たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

ミュージカル『回転木馬』第二幕_卒業式

2014年08月19日 08時37分47秒 | ミュージカル・舞台・映画
第二幕ストーリーのラストをプログラム(平成7年5月19日、東宝株式会社発行)より引用します。

「卒業式。校長の挨拶に続いて、来賓のドクター・セルドンの祝辞が始まった。
何故か、ドクター・セルドンはスター・キーパーによく似ている。
「君たちのことはよく知っている。みんな私が取り上げ、面倒を見た。だから、この先は私が面倒を見て良かったと思えるような大人になってもらいたい。しかし、確実に幸せになる道を教えることはできない。君たちは自分でそれを見つけるのだ。親の成功に寄りかかってはいけない。親の挫折にめげてはいけない。自分の二本の足でしっかりと歩んでいけばいい。」
ルイーズの耳もとで「よく聞いて、そのとおりなんだ」とビリーがそっと囁いた。するとルイーズは顔を上げ、その瞳は輝いた。
 
 そして、ジュリーの傍らに立ったビリーは、彼女に語りかける。「愛していたんだ、ジュリー。わかってくれ。おれは、おまえを愛していた」。生きている時には、決して言うことができなかったこの一言が伝えたかった。ジュリーはずっと信じていたビリーの心に触れ、瞳に明るさが戻る。そう、人生は決してひとりではない。天国の友がビリーを呼んでいる。時間がきたのだ。静かに去って行くふたり。」


ジュリーも娘のルイーズも、姿はみえなくてもビリーがいつもそばにいて見守っていてくれることをちゃんとわかっているんですね。希望のある幕切れになっています。
 

プログラムによると、原作はハンガリーの劇作家で小説家でもあるフェレンツ・モルナールの戯曲『リリオム』。前半が台詞を含めて原作にかなり忠実ですが、後半と幕切れが違っているそうです。
また引用します。
「原作ではリリオム(ミュージカルではビリー)は、天国の判事に、自分は罪を悔いないと言いはり、煉獄で懲役16年の判決をうける。

 そして服役後、罪のつぐないをするために、天国の巡査二人につきそわれ、一日だけ地上にもどされる。リリオムは乞食に身をやつし、盗んだ星をもって娘を訪れるが、すげなく追いかえされる。怒った彼は、娘に平手打ちをくらわし、とぼとぼと去って行くーというのが『リリオム』の結末である。おそらく彼は、天国の門はくぐれまい。

 ロジャースとハマースタインは、これではミュージカルとして、あまりにも暗すぎると考えた。そこで<天国の判事>を<星の番人>に、<天国の巡査>を<天国の友>に変え、卒業式の場面を加え、医師のセルドン先生に「信念と勇気をもって自分の二本の足で人生を歩いてゆけ」と語らせ、「人生ひとりではない」の歌で幕にした。こういう明るい人間観や人生観は、彼らのその後の作品『南太平洋』『王様と私』『サウンド・オブ・ミュージック』にも一貫して流れている。」


自分の二本の足でしっかりと歩いていけばいい、人生ひとりではない-20年前の私は心のエネルギーをもらって、なんとか人生を立て直し、自分の足で歩いていこうと必死にもがいていました。今また新たな生き直しの局面を迎えています。まだ終わりがわからないので、緊張は続いており、不安先走りですが、こうして過去の自分を振り返って区切りをつけていくことで、少しずつあたらな一歩へと踏み出していければと思います。
今色々なものと少しずつお別れをしていますが、大きなプログラムとお別れてしていくのは、ちょっと大変そうです。


20年が過ぎて、ジュリーを演じた涼風真世さん、ビリーを演じた石川禅さんが『レディ・ベス』で、スケールの大きな舞台をしっかりと支えていたのは感慨深いものがありました。

ミュージカル『回転木馬』第二幕

2014年08月17日 22時49分47秒 | ミュージカル・舞台・映画
8月4日に続いてストーリーを辿りながら、この舞台を観ていた時の自分ともう一度出会って行こうと思います。

第二幕ストーリー(平成7年5月19日、東宝株式会社発行のプログラムより引用します。)

