たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

この街とお別れ(2)

2018年11月21日 12時30分08秒 | 日記
 昨日、長距離のバス移動を経て、実家に帰り着きました。長かったあ。高速バスのバスターミナルで乗車するとき、成田空港行きのバスを尻目に乗車しました。いつかまたこの世にいる間に必ず成田空港からプリンス・エドワード島に飛び立つことを心に誓いました。今は無理。体制を立て直してまた貯金できた暁には必ず。

 高速バスが到着してからターミナル駅で電車に乗るとき、帰宅ラッシュとぶつかってしまい、久しぶりなのでホームのどこで待っていればいいのかわかんなくって、おまけに老眼加速中に見えない、見えない。荷物を持ってウロウロしてしまいました。なかなか電車に乗れませんでした。まあそれでも都心ほどの人はいないのでだんだん空いてくるんですね。都心はどこにいっても人、人、人でした。都市ではありますが関東の都心よりも落ち着いています。一昨日までちっそくしそうな部屋に暮らして苦しんでいたのが嘘のように、昨夜は8畳の部屋の真ん中に布団を広げてゆるりと眠りました。父、母、妹の遺影に見守られながら眠りました。ワンルームは狭すぎました。8畳分と同じぐらいのスペースに荷物がひしめき合って、隣やご近所のヘンな音は丸聞こえでした。日比谷は遠のきましたがそういう苦労はもうありません。実家、駅から遠いので不便ですけどね。不安も色々ありますが、どこに暮らしていてもどうにかこうにか生き延びていければいいわけで考えすぎても仕方ないです。眠剤を何度も飲んで体がおかしいので、足腰痛いので休みつつ少しずつやっていこうと思います。今日はこれから役所と今一番の懸案事項、ストレスのもとをなんとかするために出かけます。このままでは言えない、怒られちゃいます。でも自分ではどうすることもできないのでがんばるしかないです。明日の夕方荷物到着、ガラクタばっかり。少しずつ整理していかねば、遺品整理も少しずつやりたい。色々なこと、少しずつ、少しずつ・・・。

2年前の街の風景。
働きながら、次の4カ月のアルバイトの仕事が決まり健康診断を受けにいったときのもの。
すっかり忘れていました。

















富士山は雲がかかっていました。
こんな富士山もまた美しいと思いました。






2018年秋_ちひろ美術館に行ってきました(4)

2018年11月20日 10時06分12秒 | いわさきちひろさん
 昨夜はサワーを飲んで3時間ほどぐっすり眠れましたがお手洗いで目が覚めたあとは隣のベッドスペースの方のいびきがすごくってなんとかウトウトしてからの火曜日の朝、バス待ちのすき間時間の投稿。

ちひろさんが使っていたパレット、インク、筆など。
鉛筆が印象的でした。



ちひろさんのアトリエ。あっちからこっちからと何枚も撮ってしまいました。





ちひろさんの写真が展示されていました。


大家族での生活がちひろさんの命を削ってしまったのかなと思うとちょっとつらかった。



背中は息子の猛さん。



わたしがいちばん好きなちひろさんの写真。少女のようにかわいらしい。



男の子の絵を描くとき、気がつけば息子の猛さんを描いていたというちひろさん。
赤ちゃんだった猛さんと別れて暮らさなければならなかった日々は、ちひろさんの猛さんへの愛おしさをより深いものにしたようです。

猛さんは友達に、お前が小さい頃あんなに可愛かったとは思えない、と言われたというエピソードを本の中で書かれています。





まだあるので明日以降アップできればと思います。
これから郷里近郊に向けてバスの長距離移動。大丈夫かな。休めるかな。

浪漫活劇『るろうに剣心』_楽しかったでござる(3)

2018年11月19日 23時48分54秒 | ミュージカル・舞台・映画
『るろうに剣心』、大阪公演も大盛り上がりで早くも折り返し。行きたいなあ。初日のカーテンコールに登場された小池先生、川口君の個人情報漏洩?でちぎさんにつっこまれたとか、稽古場にすっぴんで現れたちぎさんが男性にしかみえなかったとの発言があったとか。二日目にはマチネ?では松岡さんが木にひっかかったのが時間かかって一回目のカーテンコールに間に合わないというハプニングがあったとか、舞台は生ものですね。

