カケラノコトバ

たかあきによる創作文置き場です

断絶の言霊

2014-05-09 17:40:57 | 即興小説トレーニング
 つまりは筒井康隆の『大いなる助走だ』と、奴は言った。
 商業作家という到達点にすら辿り着けない、延々と続く修行という名の助走。

「別に商業作家になりたいわけではないんだが」
 俺の言葉に、奴は鼻を鳴らして応えた。
「それならお前は何故ものにもならない文章を書き続ける。一文の得にもならず、誰にも認めてもらえない中で行う自己満足の趣味か?滑稽だな」
 昔はこんな物言いをする奴ではなかったんだがと思いつつ、俺は大して感情も動かないまま返事を返す。
「俺の最上がお前の最上である必要は何処にもない。お前がプロを目指すのは勝手だが、だからと言って、好きで文章を書いている俺の志が低いと言われてもな」
「物書きを名乗る身でその態度なら、志が低いと言われても仕方ないだろう」
「物書きなんて自称は単なる行動分類を示す呼称に過ぎん」
「そうやって逃げるか、投稿も同人誌作成販売も行わず物書きを名乗っていれば、まともな物書きが不快になるのは当然だろう」
 少なくとも今のお前の言葉はまともじゃないと言いたかったが、奴は更に続ける。
「第一、そんな態度でいるお前におれと同格の友人面が出来ると思っているのか」
 一瞬、自分が何を言われたか判らず硬直する、更に言葉を畳み掛けてくる奴が本当にかつては尊敬の念さえ抱いていた友人なのか、むしろ眼前のコイツは一体誰なのか。俺は半分呆けた頭で自問自答するしかなかった。
「……を名乗りたいなら、大きな即売会で己の実力がどの程度の物なのかを実感してからにするんだな。まあ本を作ったら読んでやらんこともないぞ」

 ああ成る程、コイツにとって文章を書くというのはなるべく多くの相手に認められることであり、それから外れた場所で楽しむ行為は全て邪道なのか。それなら。

「お前がどう言おうと俺はそうは思わん。絶対にな」
 俺が示した明確な怒りと揺るぎない感情に一瞬だけ怯み、奴の暴言はようやく止まった。
「取りあえず、用がそれだけなら俺は帰る」
 有無を言わせぬまま、俺は奴を残してその場を歩み去った。情報を整理しようと頭の中で何回も先ほど聞いた言葉を繰り返しながら、そして。
 一ヶ月以上自問自答を繰り返した結果、『これからも奴と付き合い続けるのは考慮の余地無く不可能』という答えが確定した。

 それ以来、奴と顔を合わせたことは一度も無いし、奴の未来、ついでに言うなら過去にも興味は全く無い。
 ただ、奴と出会って楽しかった数年間の記憶だけが、今となっては顔も思い出せない奴が確かに存在していたという証として残っている。まあ、良くある話だ。
 
 
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花色もざいく(お題『頭痛』『緑』『菜の花』)より

2014-05-08 18:08:47 | 即興小説トレーニング
 菜の花が好物なので、毎年春先になると大量に買い込んで冷凍保存して、初夏になるまで辛子和えやパスタの具材として頂くのがここ数年の習慣になっている。家族は苦みが苦手だと言っていたが、冬越しの末に(多分)食害を防ごうと苦みを蓄える菜花を敢えて頂くのが旨いのだと個人的には思っている。
 そんなわけで今年も菜の花づくしの料理を一人暮らしのアパートで作っていると、万年欠食野郎の友人が転がり込んできたので哀れに思って飯を分けてやることにした。


「この辛子和え、ほうれん草じゃないよな」
「ああ、菜の花だが」
「……菜の花って食い物なのか?」
「実際に食えるだろうが」


 奴は暫く複雑な表情をしていたが、食欲には勝てなかったのか出された物を全部平らげてから、ほうじ茶を喫しつつぽつりぽつりと思い出話を始めた。


「小学生の頃、春の遠足で隣県の遊園地に行ってな。
 帰り際にバスガイドさんが車窓の外に広がる一面の菜の花畑を示してから『朧月夜』を歌ってくれたんだ」
「♪菜の花畑に入り日薄れ、か」
「そうそうそれそれ。で、綺麗なバスガイドさんだったんだが歌も巧くてな、なんかこう、今でも忘れられないんだよ」


 だから奴にとって菜の花というのは食らう物ではなく、淡い思いを抱きながら鑑賞するべき物なのだそうだ。その割にはよく食ったなという突っ込みは、さすがに気の毒だから出来なかった。


「別に俺だって菜の花畑に思い入れがないわけじゃないぞ、山村暮鳥の『風景』はそらで唱えられる」
「なんだそりゃ」


 割と有名な詩なんだが、と前置きしてから俺は『いちめんのなのはな』を七回、『かすかなるむぎぶえ』を一回と更に『いちめんのなのはな』を唱えて締めくくった。本当は似たような展開が三回続くのだが、まあそこまで再現することはあるまい。


