本物の王子さまみたいだね。
一応は本物のお姫さまであるハリーに笑顔でそう言い放った本物の王子さまである殿下は、どう見ても本物のお姫さまだった。王都に来てまで何だってこんな目に遭わなければいけないのだろうと、ハリーは思わず世を儚む。
それでも、結局はアルベルトの言うことを真に受けた自分が馬鹿だったのだと己に言い聞かせつつ、陽が落ちてから広場ではじめられた広場でのダンスに参加するハリー。殿下のステップは見事だったし、ハリー自身もローランドの娘子軍でダンスを教える際、かなりの確率で男性役をさせられていたこともあって、見物人たちのあちこちから感嘆の溜息が漏れ出た。
「ハリー、とても素敵だよ」
囁くような殿下の言葉に、ハリーがどんな表情をしていいのか判らないでいると。
「見付けたぞ、殿下と小娘!」
いきなり湧いて出てきたのは、ハリーもいい加減その存在を忘れかけていた喧(かしま)し男のギリアムだった。
「貴殿は、まだ王都に居たのですか」
やや呆れの混じった呟きを漏らしたハリーに、ギリアムは噛み付くような叫び声を上げながら掴み掛かってくる。
「こっちだって体を張って仕事をしてるんだ!今日こそは…… があっ!」
ターンと共に、殆ど他人には判らない程に自然な動作でギリアムの爪先を踏みにじるハリー。だが、ギリアムは挫けなかった。
「いつも殿下に貼り付いている邪魔者ならココには来れないぜ。何しろ相棒がえらく熱心に足止めを…… おごおおっ!」
今度は裏拳を顔面に叩き込んだが、それでもギリアムは諦めない。
「いいから一緒に来い!さもなきゃもっとタチの悪い連中が動…… ってえええっっ!
こっちが下手に出ていればいい気になりやがって!」
ハリーがダンスのステップを乱さぬままにさりげなく放つ、地味だがダメージの大きい攻撃に耐えかねたのか、そんな風に叫びながら抜剣しかけるギリアム。しかし、不意に伸びてきた太い腕がそれを制した。
「おいおい兄ちゃん、皆が楽しんでいるときに野暮は止しなよ」
恐らくは王都で暮らす職人とおぼしき男は、逞しい体をハリーとギリアムの間に滑り込ませながら続ける。
「ひょっとしたら、この別嬪さんに横恋慕してるのかもしれんが、こんな立派な王室騎士隊員の坊ちゃん相手じゃ兄ちゃんに勝ち目はねえよ」
怒りのあまりに一瞬だが言葉を見失ったらしいギリアムに、男は更に、第一どう見ても坊ちゃんと並んでいる方がお似合いじゃねえか、などと畳みかけた。
そうだそうだと周囲から無責任な同意の声が上がる中、男はハリーに向かって笑顔で囁きかける。
「こいつは任せて、早く何処かで二人きりになりな」
せいぜい頑張りなよと続ける男に曖昧な表情で礼を述べると、ハリーは優雅に殿下の手を取り直すと、再び喧しく騒ぎはじめたギリアムを置いて駆け出していた。
広場から離れた辺りで足を止めると、殿下は息も絶え絶えといった風情で、しかし心底からの笑顔をハリーに向ける。
「有難うハリー、とても楽しかった」
これからどんなことがあっても、今日のことは絶対に忘れないよ。そんな風に続く殿下の言葉に何処か引っかかるものを感じるハリー。だが、殿下に対する質問の言葉を紡ぎ出すより早く、自分たちが囲まれていることに気付いて身構える。
二人を取り囲んでいるのは、ハリーと同じく儀礼服姿の王室騎士隊員だったが、彼らの視線はどう見ても『同僚』に対して向けられるものではなかった。そこではじめて、ハリーは自分が身に付けた儀礼服の仕立てと刺繍が彼らのそれと比べて遥かに緻密かつ繊細であることに気付く。ハリーにとっては無理矢理に着せられた借り物でしかないのだが、彼らの神経を逆撫でする要素としては充分らしい。
一人が無言のまま剣を抜くと、つられたように全員が抜刀する。そして抜刀したことで決心がついたのか、貼り付いたような笑みを浮かべながら包囲を狭めてきた。
庇うようにして背後に回した殿下の動揺を痛いほど感じながら必死に思考を巡らせるハリーだったが、何しろ多勢に無勢。現状を打開する賭けに打って出るのは無謀すぎると判断せざるをえない。自分一人ならともかく、殿下も一緒なのだ。
唇を噛み締めながら軽く両手を挙げてみせると、男の一人が乱暴な足取りで近付いて来るなり、底意地の悪い笑顔を浮かべながらハリーの剣を鞘ごと奪い取る。騎士として目が眩むほどの屈辱だったが、今はどうすることも出来ない。
「第三王子殿下、それにローランドの姫君、これから我々とご同行願います」
丁寧な言い回しの中にあからさまな侮蔑を隠そうともせずに宣言してから、男は優雅に一礼してみせた。