カケラノコトバ

たかあきによる創作文置き場です

空と大地の狭間の彼女

2013-09-29 23:13:55 | 即興小説トレーニング
 地道な飛行訓練の甲斐あって、以前より遥かに虫を操れるようになった頃。
 彼女は、上空から自分の住んでいる地上人の街を見下ろすように眺めてみたいと僕に言った。

 正直、高所での飛翔は風を読むのが地上より難しく、彼女の現在の飛翔技術では些か心許なかったのだが、懇願に近い彼女の言葉に折れた僕は、それでは一緒に飛ぶならと答えることになった。とは言え彼女が自力で登れる高度には限界があったので、まずはそれほど標高の高くない山に登って、そこから飛ぶのが安全だと判断する。

 そんなわけで山の頂から飛ぶと、やはり彼女は風に流され気味だったが、それでも何とか大きく体勢を崩すこともなく街の上空を目指して虫を操っていた。
 大丈夫?と訊ねると、平気だと答えが返ってくるので、僕は彼女のペースに合わせてゆったりと自分の羽根を震わせながら飛翔を続ける。

 やがて豆粒のようだった地上人の街はどんどん大きくなり、ついには大小様々で色取り取りのマッチ箱を連ねたような建物の群れとなった。
「…… 箱庭みたい」
 彼女が呟き、僕もそうだねと頷く。だが、彼女は何か別のことを考えていたらしく、僕の相槌に反応しなかった。

 とにかく当初の目的は果たしたので地上に戻った僕らは、いつものように見晴らしの良い場所で食事にすることにした。蜻蛉族の僕は野菜主体のサンドウイッチ、彼女はそれにハムやベーコンが添えられる。
 爽やかな香草をブレンドしたお茶を飲みおえると、先程まで夢見るような表情で空を眺めるばかりだった彼女は何故か俯き加減に、空になったカップを意味もなく手の中で回していた。
「あの、覚えていますか?私が飛べるようになったら、どうして私が飛ぼうと思ったのかをお話しするって言ったのを」
 もちろん僕は覚えていたので頷くと、彼女は重い口をこじあけるようにぽつり、ぽつりと話しはじめる。

 彼女の父親は僕と同じ羽人で、やはり僕の父と同じように地上人の街に出稼ぎに来ていた際、彼女の母親と出会って恋に落ち、結ばれた。そして彼女が生まれた頃、父親が死んだのだそうだ。
 無理もないことかもしれなかった。総じて羽人は地上人に比べて短命だし、何より長年地上人の街で暮らせば生活形態の違いによるストレスから確実に寿命を縮めることが統計で明らかになっている。
 彼女の母親は父親の死を嘆く間もなく子育てに明け暮れ、疲れ果てた挙げ句に、彼女が父親の血筋から譲り受けた未発達の蝶羽を切り落としたのだ。

「彼女が何を考えてそうしたかは、私も判りません。それ以降、一度も顔を合わせていませんから」
 淡々と答える彼女の壮絶な身の上話に、僕はただ言葉を失うばかりだった。
「でも、それ以来、私は地上人でも羽人でもないまま生きてきて…… だから、自分で決めようと思ったのです。自分自身が何者であるのかを」
 だから私は飛ばなければならなかった。そんな彼女の言葉に僕はただ黙って頷き、そして訊ねた。
「それで、答えは出たのかい?」
「はい、決めました」

 彼女は街に戻り、地上人として暮らしていくと言った。今まで地上人の街で暮らしながら積み重ねてきたもの全てを振り捨てて飛べるほどに、彼女の心は軽くなれないのだと。
「それでも…… たまにはこうやって飛びに来ても良いのでしょうか?」
 勿論だと僕が答えると、彼女も微笑んだ。