 宝塚を知らず、剣心を演じているのが女性だとは知らないで観ている方もいらっしゃるようで、それぐらい早霧さん剣心は男性陣の中でも、男性陣を相手にした殺陣でも違和感がなかった。ライブビューイングで拝見した『幕末太陽傳』ですごい運動神経の方なんだと感心しましたが、剣心役はそれが存分に生かされていますね。幕末血風録の場面、早霧さん、セットの上から下へひょいっと身軽に下りてばっさばっさと新選組を斬り倒していくの。それぞれ高い身体能力を持ったばかりの方々とはいえ、受ける側の男性アンサンブルさんたちとのタイミングが少しでもずれたら怪我につながりかけない殺陣の連続。稽古場でここまで作り上げていくの大変だったと思いますが、それを感じさせず余裕をもってやっているようにみえるところがさすがです。ほっそいほっそい早霧さんが体格のいい男性を相手にしていると折れてしまうんじゃないかと少し心配しながらも、刀さばきの美しさに見惚れていました。たぶん、早霧さん、トップスターというプレッシャーと男役はこうあらればという型から解放されて、より自由に、精神的に楽に剣心を生きていらっしゃる。だから男性相手の殺陣でも無理がないのかなと感じました。

 幕開けはこの構図、幕にこの剣心の影が現れて十文字が描かれていくところから始まります。なんか始まるぞってわくわく感いっぱいになるオープニングでした。

 この歌詞もなかなか好き。宝塚版のプログラムをみると歌詞が少し違うようです。


「不殺(ころさず)の誓い

頬の傷だけが 知っている
不殺の誓い 立てた理由
最初の傷は 京の小道
月が満ちた 夜だった

その後出会った 運命の人
巴は清里の許嫁
復讐の炎に燃える女
俺の命狙い 近づいてきた
知らずに俺は巴を愛し
二人結ばれた

女の愛がこの頬に
二つ目の刻印を刻み込む

愛する人を亡くした時
誓いを立てた
いつか 戦が終わって
新しい夜が明けたら
二度とは人に
刃を抜けないと


敵と切り結んだ
奪った命は 戻りはしない
生き残った者には
義務(つとめ)がある

剣の力に頼らずに 造る
誰もが睦あえる国
他人(ひと)を愛(いつく)しむ心に満ちた
憎しみの思いが 消えた国

この刀は
不殺の誓いの証
この傷は
不殺の誓いの印」

 早霧さん剣心が過去を語るこの場面。人斬り抜刀斎の松岡広大さんの殺陣のスピード感と切れのよさがすごかったのですが、ちゃんと心があった。早霧さんと背丈が同じぐらいの印象で剣心と抜刀斎の表裏一体感がよくでていたと思います。剣心をかばって命を落とした雪代巴さんがすごく可愛かった。どなたが演じていらっしゃるのかと気になったらアンサンブルのお一人で松村沙瑛子さんという方。強くて儚くて敵と知りながら抜刀歳に惹かれていった感じがよく出ていました。アンサンブルさんたちも見逃せない舞台。ほんと目が足りなかったです。もう一回観たいなあ。





早霧さんを観に行って、斎藤一のイケメンぶりにもすっかりやられてしまったという方、たくさんいらっしゃるようです。
新選組大志から、維新後は警察官へと、信念を貫いた生き方が素敵すぎました。
「悪・即・斬」のポージングと低い声がイケメンすぎました。




 松竹つながりで古い資料を整理していたら20年以上前の歌舞伎座のフライヤーがでてきました。勘太郎、まだ子供、可愛い。



 11月6日の観劇のあと、友達と待ち合わせて楽屋からでていらっしゃったの男性アンサンブルの伊藤さんかな。『1789バスティーユの恋人たち』でも高い身体能力を披露されていました。後姿がものすごく細くてものすごく筋肉がついている感じでした。こういう方でないとアクロバティックなダンスはできませんね。

