「…… まあ、昔の話はともかく、拙者が訊きたいのは、神殿で不祥事を起こした人間でも、場合によっては復学を許されるのかということなのだが」
「それは状況によりますね。許される場合もありますが、許されない場合もあります」
ザロンが本当は何が言いたいのかを充分に承知しながら、それでもハリーはそんな風に答えることしか出来なかった。
「そうだな 、詮無いことを訊いてしまった。忘れてくれ」
項垂れるザロンに、ハリーは決心したように一つ頷いてから、常に身に付けている革製の手甲を外して左手の甲を晒してみせる。月明かりに淡く浮かび上がる神殿の紋章。
「貴殿の相棒殿が、未だこの紋章を失っていないのなら、或いは希望があるかも知れません」
神殿で学んだ何よりの証、精霊界との契約印。滅多なことでは他人の目に晒されることのない紋章に目を見張るザロン。
「気を遣わせてしまったようだな、済まない」
ザロンの言葉に、ハリーは手甲をはめ直してから首を横に振って見せる。
「いいえ、貴殿が自分の相棒殿に出来るだけのことをしたかったように、私も貴殿の質問に出来るだけ答えたかった。それだけです」
「奴の為ではない」
今度はザロンが首を横に振り、呟くように言葉を続けた。
「拙者には拙者の過去や思惑があって、それ故、奴に惨めな死に方をして欲しくないだけだ。それだけのことに過ぎん」
自分の父親と大して歳の変わらぬ男が浮かべる苦い笑みに、ハリーはどう答えればいいのか判らなくなる、その時。
「いやー良い話じゃないか」
ハリーが連れてきた獣の両前肢を手に取り、ぺんぺんと拍手をさせながら言ったのはアルベルトだった。派手な動作で身構えるザロンに対して、ハリーは脱力しきった口調で言った。
「とりあえず、フェルから手を離してください」
すっかりアルベルトを上位者と認定したらしく、弄り回されながらも鼻を鳴らして甘える獣に冷たい視線を向けるハリー。
「フェルって言うのかこいつ、可愛いな」
「指の二、三本を食い千切られても、まだそんなことを仰る自信がありますか?」
主人の視線に身を竦め、気を取り直したように唸りはじめる獣の態度に慌てて身を引くアルベルト。
「それで、何か御用ですか?」
「いや、ハリーが悪い男に騙されたらいけないなと思って。まあそれは取り越し苦労だったようだが」
久し振りだな隻眼将軍、そんなアルベルトの言葉にザロンの雰囲気が一変する。
「…… 拙者を、その名で呼ぶな」
霜の降りたような口調に思わず身震いするハリー、だがアルベルトの方は、よほど面の皮が厚いのか平然としたまま答えた。
「嫌だな将軍、おれとお前の仲じゃないか」
「やはり、あの時に殺しておくべきだった」
どうやら本気で剣の柄に手をかけるザロン、しかしアルベルトは平然としたまま優雅にハリーの手を取ると、もう片方の手を翻してザロンの顔に何かの包みを投げ付ける。そのまま視界を潰されて呻きながら顔を覆うザロンを残して駆け出す。腕を掴まれたまま訳も判らず一緒に走るハリーは、不意に暗がりから現れて二人に、特にハリーに向かって手を伸ばしてくる人影を容赦なく打ち倒すアルベルトの姿に愕然とするしかなかった。
「…… ここまで来れば、大丈夫か」
やがて足を止め、心なしか真剣な表情と口調でハリーと向き合うアルベルト。
「お前がザロンを信じたのは間違っていない。あいつはそう言う男だ。だがな、だからと言って奴の背後にいる連中まで信用できるかと言えば、そうじゃない」
王都の貴族に、特に王族に関わる以上、それを決して忘れるな。アルベルトの言葉に思わず質問を投げかけようとしたハリーは、眼前の男、かつては王室騎士団長を勤めていた男の、普段は決して伺うことの出来ない厳しい眼差しに射すくめられて言葉を止める。
「まあ取りあえず、今日は部屋に戻って休め。殿下が心配なさるから、明日は普段通りに振る舞って余計なことは言わんでくれよ」
じゃあなフェル、また今度遊ぼうぜ。などと最後には普段通りの口調に戻って歩み去っていくアルベルトの背中を呆然と見送りながら、ハリーは主人を案じるように鼻を鳴らして擦り寄ってきた獣の首を抱きしめながら我知らず呟いていた。
「フェル、どうやら今の私には知らないことが多すぎるようだ」