 それが、僕と彼女との出会いと、終わりと、そしてはじまりの物語。
 
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空を行く配達人

2013-09-21 22:08:11 | 即興小説トレーニング
 そう言えば普段、仕事は何をしているの?
 彼女が訊ねてきたので、僕は郵便配達だと答えた。

「元々この辺のエリアは羽人の居住区でもかなり地上人の街に近いだろう。そこで働いている羽人が実家や友人に出す手紙を担当しているんだ」
 実際、地上人が羽人の居住空間を自在に飛び回るのはかなり難しい。風の読み方や虫の扱いだけでなく、鳥の巣を思わせる高所に建てられた家を番地名だけで把握するのも一苦労なのだ。
「まあ、僕は身一つで飛んでいるから大した量の手紙や小包は運べないんだけど」
 大きな輸送会社になると、何匹も虫を連ねたゴンドラで一度に大荷物を運んでいるが、そういう会社は、ほぼオーナーが地上人で、虫の扱いが特に上手い羽人を何人も雇って運営されているそうだ。
「大概の成人した羽人は地上人の街近くで暮らすのを好まないから、出稼ぎで働いている子どもや孫の便りを心待ちにしていてね。僕もずいぶん感謝されているよ」
「…… ひょっとして、羽人は地上人を嫌っているひとが多いの?」
 不安そうな彼女に、僕はそうじゃないよと軽く言ってのける。
「地上人の街は、基本的に僕たちが暮らすには風も緑も、それに広さも足りないんだ。別に好き嫌いじゃない。第一、羽人でも好奇心が強くて適応力のある若者は、結構街に馴染んで地上人と一緒に仕事をしているしね、僕の兄もそうだよ」

 兄は羽人の中では変わり者と言えた。羽人は基本的に己の抱えきれない財産を持つことを美徳としない。故に、蔵書やコレクションといった『もの』を家に置く習慣を持つものは少ないのだが、兄はその数少ない例外だった。沢山の本を読みたがり、拾った石を溜め込み、食べる以外の植物を鉢植えで育てたがる兄を周囲は持て余したが、父だけはその才を認めていた。だから地上人に雇われて必死に働き、兄が街で学ぶに足りるだけの学費を稼ぎ出してやったのだ。お陰で兄は羽人には珍しい学者となり、地上人の研究チームに混じって文字通りあちこちを飛び回っているそうだ。

「羽人は本を読まないの?」
 不思議そうに問い掛けてきた彼女に、文字が一般的になったのは地上人との付き合いが始まってからだと僕は答える。
「だから羽人の歴史は代々口伝で、それも羽人の古語で伝えられてきたんだよ」
 例えばと、僕は普段使わない言葉で羽人に伝わる英雄談のさわりを詠唱してみせる。彼女にとっては奇妙な歌、若しくは不思議な振動音にしか聞こえないであろうそれを、何故か懐かしそうな表情で聞いていた彼女は、僕が詠唱を終えると笑顔で拍手してくれた。
「意味は判らないんだけど、とても綺麗ね」
「これは現在の羽人居住エリアに妻と共に巣を構え、子を成し、集落を造った男の唄で、僕たち羽人は全てこの男の血を引いていると伝えられているのさ」
 だから唄は『男の息子の娘の妹の夫の…… 』と続いて、最後には必ず自分に繋がる。故に羽人が他人に、特に地上人には決して明かすことのない『本名』は名乗りを上げて終わるまでに数日間が必要なほどに長いのだ。

 ただ、地上人との付き合いで、羽人の生活も昔と比べて変わったからね。コレからは本を読んだり街で暮らす羽人も珍しくなくなるんじゃないかなと僕は答えた。

 
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空の消失点

2013-09-19 23:26:14 | 即興小説トレーニング
 羽人なら空を飛ぶのは怖くないの?と彼女は聞いてきて、僕は言葉に詰まった。
 僕のような背に羽を持って生まれてきたものにとって、空を飛ぶのは地上人が地を駆けるのと変わりない普通のことだと思っているからだが、それでも確かに事故がないわけではない。高さによっては助からないし、助かっても羽の損傷次第では一生自力で飛べなくなる場合だってある。
 だから、僕は正直に話すことにした。