この街とお別れ

2018年11月19日 17時03分28秒 | 日記
 昨夜は眠剤を飲んで1時頃に就寝。部屋での最後の食事は残ったものをなんとか片付け冷蔵庫を空にしなければならなかったので実にしょぼいものでした。隣のチャラ坊は案の定12時半頃帰ってきてドッタンバッタン。でも眠剤のおかげでなんとか5時間半ぐらいの睡眠は確保できました。実家へ送る荷物とお別れする荷物、引っ越し業者と廃棄業者の、どちらもいい人たちがきてくれて丁寧な仕事ぶりで9時から10時半にかけて無事に終わりました。心配していた集合住宅の出入り口の工事のためにやはり正面に車をつけることはできず、駐車場に回れと言われてしまったそうで、ちょっと時間がかかります、大変ですとのことでしたが、この築50年の集合住宅の大変さをわかってくれました。10時半頃不動産屋もきて部屋をみていきました。担当者が変わっているので、あらためて水漏れの件を話しました。だって業者が何回も何回もきたために結局、台所と洗濯機置き場の間の床、空いたままですから。入って二週間ほどで水漏れ起こって、実は前の人が入っている時から水漏れは起こっていたのを修繕せずに貸すなんてひどくないですか。大家はクリーニング代を払ってもらえるのか、と言っているとか。いやいや敷金と相殺じゃないですか、これ以上一円もはらいませんよ。クロスも張り替えるなら20万ぐらいかかるそうですが故意に壊したり汚したりはしていません、引っ越し業者さんも言っていましたが窓際の湿気がひどくってカーテンをかけていた壁がカーテンをとるとかびてしまっていました。それわたしのせいじゃありません。宅建の窓口に電話したら、営利目的で貸しているなら大家も負担すべきとのガイドラインがあることをおしえられたと話し、もう一円もはらいませんと伝えました。昨今は借主寄りの法整備されてきているとのこと。こんな大家、大家をやる資格なんかないぜよ。不動産屋とのやりとりをきいていた引っ越し業者さん、一円も払ってはだめですよ、お疲れ様でした、と言ってくれました。アートさん、いい人でした。アンケートの評価が高くってもお給料はあがらないそうですが、丁寧な仕事。格安業者に頼めばさらに安いのかもしれませんが安心できる業者の方がいいですね。まだ実家への搬入がありますがここにしてよかったと思います。気がつけば10年以上お世話になってきた家具たち。それぞれ劣化が進んできていました。さらにいくつかお別れ。それでも未練がましくお別れできずすて、実家に持ち込むものもあります。弟に怒られちゃいそう、少しずつまたお別れしていくことにしましょう。テーブルとイスとハンガーラックをのぞいて大きな荷物はかなりお別れしたのでわたしにしては荷物少ない引っ越し。こんだけの荷物を抱えて、よくあのちっそくしそうな部屋に暮らしていたなとあらためて思います。築50年、修繕工事したって塗りなおしているだけだから、廊下に大きな段差があるのもせまいのも変わりません。車椅子が通れないことにかわりはないので資産価値があがるとは思えません。地の利で納得かな。それだけです。日比谷を満喫したから納得。

 スパにきてむくんだ足を休めながら更新中。明日は午前中高速バスに乗って郷里へと向かいます。3千円。大丈夫かな。明後日は役所と銀行巡り。駅まで徒歩だと20分以上。すぐ近くをJRが走ってしますが駅はありません。給料明細と通帳をみると溜息しかでないし、休みながらまた次をさがしていかねば。離職票が届くまで時間がかかります。きびしい。長い間こっちにいたから慣れるのの時間がかかるのかなあ。弟とうまくやっていけるかなとか不安もあります。それよりも家賃負担から解放された安堵感の方が今は大きいですけどね。


一週間前、業務終了時にいただいた小さな花束。紫色の花はルピナスかな。
まだまだ呼吸していますが、残念ながらお別れせざるを得なかったので写真を撮りました。
東京宝塚劇場のデザートの容器に飾っていました。




昨日の、夕暮れまえの風景。
はじめてここを訪れたとき、この銀杏並木に憧れ、この街に住みたいと思いました。
結果的に苦しいことの方が多かったですが、前の部屋からは緑がたくさんみえて幸せでした。
近くに知る人はほとんどいないままでしたが楽しい思い出もたくさん。



水曜日のお別れ行脚、観光客気分で乗ったシーバスからの眺め。
この街で七転八倒しながら生きてきました。
楽しいこと、苦しいこと、どちらもたくさんありました。

























観光客気分で歩いた晩秋の公園。

























イギリス人邸。無料で見学できました。






 部屋の引き払いが終わったあと、3年前ズタズタになって泣くことしたできなくなっていたわたしの話を聴いてくださった窓口の方に電話でお礼を伝えました。3年前、労働紛争のことですが、「あなたがやったことで助かる人が必ずいる、あなたはそれがわからないだけ、一人でも助かる人がいればいいじゃない。そう言ってくださったことがようやくわかってきましたと伝えることができました。ここまで苦しかったよね、苦しかったけどここまで元気になったよ、仕事辛かったけどズタズタに擦り減ってどうにもならなかった私がウルトラハードな仕事を一年間もやったよ。今後になにかつながっていく道があると信じて、まだやり直せると信じて明日は帰郷します。こんな私を心配してくださり、ありがとうございます。またいずれかの空でお目にかかればと思います。

