ずっと長い間、ヨナスにはどうしても判らなかった。
どうして犬使いの果実を口にしたものは、その殆どが死んでしまうのだろうと。
果実に通常の意味での『毒素』は含まれていないし、かれらの死因は大概が自ら舌を噛み切った事による窒息死だったのだ。
だが、今、こうやって握り締めた果実を見詰めながら、ようやくヨナスは理解した。
犬使いの果実とは、つまり覚醒の果実なのだと。
この果実を口にしたものは、己が一体何者であるのかを容赦なく意識上に引き摺り出される。そしてそれは大概、思う自分になれぬまま現実と言う名の泥沼を這いずる、この上も無く滑稽で惨めな姿として認識されるのだ。だから大概のものは、この時点で耐えられずに己の舌を噛み千切る程に苦しみ抜いて死ぬのだろう。
そして、残りのごく僅かなものはそんな己の意識を捨て去り、何か別の存在へと変成する。そして嘗ての己とは全く違った存在として生きて行くことになるのだ。嘗て優秀だった犬が殆ど助からなかったのも、なまじ優秀だった己の存在を全否定することや、全く別の何かに変わることが出来なかったからに違いない。
だから、犬使い以外の何者にもなれない自分はきっと今、ここで死ぬのだ。
そんなことを考えながら、ヨナスは躊躇いなく己が手にした果実を口元に運び、そのまま囓った。
* * *
今より少しだけ昔、一年の殆どが雪と氷に閉ざされる北の国は冷酷な独裁者の一族に支配されていました。
独裁者達は長年、悪魔のように知恵の回る犬を操る犬使いを使って国民の心を恐怖の鎖で縛り上げて来ましたが、そんな犬の牙から辛くも逃れ、顔に酷い傷を負いながらも他国に亡命した若者によって、やがて政権を解体されることになりました。
しかし、独裁者一族の配下にあった犬使いは捕縛の手が伸びるより早く己の館に火を放ち、余りに火の周りと勢いが酷かったので、そこに居たはずの犬使いも、また犬たちも、骸一つ見付けられなかったと言うことです。
犬使いの果実・終