「一度、もう助からないと思ったことはあるよ」
 まだ小さかった頃、父さんの言いつけを聞かずに無謀なほどの高みを目指した挙げ句、乱れた気流を読み切れずに巻き込まれ、ろくに羽ばたけないまま真っ逆さまに大地に向かって落下していった時は、このまま叩き付けられて終わるのだと覚悟した。
 結局は本当にぎりぎりのところで体勢を立て直して事なきを得たのだが、事態に気付いた父さんから大目玉を食らっている最中に僕が考えていたのは、落下の恐怖ではなく、助かったことに対する安堵ですらなく、逆さまになった自分の足元に広がる信じられないくらいに澄んだ蒼空と、綺麗に列を作ってその蒼空を滑るように飛ぶ人々の群れだった。

 やや老人の数が多いように感じた列に並ぶのは全て羽人で、僕のような蜻蛉族の他にも蝶族、蜂族、それに普段はあまり馴染みのない甲虫族もいた。
 不思議なくらい穏やかな表情で殆ど羽ばたきもせずに進んでいく人々の列は、空の果てでも目指しているかのように高く高く続いていて、先頭がどうなっているかは霞んで見えない。何とか目を凝らして列の先頭を見極めようとした、その時。

『オマエモイコウ』
 耳元で、と言うよりは耳の後ろ側から響く軋るような声。ソイツはどうやら僕の背中にへばり付き、羽根の根元に絡みついているらしく、僕が飛べなくなったのもそのせいらしかった。
「僕は行かない」
 ソイツに出会っても慌ててはいけない。姿さえ見なければ、そしてソイツの言うことに耳を貸したり同意したりしなければ命を奪われることはないのだと、僕は知っていた。
『オマエハトベナイ』
「僕は飛べる」
 思い通りに行かない獲物に対して苛立ちが混じったソイツの声が更に続く。
『オマエハオチル』
「僕は落ちない」
 更に答えると、ソイツは錆びた機械が立てるような軋んだ笑い声を上げた。
『オマエハイカナイ、オマエハトベル、オマエハオチナイ…… ダカラ、オマエハ…… 』
 そこまでが限界だったのか、ソイツは風に引き剥がされるように離れていき、僕はようやく自由になった羽で体勢を立て直したのだった。

「まあ、どんなことにでも油断は禁物だし、危機に陥ったときは何より落ち着くことが肝心だってことさ」
 そう話を締めくくる僕に、彼女は少しだけ不気味そうに訊ねてくる。
「でも、ソイツってのは死に神か何かなの?」
「そんな高級なものじゃないよ、邪気が中途半端に形を取った、まあ低級な妖さ」

 だが、そんな妖が最後に告げたことを、僕は未だに忘れられないでいる。

 オマエハイカナイ、オマエハトベル、オマエハオチナイ
 ダカラ、オマエハ、アソコニハモウイケナイ

 恐らくは全ての羽人が最期に行くであろう場所に、僕はもう一度辿り着けるのだろうか。
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空と大地の狭間の僕ら

2013-09-18 23:13:13 | 即興小説トレーニング
 黄金と白金を紡いだような輝きを放つ太陽が浮かぶ、どこまでも広がる澄み渡った蒼空。
 僕はいつものように玄関の戸を開け、遥か眼下に広がる大地に向かって飛び降りた。

 すると、いつものように背中の薄い蜻蛉羽が密かに、しかし飛翔には充分な程の振動をはじめて風に乗る。爽快さは確かに認めるが、それは地上人が二本の足で大地を駆けるのと殆ど替わらない感覚だと羽人の一人である僕は思う。
 だから最近流行っているらしい、虫を使った地上人の飛翔は勘弁して欲しい。彼らは概して風の流れを読む能力に欠けているし、自らの羽を痛めて飛べなくなった代わりに虫を操るようになった羽人の誰よりも虫の扱いが下手だ。おかげで羽人同士なら滅多に発生しない飛翔中の衝突事故が激増して社会問題にまでなっていると聞く。確かに、虫を使った地上人の飛翔は僕も何度か見たことがあるが、大体は虫を扱い切れずに危なっかしい飛び方をしていた。あれでは事故が起きても仕方がないだろう。
 そんなことを考えていると、ちょうど向こうからふらふらと飛んでくる人影。蝶型の綺麗な羽は明らかに自前ではなかったし、羽人の居住エリアを飛べるほど飛翔技術があるようには見えない。