 観劇ブログも書きたいですが時間があるようであっという間かな。夜ごはんでお疲れ様でしたのビールでも飲もうかな。





あと一泊となりました

2018年11月18日 18時32分43秒 | 日記
 昨夜はおそい夜ご飯を食べる前に本をいれていたボックスとボックスがあった床の拭き掃除。埃をとりはらいました。隣が帰ってくると音丸聞こえなのでその前にと焦ってお腹をすかせたままがんばりました。結果久しぶりに2時過ぎの就寝。今朝7時半には目がさめてしまいました。つらいですが火曜日以降わりと眠れているのでまあなんとかです。最後の最後の前の荷物の用意。2泊分の着替えなどをトランクに詰めたり、宝塚のプログラムが入っている収納ケースを段ボール箱に入れたり、捨てきれない台所用品、ハンカチ、タオルなどもつめました。これで36箱かな。トイレ用品、カーテン、布団、毛布その他実家にもある日用品は廃棄するので私にしては前回の引っ越しよりもずいぶん少なくなりました。断捨離の成果も少しあり。自分の生活を創り上げていくためにベルメゾンで買った生活用品の数々、20年以上お世話になったモノもあります。ずいぶん買ってきたんだなあとしみじみ。何万円分のモノを捨てているのか。長きにわたってお世話になったモノにはお礼言いながらお別れ。あとは明日の朝起きてから、まだ乾いていない下着やタオルを詰めて、お別れする布団と毛布とすのこベッドをたたんでお別れするテーブルの下の敷き毛布を取っ払って埃をふいてと、忙しいです。にもうつをひとつも残さないようにするの大変。大きなものは粗大ゴミに出せば数千円ですみますが、一度に自力で全部ゴミに出すなんて無理だから業者に頼まざるを得ません。

 ちっそくしそうな部屋にあと一泊。夕方まで片付けで部屋にいて、おそいお昼を簡単に食べてからささやかに外で息抜き中。またあの部屋に帰って最後の洗濯機を回しながら夜ごはんを食べて休まなければならないのかと思うと、それだけで息詰まりそうですがあと一泊。隣は今日も12過ぎにドタンバタンと帰ってくるのか、それとも帰ってこないのか。ヘンなオッサンは相変わらずずっと部屋にいます。あー、気持ち。とにもかくにも、はきだめ集合住宅で今夜も休まねばなりません。もう今夜だけ。明日のお昼には解放されます。眠剤を飲んでやすむことにしましょう。埃だらけだったトイレの拭き掃除と苦しめられたお風呂も最後の掃除しました。リフォーム済といっても安普請の投資マンションなのだと実感。地の利がよかった、それだけです。地の利のおかげで観劇を満喫しました、日比谷を満喫しました。よしとしましょう。

 明日は雨模様。今夜無事に眠れて、明日の無事に部屋の引き払いが終わりますように・・・。

 どうでもいいですが、隣のチャラ坊も近々引っ越す模様。昨日帰ったら部屋の前にネットでみつけたであろう聞いたことのない引っ越し業者の段ボール箱がおいてあって笑ってしまいましたとさ。

 観劇ブログや美術館めぐりは、明日スパにて。終わったらスパでゆっくりとお風呂に入ってゆっくりとソファで休みます。訪問でやられた足腰が痛みます。スパを楽しみに明日はがんばるのみ。明日このブログを開くときにはすべてが無事に終わっていますように・・・。

2018年秋_ちひろ美術館に行ってきました(3)

