行雲流水

阿島征夫、一生活者として、自由に現代の世相を評す。時には旅の記録や郷土東京の郊外昭島を紹介する。

福島の旅、会津平野は黄金色だった

2011-09-18 22:49:39 | Weblog

喜多方の農家の赤煉瓦建造物を造れた豊かさとは何なのか考えたら、やはり基本は会津平野を埋め尽くす黄金色の稲だった。この上に会津藩は会津塗りや本郷焼など陶芸品の殖産興業を成した。

会津若松の郊外に会津藩校日新館の復元があり、子供(6歳から9歳まで)の教育に莫大な投資をしていたことが判ったが、これも財政が豊かであった証拠だろう。白虎隊は一夜にしてできたものではなくこうした教育制度があったからこそできたと理解した。この藩校は軍事教練から天文学まで網羅した全人格教育を実施していた。藩校の門前に什の掟が掲げられていた。注、子供は10人のグループに分けられそのグループを什と言った。

この日新館に、着剣し銃を片手に持った女性の絵があり、福島の友人から山本八重のことを聞いた。会津のジャンヌダルクといわれ、白虎隊に砲術訓練を施し、戊辰戦争では洋式銃で城に籠城して闘った女性で、数奇な運命を経て京都に移り、同志社大学を創設した新島襄の妻となった。NHKの再来年の大河ドラマの主人公とのことで篤姫、江と続く女性の活躍が見ものだ。

会津平野の黄金色の実りは今年の豊作を連想させるが、唯一の心配であったセシウムの汚染は喜多方も会津もないとの発表でホッとした。


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