絵面とイメージから悪い意味に取られがちな死神は、どちらかというとニュアンス的には『終わり』を意味するカードだったりする。故に余り宜しくない悪縁や悪運の渦中にこのカードが出ると、配置にもよるが事態の解決を暗示することが多かった。
私の姉は小柄で童顔だが三児の母で、上から高三息子中二娘小六娘となっている。
ある日、私が編んだセーターとマフラーと靴下と帽子を姉にプレゼントしたら、その後うちに遊びに来た時息子がマフラー、娘達がそれぞれセーターと帽子を身に付けていて、三人に一斉に『ありがとう』とお礼を言われた。ちなみに姉は靴下を履いていた。
一緒にきた旦那さんが何だか寂しそうだったので、今度は腹巻きでも編もうかと思っている。
ある日、私が編んだセーターとマフラーと靴下と帽子を姉にプレゼントしたら、その後うちに遊びに来た時息子がマフラー、娘達がそれぞれセーターと帽子を身に付けていて、三人に一斉に『ありがとう』とお礼を言われた。ちなみに姉は靴下を履いていた。
一緒にきた旦那さんが何だか寂しそうだったので、今度は腹巻きでも編もうかと思っている。
吊られた男は罪人ではなく、苦行によって高みに到達しようとする修行者なのだそうだ。故にその表情は頭を逆さにしたまま吊られた格好でも苦しげには見えない。傍目からはドMにしか見えなくてもまあそういうことらしい、取りあえず、そういうことになっている。
僕の妹は時々何処からか奇妙なモノを拾ってくる。尻尾が二股に分かれた猫などはまだ可愛い方で(実際美猫だった)、ポーカーチップ製の義眼や十三まで文字盤のある時計、挙げ句に虹色に輝く芋虫にしか見えないモノを拾ってきた時にはどうしようかと思った。
そんな訳で、本来の持ち主が取りに現れるまでの妹特製の期間限定ギャラリーは、今日も色々な意味で大賑わいだ。
そんな訳で、本来の持ち主が取りに現れるまでの妹特製の期間限定ギャラリーは、今日も色々な意味で大賑わいだ。
獅子の口を押さえる静かな表情をした女性は、単純で直接的な力を制御するのには必ずしも同じかそれ以上の力が必要な訳では無いと物語っている。ただし、その制御はある意味で単純で直接的な力を振るうより遙かに難しかったりもする。
友人が、付き合っていた彼にいきなり『お前、自分が俺と同格の存在だと思っているんじゃないだろうな』と言われて一瞬で別れを決意したと言う。その損切りに対する慧眼と思い切りの良さを褒めると共に、そんな格下を彼女にした相手は何を考えていたのかと疑問を口にすると『上は下まで行けるけど、逆は身の程知らずの所業』と言われたとか。
すると、そんな格下の彼女に軽蔑と共に損切りされた彼氏は、一体今までどの辺の高みにいたのだろうと素直に思った。
すると、そんな格下の彼女に軽蔑と共に損切りされた彼氏は、一体今までどの辺の高みにいたのだろうと素直に思った。
昇り調子の時も有れば降り調子の時も有るのが運命の常だが、考えてみるとその根本は車輪軸という揺るぎない一点によって支えられて回転している訳で、それを逃れられぬ枷と嘆くか己に与えられた原点と考えるかは人それぞれだと思う。『人間(じんかん)万事塞翁が馬』という言葉も有るし、コレはもう洋の東西を問わない共通認識なのだろう。
作者註・元々の故事を調べていて『人間』を『にんげん』ではなく『じんかん』と読むと知って驚いた。『人の間』、つまり人生という意味なんですと。
作者註・元々の故事を調べていて『人間』を『にんげん』ではなく『じんかん』と読むと知って驚いた。『人の間』、つまり人生という意味なんですと。
お茶のお代わりは如何ですか?と上品な老夫婦に尋ねられた僕は、それよりあちらで旦那さんがお待ちですよと答えた。穏やかな雰囲気をした老紳士の姿に驚いて駆け寄った彼女は、僕の方に向き直ると微笑んでから老紳士と一緒に姿を消した。幽霊屋敷に現れる老婆の霊は消え、後には遺族によって売却予定の家が残った。
どうしてだか知らないが自分は昔から「人とはやや距離を置いて暮らしつつ、たまにやってくる相談者に何事かを答えはするが、必要以上には世俗に関わらない」という暮らしに憧れ続け、現在はそれに近いと思われる生活を送っている。
村の古老、もしくは隠者か仙人のようだとは複数の友人談。
村の古老、もしくは隠者か仙人のようだとは複数の友人談。
最近身の回りが妙だと思っていたら知らない間にストーキング対象になっていたらしい。相手は私に声を掛ける勇気も無いまま、うちのゴミを漁って私の髪や爪の他あまり詳述したくないモノを集め、自宅の物置に用意した等身大の人形に詰めて、まあ、色々とやっていたらのだそうだ。
結局、奥さんに見付かってとんでもない騒動になり、巻き込まれた私も引っ越す羽目になった。
結局、奥さんに見付かってとんでもない騒動になり、巻き込まれた私も引っ越す羽目になった。