 何だか嫌な予感がしてその場を離れようとしたが、人影は僕を見付けるなり何事かを叫び、明らかに僕に向かって速度を上げて近付いてきた。あんなに急いだら静止可能速度を越えるだろうにと心配していると、案の定、愕然とした表情で止まることも出来ないまま、もの凄い勢いで突っ込んできた。
 そして、僕は、とんでもない衝撃を腹部に受けて危うく朝食と不本意な再会を果たしそうになりながらも何とかそれを抑え、気絶してしまった相手の虫を宥めながらゆっくりと地上を目指すことになった。

 気絶していた相手は地上に戻るとすぐ意識を取り戻し、状況を理解するなり僕に平謝りしてきた。
 年の頃は僕より少し下、十六、七才だろうか。地上人特有のしっかりとした骨格を持つなかなか可愛い少女だ。ただ、地上人のエネルギッシュさに時折圧倒される僕が可愛いと感じるのだから、きっと地上人の感覚ではあまり健康的とは言えない子なのだろう。
「あんな程度の飛翔技術で、よく羽人の居住エリアまで飛んで来れたね」
 感心よりは揶揄を含んだ僕の言葉に、彼女は俯いて答える。
「…… 虫を、操れなくて」
「だと思った。でも、それは君にとってだけでなく僕たちにとっても危険なことなんだ」
「ごめんなさい…… それでも、飛びたかったの」
「それなら、きちんと飛び方を覚えて欲しい」
 何なら僕が教えてあげても良いけど。こう付け加えたのは冗談のつもりだったが、彼女は表情を輝かせた。
「是非お願いします!」
 今さら前言を翻すわけにもいかぬまま言葉に詰まる僕に、彼女は更に言葉を付け加える。

「そしていずれ、私がどうして空を飛ぼうとしたのか、その理由を聞いてやって下さい!」  
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刃物と、鈍器と、

2013-09-17 22:59:11 | 即興小説トレーニング
 友人との会話って言うのはね、相手に自分の意思を伝えるためだけのものではなく、相手と自分が楽しむためのものでもあるんです。だから、友人と話す際は基本的に楽しくなければならない。むしろ、楽しく会話できない相手を本当に友人と呼んで良いのか疑問ですよ。

 もちろん会話を楽しむには沢山の要素をクリアしなければならないんです。例えば、以前話したことのある内容を相手がどれだけ覚えているか、そして、覚えていることをどれだけ素直にさり気なくアピールできるか…… つまり、それが出来るか否かはどれだけ相手の話や相手そのものに興味を持っているかの証明、若しくは判断基準になるわけですね。

 当然自分のことだけ話すのはいけません。むしろ話したいことは少し抑えて相手の話を聞くのがベターですね。相手に興味があるのなら話す内容からどんなことに興味を持っているのか、そんなものが好きで、どんなものが嫌いなのかをきちんと把握するべきです。特に、嫌いなものについては結構話してくれない人が多いので、話題に出たら留意が必要です。でもまあ、必要以上に気を張ることはありません。これらの情報収集は、あくまで会話そのものを楽しみながら行うべきものですから。

 マイナスな内容の話題は出来るだけ避けたほうが賢明ですよ。相手に対して真剣な忠告を矢継ぎ早に行ったところで、受け止めて貰えるのはせいぜい一つか二つです。人間関係において『絶対的な正しさ』を追究し過ぎた場合、相手から返ってくるのは大概、深刻な不審と反発だけですから。例え言われた相手が貴方の意図、つまり相手のことを真剣に考えていると理解していても、それは避けられませんね。

 自分では忘れていたとしても、相手は貴方の言ったことを良く覚えています。つまりそれは、貴方が後に前言を翻したり、かつて自分が話した内容を忘れたような態度を取れば不審を抱かざるを得ないと言うことです。これは相手が貴方を信じられなくなったと言うよりは、貴方が相手に対して信じさせてくれなくなったと言うべきかもしれません。

