カケラノコトバ

たかあきによる創作文置き場です

よくあるお伽噺

2013-07-31 19:25:27 | 即興小説トレーニング
 彼に憧れる多くの女性から自分を選んでくれて以来、彼女は己の身を削って彼に尽くしてきた。

 欲しいというものは全てプレゼントし、行きたい場所には何処へでも連れて行き、会いたいと言われれば平日の昼間だろうと真夜中だろうと駆けつけた。

 そして、当然の結果だったかも知れないが、彼女を単なる便利な女だと認識した彼は、我が侭放題の中で浮気を繰り返した。

 彼女はそれでも耐えた。彼のうわべだけの謝罪と金蔓を失う事を恐れた謝罪の言葉を信じ、どんなことがあっても結局彼は自分の元に戻ってきてくれると信じた。何年も、何年も。

 そして、ある日突然明確な理由もなく醒めた。途端に彼の全てが嫌になり、日々の鬱積と共に激しい言葉を浴びせながら、いつの間にか彼女のアパートで暮らすようになっていた彼を叩き出した。

 後に残ったのは、実り豊かであるべき筈の数年を費やして苦い教訓を勝ち取った女と、実り豊かであったはずの数年を無駄に食い潰して全てを失った中年男。
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新しい中古品

2013-07-30 19:11:06 | 即興小説トレーニング
 色気がないなぁ。
 一抱えもありそうなごつい立方体に付属した画面とキーボードを部屋に運び込み、机に設置した僕の、それが最初の感想だった。

 とは言うものの、父さんにねだって中古とはいえ手に入れた機械だ、充分に活用させて貰おうとワクワクしながら紙袋から取り出した分厚いマニュアルに力尽きそうになり、気を取り直して開いたマニュアルの内容に今度こそ力尽きた。

 一体何故、読解可能な日本語で記されているはずの文章がココまで理解不能なのか?ひょっとして、僕がマニュアルと思って開いたのは実は地上の真実が書かれた高邁な哲学書か何かだったりするのか?

 そんな訳ないか、と気を取り直した僕は速攻で友人の隼人に連絡することにした。奴ならこういう事に詳しいはずだ。
「あ、隼人か?僕だよ僕」
『何だお前か、用件は何だ?』
「実は父さんからパソコンを」
 途端にいきなり通話が途切れる、きっと通信事故だと思った僕は再び隼人に電話を入れ、とにかくひたすら奴が出るまで待った。
 やがて電話に出てくれた隼人は、心なしか疲労が滲んだ口調で僕に問う。
『…… 何が判らんのだ』
「実は何から何まで」
『ネット接続は』
「さっぱり」
『それで、何がやりたいのだ』
「取りあえず最初はメールを出せるようになりたい」
 それでまず電源なんだけど、と続いた僕の言葉を、隼人は悲壮なまでの覚悟と決意を滲ませた口調で遮った。
『判った…… 今からそっちに行く』
 やはり持つべきものは友達だ。

 両腕を広げて抱擁せんばかりの僕の歓迎を軽くいなした隼人は、さっそく机に向かい…… 少しの間眼前の立方体を眺めたり倒したりと色々弄り回した挙げ句に言った。

「おい、これパソコンじゃなくてワープロだぞ」
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母からの手紙

2013-07-29 21:14:44 | 即興小説トレーニング
 母から手紙が来たので、私は取りあえず封も切らないまま状差しに突っ込んだ。
「随分溜まったなー」
 呑気に呟いてみる。
 そこからは、封を切られることのない封筒に入った、目を通されることのない便箋に書かれた手紙文から滲み出た怨念が、まるで蛇の蜷局か何かのように黒々と渦巻いている気がしたが、私には関係のないことだ。
 実の子であろうと、どうしても愛せない相手がいると言ったのはあの人だし、私もそれは正しいと思う。だから、今さら会いたいと言われても『何のために?』と訊ねることしかできない。ただ、手紙そのものを破棄すると私を育ててくれた叔母さんが哀しそうな顔をするので取ってあるだけだ。

 母に何があったのかを私は知らない、ひょっとしたら何もなかったのか、それすら知らない。
 ただ判っているのは、私が小さい頃の母は、まともに子どもを育てることが出来るような人じゃなかったと言うことだ。それだけは間違いない。

 そんなことを考えていると不意に電話のベルが鳴り響く。反射的に出ると相手は叔母さんで、気を確かにと前置きしてから自分の姉、つまり私の母が病院で亡くなったと教えてくれた。
『とにかく、すぐ迎えに行くから待っていなさい!』
 そんな叔母の言葉にも大して心が動かないまま、私は電話を受話器に置いた。