「……とにかく菜の花が360度展開で延々と続いているのは判った」
「そうか、判ったか」
「こうなったら現物を見に行こう」
「は?」


 なんだか判らないうちに奴は勝手に話を進め、近場である程度以上の規模を誇る菜の花畑が存在しているから行こうと俺を誘ってきた。菜の花畑付近にはレジャー施設があるので行くのはかまわなかったが、実はその時点で既に予感はあった。
 案の定、季節を終えた菜の花はすっかり刈り取られ、元は菜の花畑だったらしい段々畑は新しい苗が新しい緑を育んでいる真っ最中だった。


「取り合えず、来年また来るか」
「そうだな」
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罪、そして沈黙

2014-04-19 21:50:16 | 即興小説トレーニング
 誰かが呼んでいる声が聞こえたような気がしたが、気のせいだと思い直す。
 そもそも、もう周りには誰もいない。みんな死んでしまった。殺されてしまった。

 世界に牙を剥いた時点で、結末は定められていたのだろう。だが、度重なる裏切りと喪失から来る絶望は彼が他の道に進むことを許さなかった。曰く、自分を変えられないなら世界を変えるしかない。
 もちろん狂気の沙汰だ。そして当然ながら世界はそれを許さなかった。
 悪質極まりないテロリスト、平和の破壊者、そんな風に呼ばれても仕方のないことを彼は彼の作り上げた息子たちとともに行ってきた。それについて弁明する気はない。

 再び誰かの声が聞こえてくる。しかし、それは既に意味を成さない音階の羅列としか彼の脳には認識できない。

 世界は必ずしも陽の当たる場所だけで構成されているわけではない。それ故、彼も闇世界における一定のルールを守れば存在を許された。だが、それがどれだけ脆い物であるのかを知ったとき、彼は全てを失っていた。残ったのは僅かな研究施設とデータ、そして彼の精神を灼き尽くそうとする負の感情だけだった。それ故、彼は手元に残った僅かなカードを駆使して世界に復讐を果たすと誓った。
 彼の存在を認めようとしなかった世界を、未来を、人類社会を蝕んでいく毒を生み出し、拡散させる。電脳世界におけるウイルスが高度にシステム化された社会にどれだけの害悪をもたらすかは言うまでもあるまい。そうして世界は立ち枯れるのだ。壊れてしまえば良い、滅んでしまえば良い。

 意味を成さない音階の羅列は、更に激しく響き渡る。相変わらず何を言っているのかは分からないが、ひどく悲しい響きだ。

 自分はもう狂っているのだろうと、彼は思った。ただ、それならいつから狂ってしまったのか、それが分からない。物心ついた頃には既に両親も親類縁者も周囲には存在せず、他人の中で育ちながら見つけた親友とは袂を分かつことになった。そのまま巡った世界各地では、自分自身を含めた人間の愚かさをたっぷりと味わい、今思えば自身の愚かさを引きずったまま世界に牙を剥き、幾多の戦いの末に全てを失った。ただ、後悔だけは首尾一貫して存在しない。彼は他に自分が進むべき道を知らなかったのだ。

 相当に体が弱っている筈の指でも全く速度が落ちぬタイピングで最後の仕上げを行うと、次の瞬間彼はおびただしい量のどす黒い血を今まで使っていたキーボードの上に吐き出し、そのまま崩れ落ちる。これで彼は全ての時間を使い果たし、代わりに世界のカウントダウンが始まったはずだった。

 薄れゆく意識の中で、彼は先ほどから自分を呼んでいるのが今はもうこの世界に存在しない息子たちの声であることを理解した。だが、相変わらず彼らが何を言っているかは分からず、その姿も朧のままだった。もしも息子たちが自分を迎えに来てくれたのだとしても、恐らく同じ場所に行くことは出来ないのだろうと思うと、彼は本当に久しぶりに泣きたくなった。だが既に声はおろか、涙の一滴も絞り出すことは出来ない。

 済まない、済まないと、彼は謝り続けた。世界の未来に対してではなく、息子たちのいる場所にすら行くことが出来ないことに対して。

 
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さよならのかわりに

2014-04-15 21:33:10 | 即興小説トレーニング
 遺跡はあるが、辿り着くのはとても無理だと地元民に忠告された。
 下調べをする限りでは確かに、通常の連中だったら命がいくつあっても足りない難所揃いの道程しか存在せず、それ故に古くから知られている割には手つかずのまま残っていたらしい。つまり、しばしば遺跡荒らしと揶揄されるトレジャーハンターにとってはお宝の山である可能性が極めて高い。挑戦してみる価値はありそうだと判断した俺は準備を整え、平穏とは言いがたい道中を経ながらも何とか遺跡に侵入したのだった。