 まあ、渦中にいると判らないものなんですよね。自分がどれだけ歪んだ人間関係の只中に存在するのかなんて。そして、気が付いたときにはもう遅い…… 良くあることです。こうなるともう、運かタイミングのどちらか、或いは両方が悪かったとしか言いようがない。いや本当に。

 よく、ほんの些細な動機で近しい相手を殺してしまう事件がありますよね。でも、あれは本当に最後の一押しで、殺人を犯してしまったほうはずっと昔から近しい相手に心を殺され続けていたのだと、ある心理学者が言っているのを本で読んだことがあります。酷い話ですよ全く。

 私を怨んでも構いません。でも、私はもう、貴方を死人にする以外に生きていく方法が存在しなかったのです。
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冬が来る前に

2013-09-16 23:28:03 | 即興小説トレーニング
 まだまだ日中は暑いとは言え、朝夕はさすがに肌寒く感じるようになった今日この頃。
 我が家の大型モップ犬、本名もっぷと、その飼い主兼世話役の僕は試練の時を迎えることになる。
 早い話が、換毛期だ。

 もっぷの名前の由来になった奴の体毛は常識外れに長く、普段からブラッシングには結構気を使うのだが、この季節はそれがごっそり抜け替わるのだ。当然ながら放っておくと抜け落ちた毛が絡まって出来たケサランパサラン擬きの毛玉が周辺を飛び交い、何も知らないご近所を『よもや謎生物が発生したのか?』などと無意味な困惑に陥れることになる。

 なら夏の間だけでもサマーカットにすれば良かろうと言われそうだが、普段は大人しくて聞き分けの良いもっぷが殆ど唯一、そして強硬に抵抗するのが体毛に鋏を入れられることなのだ。何故かは知らないが、どうやらもっぷはモップのような外見のままでいたいらしいと判断した僕は地道にブラッシングを欠かさなくなった訳だが、この時期はブラッシングの度に、纏めたらもっぷ一匹分にはなりそうな量の抜け毛を櫛から外しながら、思わず虚空に視線を向けて草競馬など口ずさんでしまうのだった。

 そんなある日、いつものように僕がブラッシングした抜け毛を櫛から外していると、何故か母さんがバケツを持ってやって来た。
「コレからもっぷの抜けた毛は全部取っておいてね」
「…… まとめて燃えるゴミの日に出すのかな?」
「違うわよ、最近知ったんだけど、犬の毛ってその気になれば毛糸を紡げるらしいじゃない。もっぷなの抜け毛ならワンシーズン分でマフラーくらい余裕で編めるわよ、きっと」
「衛生面に問題はないの、それ」
「ちゃんと煮沸消毒して天日干しするに決まってるじゃない。もちろん天然毛だから防虫剤と一緒に保存するし」
 はあ左様でございますかと、僕は言われたとおりにもっぷの抜け毛をバケツに放り込んだ。うちの母さんは、たまにこういうドコからか聞いてきた判らない妙なことを唐突に始める人なので、まあ好きにしてくれと思う。
「ところで、もっぷの毛糸で編んだマフラーは母さんがするのかな?」
 ハンドクラフトが好きな人にはありがちな、『作ったら後はどうでも良い』という気質そのままの母さんだ。きっと誰かに押しつけ…… もとい、プレゼントするつもりなのだろう。
「アンタがしたくないとしても安心しなさい、もっぷのファンは結構多いのよ。欲しがる人には事欠かないわ」
「そうなの?」
「アンタが何も知らないだけよ、飼い主の癖に」

 微妙に痛い一言を残してその場を去っていく母さんの背中を無言で見送った僕は、気を取り直すと再びもっぷの毛に櫛を入れ、抜けた毛をバケツに放り込む作業に戻った。やがて顔の前に垂れている毛を持ち上げるようにして、普段は隠れている円らな黒い目を見据えながら思わず呟いてしまう。