 私にとって母は既に『死んだ人』と同じくらい冷えて固まったイメージしかないが、今度は本当に死んでしまったのかとぼんやりと考え、そして猛烈に腹が立ってきた。そして、始めて母からの手紙を開封してみる気になった。未開封のまま状差しに突っ込まれ続けた手紙は、その後一切手を付けられることもなく到着順に並んでいる。
 鷲掴みにして叩き付けるように机に置いた手紙から最初に届いた一通目を取り、手持ちのカッターで開封して一体どのような弁明が書かれているのかと便箋を開く。すると。
 
 ごめんなさい。

 そこに書かれていたのは、それだけだった。
 次の手紙も、また次の手紙も、延々と『ごめんなさい』だけが綴られていた。
 所々に滲みが出来た震える字で何度も繰り返される同じ言葉は、しかし最後の手紙だけが違っていた。

 どうか、幸せになって下さい。

 母は、お世辞にも賢い人でも、優しい人でもなかった。不器用で短気だったせいか自分のことに手一杯で、子どもの面倒を見る余裕というものが一切なかった。
 それでも、それだから尚。

 私は恐らく母を一生許さない。でも、代わりに母が最期に遺してくれた言葉を決して忘れないでいよう。
  
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黄昏時の蝙蝠

2013-07-29 19:16:48 | 即興小説トレーニング
 自分がいい加減な人間だと言うことは自分自身が良く知っている。でも、それは言うなれば『好い加減』であり、言ってみれば『生活の知恵』なのだ。

例えば旅行中に雨が降って目的の店に行けそうになかったり、やっとの思いで辿り着いたら休みだったり貸し切りだったり、そう言うときはこう考える。
 これはもう、一度ならず何度でも此の地を訪れて最良の旅行を模索しろと言うお告げであると。ちなみに、お告げの主が神か悪魔かまでは考えないのがポイントだ。

 こんな風に考えると、大概の不運は人間万事塞翁が馬、未来への礎なのだと何となく悟ったような気分になれる。もちろん幸運の後に訪れるはずの不幸についてはスルーの方向で思考を展開させると更に幸福な気分になれるかも知れない。保証はしないが。

 どんな事態でも何とか『良かったこと』を無理矢理にでも探す。
 所謂パレアナシンドロームは極めてポジティブに行う現実逃避で、実はネガティブな逃避と同じくらい危険な思考らしいのだが、取りあえず自分が自分自身を幸せにしてやれる方法を他に知らないのだから仕方がない。

 だが、そんな自分でも『良かったこと』と変換できない記憶がある。
 例えば、父に茶碗をぶつけられた血まみれの足を能面のような表情で手当てする母の姿、殆ど炭と化した自宅を呆然と眺めやる祖母の姿。
 そして、布団で寝ていたらいきなり父にのし掛かられて泣き叫ぶ自分。

 薄ぼんやりとした黄昏の中で、今日もどす黒く染まった記憶の破片がひらひらと飛び交う。だが、自分はその蝙蝠どもをどうすることも出来ないのだ。  
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今、ここにある地獄

2013-07-28 22:55:55 | 即興小説トレーニング
 地獄は地下にはない、この世にある。

 何とか絶えられるレベルの不幸が立て続けに襲いかかってきたとき、人は己の人生について真剣に考える。だから、たまには不幸に見舞われるのも悪くない。
 最近は、気が付くとそんな戯れ事を呟きながら仰角四十五度の中空に定まらない視線を向けているような気がする。現実逃避と言われそうだが、実際現実というシロモノは人間の背中にぴったりと貼り付いて剥がれない子泣き爺のようなもので、どんなに遠ざかったと思っても律儀にその姿を変えぬまま、或いはより凄まじい姿となり、人間が振り向くのを待っていてくれるのだ。

 事の起こりは交通事故だった。原付バイクでうっかり車の脇をすり抜けようとして、左折しようとした車にぶち当たったのだ。
 幸い悪運は強い方なので原付の下敷きになった割に軽い打撲で済んだが、当然のように警察は来るわ取り調べが終わった頃には右脚が北斗の拳のケンシロウ並みに膨張するわ病院はたらい回しにされるわ職場に連絡を入れたら上司に怒られるわと散々だった。とどめが保険屋と連絡が取れない時間だったので治療費は一時金を負担することになり、何だか呆然とするしかなかった。

