キリスト教における煉獄は断罪の場である地獄とは異なり、贖罪の場であるという。永劫とも思える苦しみの中、それでも扉を開いて道を進んでいくものだけが、やがて天国へと至れるのだと神父様は仰った。そうだとしたら、大罪を犯し今は煉獄に在る筈の彼の魂もいずれは解放されるのだろうか。
キリスト教における煉獄は断罪の場である地獄とは異なり、贖罪の場であるという。永劫とも思える苦しみの中、それでも扉を開いて道を進んでいくものだけが、やがて天国へと至れるのだと神父様は仰った。そうだとしたら、大罪を犯し今は煉獄に在る筈の彼の魂もいずれは解放されるのだろうか。
私には昔から怖い話を読み漁る習慣がある。
思えば小学生の頃、まんが日本昔話で放映された耳なし芳一の話に酷く怯えて以来、怖い話の蒐集は自分にとって人生における最重要事項の一つと化した気がする。恐らく物語の内容を知ることで恐怖そのものを制御しようと、幼いながらに考えたのだろう。
やがて恐怖の対象は幽霊や妖怪だけでなく生身の人間にも及び、大きな事故や犯罪、或いは天災などの情報も蒐集するようになって気付いたのだが、人間が尋常とは言いかねる状況で死亡した場合、必ずと言っていいほど人々は不可解な怪異を語るのだ。
恐らくそれは理不尽に奪われた生命に対する哀悼であり、一歩間違えば己自身が命を奪われていたかもしれないという恐れであり、更には生き残ってしまった事に対する後ろめたさなのだろうと最近は思うようになった。因果は実際のところ、その因縁を知らない人間にとっては理不尽極まりないものであり、そんな理不尽を一番わかりやすく体現したのが、死にきれず現世に現れる被害者の姿なのだ。
しかし、世の中には極めて些細な事象を基に組み上げられていく「怪談」も決して少なくない。ろくな実体を持たぬまま怪異としての完成度を高めていった物語は、一体どこでその恐怖に対する帳尻を合わせるのだろうか。
思えば小学生の頃、まんが日本昔話で放映された耳なし芳一の話に酷く怯えて以来、怖い話の蒐集は自分にとって人生における最重要事項の一つと化した気がする。恐らく物語の内容を知ることで恐怖そのものを制御しようと、幼いながらに考えたのだろう。
やがて恐怖の対象は幽霊や妖怪だけでなく生身の人間にも及び、大きな事故や犯罪、或いは天災などの情報も蒐集するようになって気付いたのだが、人間が尋常とは言いかねる状況で死亡した場合、必ずと言っていいほど人々は不可解な怪異を語るのだ。
恐らくそれは理不尽に奪われた生命に対する哀悼であり、一歩間違えば己自身が命を奪われていたかもしれないという恐れであり、更には生き残ってしまった事に対する後ろめたさなのだろうと最近は思うようになった。因果は実際のところ、その因縁を知らない人間にとっては理不尽極まりないものであり、そんな理不尽を一番わかりやすく体現したのが、死にきれず現世に現れる被害者の姿なのだ。
しかし、世の中には極めて些細な事象を基に組み上げられていく「怪談」も決して少なくない。ろくな実体を持たぬまま怪異としての完成度を高めていった物語は、一体どこでその恐怖に対する帳尻を合わせるのだろうか。
未だによく判らない話。
だいぶ昔のことだが友人二人から妙なイメージを受け取ったことがある。
一人は神経質そうな細面でステッキ片手に背広をお洒落に着こなした伊達老人。もう一人はしきりと頭を下げてくる黒縁眼鏡を架けた中年男性。いずれも本来の友人達からはかけ離れた姿なので心当たりを尋ねると、一人目は平然と自分の曾祖父だと思うと答えが返ってきたが、もう一人は明らかに思い当たる風がありながら、何故か頑なに口を閉ざすばかりだった。
だいぶ昔のことだが友人二人から妙なイメージを受け取ったことがある。
一人は神経質そうな細面でステッキ片手に背広をお洒落に着こなした伊達老人。もう一人はしきりと頭を下げてくる黒縁眼鏡を架けた中年男性。いずれも本来の友人達からはかけ離れた姿なので心当たりを尋ねると、一人目は平然と自分の曾祖父だと思うと答えが返ってきたが、もう一人は明らかに思い当たる風がありながら、何故か頑なに口を閉ざすばかりだった。
友人から昔聞いた話。
当時流行っていたこっくりさんを数人で行っていたら何故か帰ってくれなくなり、半泣きでどうしたら良いのか尋ねると近所の公園にある四阿のベンチに書かれた字を消してくれと答えが返ってきたので全員で公園に向かい、ベンチの字を一生懸命捜したけれど、結局それらしい字は見付からなかったそうだ。
当時流行っていたこっくりさんを数人で行っていたら何故か帰ってくれなくなり、半泣きでどうしたら良いのか尋ねると近所の公園にある四阿のベンチに書かれた字を消してくれと答えが返ってきたので全員で公園に向かい、ベンチの字を一生懸命捜したけれど、結局それらしい字は見付からなかったそうだ。
今でも謎なのだが、昔、友人から水晶(多分練り水晶)の丸いペンダントを貰って身に付けていたことがあって、三年ほどですっかり曇ってしまった、と言うか中に細かい気泡が沢山入ってしまった。くれた友人に再び見せたらこれは良くないから処理しようと言った次の日に行方不明になった。友人は「逃げたな」とか言っていたが何だったんだ一体。
なんとなく思い出した話。今も昔も懸賞の当落は商品の発送を以て替えさせて頂きますと言うのが普通だが、子供の頃、確かカルビーのTシャツプレゼントに応募した際、数ヶ月後に届いたのは落選のお知らせ絵葉書だった。嫌がらせかよ。
嘘のような本当の話。
帰宅途中に前方の車が猫を引っかけた。どういう弾みか猫は半回転して歩道に移動し、更に半回転してから凄い勢いで車道とは反対方向に逃げていった。その車はすぐ先で信号待ち停車をしていたのだが、ちょうど後ろにいた私に「今の何ですか?」と聞いてきたので「猫です」と答えたら物凄いヤッテシマッタ感溢れる表情になった。とりあえず「逃げていきましたけどね」と付け加えたら安心したようだ。
帰宅途中に前方の車が猫を引っかけた。どういう弾みか猫は半回転して歩道に移動し、更に半回転してから凄い勢いで車道とは反対方向に逃げていった。その車はすぐ先で信号待ち停車をしていたのだが、ちょうど後ろにいた私に「今の何ですか?」と聞いてきたので「猫です」と答えたら物凄いヤッテシマッタ感溢れる表情になった。とりあえず「逃げていきましたけどね」と付け加えたら安心したようだ。
外面はともかく内面は腐り果てた性根の主人公が求めて止まなかった理想の金魚が、彼が掛け合わせに失敗した出来損ないの金魚を集めておいた生け簀から産まれたという展開を読んで、醜の極みが美の極致に最も近いとは、実は皮肉でもなんでもなくこの世界の摂理なのではないかと考えてしまった。