2018年11月17日 16時30分17秒 | いわさきちひろさん
2018年秋、2階からみたちひろさんが愛したお庭。



カフェの前のささやかなお庭。




ちひろさんのアトリエ。ちひろさんは青と赤の椅子に坐った編集者さんたちとテーブルをはさんで絵を描きながら話をしたそうです。





















ここにちひろさんが坐って仕事をされていたのだと思うと立ち去りがたかったです。

平日で人が少なかったのでしばらくすぐ横のソファに腰かけてちひろさんに話しかけました。一年前はすぐそばに本を並べたラックがあったのになくなっていました。

また訪れることができまそうように・・・。

世界中の子どもたちが平和でありますようにというちひろさんの願いがここから世界中に届きますように・・・。




ひとまず日比谷とお別れ

2018年11月17日 16時08分35秒 | 日記
 昨日もお別れ行脚。4年前の春、大会社から使い捨てにされ、そんなつもりは全くなかったのに気がつけば労働紛争に突入してしまっていた頃初めて訪れて以来、3年前の12月まで多い時は週に三回足を運んでいたコミュニティハウスを、お礼とお別れの挨拶すべく一年ぶりに訪れました。初めて会った時はまだやっと歩き始めたばっかりだった子どもちゃんがすっかり大きくなって来年は幼稚園の年長さん、5歳とか。早いですね。今振り返るとここに足を運んでいた頃の自分はほんとに苦しかったです。10年以上必死に働いた結果がモノ扱いの使い捨て、損害賠償を求めたら労働紛争となってしまい悪代官みたいな弁護士先生の登場でズタズタにすり減ってしまいました。社会のどこにも必要とされない疎外感の中で、怒りと悔しさのマグマがふきだまってどうにもなりませんでした。自分で思い出してもつらいです。働くということは日中の居場所があるということでもあるのだと体で学んだ日々でした。電車代はかさみましたが日中の居場所としてコミュニティハウスに通うことは心身共に健康でいるために必要なことでした。特に日没がおそい夏は暗くなるまでの居場所を見つけるのが大変でした。パソコン待って放浪し続けました。4‐5時間、落ち着いていられるコミュニティハウスの存在は助けられました。体と心のどちらも健康であればこその日常生活、普通の生活。同時にいつまでもコミュニティハウスに通い続ける自分でいるわけにもいきませんでした。たまたま縁あってブラックだとわかってしまった組織体ではありますが、トータル2年半働くことができました。不労収入で暮らしている方々よりも手取りが少ないお給料なんてやってられない、どういうことですか、っていうのはありますが、3年前の今頃はまた働ける自分の姿を全く想像できなかったわたしが、働く自分を取り戻せたこと、実家に戻ってもなんかやれることありそうかな、っていう自分で実家に戻ることが大切なのだと思います。支えられながらここまで立ち直ってくることができました。あれだけすり減ってすり減ってどうにもならなかった自分が、スーパーウルトラハードな仕事を一年間やったなんて嘘みたいです。しかも怒りと悔しさでどうにもならなかった自分がこういう所で働くなんて思いもしなかったしね。苦しかったですが一年間終わりました。実家近辺でつながっていく道があるかな。どこでも必要なのであるよね、きっと。家賃負担なくなるからパートでいいからさ、また働けるといいかな。

 夕方コミュニティハウスを出るとまた電車に乗って日比谷へ。帝国劇場から東京宝塚劇場まで歩きました。キャトルレーヴでみりおさんのパーソナル卓上カレンダーを買いたかったのですが発売日前でした。残念。来月大劇場でゲットすべし。ちぎさん剣心にはまってしまったので、2016年雪組『るろうに剣心』の大劇場公演プログラムを買ってしまいました。ほぼ同じ脚本、同じ演出とのこと。場面ごとの説明が細かく書かれているので熟読。新橋演舞場公演では理解できていなかったところがやっとわかりました。ちぎさん剣心、めっちゃかっこいい、日本物がほんとにお似合い、とこれはまた別途書くことにしましょう。日比谷シャンテの宝塚ステージ衣装展をもう一度一回りし、また帝国劇場前に戻って返りました。

 『マリー・アントワネット』の外装を撮影。花ちゃんにお礼とSee you again!を心の中で言いました。『エリザベート』『レディ・ベス』、いちばん辛かった時、花ちゃんの舞台からエネルギーをもらいました。お金だけじゃないの、ほんとに助けられました。花ちゃんだけに偏ってしまったと少しの後悔はあるものの、あの時のわたしには花ちゃんの舞台が必要でした。ありがとう、花ちゃん。帝国劇場に来ることはもうないかもしれませんが、新しくなった帝国劇場に足を踏み入れないまま帰りますが、来月シアタークリエに来ます。まあさま主演の『オンユア・フィート』、何事もなく無事にまた来ることができればいいなと思います。観劇を楽しめる平和が続くことを祈ります。一回一回いのちがけ、一期一会の出会い。イルミネーションに彩られた日比谷の街とひとまずお別れです。

 また無事に訪れることができますように。

 






東京宝塚劇場前。今だけの貴重な並び。
みりおさんたちの期、入団17年目で何にもまだ在団していること自体が奇跡。
そろそろ相次いで巣立っていくタイミングな予感。
るろ剣でちぎさんの自由闊達な姿を拝見から、ひそかにむしろこれからが楽しみになっていたりもするこの頃です。まだ早いか。怒られちゃいますね。



 4年前の2月、寒風吹きすさぶ中を冷え切った心で歩いた丸の内どおりもイルミネーションに彩られていました。立ち直ったわたしでまた歩くことができました。父とのお別れに始まり、震災、母とのお別れ、10年以上働いた大会社から使い捨て。苦しい数年間でしたがひとまずピリオド。労働紛争の細かいことは忘れました。忘れるには社会の中で必要とされる場所のあることが必要でした。全て封印。10カ月間全く無収入は大きいです。また新しく始められる、やり直せると信じて帰郷。