 険しい山中に存在する崩れかけた遺跡。元々が何の施設であったのかを知る者は既に存在しない建物の隙間を縫うように調査を進めると、どうやら何らかの事情で破壊され、そのまま打ち棄てられたらしい建物内には至る所にお宝、つまり通常はジェムと呼ばれるエネルギー結晶体が多数存在していた。むろん、結晶をはめ込まれたエネルギーシステムから外し、無事地上に帰還してこそ俺の『仕事』が完成するわけだから油断はできないのだが、それでもここが上等の餌場であることは間違いない。
 そこらの同業者より遙かに有利なことに、俺は古代文明の遺跡から発掘されたエネルギーを探知できるゴーグルを所持していたので、面白いくらいあっさりと暫くは遊んで暮らせそうな量のジェムを採集できた俺は、調子に乗って更に遺跡の奥まで進んでいき、再びゴーグルを装着した時点で失明しかけた。
「な……、なんて光だ」
 思わず貴重なゴーグルを投げ捨てて自分の眼球を灼きかけた光のダメージが収まるのを待ち、なんとか視界を取り戻した俺は、恐る恐る光の根源を目指してみることにした。

 そこは、荒れ果てた遺跡の中でもかなり原形を留めている部屋だった。空気の流れもあることから察するに、奇跡的に維持システムが働いているのだろう。
「光の正体は、こいつか」
 部屋の隅にうずくまるように転がっている、それは二体の人形だった。既に着ている物はぼろぼろとなり、打ち棄てられて久しいことを示していたが、人形本体にはほとんど劣化が見られず、ぱっと見では眠っている人間の子供のように思える。
 栗色の巻き毛を持つ十歳くらいの少年を、まっすぐな青い髪の十四歳くらいの少年が抱きしめていて、青い髪の少年には極めて強い光を放つジェムが握られていた。よく見るとジェムはコードのような物と接続されていて、どうやら青い髪の少年はそれを己の胸部から引きずり出したらしい。
「一体、何があったのやら」
 どう見ても心中だよなこれはと付け加えながら更に観察を続けると、空恐ろしいことに青い髪の少年の体は未だ機能を停止していないように見えた。恐らく、ジェムを元の位置に戻せば再起動する可能性が高い。そして、本当に動けば金額などつけようもないほどのお宝となるだろう。
 さてどうするかと俺は少しの間考え、いつものように己の勘に従うことにした。
 俺は青い髪をした少年の手を取り、ジェムを取らぬまま栗色の髪をした少年の手のひらと重ね合わせた。
「こいつは少しばかり俺のポケットには大き過ぎるお宝のようだ」
 あんたらの邪魔をするつもりはないから、二人でゆっくり眠りな。そう呟いてから俺は二人に背を向けた。ジェムの収穫は十分すぎるほどにあったし、これ以上がっつくこともあるまい。
 それに。
 ガキの頃何度も聞かされたお伽話、青い髪をした死天使の話を、俺は思い出していた。
 年を取ることも朽ちることもないまま、ただこの世界を彷徨うことを定め付けられた永遠の少年。けして邪悪な存在ではないが、その力の強大さから、しばしば関わった相手に不幸をもたらす存在。
 もちろん眼前の人形がその少年である証拠など何もないが、俺は俺の勘に従うことにしているし、その見返りに俺の勘はしばしば俺の命を救ってくれているのだ。
 俺は別に地上最高のトレジャーハンターというわけでもないので、この遺跡はいずれ他の誰かが訪れることになるだろう。そのとき、この二人を見つけたそいつがどうするか、その時初めて俺の判断が正しかったのか、あるいはそうでなかったかが分かるだろう。
 だが、それは先の話だ。
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天使の在る場所

2014-03-30 19:44:34 | 即興小説トレーニング
天使の在る場所
 昔は、あんな人ではなかった。
 良く聞く言葉だから、昔はそうでなかったのに『あんな人』になってしまう人間など珍しくないのだろう。
 だが、それが自分の身内で、更に『あんな人』になった結果、様々な好ましくない変化が発生した場合、周囲の人間はこう呟くしかない。
「昔は、あんな人ではなかった」

 彼の叔父は若い頃から神殿に入り、僧侶として神に仕える日々を送っていた。この時代、貧しい家に生まれた才能有る少年がそれなりに立身出世を目指すなら、神殿に入るか傭兵になるかのどちらかが手っ取り早い方法であったが、叔父はただ純粋に神の愛を信じ、それを人々に示すために僧侶を目指した。少なくとも周囲は誰一人それを疑う事はなかった。

 彼は五つの時に流行病で家族を亡くし、叔父の援助もあって神殿の施設で暮らすことになった。読み書きを覚え、学問方面で才能を示すに従って彼の叔父は優しい保護者から厳しい教師、そしてやがては同じ夢を語る親友となった。その頃の叔父は彼にとって揺らぐことのない灯火であり、己の目標でもあった。

 十六になった頃、彼は神殿の礼拝堂で説法を行う叔父を熱心に見詰める若い娘の姿に気付いた。その瞳には純粋な敬愛だけでなく、その奥底に熱い思いが秘められている気がして、彼は何となく不安を覚える。だが、叔父は神と信仰に己の全てを捧げた身として、そんな娘の視線に対しても常と変わらぬ慈愛の視線を向けるばかりだった。それからも娘は叔父を見詰め続け、叔父は神の使徒としての勤めを果たし続け、そんな風に季節が一巡した頃。

