地道な飛行訓練の甲斐あって、以前より遥かに虫を操れるようになった頃。
彼女は、上空から自分の住んでいる地上人の街を見下ろすように眺めてみたいと僕に言った。
正直、高所での飛翔は風を読むのが地上より難しく、彼女の現在の飛翔技術では些か心許なかったのだが、懇願に近い彼女の言葉に折れた僕は、それでは一緒に飛ぶならと答えることになった。とは言え彼女が自力で登れる高度には限界があったので、まずはそれほど標高の高くない山に登って、そこから飛ぶのが安全だと判断する。
そんなわけで山の頂から飛ぶと、やはり彼女は風に流され気味だったが、それでも何とか大きく体勢を崩すこともなく街の上空を目指して虫を操っていた。
大丈夫?と訊ねると、平気だと答えが返ってくるので、僕は彼女のペースに合わせてゆったりと自分の羽根を震わせながら飛翔を続ける。
やがて豆粒のようだった地上人の街はどんどん大きくなり、ついには大小様々で色取り取りのマッチ箱を連ねたような建物の群れとなった。
「…… 箱庭みたい」
彼女が呟き、僕もそうだねと頷く。だが、彼女は何か別のことを考えていたらしく、僕の相槌に反応しなかった。
とにかく当初の目的は果たしたので地上に戻った僕らは、いつものように見晴らしの良い場所で食事にすることにした。蜻蛉族の僕は野菜主体のサンドウイッチ、彼女はそれにハムやベーコンが添えられる。
爽やかな香草をブレンドしたお茶を飲みおえると、先程まで夢見るような表情で空を眺めるばかりだった彼女は何故か俯き加減に、空になったカップを意味もなく手の中で回していた。
「あの、覚えていますか?私が飛べるようになったら、どうして私が飛ぼうと思ったのかをお話しするって言ったのを」
もちろん僕は覚えていたので頷くと、彼女は重い口をこじあけるようにぽつり、ぽつりと話しはじめる。
彼女の父親は僕と同じ羽人で、やはり僕の父と同じように地上人の街に出稼ぎに来ていた際、彼女の母親と出会って恋に落ち、結ばれた。そして彼女が生まれた頃、父親が死んだのだそうだ。
無理もないことかもしれなかった。総じて羽人は地上人に比べて短命だし、何より長年地上人の街で暮らせば生活形態の違いによるストレスから確実に寿命を縮めることが統計で明らかになっている。
彼女の母親は父親の死を嘆く間もなく子育てに明け暮れ、疲れ果てた挙げ句に、彼女が父親の血筋から譲り受けた未発達の蝶羽を切り落としたのだ。
「彼女が何を考えてそうしたかは、私も判りません。それ以降、一度も顔を合わせていませんから」
淡々と答える彼女の壮絶な身の上話に、僕はただ言葉を失うばかりだった。
「でも、それ以来、私は地上人でも羽人でもないまま生きてきて…… だから、自分で決めようと思ったのです。自分自身が何者であるのかを」
だから私は飛ばなければならなかった。そんな彼女の言葉に僕はただ黙って頷き、そして訊ねた。
「それで、答えは出たのかい?」
「はい、決めました」
彼女は街に戻り、地上人として暮らしていくと言った。今まで地上人の街で暮らしながら積み重ねてきたもの全てを振り捨てて飛べるほどに、彼女の心は軽くなれないのだと。
「それでも…… たまにはこうやって飛びに来ても良いのでしょうか?」
勿論だと僕が答えると、彼女も微笑んだ。
それが、僕と彼女との出会いと、終わりと、そしてはじまりの物語。
彼女は、上空から自分の住んでいる地上人の街を見下ろすように眺めてみたいと僕に言った。
正直、高所での飛翔は風を読むのが地上より難しく、彼女の現在の飛翔技術では些か心許なかったのだが、懇願に近い彼女の言葉に折れた僕は、それでは一緒に飛ぶならと答えることになった。とは言え彼女が自力で登れる高度には限界があったので、まずはそれほど標高の高くない山に登って、そこから飛ぶのが安全だと判断する。
そんなわけで山の頂から飛ぶと、やはり彼女は風に流され気味だったが、それでも何とか大きく体勢を崩すこともなく街の上空を目指して虫を操っていた。
大丈夫?と訊ねると、平気だと答えが返ってくるので、僕は彼女のペースに合わせてゆったりと自分の羽根を震わせながら飛翔を続ける。
やがて豆粒のようだった地上人の街はどんどん大きくなり、ついには大小様々で色取り取りのマッチ箱を連ねたような建物の群れとなった。
「…… 箱庭みたい」
彼女が呟き、僕もそうだねと頷く。だが、彼女は何か別のことを考えていたらしく、僕の相槌に反応しなかった。
とにかく当初の目的は果たしたので地上に戻った僕らは、いつものように見晴らしの良い場所で食事にすることにした。蜻蛉族の僕は野菜主体のサンドウイッチ、彼女はそれにハムやベーコンが添えられる。
爽やかな香草をブレンドしたお茶を飲みおえると、先程まで夢見るような表情で空を眺めるばかりだった彼女は何故か俯き加減に、空になったカップを意味もなく手の中で回していた。
「あの、覚えていますか?私が飛べるようになったら、どうして私が飛ぼうと思ったのかをお話しするって言ったのを」
もちろん僕は覚えていたので頷くと、彼女は重い口をこじあけるようにぽつり、ぽつりと話しはじめる。
彼女の父親は僕と同じ羽人で、やはり僕の父と同じように地上人の街に出稼ぎに来ていた際、彼女の母親と出会って恋に落ち、結ばれた。そして彼女が生まれた頃、父親が死んだのだそうだ。
無理もないことかもしれなかった。総じて羽人は地上人に比べて短命だし、何より長年地上人の街で暮らせば生活形態の違いによるストレスから確実に寿命を縮めることが統計で明らかになっている。
彼女の母親は父親の死を嘆く間もなく子育てに明け暮れ、疲れ果てた挙げ句に、彼女が父親の血筋から譲り受けた未発達の蝶羽を切り落としたのだ。
「彼女が何を考えてそうしたかは、私も判りません。それ以降、一度も顔を合わせていませんから」
淡々と答える彼女の壮絶な身の上話に、僕はただ言葉を失うばかりだった。
「でも、それ以来、私は地上人でも羽人でもないまま生きてきて…… だから、自分で決めようと思ったのです。自分自身が何者であるのかを」
だから私は飛ばなければならなかった。そんな彼女の言葉に僕はただ黙って頷き、そして訊ねた。
「それで、答えは出たのかい?」
「はい、決めました」
彼女は街に戻り、地上人として暮らしていくと言った。今まで地上人の街で暮らしながら積み重ねてきたもの全てを振り捨てて飛べるほどに、彼女の心は軽くなれないのだと。
「それでも…… たまにはこうやって飛びに来ても良いのでしょうか?」
勿論だと僕が答えると、彼女も微笑んだ。
それが、僕と彼女との出会いと、終わりと、そしてはじまりの物語。