 ちっそくしそうな部屋にあと2泊。二日分の荷物をトランクに詰めること、あと二箱、最後の荷物を段ボールに詰めること、埃だらけの家具と部屋を拭くこと、月曜日の朝最後の最後、トイレとお風呂まわりのものを捨てること、カーテンを捨てること。ヘンなオッサンは相変わらずずっと部屋にいる気配だし、となりのチャラ坊は土日ずっと部屋にいる気配、音丸聞こえのこの環境のなかで全てを無事にやり遂げられますように。最後の懸案事項は荷物を出してから考えることにします。まずは引っ越し。緊張しています。無事に終われますように・・・。


2018年秋_ちひろ美術館に行ってきました(2)

2018年11月16日 15時14分25秒 | いわさきちひろさん
 昨年、一昨年の写真もまだ整理できていませんが昨日の写真を少しアップ。






いつもの薬膳スープと炊き込みご飯のランチをいただきました。
ちょっとお高いですが、ほっとする一品。



ランチテーブルに飾られている小さなお花。



展示テーマは「作家で、母でつくる そだてる 長島友里枝」でした。





2018年秋のちひさんが愛したお庭。













カフェの前に広がる小さなお庭。
この日はちっちゃな女の子二人が一生懸命に走り回って、若いお母さん二人が転ぶと起してといった光景をみながらランチをいただきました。





2階の窓からの景色。




引っ越しが19日の朝8時から9時の間となりました。業者から連絡がありました。ハードですが、今週の月曜日まで6時20分に起きていたので同じように起きればいいだけのこと。その日の朝でないと整理できないものもたくさんあるし、部屋の中にいるのは息がつまってほんとに苦しいので最後の最後まで緊張。がんばります。

フェルメール展にも行きたいですが、足腰をやられているし、落ち着かないので、12月に観劇のため上京するときにしようと思います。2月の最初の土曜日で申し込んでいたベルばら45周年記念コンサートは先行予約に外れてしまいましたが日曜日のラブネバのチケットをとっているので予定通り上京。去年ハンナのお花屋さんを観たあと行きたいと思いながら行くゆとりがなくなった表参道のバーグマンさんのお店も次回以降の課題として残しておきます。

またいずれかの空でお会いできればと思います。


『あかちゃんのくるひ』、家で赤ちゃんの帰りをまつお姉ちゃんが、あかちゃんの帽子をかぶっている場面を描いたものなんですね。

ちひろ美術館のチラシなどにも使われています。


あかちゃんの くるひ (至光社ブッククラブ国際版絵本)
岩崎 ちひろ
至光社

2018年秋_ちひろ美術館に行ってきました(1)

2018年11月15日 23時04分10秒 | いわさきちひろさん
 木漏れ日が美しい秋の陽射しの中、一年ぶりでちひろさんに会いに行ってきました。往復は恐怖、平日の昼間でもすっごい人がいて、ほんとに都心は人が多すぎるなあとしみじみ。高田馬場駅の乗り換えのおそろしいこと、おそろしいこと。東京の一人当たりの面積はパリの四分の一だそうです(パリ観光で現地の日本人ガイドさんから聞いた話)。大きな自然災害におそわれたら大変や。帰りは見事に帰宅ラッシュ。なんとか無事に往復できてよかったです。