 叔父が暮らす教区に再び流行病が発生して多くの人々が苦しみ、死んでいった。そして、その中には叔父を見詰め続けていた娘も含まれていたのだ。

 彼は今でも叔父が戒律を破ったとも、あの娘に対して淫らな想いを抱いたとも思っていない。ただ、病に対して祈りがあまりに無力であったこと、そして、己の信仰心で娘を救えなかったことは叔父を酷く打ちのめし、その結果として叔父は少しずつだが歪んでいった。禁書、偽典とされる古い書物を読み解き、その中に登場する『天使』の記述に憑かれた如く文献を漁り、遺跡を巡り、その過程で習得した怪しい技で神殿内で己の権力を確立し、やがて十数年もの間不在だった大神官の地位に就いた叔父は、『天使を迎える準備』と称して信徒の中から特殊な血筋の持ち主を幾人も選び出しておぞましい実験を始めた。人道的な立場から叔父を糾弾するものもあったが、そういった良識のある僧侶は中央から地方に飛ばされるか、神殿を追われることになった。

 叔父がそんな風に変わっていく中、彼は叔父を諫めることも止めることも、かと言って積極的な協力をする事もなく、ただ叔父の側で雑用をこなしていた。
 彼は叔父が間違っていることは薄々感じていたが、同時に叔父の行いによって多数の信徒が救われている現実をどう受け止めて良いか判らないでした。それ故に、彼は叔父の側から離れないと決心したのだ。

 叔父の所業が間違っているのなら、いずれは神が叔父に鉄槌を下すに違いない。
 叔父の所業が間違っていないのなら、叔父の行う『福音』で人々が救われるだろう。

 どちらに転ぼうと叔父はいずれ終わりを迎えるだろう、そして、その時こそ彼は叔父の本当の思いを果たすのだ。
 人々を救いたいという、その思いを。 
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洒落にならない読み違い(3月20日より)

2014-03-29 18:00:13 | 即興小説トレーニング
 僕の携帯に彼女からメールが届いたが、既に読む気は欠片もなかった。どうせ『これが最後のチャンスです』という書き出しと共に延々と復縁を迫る内容が上から目線で限界字数まで綴られているに決まっているからだ。

 最初は明るくてさばさばした性格の取っつきやすい子だと思った。それなりに社会経験も積み、常識的で優しい子だと思った。
『明るくてさばさばした性格の取っつきやすい子』が、実は『無神経で酷い暴言を殆ど無意識に繰り返す子』であり、それなりに積んだ社会経験の理不尽によって性格が歪み、常識を語りながら同時に非常識な言動も顧みない問題人物であるとようやく気付かされたときは、既に交際開始から数年が経過していた。
 そろそろ結婚という文字を彼女がちらつかせ始めた頃、流石に危機感を覚えた僕は友人に相談し、最終的に『結婚してからでは遅い』という実に有益なアドバイスを貰って彼女と別れる決心をした。最近の彼女は僕のことを明らかに格下認定していて、その時の気分によって罵倒や繰り言を僕にぶつけてきたので、僕もあくまで下出に徹しながらタイミングを見計らい、彼女が激しく感情を暴発させた時を狙って謝り倒し、自分が如何に無能かを並べたて……、
『だから僕は君に相応しい相手だとはどうしても思えない、どうか君に相応しい相手を見付けて今度こそ幸せになって欲しい。今まで有難う』と捲し立てて彼女に背を向け、全速力で走り出した。決して感情的にならず、相手のペースに絶対に合わせることなく要点だけを述べ、速攻で立ち去れと忠告してくれた友人に感謝しながら。

 それから彼女が僕に会いに来ることはなくなった。下僕だと思っていた相手をわざわざ自分から尋ねるのはプライドが許さなかったのだろう。その代わり、今までは業務連絡と変わらない用件のみだったメールがどんどん届くようになった。

「好きです」
「今まで厳しかったのは貴方に更なる高みへのステップを踏んで欲しかったからです」
「人間は素直になることで全ての苦しみから解放されます」
「私は少しだけ急ぎすぎたのかもしれませんが、それも貴方を思うが故です」

 そういったメール内容に対して、昔ならともかく今となっては既に何一つ感銘を受けなくなっていた僕は、更に友人に相談してみたところ、『事態が拗れたときのために一応は保存しておけ』と言われてその通りにした。そして、連続して送られてくるメールの着信音があまりに煩いので常時マナーモードにしておくことにした。
 だから、煮え詰まった彼女がナイフ片手に僕を襲いに来た時の予告メールも未開封のままだった。