「入江の向こうの小さな島。皆、美味しい食事を済ませ、そこにはのんびりとした雰囲気が漂っている。

 クラムベイクが始まり、素晴らしいひとときを満喫、気分も最高に盛り上がっている。宝探しがスタート、皆が、四方八方に散っていく。そこへ残ったジガーはちょうど居合わせたキャリーにちょうっかいを出す。ふざけているふたりの前にスノウが・・・。キャリーとの夢が砕けていくスノウ。ジュリーが間に入って、ふたりは仲直り。皆が宝探しに夢中になっている合い間にジガーとビリーは密かに島を出ようとする。止めるジュリーを振り切って、ビリーは行ってしまう。

 バスコム氏を待ち伏せしているビリーとジガー。なかなか現われず、苛立ちを隠せないふたりだ。そこへ、バスコム氏登場。ビリーが時間を尋ねることで気を引き、そのスキにジガーがナイフで刺す手筈だったが、ビリーは警官に追い詰められ、ジュリーの名を呼びながら自らの胸にナイフを刺す。そこへジュリーが駆け付け、ビリーの手を握る。腕のなかで息を引き取ったビリーに、これまで言えなかった言葉、「愛している」と語りかけるジュリー。ネティは、やがて生まれてくる子供のために強く生きるように、優しく、温かくジュリーを励ます。
 
 気が付いたビリーは、地上から遠く離れたスター・キーパー(星の番人)の元にいた。

 すでに、地上では15年が過ぎていた。ビリーは、スター・キーパーからひとつの「権利」があることを知らされていた。それは、この世のやり残したことがあったら、たった一日だけ地上に還ることを許されるというもの。そして、そこで善行を行えば、天国へ行ける、と。だが、相変わらず短気のビリーは素直になれない。でも、愛するジュリーと子供が幸せに暮らしているか、気になるばかりだ。「見たらどうだ?」というスター・キーパーに「どうしたら見ることができるのか?」と聞くビリー。じっと見ていれば待っていれば、見る力は出てくるのだ。

 幻想のように、ルイーズはフェアグランド・ボーイとパ・ド・ドゥを踊る。それはまるで若き日のビリーとジュリーのように見える。

 美しく成長したルイーズさが、楽しそうに遊ぶ子供たちの輪の中に入れてもらえない。でも勝気なルイーズ。ビリーによく似ている。幸せではない姿を見てしまったビリーは、天国の友の案内で地上に戻った。こっそり星をひとつ持って・・・。

 ジュリーの家には、お金持ちになったスノウとキャリーが8人の子供を連れて遊びに来ていた。あの頃と変わらず美しいジュリーがそこにいた。スノウ一家は、ルイーズに思いを寄せる息子イノック・ジュニアを残して帰って行くが、ふたりはビリーの過去のことが原因で喧嘩をしてしまう。ジュニアを追い払ったルイーズの前に、ビリーが姿を現す。「君の父親の友人」と偽って話、星をプレゼントしようとすると、恐がって受け取ろうとしない。強引なビリーは思わず娘の手を叩いてしまう。家の中に逃げたルイーズの代わりにジュリーが出て来るが、ビリーは消えている。「でも、ちっとも痛くなかった・・・」と、手を叩いた男の話をするルイーズ。それが誰なのか、ジュリーにはわかった。なぜなら、ジュリーも同じ経験をしたことがあるから。椅子の上に置いてある星をみつけて、その手に取り胸に抱く。」

 ルイーズにまだ何もしてやれないビリーは天国の友に頼み、時間を延ばしてもうらうことに。翌日の卒業式を見にいくためだ。」

不器用にしか生きられなかったビリー。このポーチのシーンに、自分の身に起こったことを重ね合わせて泣きながら観ていたことを思い出しました。こうしてあらためて辿ってみると、救いのあるストーリィ展開になっていることに気がつきました。今の私でもう一度機会があれば観てみたいです。