 遠いので往復は恐怖ですが、美術館は閑静な住宅街にあり静かな佇まい。出遅れてしまったので3時間ほどでしたがちひろさんとの対話とお別れをしてきました。またきっと来ることができる、観劇の折に行こうと心に誓ってきました。今年はちひろさ生誕100年なんですね、第一次世界大戦が終わった年に誕生したちひろさん、宝塚少女歌劇がスタートしたのが第一次世界大戦がはじまった年で、今年が歌劇創刊100年。ちひろさんと歌劇は同い年ということなんですね。何気にわたしの中でむすびつきました。展示のテーマは今ひとつかなあって思いましたが、「あかちゃんのくるひ」の原画に出会うことができてよかったです。持っているのにゆっくり読むだけのゆとりがなくって、展示室でゆっくりと読みました。生まれたての男の子のあかちゃんの絵、原画では顔の周囲は紙にしわが寄せてあって、これを印刷するとなんともいえないきれいな色合いの緑があかちゃんを包んでいるのでした。原画の出会えるのは嬉しいですね、筆使いがそのままちひろさんの息使いとなってこちらに伝わってきます。絶筆となった「あかちゃん」の絵の前では涙がにじみました。1974年8月8日、55歳での旅立ちはあまりにも早すぎました。ちひろさんのアトリエと飾られていた写真をみながら、夫の両親、ちひろさんの母、夫、息子、お手伝いさんという大家族の主婦と画家の仕事を両立させた大変な生活がちひろさんの命を削ってしまったのでは、と思うとなんとも切ない気持ちにかられてしまいました。敗戦後27歳で一人画家として生きていこうと決意して疎開先の長野から一人上京し、練馬の地に居をかまえて生涯を終えるまでの28年間、ちひろさんは命を削りながら懸命に生きたのだと思うと、決して長くはない時間ですが懸命に生きた時間があったのだと思うと、この地でこの場所で絵を描かれていたのだと思うとなんだか胸がいっぱいになりました。着いたらまず陽射しがあったかなお庭を眺めながら、いつもいただく薬膳スープのランチをいただきました。歩き始めてまだ間もないと思われるちっちゃい女の子とお母さんが二組、女の子もおかあさんもお友達同士かな、遊んでいる姿に心がなごみました。お母さんたちはスマホで写真を撮りたいのに子どもたちは歩き回ってお母さんの思う所には行きません、がんばれママ、がんばれ子どもちゃんと心の中で応援。子どもスマホを持つ時代、ちひろさんはどんなふうにごらんになっているでしょうね、とふと思いました。

 お写真いっぱいありますが引っ越し間近だし、部屋ではなんとも落ち着かないし、時間切れとなってきました。去年の5月と11月にちひろ美術館を訪れた時の写真も見事に整理できていません。家に帰ればWi-Fiつながっているそうなので広い部屋で少しずつ、たまっているもの整理していきます。今日はこれにて・・・。

 ちっそくしそうな部屋にあと4泊、無事に生き延びられますように・・・。

 駅からの道のりにはこんな看板があります。


お別れ行脚

2018年11月14日 20時10分24秒 | 日記
 夜、部屋にいると隣はいつドタンバタンとうるさいのだろうとか緊張してしまってどうにもならず、とにやく休めるようにと眠剤をのみましたがなかなか寝つけませんでした。隣は帰ってこなかったのかな。ずっと静かでした。お向かいの女性が1時過ぎかなあ、帰ってきてはまたすぐに出て行ったのかなあ、こんな夜更けに何をしている方なのかなあとびっくり。結局と途中お手洗いで目がさめた後また眠って9時過ぎに目がさめました。音が響くので、隣がいない時に荷造りをと焦ったりしたら昨日予約した歯医者さんに少し遅れてしまいました。友達の旦那さんでよくしてもらっているのに申し訳ない。帰郷したらお歳暮を贈らねばと思っています。ほんとによくしてもらったんです、ありがたい。

 今日はその後退去時の精算に不安を感じているのでまた県の宅建窓口へ電話。色々と教えてもらいました。クリーニング代を払うのだけれど、できるだけ綺麗にしてから退去した方がいいそうです。あと大家が法外な修繕費用を請求してくることが多いので、営利を目的とした賃貸物件なら修繕後大家がさらに高い家賃をとって貸せるようになる可能性があるから、修繕費用を大家と借主の双方で負担するようにとのガイドラインが定められたそうです。行政のこういうの、効力が弱いことはわかっているのですが、宅建の窓口に相談したというだけで不動産屋の態度が変わるということを一昨日までの業務で学んだこともあり、宅建の窓口に電話していることを不動産屋に伝えています。不動産屋だって営利なわけだから、すごいですよー、わたし、一昨日までの業務の中で、なんで怒られているのかさっぱりわからないのに、わたしの責任でもなんでもないのに不動産屋にメッチャ怒られて、対象者にも怒られて、サンドイッチ状態で涙が止まらなくなったことがありました。それもあって不動産屋への不信感も強いです、奴らもすごいよ、商売だからさ・・・。

