先日、自死遺族の会に参加させていただきました。
本当にいろんな方がいらっしゃいます。事情は様々です。
お子さんに先立たれたお母様の話をきかせていただくと、どうしても私は母のことを思ってしまい、思う気持ちを話させていただきました。
私に今できることは一生懸命生きて行くこと、普通に生きて行くこと。ただそれだけです。
普通に生きて行く、簡単でだれにでもできる事のようですが、実はいちばんむずかしいことだと思います。
母や妹の分まで私が普通に生きて行く、そのためにも混乱をやり抜いていきます。
どうなるのかわからず不安ですが、きっと守っていてくれると信じます。
振り返ってみると国家試験合格の後も、さらに数年私のオーバーワーク状態は続いていました。週半ばを過ぎてくるとフラフラ状態、週末になるとへロヘロで心がささくれだってどうしようもなく苛立ち、動けなくなるぐらい疲労困憊状態。
コンタクトレンズをなくしてしまったり、何度も調整して買い直したり。
空調があまりよくなかったので極端に暑かったり寒かったりで体調がおかしかったりということもずいぶんありました。
その頃の誰にもわかってもらえない辛さ、ことばに言い表しようのない息苦しさがよみがえってくると自分自身で苦しくなります。
どうしようもなくなるとカウンセラーのY先生に電話して話をきいてもらっていました。世の中の状況が厳しかったので、自分からやめると絶対言っちゃだめよ、こうして電話してきてもいいからがんばらなきゃだめよ、と励まされ続けました。
試験に合格したからといって仕事を見つけられるだけの時間的な余裕もなく、生活がかかっているので、はりきれそうなほどにストレスを抱えてこわれそうになりながらも、ふんばり続けました。
こんな状況でしたが、土日に『赤毛のアン』を原書で読むセミナーや乳幼児精神保健学会のセミナーに行くこともありました。
休日に電車に乗って出かけること自体がきつかったですね。
でも行こうと決めたときは行きました。
さらには心のお休み時間を求めて、2008年9月に大手旅行会社のフランスの世界遺産を巡るツアーに参加、一度は封印してしまった『赤毛のアン』との再会を果たしたあとの2009年7月に初めて夏のプリンス・エドワード島への旅、2010年6月に春のプリンス・エドワード島への旅に出ました。
一生懸命に働いて働いて働いて、やっとこさプリンス・エドワード島の灯りが見えて来た時は、本当に嬉しかったです。私を優しく迎えてくれました。
はじめてプリンス・エドワード島を訪れた時のこの幸せ感を今も体がおぼえています。
旅日記があるので、もう少し先に載せて行こうと思います。
妹とのお別れから10カ月になろうとしている頃の私も本当にぎこちなくてみっともないですが、普通に暮らしていこうと必死でした。
「1995年6月11日(日)
梅雨の晴れ間の良い天気、昨日、今日とさわやかだ。
窓際に机をおいて、休日の夕暮れ時は、そこで過ごすのが最高のひとときだ。
日当たりがよくて見晴らしがきいて、ほんとに嬉しい。
ここ一カ月ほどは、毎週のように、芝居、ミュージカルをみていた。さすがに疲れて、
この2日間は休憩。
中でも『回転木馬』の台詞がひとつひとつとても心にしみてきて、よかった。
自分の中でかみしめているうちに、フィナーレになってしまったので、次回は、
もう少し、じっくり楽しめたらいいなと思う。8月も9月もいきたいな。
仕事は相変わらず、精神的になかなかキツイ。
自分の仕事のペースがおそいのか、時間がかかるものなのか不安だ。
がんばろうと思う。活字好きがやっとその分野の仕事に就いたのだし、逃したくない。
なんとかなるだろう、って気楽に考えてサ。
YクンにTELすると、つい本音が出て暗くなってしまう。いつもすまないと思う。」
本当にいろんな方がいらっしゃいます。事情は様々です。
お子さんに先立たれたお母様の話をきかせていただくと、どうしても私は母のことを思ってしまい、思う気持ちを話させていただきました。
私に今できることは一生懸命生きて行くこと、普通に生きて行くこと。ただそれだけです。
普通に生きて行く、簡単でだれにでもできる事のようですが、実はいちばんむずかしいことだと思います。
母や妹の分まで私が普通に生きて行く、そのためにも混乱をやり抜いていきます。
どうなるのかわからず不安ですが、きっと守っていてくれると信じます。
振り返ってみると国家試験合格の後も、さらに数年私のオーバーワーク状態は続いていました。週半ばを過ぎてくるとフラフラ状態、週末になるとへロヘロで心がささくれだってどうしようもなく苛立ち、動けなくなるぐらい疲労困憊状態。
コンタクトレンズをなくしてしまったり、何度も調整して買い直したり。
空調があまりよくなかったので極端に暑かったり寒かったりで体調がおかしかったりということもずいぶんありました。
その頃の誰にもわかってもらえない辛さ、ことばに言い表しようのない息苦しさがよみがえってくると自分自身で苦しくなります。
どうしようもなくなるとカウンセラーのY先生に電話して話をきいてもらっていました。世の中の状況が厳しかったので、自分からやめると絶対言っちゃだめよ、こうして電話してきてもいいからがんばらなきゃだめよ、と励まされ続けました。
試験に合格したからといって仕事を見つけられるだけの時間的な余裕もなく、生活がかかっているので、はりきれそうなほどにストレスを抱えてこわれそうになりながらも、ふんばり続けました。
こんな状況でしたが、土日に『赤毛のアン』を原書で読むセミナーや乳幼児精神保健学会のセミナーに行くこともありました。
休日に電車に乗って出かけること自体がきつかったですね。
でも行こうと決めたときは行きました。
さらには心のお休み時間を求めて、2008年9月に大手旅行会社のフランスの世界遺産を巡るツアーに参加、一度は封印してしまった『赤毛のアン』との再会を果たしたあとの2009年7月に初めて夏のプリンス・エドワード島への旅、2010年6月に春のプリンス・エドワード島への旅に出ました。
一生懸命に働いて働いて働いて、やっとこさプリンス・エドワード島の灯りが見えて来た時は、本当に嬉しかったです。私を優しく迎えてくれました。
はじめてプリンス・エドワード島を訪れた時のこの幸せ感を今も体がおぼえています。
旅日記があるので、もう少し先に載せて行こうと思います。
妹とのお別れから10カ月になろうとしている頃の私も本当にぎこちなくてみっともないですが、普通に暮らしていこうと必死でした。
「1995年6月11日(日)
梅雨の晴れ間の良い天気、昨日、今日とさわやかだ。
窓際に机をおいて、休日の夕暮れ時は、そこで過ごすのが最高のひとときだ。
日当たりがよくて見晴らしがきいて、ほんとに嬉しい。
ここ一カ月ほどは、毎週のように、芝居、ミュージカルをみていた。さすがに疲れて、
この2日間は休憩。
中でも『回転木馬』の台詞がひとつひとつとても心にしみてきて、よかった。
自分の中でかみしめているうちに、フィナーレになってしまったので、次回は、
もう少し、じっくり楽しめたらいいなと思う。8月も9月もいきたいな。
仕事は相変わらず、精神的になかなかキツイ。
自分の仕事のペースがおそいのか、時間がかかるものなのか不安だ。
がんばろうと思う。活字好きがやっとその分野の仕事に就いたのだし、逃したくない。
なんとかなるだろう、って気楽に考えてサ。
YクンにTELすると、つい本音が出て暗くなってしまう。いつもすまないと思う。」