 翌日から休みを貰って警察に出頭して病院で治療して保険会社と連絡を取って書類にサインしまくり、それでも何とか自体が落ち着いた一週間後。
 通勤帰りに信号待ちをしていたら、後続車に突っ込まれて玉突き状態で、もう一度右脚をヤった。
 見覚えのある警官に同情されながら検証を終え病院に行ったら担当医が執刀中だと言われ職場に連絡したら絶句され、やはり呆然とするしかなかった。

 保険屋には凄まれ病院には嫌がられ上司には引っ越せと無茶を言われ、手続きに必要な書類を役所まで取りに行ったら改装のため更地になっていて遠方の仮庁舎まで出直す羽目になり、結局全てが終わるのに数ヶ月かかった。

 そして事態が落ち着いた頃、不意に実家から手紙が届いた。人寂しいのか、母はたまにこうやって手紙を送って寄越すのだ。だが、長年の経験から何となく厭な予感を拭えないままに読み進めた手紙の最後には、こうあった。

 お前が交通事故にでも遭っていないかと、よく新聞でそちらの地名の記事を探します。
 もし何かあったら加入してある保険を遠慮無く使いなさい。
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そこに在るもの

2013-07-28 17:27:31 | 即興小説トレーニング
 ごく自然に、自分が一番だと信じながら暮らしてきた。
 事実、自分より優れた相手に出会ったことはなかったし、周囲の人間たちはどう考えても有象無象だった。奴に会うまでは。

 穏やかな性格をしたお人好しで、何が楽しいのか、いつだってニコニコしている。
 そうかと思えば、こと専門分野に関しては妥協のない態度で研究を進めて他人の追随を許さない。
 天才と呼ばれるだけの才能を持った人間が、更に弛みない努力を重ね続ける事によってどれだけの高みに上れるのか、そして、僅かな才能を頼りに突き進んできただけの自分が、そこから比べてどれだけ低い位置にいるのかを、奴はごく自然に示してみせた。

 嫉妬で気が狂いそうだったが、そんな感情を認めるのは己のプライドを更に傷付けるだけだと知っていた自分は更に研究に励み、結果的に基本論理の独自性からくる本流との乖離を招いた。

 一人になった自分に、何故かそれでも奴は笑顔を向けて言った。
「君は凄いよ」

 どんな社会でも、単一理論で構成されたシステムが究極的に行き着くのは緩やかな硬直化の果てにある破綻でしかない。そして、高度に機械化された情報社会に於いて、破綻したシステムが行き着くのは社会そのものの終わりを意味する。
 それ故に自分のような人間が必要なのだと、奴は言った。
「僕は、君のようにはなれないから」

 そう呟いた奴の瞳に見え隠れするのは優越感でも憐憫でもなく、己が決して手に入れることが出来ないものに対する隠しようのない嫉妬。  
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道教え

2013-07-28 13:39:45 | 即興小説トレーニング
 子どもの頃、昼下がりの山道を親戚の家に向かって歩いていた時に、見慣れない虫が私の先を道案内でもするかのように這っていたことがある。

 そう言う習性を持つ虫がいることは知っていたが、出会うのは初めてだったので面白がって後を追いかけていると、いつしか普段通り慣れた道から外れて見知らぬ場所に立っていた。

 既に虫の姿は無く途方に暮れていると、白い着物を着た綺麗なお姉さんに声を掛けられる。
「どうしたの?こんなところで」

 私が素直に虫を追いかけて道に迷ったと答えると、お姉さんは納得したように頷きながら近くに流れていた小さな川を示して言った。
「もう、帰りなさい」

 私は川なんか越えた覚えはなかったが、何故か逆らえないものを感じでお姉さんの言うとおりにした。そして、小柄な私でも跨ぎ越せるような川幅の向こう側に足を踏み入れた途端、いきなり世界が暗転する。

 先程まで昼下がりだった筈の世界は夜の闇に覆われ、月の見えない空には冷たい色をした星が撒かれたように散らばっていた。振り向くとお姉さんの姿も、私が今さっき跨ぎ越したはずの川もなく、訳が判らぬままに見知った道を進んで何とか親戚の家までたどり着くと、何故か私は三日ほど行方不明になっていたらしく大騒ぎになっていた。

 虫に関わる一連の話は誰も信じてくれなかったが、私は今でも昆虫図鑑やネット画像であの時見た虫を探している。鶏の雛ほどに大きく、背中に人間の髑髏を背負ったように見える白い虫を。