「お前、まだ何か僕に隠していることがあるだろう」
『ひゃん』
「あるんだな」
『ひゃん』
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贈りものを彼女に

2013-09-15 22:51:37 | 即興小説トレーニング
 いつだって真っ直ぐな言葉を掛けることが、出来なかった。
 だから、愛していると口に出したことはない。

 今時珍しい親同士が決めた結婚相手で、最初から恋愛感情の伴う高揚感とは無縁の関係だった。むしろお互い義務と責任を果たすためだけに一緒になり、一緒に暮らした。とはいうものの口答えの一つもしない彼女に対して、私は随分と横柄な態度を取り続けてきたと思う。

 子どもは二人、上は姉で下が弟。
 勝ち気な姉は独立心が強く、家にいると息が詰まると言って高校卒業と共に家を出て一人暮らしを始めたまま、滅多に家に戻らなくなった。結婚してもそれは同じで、さすがに初孫の顔は見せに来たが、それも数年に一度のことで、やがて疎遠になった。
 大人しい弟は黙々と勉学に励み、やがてやりたいことがあるからと家を出て行った。それ以来ろくに連絡も寄越さなくなり、やはり疎遠になった。

 二人が家から完全に姿を消した後、私は命に関わる病を得た。そして、病院での治療が無駄だと判断したときに医者の許可を得て家に戻って最期の時までの時間を過ごすことになった。妻は我が侭な病人である私に、やはり口答え一つしないで世話をしてくれたが、ある日、私の枕元に正座したまま言った。

「貴方の言いたいことは、いつも判っていました。
 私の味付けが濃いめだから、自分だけでなく私の健康も心配して料理に文句を付けたことも。
 身なりをあまり構わない私が周囲の人間に侮られないようにと、衣服に細かく注文を付けてきたことも。
 うっかり者の私が取り返しの付かない失敗をしないように、そして、取り返しの付かない失敗を軽く考えないようにと、何か失敗したときは厳しく叱責してきたことも。何もかも、全部」

 そう言って俯いた妻を、私は始めて本気で抱きしめてやりたくなった。素直でないが故にどうしても口に出来なかった私の言葉を、彼女は全て正しい方向で受け止めていてくれていたのだ。 
 だが、震える手を力なく妻に向かって伸ばした私の姿に、彼女はただ冷ややかな目を向けるばかりで決してその手を取ろうとしないまま、言葉を続けた。

「でも貴方の『正しい』言葉に私は傷付き続けて、それは私が至らないためだと努力を重ねてきました。それでも貴方は更に『正しさ』を私に突きつけ続けてきて…… もう、無理です」

 貴方を愛しています、だから、私が貴方を憎み始める前に死んでください。

 妻のそんな言葉を奇妙なほど冷静に聞きながら、私は己の死が彼女にとって最後の、そして最良の贈り物となるであろう事を今更ながらに気付かされた。 

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ネタバレ注意の思い出交換

2013-09-14 22:19:12 | 即興小説トレーニング
 スポーツに興味はないけれど、映画『フィールド・オブ・ドリームズ』は好きだな、と彼は言った。

 もう随分昔の作品だけど、啓示を受けた主人公の男が自分の所有していたトウモロコシ畑を潰して野球場を造り、家族を除く周囲から変人扱いされるけれど、その野球場に一人、また一人と歴代大リーガーの選手(その時点で全員故人)が現れて野球練習を始めるんだ。
 で、結局彼らの野球を見るために大勢の人がその野球場を目指す車のライトが連なっているシーンがクライマックスかな。ラストシーンはその野球場に現れた主人公の父親(もと野球選手、もちろん故人)と主人公が無言のままキャッチボールをするんだけど、何か胸にこみ上げてくる物があったね。

