今日は急激に…でもないんですけど、気が向かないので模型おやすみー。
かといって別にゲームしたいというわけでもないので、ぼーっとネットして寝ちゃうかな?
今日はちょっと触れたいと思ってた、地裁・高裁で裁判員も入れて出された判断を最高裁がひっくり返したお話。
検察は「両親とも懲役10年」と言ってて、裁判員によって「ひどいので両親とも15年」だったんだけど、最高裁で「父は10年母は8年」になりましたというところですね。
あ、今回は長いので難しい話嫌いな人は回れ右で良いかと思います(苦笑)
ただ裁判員にはすべての人がなる可能性があるので、がんばって読んで欲しいなぁとも思うところですけど…。
まずは裁判員経験者にコメントをもらってるみたいなので、この記事にリンクっと。
重くする判断をした人にもやや幅があるので、上で判断が変わるのはしょうがないと納得出来る人もいれば、市民感情を反映しても変えるのはおかしい、と言う人もいるのは当たり前ですよね。
で、ある程度経験則から語る記事へのリンクと、ややもすればいろいろ有名なジャーナリストさんの記事へのリンクです。
この2つの記事でわかることは最初のニュース記事と違って、「一方的に判断をひっくり返したわけじゃなくて、その理由付けが曖昧だからこれでは重すぎる」という点がまずあります。
裁判員の重くした判断を最高裁も認めた事例もあること、今回のも判断は良いと思うけど重さを決めるには説得力が足りなかったということを指摘してます。
市民感情を反映させるというのは大事なことではあるけども、それが極端になってはいけない、ということかなぁ。
例えばA事件とB事件があって、似たような環境で殺人事件が起こったとしても、その時の裁判員によって判断が変わる可能性も出てくるわけですよね。
でも同じような事例で判断が大きく違うと、平等性に欠けるので過去の判例を参考にこれくらい、という落とし所を最高裁が最後に決めるイメージですね。
確かに裁判員がいつも同じメンバーじゃなくて、その時々にいる方によって違いが出てくる可能性はありますし、そう考えればわかりやすいかも。
ただ一方で、過去の判例ばっかりにこだわるのはおかしいからこその裁判員制度、と思うのが市民感情の極みでもあります。
その結果として性犯罪なんかは重くなる傾向だったり、介護疲れの殺人は執行猶予がつきやすかったりと、そういう面では市民感情の反映は出てきてるんだそうな。
ここまで来て、ニュースなんかで最高裁が裁判員を無視した!なんて報道が偏ってたと気づくわけですよね(苦笑)
いっぺんに市民感情を反映させちゃうと、それはそれで加害者への平等感に影響が出ちゃう…まぁ、感情から言えば加害者にそこまで気を使うのは、というのもあるんですけど、そこは残念ながら「法の下の平等」に集約されちゃうそうで法律の大原則をかえない限りは現状しょうがないみたい。
アメリカの陪審員は有罪か無罪かしか決めないですからね、日本では量刑まで決めてるのでややこしくなるのかもですけど。
あ、私がどう思うかみたいなのは…一応ひとことだけ?
ひっくり返されて納得いかない人たちの気持ちもわからなくはないですけど、徐々に変えていった方が良いってところに納得!みたいな当たり障りないところでいかがでしょ(苦笑)
最後にこのまとめで良いのか思いつつ、弁護士の意見が少し書いてあるページにリンクです。
うわぁ…何人か、絶対こういう人には頼みたくないなぁと思う人がちらほら;;;;
裁判員制度は、嫌でも回ってくる可能性がありますので、心持ちとして基本的な制度くらいは知っておかないとですよね☆
今は中学とか高校とかで授業で教えたりしてるのかなぁ。。。
ツッコミその他いろいろ歓迎ですが、明確なお返事はしない予定です。
今回は今読んだ瞬間だけでも、勉強した気分になってもらえればそれで良いと思います(笑)
うんうん、当たり障りない切れ味ない感じが最近多いですよね(苦笑)