ラストの卒業式のシーンは次回にします。

B4サイズの大きなプログラム。舞台写真やキャストの紹介を繰り返しみていました。


思いはつきることなく・・・

2014年08月15日 22時08分16秒 | 祈り
朝方はいくぶん涼しくなりましたが、昼間と夜はかなりむし暑いですね。
風の音に落ち着かないものを感じながら毎日を過ごしていますが、今日は
自死遺族の会にまた参加させていただきました。

同じ立場になる方がいなくなることはないんだという現実にあらためて驚きつつ、
自分の経験を話させていただきました。
それぞれの方のお話を聞かせていただいていると、いろんな思いがどうしてもあふれてきてしまって、今日も話しているうちに何を自分で言っているのかわからなくなってしまいました。
うまくまとめて話すことができないのですが、それでいいんだろうと思います。

お別れから、もうすぐ21年間が過ぎようとしています。
あらためて自分の中で本当におもい年月を過ごしてきたんだなと思います。
どうして妹が先に逝ってしまって、私が今こうしているのか、その答えがどこかにあると思って探し続けてきたけれど、その答えはどこにもなかった、そのままで生きていくしかないんですね。このままの私で生きていくしかないんですね。

たくさんの糸が複雑に絡み合った現実の中を生きていくのは本当にむずかしい。
これからもやっていけるのか、すごく不安になったりする瞬間もありますが、なんとかやっていくしかありません。
苦しい現実はたくさんある。目をそむけたくなるような現実はたくさんある。
善悪で単純には語れないむずかしい現実がたくさんある。
一昨日『ミス・サイゴン』を観て、プログラムを読んだ後も役者さんたちは、現実に生きてきた名もない人たちの魂を全身全霊で体現されているんだなと思ったら、いろいろと考えさせられました。

あふれてきた思いを今ひとつひとつ言葉にしていくことは無理なので、引き続き少しずついろいろと書いていければと思います。


深い深い話になったあとのお昼は一カ月ぶりにすこし贅沢なパスタランチ。
すごく疲れているので、ボリュームたっぷりでお腹いっぱいになったあとは、ゆっくりとお茶をいただきながら、舞台写真集の頁をめくりつつ、現実の世界へと戻っていきました。
直後は頭のなかでいろんなことが駆け巡っているので、お休みの時間は本当に大切です。


帰りについでなので、なつかしのアニメが紹介されている展示に行ってきました。

「フランダースの犬」、「あらいぐまラスカル」、「母をたずねて三千里」、
「トム・ソーヤの冒険」・・・。

絵が美しくていいものをみていたんだなあとあらためて思いました。
子どもの頃にみたものって、体がちゃんとおぼえているんですね。


写真は「赤毛のアン」のアニメから。
実際に番組で使われたセル画だそうです。
美しいですね。
他の作品の写真はまた後日。













自作童話『コスモスゆれて』(5)

2014年08月14日 22時43分31秒 | 自作童話
 やがて、家の灯りがみえ始めたとき、マサオは、ほっと安どの吐息をついた。やっとついたのだ。だが、どこにも灯りはついていない。ああ、やっぱりぼくは捨てられた子なんだ。マサオは、がっかりした。やっぱり家に入るのはよそう。どろんこのすがたを父さんや母さんにみられるなんていやだ。きっとどんなにかはずかしいだろう。

 だが、マサオの小さな頭は、それ以上のことを考えるには、あまりにつかれていた。マサオは、よろよろとげんかんの前に坐りこむと、そのまま深いねむりに入った。

 目をさますと、ラヴェンダーのとてもいい香りがする。母さんのにおいだ。マサオは目をあけた。ぼくはあったかいふとんの上にねている。マサオは昨夜のことをすっかり思い出した。そうか、きっと母さんがぼくを見つけてねかせてくれたんだ。その時、母さんが戸をあけて入ってきた。

「母さん・・・」
 マサオは、しゃにむに母さんのうでにしがみついた。母さんは、だまってマサオを抱きしめた。マサオは、しばらくのあいだしゃくりあげていた。それから、
「ごめんね、母さん」
といいながら、もう一度母さんにしがみついた。
「もうなにもいわなくてもいいわ、お兄ちゃんがそんなに泣いたりしたら、赤ちゃんがびっくりするわよ」
 
