たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

三好春樹『関係障害論』より‐人間の目が光る?

2024年07月20日 08時00分25秒 | 本あれこれ

三好春樹『関係障害論』より‐「アヴェロンの野生児」を読んでみる

「もっと最近のお話もあります。これは、よく知られていると思います。

 同じく福村出版から出ていますが、『狼に育てられた子』という本です。植民地時代のインドで、怪物が現れるという噂が地元の人たちの間にあって、イギリスの宣教師で、孤児院をやっていた人が見にいきます。狼の穴から化け物が一気に2匹出てくるのです。よく見ると、人間らしいということで、捕獲をいます。そして、自分の孤児院で育てるための受け入れの準備をしてくるから、それまで見ていてくれと、地元の人に頼んで帰っていきます。地元の人はこれは悪魔だと気持ち悪がって水も与えなかったものですから、彼が迎えにきたときは死にそうになっていました。彼はそれをもう一回元気にしまして、育て始めます。いわば、教育を始めるわけです。

 好奇の目にさらされるのはかわいそうだということで、誰にも明らかにしないで、自分たちだけで教育を始めるわけですが、夜になると2人で外へ出ていって、狼のように遠吠えをします。人間では考えられない感覚がいっぱい出てきます。おそらく姉妹だったろうということですが、1人が1年足らずでなくなり、もう1人は発見後9年目に尿毒症で亡くなっています。

 亡くなった後、記録を発表します。写真もたくさんあり、本にも載っています。ところが、専門家はみんなこれはでっちあげだと信用しませんでした。なぜかというと、記録の中に「夜になると四つの目が光った」という記載があったのです。動物の網膜というのは、わずかな光に反応して、光を返す物質が生成されているのですが、人間の網膜にはそういうものは一切ありません。ですから、目が光るということは、人間には考えられないことだったのです。

 そのうち、この記録が嘘ではないということが明らかになってきます。というのは、ある生物学者が、昆虫採集のために森の中を歩いていたのですが、そこを他の学者に銃で撃たれる、という事件が起こりました。どうして撃ったのかというと、「暗闇の中で目が光ったから動物だと思った」と言うのです。そんな馬鹿なとうことで調べてみたら、この昆虫学者の網膜には、動物と同じ物質がちゃんとあったのです。この人は暗い森の中をずっと歩いていたものですから、そういう物質ができてきたらしいのです。それ以降、洞窟に住んでいる人の中から同じような現象が出てくるようになりまして、人間というのは、本来体の中で分泌されない物質を環境に適応するために作り出すらしい、ということがわかってきたのです。本来は存在しない化学物質さえ環境に合わせて作るのですから、感覚を忘れることくらいは、老人だってやるでしょう。

 これはどういうことなのでしょうか。感覚として感じていないわけではないのです。感覚器官があって、尿意はちゃんと神経を伝わって脳に達しているはずです。途中で切断されているわけでも何でもない。だけどそれを感じないというのはなぜかというと、これは一種の「認知障害」だとしか思えないです。左マヒ特有の「失認」という症状があります。見ているけど見えていない、聞いているけど聞いていない、という不思議な症状です。

 なぜこういう症状が起きるのかというと、物を見るという視覚中枢のもう1つ上のレベルに、資格認知中枢というのがあって、ここで見ているということを意識してはじめて人間は見ることができる、といわれています。この認知中枢が血管障害によって障害されているときに、失認という症状が出るのですが、この場合には認知中枢がやられているわけではなくて、心理的に認知をしないわけですから、認知拒否です。要するに、器質的な障害はないのに失認と同じ症状が出ているということで、私は『老人の生活リハビリ』という本の中で、オムツによって感覚がなくなるということを、「仮性失認」と名づけています。認知拒否という症状を、理論的に考えてみるとそうなると思います。」

(三好春樹『関係障害論』1997年4月7日初版第1刷発行、2001年5月1日初版第6刷発行、㈱雲母書房、44-47頁より)

 

 

 

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