 君の方はどうなんだい?と聞かれた私はドン引きされるのを覚悟で答える。

 子どもの頃に読んだ漫画『アストロ球団』かしら。
 第二次世界大戦で戦死した沢村栄治投手が、戦地で仲良くなった地元民の男の子に死地に向かう前日、自分は死んでも九人の野球戦士として必ず生まれ変わる。だから君はその九人を見付けて野球チームを作って欲しいと遺言を残して、後に実業家として成功したかつての男の子は資産を活用して一人、また一人と野球選手を見付けていき、アストロ球団を設立したの。
 でも話のキモは、元ネタになった八犬伝と同じく野球選手が九人集まるまでの戦いだったから、プロ野球球団なのにメンバーが揃わないまま超絶打法と殺人投法で試合を無理矢理進めていって、最後には危険だという理由でプロ野球界から永久追放されるの。それでも野球戦士は揃ったから新天地を目指そう、先ずはアフリカへ。みたいな終わり方で何だか感動すればいいのか良く判らなかった気がするわね。

 とりあえず、今度会える休日は彼の家で『フィールド・オブ・ドリームズ』を一緒に見ることになった。ついでに彼は『アストロ球団』の文庫本をネット通販購入を目論んでいるらしい。

 そんな事を何となく共通の友人に話すと、『あんたらって本当にお似合いのカップルだわ』と空の果てでも視ているかのような遠い目をされた。
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夏の絵日記

2013-09-13 23:48:36 | 即興小説トレーニング
 夏休みの数日間と言う約束でうちに始めて遊びに来た小学一年生の甥っ子は、庭で寝そべっていたうちの大型モップ犬、本名もっぷを初めは犬どころか動物とは思わなかったらしい。おかげで昼寝から覚めたもっぷが立ち上がって伸びをすると、お化けが出たと言って大泣きされた。

 僕が必死にもっぷが動物で、しかも大人しい犬だから怖くないと宥めると、ようやく泣きやんだ甥っ子は恐る恐るもっぷの毛並みに手を伸ばし、触っても安全だと判ると途端にわしゃわしゃと毛並みを掻き混ぜ始める。別に珍しいことではないので目を離さないまま好きにさせていると、今度はもっぷの背中にまたがろうとしたので、それはさすがに止めた。

 河原で投げたフリスビーを見事にキャッチしてみせるもっぷの姿を披露すると、はしゃいだ甥っ子は自分もやると大暴投して川に落としてしまった。流れていくフリスビーを泣きそうな顔で見詰めている甥っ子の脇を、僕が止める間もなく稲妻のようにすり抜けて川に飛び込んたもっぷは、たちまちのうちに追いついたフリスビーを咥えて戻ってきた。喜ぶ甥っ子の姿に一安心しながら、それこそ水を浸した本物のモップのような情けない外観に成り果てたもっぷを完全に乾かし、元の姿に戻してやるまでに、どれだけの手間が掛かるかを考え始めていた。

 夏休みの宿題と言うかドリルや絵日記の日課をこなすのは、うちに遊びに来るときの約束になっていたので、甥っ子は渋々ながらも漢字の書き取りや算数の計算を行い、絵日記にはもっぷと遊んだことを実に楽しそうに書き殴っていた。もっぷと思しき物体がどう見ても茶色いタワシにしか見えないのは、まあ、ご愛敬だろう。

 やがて自分が宿題に追われている中で呑気に昼寝をしているもっぷの姿に何か感じる物があったのか、もっぷは勉強しなくていいから良いよなどと絡みはじめた。
 もっぷは見かけより頭が良いぞと僕が答えると、それでも計算は出来ないだろ?などと生意気な口答えをしてきたので、僕はもっぷを見据えて言ってやった。
「もっぷ、三足す二は?」
『ひゃんひゃんひゃんひゃんひゃん』
 いつものように、きちんと五回吠えたもっぷの頭を撫でてやった僕のドヤ顔に、甥っ子はむくれて食い下がる。
「そんなの、お兄ちゃん(僕はまだ大学生なので、こう呼んで貰っている)が教えたんだろ?」
 それじゃお前が聞いてみろと促すと、甥っ子は少しだけ考えてから言った。
「もっぷ、じゅうろく、たす、はちは?」
 小学一年生の甥っ子にとっては精一杯の難問を出したつもりだったのだろうが、もっぷはさほど時間を置かずに吠えてみせた。
『ひゃんひゃん、ひゃんひゃんひゃんひゃん』
「違うだろ!にじゅうよんだよ!」
 やっぱり犬だよねと笑う甥っ子に、僕はその辺の紙に2、そしてすぐ隣に4を書いて示す。
「もっぷは最初は二回吠えて、次に四回吠えた。正解だ」
 するとてっきり悔しがるとばかり思っていた甥っ子は目を輝かせ、すごい!さんすういぬだ!などと訳の判らないことを言い出した。別にうちのもっぷが出来るのは計算だけではないのだが、これ以上事態がややこしくなるのは避けたかったので曖昧に頷く。