 結局は警察沙汰になった騒動もようやく終焉を迎え、この件について最初から最後まで世話になりっぱなしだった友人と二人で呑みに行くことにした。杯を重ねながら酔いが回ったらしい友人は、半分くらい据わった目付きで僕に説教を始める。
「大体お前はひとを見る目がない。あんな女に引っかかるのがその証拠だ」
 そこから『あの女』がどれだけ非常識で、会ったこともない友人ですら話を聞いただけで嫌いになったとか、そんな時にオレを頼ってくれたのは嬉しかったとか話が流れていった。
 何となく不穏なものを感じながら傾けたグラスをテーブルに置くと、友人は口元を歪めた笑顔で僕の手に自分の掌を重ねながら言った。
「ところで、あの女と別れたと言うことは、現在のお前は独り身だよな」
 奇妙に熱い視線を向けられながら、僕は再び襲いかかってきた厄介事に対して呆然とするしかなかった。   
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父ちゃんの伝説

2014-03-23 17:23:56 | 即興小説トレーニング
『お嬢さんをオレに下さい!』
 言い慣れない言葉に不安を覚えて何度も何度も練習を重ねた末に本番に望んだオレは、実にお約束だが、本番でうっかり『お父さんをオレに下さい!』と言い間違え、親父さんもとい『お父さん』に無言のままぶん殴られ、結婚を誓い合った相手に『仕切り直しだこの阿呆が!』と散々に蹴り回された。

 そんな訳で数日後に仕切り直し、今度は何とか結婚の許可を貰えたオレは、その晩親父さんにこっそり部屋に呼び出された。
「済まんな、式前の忙しい時期に」
 階下の店から持って来たのだろうか、テーブルの上には葡萄酒の瓶と二つの杯が置かれていて、オレは促されるまま椅子に座って杯を一つ取る。
「忙しいのはオレよりむしろアイツや親父さんの方だと思うんですがね」
 花婿なんぞ式の飾りですよ飾りなどと答えるオレに、親父さんはいつもの無愛想な表情でオレの杯に葡萄酒を注いでくれた。次に自分の杯に葡萄酒を注ぎ、それに口を付けるのを確認してからオレは自分も杯を取って呟いた。
「それにしても、よくもまあ結婚を認めてくれたもんですね」
 数年前、街道際で瀕死の怪我を負って死にかけていたオレを拾って看病してくれた上、自分が娘と経営している食堂兼酒場である『琥珀(アンバー)』で雇ってくれた親父さんとその娘、エレンにオレは頭が上がらない立場なのだ。
「あいつが良いと言うんだから良いんだろう、おれが口出しする問題じゃない」
「でも、正体も分からない男が面倒を引っ張り込んでくるとは思わないんですか?」
「面倒なんぞ珍しくもないぞ」
 殆ど感情の動きを感じさせない口調で淡々と語る親父さんに、それでもオレは更に問い掛ける。
「…… 後悔、しませんか?」
 すると親父さんは珍しく、殆ど投げやりと取れるような表情になって乱暴に杯の中身を空けてから言い捨てた。
「後悔なんぞするのはもう飽きたし、理不尽が被さってくるのはおれの責任じゃない」
 そう言う星回りなんだよおれは。そんな風に言いながら再び杯に葡萄酒を注ぐ親父さん。
「だから、エレンを育ててくれたんですか?」
 なるべくさり気ない口調を装ったが、さすがに親父さんの表情が強張る。
「気付いていたか」
 オレが頷くと、親父さんは観念したように話しはじめる。

 親父さんは少しばかり特殊な体質の持ち主で、そのせいで一箇所に長い間留まることが出来ないのだそうだ。また、その特殊な体質のせいで色々な面倒を背負い込む事しばしばで、結果的に何度も家族として暮らしてきた愛する人を失ってきたのだと。
「そして厄介なことに最近は教会の連中もそういう血筋の人間を捜しているだろう。だから昔、関所を通る際に少しばかり面倒なことになりかけたんだ」
 エレンとは、その時出会ったと親父さんは続ける。
「どうやって正体を隠すかと悩んでいたときに、いきなりおれの服の裾にしがみついてくる小さな手があってな。見ると小さな女の子だったから『父ちゃんはどうした?』と聞いたんだ。
 そうしたらエレンは『父ちゃんココ!』と親父さんにしがみついて離れなくなったのだそうだ。慌てた親父さんが周囲に呼びかけても親らしい相手はいない、更にエレンと親父さんの髪や瞳の色が同じ色だったせいで『母親が居なくなったから途方に暮れてるのかもしれないが、実の父親だろうあんた、しっかりしなよ』と諭される始末。
「その時つい、子供連れなら役人の追究を誤魔化せると考えてしまったおれは、あいつを連れたまま関所を越え…… 、それからずっと一緒に暮らしてきたわけだ」
「なかなかに壮絶な経緯ですね」
 だからもう、縋り付いてきた子供だろうと瀕死の行き倒れだろうと、取りあえず面倒見ることに大した抵抗はないと話を締めくくった親父さんに、オレは何も言えなかった。
 本当ならオレは、何故オレが死にかけていたか、何から逃げていたのか、そして、これから何をしようとしているのかを親父さんに話すべきだったのかもしれない。だが、親父さんは特に興味も示さぬままにこう言った。
「お前が話したいなら、いずれ話してくれ」
「…… はい」