 母さんの布団の横では、ちひろが気持ちよさそうにすやすやと眠っていた。マサオは、母さんの腕からはなれると、ちひろのまるまると太った小さな手にそっとさわった。
「ごめんね、ちひろ」

 
**********************

つたないお話はこれで終わりです。

一応市の文芸祭の入選作品でした。
主人公が男の子なのにどことなく女の子くさいのは作者自身の投影かと評された記憶があります。

読んでくださり、ありがとうございました。


ずっと先に自費出版した童話集から載せてしまうかもしれません。


コスモスの写真は、インターネットからダウンロードしました。


『ミス・サイゴン』(1)

2014年08月13日 23時04分16秒 | ミュージカル・舞台・映画
夜の部、観劇しました。

一幕の終盤、難民となってタムを抱きエンジニアと共に国境を越えようとするキム、
昆夏美さんキムの「命をあげよう」を聴きながら、涙が流れていました。
本田美奈子さんを思い出したり、徒然にいろいろな思いが心の中をめぐりました。
ミュージカル女優さんらしく、キムの人生を生き切られていたと思います。
終演後に昆さんによる観客のお見送りイベントがありました。
間近で拝見すると、小柄でかなり可愛い方でした。


市村正親さんの降板で、急きょエンジニアを務めることになった筧利夫さん。
稽古はたったの2日間だったそうですが、したたかに生きる、ちんぴらないやらしい感じがよく出ていて、筧さんワールドになっていたと思います。
夢の遊民社以来、何年ぶりに拝見したでしょうか。


ドラゴンダンサーやアメリカン・ドリームの群舞の場面、レミゼの時にも思いましたが、
アンサンブルの方々のレベルが本当に高くて、この舞台に立つということは、すごく
ハードルの高いことですね。


キムがタムを守るために自らの命をかけて舞台は幕を降ろします。
なんともやり切れない感が残ります。
争いは誰も幸せにしない、せつなく悲しいばかりです。
眼をそむけちゃいけない現実はたくさんあります。
為政者の方々が心で感じてくれたらいいのにと思わずにはいられません。


中途半端ですが、今日はここまで。
7月にも一度観劇しているので、また後日あらためて書ければと思います。
『レディ・ベス』のこともまだ書けていない、と勝手に焦っています。



写真は、帝国劇場前、市村さんエンジニアがアメリカン・ドリームを歌う場面です。













切なくてきりないですが・・・

2014年08月13日 10時33分46秒 | 祈り
台風11号が通過した後少し涼しくなりました。
今年はこのまま秋が早く訪れるのでしょうか。
なんだか天気がおかしくて落ち着きません。
手帳をみると、8月7日が立秋。
お盆で夏休み中の方を平日たくさんお見かけします。コミュニティハウスも夏休み中。
私自身は去年までずっと長い間、お盆休みのない職場で働き続けてきたのでとても
ヘンな居心地のまま過ごし続けています。
国家試験を受験した年は、有給休暇を使い果たしてしまっていたので、休むとお給料が減ってしまうため、疲れ果てた体に鞭打ってひたすらカレンダー通りに出勤していました。
学生さんたちが夏休みで観光バスに乗って出かける光景を横目で見ながら、駅までの道のりを必死に毎朝通ったことをこの時期は思い出します。

古いノートをまた整理していて高校生の頃の自分に出会いました。
今さら過去を振り返ってもどうしようもありませんが、過去の自分と出会うのは疲れますが、
前に進んでいくために少しだけ・・・。


高校生の私は、高野悦子さんの日記を本にまとめた『二十歳の原点』に出会ってから、バイブルのように繰り返し繰り返し読んで、ハードカバーのあとで、文庫本も購入して、高野さんの写真を切り抜き、手帳にはさんでいつも持ち歩いていました。
『二十歳の原点ノート』『二十歳の原点序章』も読みました。
母には、高野さんの本を繰り返し読んでいることをたびたび叱られました。