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学生の怪談

2013-07-27 11:06:48 | 即興小説トレーニング
 お墓というのは死んだ方々の家であり、そう言う意味では墓場というのは死者の住宅街、若しくは団地のようなものだと僕は思う。それ故、そこを訪れる人間は住民に配慮して無闇に騒いだり、ましてやお墓に悪戯するような真似は絶対にしてはいけないのだ。
 そんな簡単な理屈が、どうしてこの連中には判らないのだろうと僕は遠い目になる。

 確かに今日は夜になっても暑かった。頭が沸くかと思うくらい暑かった。
 だから学生寮の一室に集まっていた連中の一人が『肝試しに行こう』と言い出したとき、他の連中は退屈しのぎと憂さ晴らしとその場のノリから全員一致で近所の墓地に繰り出したのだろう。
 ルールは至って簡単、二人一組が墓場の一番奥にある石碑の前に持参した蝋燭を点火して立ててくると言う、ちょっと参加者の正気を疑うものだった。火の始末とかそう言うことは考えていないらしい。

 案の定、事あるごとに吠えるように叫び、与太話で場を盛り上げようとする連中に対して『住人』の皆さんの態度は冷ややかだった。殆どは天寿を全うし、現世に残した家族や子孫にきちんと供養されている方々なので大概は眉をひそめる程度だったが、不慮の事故を遂げたり病気で若くして亡くなった、若しくは誰も供養してくれない方々の表情はどんどん物騒になっていく。また、いきなり現れた侵入者に対してちょっかいをかけ始める小さな子どもや若者も現れ始めた。
「…… なあ、ちょっと寒くない?」
 事故にあったときそのままの姿をしたお嬢さんが肩にしなだれかかり、面白がった子どもに小石をぶつけられ、そこに座れと説教を始めようとする御老人に立ち塞がれ、ある意味一気に賑やかになったその場で不安そうに首を竦める連中。それでも一応は何事もなく全員が石碑の前に点火した蝋燭を立てて墓地を去ったあと、僕は必死に周囲の皆さんに詫びを入れて回った。大概は『若い連中は仕方ないねえ』と許してくださったが、やはりというか当然というか、頑固な御老人には『何を考えているんだ!』と怒鳴られた。それでも周囲の方々が宥めてくれたので何とか場は収まり、僕は当然の責任として後始末を始めることにした。

 学生寮の部屋割りは四人一組。肝試しのメンバーは八人。
 幸い肝試しで組になったメンバーは部屋割りに準じていたので、僕はとりあえず蝋燭を返してやることにした。一番インパクトがありそうなのは点火した状態で机に立てておく演出だったが火の用心的な意味で却下、その代わり二本に折った蝋燭を各自の通学鞄に一本ずつ突っ込んでおくことにする。これで懲りてくれたら良いのだが、連中にとっては、せいぜい新しい寮内七不思議が爆誕する程度の騒動だというのは長年の経験上から判っている。

 かつてこの学生寮で自殺した僕は、いつまでこんな風に『向こう側』に行けないまま彼らに微妙な警告を与え続けなければいけないのだろうと、ふと思った。
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刃の交わり(多分)

2013-07-27 01:47:31 | 即興小説トレーニング
 妹に男友達が出来た、めでたいことだ。

 兄貴の俺が言うのも何だが、妹の外見はそこそこ可愛いと思う。
 性格もまあ、多少頑固だがねじ曲がってはいないし、人付き合いもそれなりにこなしている。
 だが、今の今まで浮いた話が聞こえてこなかったのは、妹の趣味に対する傾倒が同好の士以外の相手、というよりぶっちゃけ常人には理解しがたいレベルの代物だったからだ。ちなみにここで言う『常人』には俺も含まれる。

 同性の友達には全く己の趣味について話さない妹だが、男友達が出来ると親しさを深めた頃合いを見計らったように己の趣味について怒濤のように話しまくり、結果ドン引きされて疎遠になるというのがいつものパターンで、それが何度も続くものだから趣味の話は男避けの牽制だとばかり思っていたが、どうやら妹は真面目に理解者を求めていたらしい。
 そんな中で、武藤は妹の前に現れたのだ。