 そして結婚式当日、小さな店に溢れんばかりの人々が集まる中、酒と、親父さんが作った料理がふんだんに振る舞われる中、誰一人として普段の姿を想像できないほど美しい花嫁の姿が話題になった。
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パペットマスターの最期

2013-12-31 04:04:48 | 即興小説トレーニング
 口元を抑えながら喉の奥から這い上がってきたものを吐き出すと、掌が泡の混じった鮮血で染まった。酷く肺をやられたらしく、どう足掻いても長くは保ちそうにないが動揺はない。
 今の彼がただ思うのは、これからただ一人で生きていかなければならない最愛の息子の過去と、そして未来についてだった。

 生まれると同時に母を失い、自身も成人するまで生きられない程に虚弱な肉体しか持たなかった息子は、医療施設の一室で外気に当たることも太陽光を直に浴びることも無いまま、ただ静かに外界について記された本を読みながら己の肉体が力尽き、この世から解き放たれる時を待っていた。直に触れあうことも出来ない面会日には、思い通りに動かない身体に対する苛立ちや常に付きまとう倦怠感などは全く語らず、彼に向かって嬉しそうに読んだ本の内容を語って聞かせる優しい子だった。故に彼は幾度も神に祈り、やがて神が彼の息子の命を救ってはくれないのだと悟ると同時に神を憎み、その存在から背を向けた。
 この世界で知られる限りの医学だけでなく魔道や錬金術と呼ばれる禁断の呪法まで知識を広げ、非人道的との誹りを免れ得ない実験を幾度も繰り返しながら、徐々に狂気の深淵へと嵌り込んでいった彼は、やがて、この地上には息子を人間として生かしてやる方法が存在しないと認識した時点で完璧に狂った。

 例え父親である彼がいなくなってとしても、一人で生きていける力を。
 病み果てることも、老いることも、朽ちることもなく。
 明晰な頭脳と強靱な力を持ち合わせた人形の完成を。

 結果として彼は幾多の実験体から搾り取った血と臓物と生命そのものから、本来なら人類の英知の結晶と呼ばれるべき石を錬成することに成功して、同時に息子の肉体を造り替えた。
 当初は驚きながらも父親の技術に感嘆して一刻も早く『新しい身体』に馴染もうとした息子だったが、やがて己の肉体がどれだけの犠牲の果てに紡ぎ出されたのかを知って酷い衝撃を受け、ふさぎ込むことが多くなった。
 それと殆ど同時期に、息子の聞きつけた噂が真実であると知った神の信徒を名乗る教団が、教団の教理と神の定めた摂理に反する存在を抹殺せんと動き出したが、彼はそれを放置した。息子が甦った以上、彼は既に新しい研究に対する意欲も、彼が働く医療施設の存続にも興味を失って久しかった。むしろ、それは彼の息子を新たな実験体として不毛な研究を繰り広げる事を意味し、これから息子が自由に生きていくための障害にしかならないと判断したのだ。彼はただ待ち、やがてその日が訪れた。

 真実を知らされた息子は、ただの一度も見せたことない憎悪の表情を向けながら、彼の身体を容赦なく壁に叩き付けながら叫んだ。
「何故…… 何故私を死なせてくれなかった!何故化け者にしてまで生かそうとした!」
 最愛の息子の問い掛けに、彼はただ口元を歪めることしかできない。

 お前を愛していた。だから死んで欲しくなかった、生きていて欲しかった。

 そう言えたらどれ程にお互いの心が安らかになっただろうと思いつつも、彼は決して口には出せなかった。それが嘘であることを、彼は充分すぎるほど知っていた。
 憎かったのだ。
 妻を奪い、また彼を残して死んでしまう息子が。
 世界の醜さを知らぬまま、汚れることもなく美しいまま消えていける筈だった息子が。

 だから、与えてやりたかった。
 酷暑を、厳寒を、突風を、憎悪を、悲哀を、喪失を、流転を、孤独を。
 苦痛と、苦味と、辛苦を、刻みつけてやりたかった。

 そして、その果てにこそ、彼の息子は知るだろう。
 世界の神聖さと、その真の美しさを。
 春の日溜まりの暖かさと、秋の実りの豊かさと、友愛の素晴らしさを。
 
 やがて誰かと出会い、ただ一人で死んでいくだけの身では味わうことの決して出来なかった苦しみと楽しみを知ったとき、彼の息子の手は何を掴み取るのだろう。そして、掴み取ったものを失うまいと苦しんだ息子は、やはり彼と同じ過ちを繰り返すのだろうか。
 彼が息子に掛けた最後の呪いである、『彼と同じ人形を造り出す呪いの結晶』を、彼の息子は愛する者に対して使おうとするのだろうか。