古いノートを読み返すと、こんなことを感じている私がいました。

自分が平凡なありふれた家庭に育ってきたことへの嫌悪感。
これまで正しいと人から教えられて来たことが必ずしも正しくはないこと。
全て自分の目で見て確かめ判断しなければならないこと。
両親のもとでぬくぬくと甘えている自分が許せなくなってきたこと。
中学生の頃はやたらと暗いと言われ続けて、高校生になると明るくならなくちゃとがんばった、でも消極的であることに変わりはなく人に自分から話しかけることはできなかった。
話しかけられればよくおしゃべりした。
ただ人が右と言えば自分は左だと思っていても、YESだといってしまような、流されてしまうところが自分で許せなくなっていた。
母に対して生まれた嫌悪感、こんな自分は嫌だと思うところが母とそっくりで母が嫌でたまらなくなっていた。

こんな思春期を、本ばかり読んで過ごしていました。

自分から人に積極的に話しかけることが苦手なのは、今でも変わらないと言えばかわらないのかもしれません。
平凡であることがいちばんむずかしく、普通の生活を営めることがかけがえのないものであることを高校生の私が知るはずなどありませんでした。
両親に守られていたのだから当然といえば当然かもしれません。

今となってはただ全てが切なくてたまらないです。

そういえば、今はがりがりですが10代の頃はぽっちゃり、まるまると太っていました。
スポーツが苦手で体育の成績はいつも悪かった。いつも劣等感をもっていました。
そんな自分を好きになることができませんでした。

そういえば、高校を卒業して銀行に就職した18歳の夏、まだ高校生だった妹と、中学生だった弟と三人で清里に二泊三日だったと思いますが、小旅行に出かけました。
言いだしっぺはわたしだったでしょうか。小海線に乗って、ユースホステルに泊まりました。
妹が部屋に入る度に几帳面にドアをノックしていたことを思い出します。
三人でいった一回きりの小旅行、今となっては大切な思い出の一頁、その数年後にのたうちまわるような苦しみの日が訪れようなど想像できようはずもありませんでした。


20年前の今ごろの私は、小さな編集プロダクションに間違って採用されてしまい、かなり情けない状況でした。でも今考えると本当にかなりきつい頃でそうやって動けただけでもすごいことだったと今は思います。
ソフトコンタクトレンズを着けた眼がからからにかわいてはりついてしまい、無理にはがしたら眼がほとんど見えなくなってしまった、そんな情けない頃のわたしです。大家さんに付き添ってもらって眼科に行った記憶があります。

「1995年7月22日(土)

今週は、火曜日からずっと仕事を休んでしまった。コンタクトによる眼の炎症が原因である。まだ、ちょっとぼんやりしているが、ようやく落ち着いてきた。なんにもみえなくて、不自由な思いをして疲れてしまった。しかし、神経がそこに集中していたので、ふだん考えていることを考えることがなくてよかった。よほど、疲れていたのか、眠っても眠っても横になると眠ってしまった。仕事を続けられる自信はないし、どうしようという思いがまた頭をよぎっている。書きたいことがあるだろうに、書けない。
またぼんやりと眠いまま今日も一日が過ぎた。
そろそろ、(大学の通信教育の)レポートの一本も書きたいけど、仕事には慣れなくて、神経ばかり疲れてたし、医者通いが続いたりで、なかなか思うようにいかない。
とにかく疲れやすくなった。
明るく、のんびりと乗り切りたいけどね。
早く梅雨が明けて、普通の夏よやって来い。
そろそろ、カウンセリングルームにいく必要がありそうだ。Mちゃんのことを考えた時の、
両親への複雑な思い。
わたし自身はなんぞや。
自分の中でどうしていいかわからなくて、どうしようもないものがある。
人にいえない分、つらいものがある。
親は関係ない。自分だけをみつめて、マイナス的な考えはぬぐい去って、前に進むことだけ考えよう。己との戦いは続いている。」


ひょんなつながりから知り合った事件遺族の方がこのブログを読んで、自分のことを正直に書いているのでとても励まされるとおっしゃってくださいました。同じような立場の方は励まされるのでは、とおっしゃってくださいました。
ささやかですが、これからも少しずつ色々と書いていこうと思います。

