行雲流水

阿島征夫、一生活者として、自由に現代の世相を評す。時には旅の記録や郷土東京の郊外昭島を紹介する。

ある国際労働運動家の引退

2010-12-08 21:52:54 | Weblog
昨日はIMF(国際金属労連)の本部(ジュネーブ)に35年間、世界の各国の労働運動に国際産業別組織から携わって来た鎌田普IMF書記次長のご苦労さんパーティが開催された。鎌田氏は1972年にIMFの日本組織、金属労協に入られ、1975年結婚するとすぐに25の若さで日本人として初めてジュネーブの本部に赴任した。

本部は欧米の猛者労働運動家の牙城、日本というかアジア代表としてその苦労は並大抵ではなかっただろう。彼の英語力は申し分なかったがジュネーブはフランス語の世界、ゼロからマスターしなければ本部内の仲間とは意思疎通ができない。上司の書記長はスエーデン出身で英、仏、伊、スペイン語などを操る。20代の若者には毎日が試練だったのではないだろうか

その後、IMFの仕事では途上国の労働運動を支援することが大きな比重を占めており、鎌田氏はアジアの労働組合育成に心血を注いだ。欧米流の理想を追う労働運動と多国籍企業のアンチ労働組合政策との間に挟まれ、苦労が多かった。アジアの金属労組指導者間で鎌田氏ほど尊敬された指導者は見あたらない。

35年間海外赴任、そして引退というのは外交官でも、大企業の社員でも聞いたことはない。その間、世界中を駆け回って来たが、留守宅を支えてきた奥様のご苦労も大変だったろう。
後任に、日本から若者がジュネーブに赴任したが先ず、フランス語で苦闘してる由、でも日本の会社では味わえない世界が広がっている。

大学生諸君、内向きにならず、思い切って海外で働いてみたらどうだろう。ジュネーブにはILOという国際労働機構があり、日本政府は大スポンサーだがそこの職員にしめる日本人スタッフの数は少ない。毎年ネットで公募しているので是非挑戦してみてほしい。
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