 俺のクラスメイトである武藤は、今時肥後の守で鉛筆を削っているという変わり者だった。
 とは言っても別に学校にまでそれを持ってくるわけではなかったし、特に危険を感じるような相手でもなかったので、俺はつい妹が尋常じゃない刃物好きであると奴に話した。
 昔、ダーレスーパーシザーズとかいうドイツ製のハサミを購入した際は大騒ぎだったと話題にした途端に武藤の瞳に異様な光が宿り、出来れば妹を紹介して欲しいと頼みこんできた。流石にどうしてくれようかと思ったが、取りあえず本人の意志を確認するとその場を誤魔化して帰宅後、妹に経緯を話してみせると。
「ダーレスーパーシザーズを知っている相手なら、是非一度会いたい」
 などと、こちらも異様な光を瞳に宿しながら答えたので、何となく不安を感じながらも俺は二人を引き合わせ…… 常人には理解しがたい熱情と連帯感がそこに現出したのだった。
 ちなみにダーレスーパーシザーズとは、現在は存在しないドイツのダーレ社が販売していたとてつもない切れ味のハサミで、普通の学用バサミなら優に二十本以上は軽く買える値段だったりする。

 そんなわけで最近の二人は刃物の研ぎ方や手入れについて時間を忘れて語り合い、デート先の歴史記念館で日本刀の輝きに魅了されて立ち尽くし、秘かに門外不出のコレクションを自慢し合ったりしている。縁を切るという意味合いから異性だけでなく同性間でもやり取りが嫌われる刃物が付き合いの切っ掛けとなったのは珍しいかも知れないが、それもまた縁の一つだろう。 

 ちなみに、先日誕生日を迎えた妹へ武藤がプレゼントしたのは、関の孫六のペティナイフだった。ひょっとしてこのままお付き合いが続いたら、婚約指輪代わりに懐剣でもプレゼントするのでは無いかと一瞬不安になったが、まあ杞憂だろう。多分、きっと、或いは。

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ファミレスにて

2013-07-26 22:36:50 | 即興小説トレーニング
 昔のSFの定番ネタに、『冷たい方程式』というものがある。
 要は燃料食糧等が一人分しか用意されていない宇宙船に密航者が一名、さて貴方が助かる方法は?というもので、通常の答えは『貴方が相手を宇宙船から放り出すか、若しくは相手が貴方を宇宙船から放り出すか』だったと思う。
 と言うわけで、オレは眼前の後輩を見捨てるかどうかの瀬戸際に立たされていた。

「ああ、先輩じゃないですか。ご一緒して良いですか?」
 そう叫ぶと、奴はいつものようにオレの返事も訊かずに隣に座って料理を注文した。これもいつものことだ。そして、いつものパターンだと笑顔のまま料理を完食した後輩は、やはり笑顔のまま会計をオレに任せてくるのだ。その笑顔は敵ながら巧妙で、オレはいつも奴の分まで会計を済ませる羽目になる。あれはもう甘え上手とか言うレベルではない。オレが普段から優柔不断な性格だとか、そういう内的要因抜きで一種の技術、若しくは魔力だ。間違いない。

 だが、そんなオレでも無い袖は振れなかった。
 情けない話だが財布にはほぼ一食分の金額しか入っていない。いつものように『金は無いぞ』と牽制するが、やはり奴はいつものように『大丈夫ですよ』と笑う。

 大丈夫じゃないんだが。

 いや大丈夫ですから。

 これから予想される展開に料理の味も分からなくなったオレがそう繰り返すが、奴もまた同じように繰り返してくる。
 ここに至って、ようやくオレは今まで己がどれだけ奴によって理不尽な立場に押しやられて来たかを認識できた気がして、そろそろ切れても良いだろうと思い始める。
 確かに奴を甘やかしてきたのはオレだ。個人的にかなり好みのタイプだった事もあって、いささかの助平心があったことも否定しない。だが、それも限界だ。今度という今度は放り出してやる。もしも奴に金策が付かないとしても奴自身で何とかすれば良いんだ。

 そしてオレは自分でも驚くくらいに冷たく厳しい口調で宣言した。
「本当に、金は、無いぞ」
 すると奴は慣用表現に良くある『鳩が豆鉄砲を喰らったような表情』になって答えた。
「…… それって、支払いは大丈夫なんですか先輩?ひょっとして財布を忘れてきたとか」
 いきなり展開される奴の斜め上な心配にオレが言葉を失っていると、後輩は一人でうんうんと頷きながら自分の財布から奴とオレの食事代分の金額を差し出してきた。
「取りあえず、今回はこれで凌いでください。ああ、返してくれるのは明日以降で構いませんから」
 そう言うと、奴はいつも通りの笑顔をオレに向けてくる。

 どうやら今回オレの計算は、推論の段階で条件を一つ見落としていたようだ。
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