです。求人をみたときに資格要件は満たしていないけれど、前職の経験から心が動いたので大学の履修内容で応募できるか問い合わせの電話をいれた自分を信じるしかありません。自分を信じて、不安を払拭するためにはやってみようと思ったことをやるしかないです。

2月に、朝のバスの時間を考えると家から通うことはできないとわかっていながら書類を送り辞退したところでまた資格要件を満たしている求人が出ました。わたしのように提出課題をパソコンで作成して送った人がいるからでしょうかね、なぜ手書きでなければならないのかわかっていませんが、手書きでお願いしますと原稿用紙をダウンロードするよう指示も出ています。すごくハードな仕事だろうと想像はできます。一度辞退しているし心があまり動かないので資格要件を満たしていますがたぶん応募しないだろうと思います。心が動いた仕事の作文に向けて準備をするのが精一杯。こうしていることが正解かどうかわかりません。正解ではないのかもしれませんが、自分を信じてみます。『鎌足』のライブビューイングを目標に進んでみます。



 高齢者の暴走事故から交通事故が続いていますが、何度も書いているようにわたしも毎日危ないです。今日のような強い雨が降っている日、自転車に乗らないと身動きとれないので雨具をつけて乗っていますがフードをかぶると視界が極端に狭くなるのでさらにこわいです。陽が落ちてくると暗がりの中、駐車場にバイクの若者たちがたむろしていたり、暴走バイクがオラオラとエンジンふかして爆音立てながら飛ばしていたり、はたまたライトを点灯させていない自転車とぶつかりそうになったり、ここに暮らしていくのは厳しいなあと思います。今度はどこに行きましょうかね・・・。


 妹が遺した大量の布、服に少しずつ混ぜて資源ゴミ回収ボックスに持ち込んでいたら平成の間になんとか全部処分しきれそうです。服は厳しいかなあ。手縫いのスーツ、買った時は高かったであろうと既製品のスーツ、革のジャケットにスカート、コートなどなど処分するハードルの高いものたちばかり残ってきています。ニット製品も数があり、年齢を選ばず着ることができそうなものは洗濯して着ようとしているのですが、25年間眠ったままだったのでさすがに防虫剤のにおいが沁みついていて、匂いがすごいことになっています。モノによっては劣化も進んでいます。ごめんねっていいながら毎日少しずつ処分。これは本当に必要か、ひとつひとつ手に取って考えるので捨てる時は頭使いますね。先週、これも資源ゴミ回収ボックスに持ち込もうと母が遺した古い本を整理していたら、妹が教会の先生からもらったと思われるゴスペルの教本が出てきて処分できませんでした。進級おめでとうとメッセージが書かれているのは中学校の進級のお祝いかな。きっかけは思い出せませんが、妹は小学校高学年から中学校卒業ぐらいまで毎週日曜日教会に通っていました。夏休みのキャンプにも行っていました。母の妹の娘、つまりは従姉妹の女の子が小学生の頃、今でいう不登校になったのだったかな、妹が自転車で毎日だったかどうか思い出せませんが、おばさんの家に通いそんな従姉妹の話し相手になってあげていました。告別式の時、すでに結婚して子供も生まれていた従姉妹は来てくれなかったのは残念でした。住んでいる場所が近くても親戚づきあいが薄いので何十年も従姉妹たちには会っていません。きつい子でしたがそんな優しいところがあったなあってふっと思い出した次第。断捨離は疲れます。

 月曜日の社会見学、初夏の陽気で桜の花が見ごろでした。
















 運転する方は、車は走る凶器だということを心に留めて傲慢になることなく運転してほしい。信号どころか歩行者のための白線さえ引かれていない道を渡らないと出かけることができない人もいます・・・。

 お母さんと娘さんの御霊が安らかでありますようにと祈ります。




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