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昨日、日比谷駅をおりたらホームレス中国人?が坐りこんでいてぞっとしました。帰りの地下鉄の中、3人連れの普通の英語に加え、ガタイのいい男性3人連れの広東語みたいな英語?or英語みたいな広東語?による会話が目の前で繰り広げられてぞっとしました。こわく感じてしまうんですね。岸田政権、石破政権、自民党、公明党、そして自民党の補完勢力である立憲民主党のせいですがもう来るなよって心の中で叫んでいました。日比谷シャンテの地下のちゃんぱんのお店のアルバイトの女性が中国人、高くないであろう時給で真面目に働いてくれている方にどうこうということは全くありません。むしろ感謝です。日本の国民健康保険制度、生活保護、出産一時点などを目当てに来日、観光にきて奈良公園の鹿さんたちに暴力行為、飲食店で素行の悪すぎる振る舞い、交通死亡事故などなど害悪でしかない外国人、特に世界一人口が多くておそろしい勢いで増えている中国人はこれ以上入れるなです。住まい近隣明らかに煙草の吸い殻とゴミが増えました。哀しすぎます。
先日松葉杖を使う女性に誰も席を譲ろうとしない光景をみたのは月曜日の夕方でした。かつての自分がそうであったように平日は勤め人も学生もギスギス、それだけ社会がおかしくなっているということだと思います。社会保険料も税金もさらにあがってきているし、さらにギスギスになっているということでしょう。自分もいつも疲れ果てていました。心が擦り切れていました。余裕がなさ過ぎました。必ずしも人に親切にできなかったことが多々あったこと、駅員さんとかに失礼な言い方をしてしまったことがあったことなどを深く反省する日々です。あの時は本当に申し訳ありませんでしたがいっぱいなんです。ほんとうは誰も席譲らないことを批判できる身ではありません。
昨日は土曜日、あまりの寒さに雨が降っていないので乾燥していて低体温症気味。半分壊れてしまっていました。部屋を出てバスに乗った時から、戻ってきて団地の一階のスーパーで買い物した時まで、多くの方に迷惑かけたり席、お手洗いを譲ってもらったりドアを開けてもらったり、劇場ではスタッフさんにエレベーターとお手洗いを案内してもらったりしながら、なんとか無事に往復することができました。自分が小さい子や小さい子を連れたお父さんお母さんに譲るうこともあります。狭い道路では路線バスに道を譲ることもあります。すみません、ありがとうございます、助かります、お世話様でした。持ちつ持たれつつのお互い様。足の痛みを自覚するようになってから親切に声をかけてくれたのに必ずしも素直にこたえられなかったこともあり自省しています。まあでも自分もそういう時もあるか。できるだけ素直に甘えてありがとうございますと言えるように自分もしようと思います。今回の日比谷往復にあたって助けてくださった方々、本当にありがとうございました。劇場の中はチケット代が安くないのでおかしな外国人いないし、優しい方が多いと思います。劇場の中はまだ守れています。『ニュージーズ』の時ハンカチ落としてしまったらすぐ近くの若い女性が拾ってくれました。みりおちゃんのファンイベントの時はチケット落としたらおばさんが拾ってくれました。花組『邪馬台国の風』の時は平日の業務で疲れ果て状態でチケットをトイレに置き忘れたのに気づいて戻ったらありました。買い物中に新幹線のチケット落としたら届けてられていたし、疲れ果ててJALスイカのクレジットカードを駅の改札やらバスの中やらで落としましたが届けてられていました。帝国劇場の地下のトイレにスマホの置き忘れがあった時は劇場スタッフさんに伝えました。こういう日本、おかしな外国人に荒らされたくありません。
『赤毛のアン』の原文の英語が美しいと思う気持ちにかわりありませんが、日本語の美しさを嚙みしめ直したいと思うこの頃です。戦後教育によって外国人コンプレックスを受けつけられすぎました。英語が話せないことは劣っていることであるかのように刷り込まれてきました。ヨーロッパとアメリカで生まれた思想ばかりを習ってきましたが、コロナ騒動以降西欧諸国が日本人よりも精神性が高いわけでもなんでもないのだとわかりました。
特攻隊員の若い方々の辞世の詩が美して気高い。靖国神社に眠る英霊たちは今の日本をどのような想いで天からご覧になっているでしょう。