落ち着いたら10年前に書いた卒業論文も載せていきたいと思います。
よろしかったら引き続き訪問してください。




秋のプリンス・エドワード島への旅_キャベンディッシュ・ビーチのサンセット(14)

2014年08月11日 22時20分29秒 | プリンスエドワード島への旅
橙色の残照に気持ちを残しつつ、シャーロットタウンへと戻りました。

帰り道も陽気なドライバーのRさんのおしゃべりは続きました。
ロブスターのお店に誘ってくれましたが、ボリュームを考えてひるんでしまいました。

半分ぐらいは聴きとれたかな・・・。
楽しいサンセットドライブでした。




自作童話『コスモスゆれて』(4)

2014年08月10日 15時43分10秒 | 自作童話
 マサオは思わず身震いした。あの白いものがぼくを追いかけてくる。おそろしさのあまり、マサオは手にもっていた棒切れをおとし、一目散にもと来た道を走った。

細い道を出ると思いきってうしろを振り返ってみた。だれも追いかけてはこない。マサオはほっとため息をついた。ひたいにはあぶら汗がにじみ、手はべっとりしている。くしゅん、大きなくしゃみをする。手足がぶるぶるふるえているのがわかった。なんだか急に寒くなってきた。

母さんは今頃どうしているだろうか。みんなもう眠ってしまったにちがいない。今は何時だろう。家を飛び出してからどれくらいたったろうか。すっかり時間がわからなくなってしまった。いつの間にか剣はなくなっており、右のてのひらの中では、パンダのチョコレートが粉々になっていた。それを少しずつ口にはこんだ。

空を見上げると、雲の絶え間より月の光がもれ出ている。なんて素晴らしいお月さんなんだろう。あの白くみえるのはうさぎだろうか、きっと仲良くおもちをついて食べてるにちがいない。ぼくのお団子はどうしたろうか。ちゃんと戸棚に入れてしまってあるだろうか。

マサオは思わずしゃくりあげた。ラヴェンダーの香りのする母さんの腕の中が恋しくてたまらなくなった。マサオは母さんがお化粧しているところをながめるのが大好きだった。長く垂れたしなやかな髪の毛をなで上げ髪に結い、うっすらと口紅をつける。マサオは、母さんのすてきな唇に余分なものをつけないほうがいいと思った。しかし、余分なものも、やっぱりきれいな色をしているから、つけたほうがよけい素敵にみえるのだろう。そして、母さんはラヴェンダーの香りのする香水をかける。まるで、コスモスの女王みたいだ。そうだ、母さんは女王さまのようにいげんがあってやさしい。ぼくのことをなんでもわかってくれる。お誕生日に、真珠の首飾りをあげたときもとても喜んでくれた。それが、にせものだってわかっても、やっぱり「ありがとう」といってくれた。

マサオは、家に向かってとぼとぼと歩きはじめた。
家々の灯りは、ほとんど消えていた。わずかに、二階の窓からカーテンを通して灯りのもれてくる所があった。受験勉強というのをしているのだろう。

突然、びちゃんと水がはねあがって、マサオの顔にかかった。きのうの雨でできた水たまりに足を踏み入れてしまったのだ。マサオはシャツのそでで顔についた泥水をぬぐった。なんだか体じゅうじめじめしていて気持ちが悪い。のどがかわいてきた。さっき食べたチョコレートの甘みがまだ口の中に残っている。つばを飲みこむと、チョコレートの甘いのとまじありあって、よけいに気持ちが悪くなった。

今夜の風は、少しもマサオにやさしくしてはくれない。それどころか、ピシャリピシャリとマサオのほおをうちつける。今やマサオは寒さのためにすっかりうちひしがれ、こわさも怒りもすっかり忘れてしまっていた。足がだるい。早く家につけばいいのに。月がまたもや雲にかくれて見えなくなった。どうしてお月さんは、あんなにのろのろと動くのだろう。早くぼくに姿を見せてよ。だが、今夜の月はとくべつゆっくり動いている。