 その答えを知る術のないことを半ば残念に、残り半ばで安堵しながら、彼は這いずるように操作盤の前まで進むと操作を始める。ここからは聞こえないが現在の施設内は突入してきた僧兵達の破壊と殺戮の只中にあるはずだった。

 殺すがいい、破壊するがいい、ただし私の息子以外を。
 何なら私も手伝おう。

 再び口元を歪めながら、彼は操作盤の入力を終えると最後にスイッチを入れた。途端に鳴り響く警報と施設破壊の告知。僧兵たちはさぞ驚いただろうが、既に出入り口は封鎖してある。

 やがて閃光と轟音の只中に崩壊していく医療施設の中枢にただ一人残った男が最後に何を呟いたのか、知る者は誰もなかった。
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花屋二軒

2013-11-16 02:23:21 | 即興小説トレーニング
 私が住んでいるアパートからさほど離れていない小さな商店街には、何故か同じ通りに花屋が二軒あった。それも商店街の中程に他の数店舗に隔てられた恰好で二軒だ。元々からの地元民ではない私にも、その二軒に何らかの因縁があるのは容易に想像が付いたので、なるべく何も気付かぬように、余計なことに首を突っ込まぬようにと、その花屋のどちらでも買い物をしたことはない。

 ただ、私が駅前にある別の花屋から、部屋を飾るために購入した花束を持ってその花屋の前を通りかかると、決まって変なモノが視えた。
 それはちょうど高原に現れる粒子の粗い霧が淡い緑色になったような流れで、ある時は南側の店から北側の店に、またあるときはその逆といった風に双方の店を行ったり来たりしているようだった。ただしその量は均一とは限らず、文字通り雪崩れ込むような量が北側の店から南側の店に流れ込んでも、次に視えたときはか細い糸のように南の店から北の店に繋がっていると言った感じだ。
 流れそのものに意思は感じられなかったので、どうやらそれは花の精とかそう言ったモノでは無さそうだと思った私は特に気にしないまま、相変わらず花を買うときは別の店から買い、帰り道にある二軒の花屋を通る度に『今日の流れは派手だな』とか、『今日はショボイな』などと呑気に考えていた。

 そんなある日、二軒の花屋のうち北側の店に臨時休業のお知らせが貼り出された。そして、何があったのだろうと思う間もなく寂れていった。
 大概の花屋はディスプレイの関係上、店舗の正面ないし入り口面がガラス張りになっているが、もちろん二軒の花屋も例外ではない。故に、私は北側の店に置かれた鉢植えが誰にも世話を受けられぬまま茶色く乾涸らびていくさまを見届けることになった。

 そしてあれは確か去年のクリスマス。赤いチューリップとオレンジのガーベラという定番極まりない組み合わせの花束を持って花屋の前を通りがかったとき。
 私は今まで見たこともない程に濃密な緑色の流れに出くわした。北側の店に絶え間なく雪崩れ込んでいく流れの発生源は、しかし南側の店ではなかった。クリスマスシーズンの商店街に置かれたポインセチアやシクラメンの鉢植え、近所の保育園が設置し、保育園児が世話をしているパンジーやビオラの鉢植え、商店街の片隅にひっそり根を下ろした野草、そう言ったものから絞り出されるような勢いで発生していた。そして、『絞り出されるような』という言葉のイメージ通りに枯れていく草花。
 これはヤバイと、私は花束に手持ちの塩(私のような体質の人間は一応の用心として塩を持ち歩けと、やはり似たような体質の母から忠告されていたのだ)をまぶしてから北側の花屋の店先に置き、そのまま振り返ることなく速やかにその場を走り去った。

 私が住むアパートの三階からは、花屋から天に向かって立ち上る緑色の流れが良く見えた。チーズを肴に買ってきた赤ワインを傾けていると、流れはやがて茶色く濁り、枯れ果てたように崩れ去っていった。多分、あれ以上の被害を喰い止めるには他に方法がなかったと思いながらも、私の胸はちくりと痛んだ。

 商店街に置かれた鉢植えが軒並み枯れてしまったのは誰かが除草剤を撒いたのではないかと噂され、実際に警察も動いたらしいが、鉢植えの土にそのような痕跡は残っておらず、今度は色鮮やかな葉ボタンと、園児によって植え直されたパンジーやビオラが年末年始の商店街を飾ることになった。

 一軒残った南側の花屋は相変わらずの営業を続けているが、あの日以来緑色の流れを見た事はない。そして、元北側の花屋は正月明けそうそうに改築ないし取り壊しが始まったらしく、足場の組まれた店の前には立ち入り禁止のネットで覆われている。


 
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いえのわらし

2013-11-14 17:57:00 | 即興小説トレーニング
 いったい何年ぶりの帰郷になるのか、俄には思い出せなかった。
 そもそも、余程のことがなければ、例え一時的であろうと帰る気など無かった。