 そんなわけで甥っ子はうちにいる間、もっぷと一緒に、本来は苦手だったらしい算数を、とても楽しそうに勉強して帰っていった。代わりに絵日記の内容がファンタジーすれすれの謎日記と成り果てたが、コレは別に僕のせいでも、ついでにもっぷのせいでも無いと思う。 
 
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おかえりなさい

2013-09-12 22:53:58 | 即興小説トレーニング
 その子が、いつからうちの庭にある大きな樹の下にいたのかは知らないし、どこから来たのかも興味はなかった。
 ただ、気が付いたときには既にその子はそこにいて、いつだって遊ぼうと微笑んできた。

 落ち葉や木の実を拾ってままごと遊びをしたり、鬼ごっこと称して樹の回りを何度もぐるぐる回ったりと、今から考えると実に他愛ない遊びだったが、二人きりで遊ぶのは楽しかったと思う。何しろ、その子の存在は大人や他の子ども達には決して知られてはいけない二人だけの秘密だと、その子と一緒に誓ったのだから。

 けれど良くある話だが、よその友達と外で遊ぼうとしないのを心配した母親が注意深く観察を続けた結果、とうとうあの子の姿を見たらしく、血相を変えて問い詰めてきた。そのまま誤魔化しきれずに知っているだけのことを全て話すと、いきなり納屋から鉈を持ち出してきて、狂ったように叫びながら樹の幹に打ちつけ始めた。樹は頑丈で大した傷は付かなかったが、騒ぎを聞きつけて現れた祖父と父は激昂した母を宥めるより先に握りしめていた鉈をもぎ取り、そのまま手加減無しで母を殴り飛ばして何やら罵倒を始める。

 普段は優しい大人たちが繰り広げる想像を絶する修羅場に動けないでいると、母は私の手を無理矢理にとって自分の部屋に行き、箪笥やら棚やらを引っかき回して手荷物を纏めると、そのまま家を出て二度と戻らなかった。

 母の死後、ようやく居場所を探し当てたと現れた父に連れられて家に戻った時も、その子は昔と変わらぬままの姿で大きな樹の下にいた。

 おかえり、おおきくなったんだ。

 そう言えば確かに昔、二人で誓い合ったのだ。ずっといつまでも一緒に遊ぼうと。だから、その子と同じ年になったらこっちにおいでと。そうしたら、その子のようにずっと子どものまま、一緒に遊んでいられるのだと。子どもの頃はろくに意味も判らず、ただ仲良しのその子といつまでも一緒にいられるというのが嬉しくて、確かに誓った。間違いない、けれど、それは、つまり。

 でももう、そんなにおおきくなったのなら、もういっしょにあそべないね。

 寂しげなその子の様子に、思わず胸が締め付けられる。理由や状況がどうあれ、その子との誓いを反古にしたのは間違いないのだ。しかし、次の瞬間その子は再び微笑みながら言葉を続けた。

 それなら、こんどいっしょにあそぶのは、おまえのこどもでいいや。

 邪気の欠片もない、それ故に底知れぬほどおぞましい微笑みに思わず後じさった私の肩を、大きく骨張った手が掴んだ。それが父の物であることは振り向かずとも見当が付く。

 恐らく家は代々そうやって栄えてきたのだと、涙で輪郭が歪み始めたあの子の姿から、それでも目を離すことが出来ぬままに悟った。
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