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高校三年生の夏に書いたお話の続き。こうして書くにはあまりにも稚拙で恥ずかしいようなものでしたが、ここまで書いてしまいました。
あと一回で終わります。





少しせつなく・・・

2014年08月09日 10時29分12秒 | 祈り
母が手術をしたのは、私が中学三年生の時でした。
私は友人にあてた日記にこんなことを書いています。

「お母さんがとうとう手術をすることになった。5月31日に入院して、6月1日に。
もう考えるとなんとなくこわい感じがして落ち着かない。
でもお母さんを信じていなくちゃね。」

「今日ね、お母さんの入院している県病院へ行ってきたの。
色々新しいことがわかった。
保育器を見てきたし、その病院のしくみっていったらおかしいけれど、食事はどのようにしているかとかがわかった。
部屋も少し見てきたの。あまりジロジロ見てるのも失礼だから。
やっぱり病院での生活って不便なもの。
お母さん、ますますやせてしまったみたい。
食事をとらないんだから無理もないことだけれど、まだ少しおなかが痛いみたいだった。
早く元気になってほしいなあと思う。」

今となってはただ切ないばかりです。
母が病院のベッドで横になっている姿。
父が食事の支度などをしてくれていた姿。

幸せだった家族の時間は大切な思い出。
こんな時間があったから、私は今自分の足で立って歩くことができています。


ブログを読んでくださり、ありがとうございます。
一人ぼっちじゃないんだなと励みになります。


まだまだきついですが・・・

2014年08月08日 22時21分00秒 | 日記
むし暑い毎日が続いています。ここ数日は朝方少しばかり涼しい感じでしょうか。

混乱の終わり方は見えてきてはいるけれど、終わりは見えてきません。
次のことを考えていこうと気持ちの切り替えができてはきましたが、
まだまだ苦しい状況は続きます。
結果的に私はかなり困難な道を選んでしまったということになります。。
ここまでくるとは考えていませんでした。
ここまでエネルギーを消耗してしまうことだとは考えていませんでした。
気がついたらここまできていました。
この数カ月で気持ちがどんどん変化しています。
自分の気持ちと向き合うことは本当にきついですね。


最近、週に2回はコミュニティハウスで過ごし、週に1回はボランティアグループに顔を出すことで、色々な人と話をし、新たな出会いもあり、負のスパイラルに入っていきそうになるところを救われています。社会から孤立しがちな状況になるところを救われています。


4月の上旬、大きな最初の山場を前にして始めてコミュニティハウスを顔を出しました。
忙しく働いている間は存在は知っていても行くことはできなかった場所です。
そこで緊張のあまり顔をひきつらせて一言も喋らず、お茶を飲みながらただソファに坐っているだけの私に、スタッフの女性が優しく声をかけてくれました。
少しずつ事情を話すと、背中をさすりながらゆっくりと呼吸することを一緒にやってくれました。そうしているうちに涙が自然と出てきてしまいました。
そこで泣くことができたことは、今振り返ってみると本当に大切なことでした。
極度の緊張感から解き放たれて安心して泣くことができたので、その後緊張を強いられる場で言うべきことをちゃんと言うことができました。


平日は忙しく働いているにもかかわらずメールを送れば返信をくれたり、相談に乗ってくれたりする友人、電話で話をきいてくださるカウンセラーのY先生・・・たくさんの人に救われ、地縁としかいいようのないタイミングで人との出会いがあり、教えられ励まされ、ここまでくることがでできました。
最終的にはそれほどのことにはならないと思いますが、声を上げることが大切。


今まで先送りにしてきた自分の気持ちと向き合わなければならない状況になったことに
むしろ感謝すべきなのかもしれません。
ここまできたらやり抜いていこうと思います。家賃があるので不安先走りできついですが、
自分の気持ちと向き合いながら少しずつ、少しずつ・・・。
きっと私は大丈夫・・・。

これまで人からいただいたものを還元していきたいという思いを心のすみっこにもちつつ、
家族が空から見守ってくれていると信じつづけていきます。