 生まれ育った家は敷地内に増改築を繰り返した広い家だが、母屋は昔の田舎家にありがちな障子と襖を外すと一間になるような造りをしていて、冠婚葬祭の際は私の部屋だった場所から机や本棚を撤去した空間に親戚や友人知人を称する連中が遠慮無しに行き来することになった。
 一時的にとは言え自室難民となった小学生の私は小母さん達が忙しく立ち働く台所にも、来客の接待所と化した応接室にも居場所を見付けることが出来ぬまま周辺をうろうろしては、何処に行っても大人連中に邪魔者扱いされた思い出が残っている。

 まだ日照権など存在しない時代、半ば騙される形で売ってしまった実家に隣接した土地に高層の建物を建てられ、極めて日当たりが悪くなった実家はやがて床板が腐ったのか、畳を踏みしめると足元がふわふわと不確かな感触を伝えてきた。
 二階や使っていない部屋は有ったのだが管理が大変だと打ち棄てられ、いつしか分厚い埃を被ったガラクタ置き場と化していた。

 それでも母が生きていた時はまだマシだったと思う。母は綺麗好きで、少なくとも家族の居住空間だけは綺麗に掃除を続けていたし、生け花を嗜んでいただけあって部屋の調度にもある程度は気を使っていたのだ。そして母が死んだと知らせを受け、葬式のために帰省した私が見たのは、一見は昔と変わらぬ、しかし昔より遥かに劣化した外観の我が家だった。片付けが出来ない上に田舎にありがちの『珍しい者は部屋の調和も考えずに飾る』という思考から抜け出せない父親が天井に張り付けた天女画像に気付き、死んだ母が使っていた、八畳間に何もかも持ち込みながらも整然とした部屋に、ああ、母はもうこの部屋しか居場所が無くなっていたのかと哀しい思いを抱いたことは今でもありありと思いだせる。

 やがて父が死に、姉が婿を取って家を継いだのを見計らって私は故郷を捨てた。生まれた町が嫌いな訳ではなかったが、この機会を逃せば私自身もあの家の匂いに絡め取られて二度と外の世界に出て行くことが出来ないと判っていたからだ。
 だから、高校時代に仲の良かった友人の結婚式に出席すると返事を出した際も実家には帰らずホテルを取るつもりでいたし、特に仲が良かったわけでもない姉が実家に泊まるようにと言ってきたときも最初は断った。だが、友人の結婚相手が私の親戚であるという良く判らない理由で押し切られ、久し振りに実家に戻ってきたのだ。  

 当然だが実家に私の部屋は既に無く、私は以前母が暮らしていた部屋と襖一枚を隔てた八畳間を寝室に使うように言われた。暫く人の出入りがなかったと思われる部屋を急いで掃除をしたのか埃っぽく、部屋の隅に用意してあった布団は何となくじっとりしているように感じた。
 その晩、どうにも寝苦くて目を覚ました私は、耳障りな音を立てて天井にへばり付いている蝉の姿に気付いた。慌てて飛び起きるなり電気を点けると、けたたましい鳴き声を上げなから狂ったように室内を飛び回り始める。必死に手持ちのタオルを振り回しながら追い払おうとすると、細めに空いていた廊下に続く障子の隙間から出て行った。

 一息つきながら障子を閉める途中、そもそも私は部屋に入る時、完璧に障子を閉めたはずだと思い出した。その意味を深く考える間もなく、廊下を隔てた場所にある灯りの消えた仏間から奇妙な音が漏れ伝わってくるのに気付く。雑音混じりにしゃあしゃあと聞こえてくるのは、どうも古いレコードの再生音らしかった。
 鳴り続けるレコードを止めようと仏間に入ると、何故か仏壇の隣に設置された床の間にかなり古い型のレコードプレイヤーが、歪んで波打つレコードを再生していた。レコード盤には致命的な傷が入っているのか、プレイヤーの針は特定の地点で同じリフレインを繰り返している。

 きぃぃん…… ょを っぴぃきぃぃぃ…… じぃぃこぉろぉすぅぅぅぅ……

 北原白秋の童謡、『金魚』の一節だと気付いた私は、速やかに荷物をまとめてこの家から出ようと決心した。傷んだ家に手を入れることも出来ず、気休めでしかないと知りながら護符や魔除けになりそうな物を家中に並べたてた父、何とか逃れようと安全地帯と信じた八畳間に逃げ込んだ母。真っ先に喰われ、取り込まれたと思われる姉。
 何故今まで忘れていたのだろう。いや、なぜ今まで平気だと思っていたのだろう。
 古い家に住む子どもの姿をした妖怪、アレを何故、幸運をもたらすという座敷童だと皆が思ったのだろう。

 そんなことを考えながら荷物を片手に立ち上がりかけた私の眼前で、きちんと閉めていたはずの障子が音もなく開く。現れた着物姿の童女の右手には、先程逃げた蝉が暴れていた。
 童女は煩げに手中の蝉を握り潰してから投げ捨て、私に顔を向けると歯茎まで剥き出した笑顔を浮かべながら言った。
「遊ぶべぇ」

 ああ、今度は私の番なのか。奇妙に醒めた感覚の只中で、私はそれを悟った。


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