 というのはおいといて、ランチを食べた後、暮らしているとついでがないかぎり行くことのない観光地に久しぶりに行ってきました。インフォメーションセンターで地図を入手して歩きました。すっごい坂を歩いた訪問でやられている足腰にはこたえましたが楽しかったです。部屋を引き払うと決めた時から気になっていたので気がすみました。観光地はいつ以来かなあ、ここにしかないお店が激減していて、どこにでもあるファーストフードカフェ、ドラッグストア、激安店、コンビニなどが激増していました。時代の流れですね。でも昔からある、ここにしかないお店も健在で、わたしが30年近く前に可愛いと服を安いですが衝動買いしたお店も健在で安心しました。ほしいものはないのでみるだけですが幸せでした。それから公園をお散歩。天気がよかったし、あちこちに咲いているお花畑がきれいで、坐っていると薔薇のいい香りが風にふかれて漂ってきました。陽が落ちてくると急激に冷えてきた夕暮れ、歩き疲れたなあと思っていると出発15分前の船の案内のアナウンスが。日常生活では利用することがありませんでした。最後だらかと思いきって乗ってしまいました。楽しかったです。イルミネーションの夜景がきれいでした。自分が歩いてきたビルや街は、船の中からだとこんなふうに見えるのかと感慨深いものがありました。みっともないことばっかり、情けないことばっかり、でこぼこにぶち当たってばっかりで冴えないですが、自分はここで暮らしながら30年間家賃を払い続けてきたのだとあらためてしみじみなりました。えらいよね、自分。でこぼでないと人生はつまんない、結果お金が続かなくなりましたが30年前より少しは大人になれたのかなって思います。平成の始まりと共にスタートしたわたしの一人暮らしは平成の終わりと共にクローズ。また新たな人生の始まり、きっとやり直せると信じたいです。家賃負担から解放されるし、とりあえず食べるのには困らないので心身を休ませながらまた次を見つけていきます。この世にいる間にまたプリンス・エドワード島に行くという夢をあきらめません。できればイタリアのトスカーナ地方にも行きたいし、オランダでフェルメールの絵に会いにも行きたいです。


 散歩しながら合間に、3年前ズタズタのボロボロになり涙しか出なかった私の話をきいてくれた窓口の方々にお礼の電話。会えるとよかったですが通過していても、時間でタイミングが合わず電話だけとなりましたが覚えてくださっていたし、辛い一年間だったけど仕事をいる私に戻って元気ですと報告したらすごく喜んでくださいました。一年間の仕事の大変さがわかる方なのでほんとによくやりましたよねと言ってくださいました。振り返れば3年前私はほんとにどうにもならなくって自分で思い出しても辛いです。たまたま縁がつながってここまで立ち直ってくることができました。一昨日までの業務は辛すぎるのでまたやりたいとは思いませんが、どこでも需要はある仕事なので関連するところの求人が郷里近郊でもあればやってみようかなとは思っています。その前に休息。明日は今日つながらなかったもう一人の方にも電話します。

 明日は一年ぶりにいわさきちひろ美術館に行くつもり。遠いし、都心の人混みの中の乗り換えは恐怖以外のなにものでもありませんがちひろさんにお別れしてきたいです。一年前のちひろ美術館の写真をまだアップできないまま一年が過ぎました。あっという間といえばあっという間ですが濃すぎる辛い一年でした。よく乗り越えて来たよね、自分。

 ここには書けないこともあり、お別れの挨拶をメールをさせていただいたりもしています。なかなか十分に伝えきれずに申し訳ないです。ぎりぎりのところで頑張っているわたしにかける言葉がみつからなかったと返事をくださった方もあり、そうだよなあと思います。人の状況がこうだったら自分もやっぱりどう言葉をかければいいのかわからず、返事できなかったりするだろうなと思います。人は最期一人ですが、この世を旅立つ時はなにもできず持つことができずたった一人ですがこの世にいる間は一人で生きていくことなんてできないですね。支え合いながら生きていくのが人生。こんなんを心配してくださっている方々がいることにあらためて感謝。来月16日と2月の最初の土日に日比谷で観劇予定です。フェルメール展にも行きたいと思っています。またいずれかの空でお会いできたら嬉しいです。

 明日から、るろ剣、大阪公演開幕。一日だけの休演日をはさんで怒涛の一日二回公演連続。松竹のウエブサイトをみると前売りは完売、追加席もあっという間に売り切れたみたいで東京から遠征する人もいるみたいだし、また盛り上がりますね。一回観ると何回でも観たくなるちぎ剣心と愉快な仲間たち。行けないけど無事に千穐楽を迎えられるようにSNSのレポをみながら応援しています。

 自分、引っ越しの準備、がんばらないと。あとは前の日とか直前にならないとできないものに絞られてきました。前の日は二泊分の荷物とパソコンを持ち歩く体制も整えねばです。眠剤で口の中が気持ち悪いし、めっちゃ喉が渇きます。ちっそくしそうな部屋にあと5泊、無事に生き延びていけますように・・・。

 楽しいるろ剣の観劇日記を書きたいのに、なかなか書けません。