カケラノコトバ

たかあきによる創作文置き場です

死が二人を分かつまで

2013-08-31 09:01:15 | 即興小説トレーニング
 僕は、普通の子どもだったと思う。
 貧しいながら父さんと母さんに愛されて育ち、近所の友達と遊びながら大きくなった。
 九つの時に二人が病気で死んでしまって独りぼっちになっても、近所の大人の紹介でお館の下働きとして拾われ、何とか暮らして来ることが出来た。
 ただ、二人が死んでしまった時に泣いて、泣いて、埋葬が終わる頃には全く声が出せなくなってしまったので、喋ることが出来なくなった。

 お館の仕事はきり無くあったが、まだ小さくてろくに力仕事が出来なかった僕は、良く森に入って色々なものを取ってくるように言われた。森は暗く深く、大人でも奥深くに分け入るのを躊躇うような場所だったが、今よりもっと小さい頃から父さんたちに連れられて森のあちこちを歩いて回っていた僕には、踏み込んではいけない場所さえ避ければ、それほど怖い場所ではなかったのだ。

 そして、あの日も茸を採りに森を歩いていた僕は、彼と出会った。
 酷い怪我をして酷く弱っていた彼に慌てて近付き、手を伸ばした直後、彼は鋭い口調で『触るな!』と制してきた。僕は驚いて手を止め、でも彼が、やっぱりとても弱っているように見えたので、お弁当にと持たされたパンを半分千切って彼の側に置いた。
 彼は少しだけ驚いたようだが何も言わず、僕も仕事に戻ろうと彼から離れた。
 パンはあまり大きくなかったので、茸を採ってから空きっ腹を抱えてお館に戻る途中の僕は、彼にパンを全部上げなかったことを後悔した。

 数日後、再び茸を採りに森に入った僕は、再び彼と出会った。
 始めて会った時より元気そうに見えた彼は、僕の姿を見付けると何故か厳しい表情で周囲を見回し、そのあと少し戸惑ったように再び僕に視線を戻してから、『先日は世話になった』と呟いた。
 僕が微笑むと彼は更に戸惑い、それでも嬉しそうに見えた。

 以来、僕が森に入る度に彼は姿を現し、茸や木の実、それに洞穴の奥で見付けたという綺麗な石をくれた。僕が喋れないせいか、元々はあまり口数が多いように見えない彼は何とか話題を見付けて喋ろうとしてくれた。
 そして僕は、彼が信じられないほど長い時間を只一人、その姿のままで旅してきたのだと聞かされた。
『信じられないかも知れないが』と表情を曇らせる彼に、僕は思いきり首を横に振ってみせる。彼は森に関してだけではなく色々なことを知っていたし、何より今まで見たこともないほどに整った奇麗な顔だちをしていたので、むしろ普通の人間だと思う方が難しかったのだ。けれど、そう話してくれた彼がとても寂しそうな表情をしていたので、僕は彼がこのままどこかに行ってしまうのかと不安になった。

 予感は、最悪な形で現実となった。僕が森から持ち帰るものに不審を抱いたお館の領主様が、大人たちに僕の後を尾けさせて彼を見付けたのだ。彼は捕らえられ、僕もお館の地下に幽閉された。
 その後に起こったことは、正確には判らない。僕は何度か幽閉場所を移され、最後に何処かに連れて行かれそうになった際、剣を携えて現れた男たちの一人に斬り殺された。その筈だった。

 何故か再び目覚めた僕は、彼が僕の手を取って泣いているのに気付いた。どうして自分が生きているのか、どうして彼が泣いているのかも判らぬまま、僕はただ彼にしがみつき、かつて教えて貰っていた彼の名を叫んでいた。

 彼は僕を生き返らせる為に、彼の父親から譲り受けた『呪いの結晶』を僕の躰に埋め込んだと告白してきた。だからもう、僕は人間ではないし、彼と同じように何時までも歳を取らないままに世界を彷徨わなければならないのだと。
 でも、僕はそれでも良かった。彼とずっと一緒にいられるのなら、彼が決して僕を置いて死んでしまわないのなら、それでも良いと本気で思った。

 かつて死んでしまった筈の彼と、死んでしまったはずの僕とを、今はどんな形で訪れるのか予想も出来ない、真実の意味での『死』が分かつその日まで、ずっと。

 

 


 
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夢見る泥人形

2013-08-30 23:16:16 | 即興小説トレーニング
 あの子が、死んでしまった。
 それも、私が殺したようなものだ。

 随分と長い間、只の一人で世界を彷徨い続けてきた。
 周囲からは気味悪がられ、ごく稀に優しくしてくれた人たちも結局は私を残して死んでいった。
 見目良い少年の姿は侮りを呼び、侮りは卑劣な拘束や監禁を呼び、己の身を護るために持って生まれた力を振るえば、その力がまた次の欲望を呼び寄せた。
 最後の安らぎであるはずの『死』にさえ生み出されたその直後から見放された身で、自分以外のモノと命を壊しながらただ生きるだけの、人生と呼ぶにはあまりにおぞましい命の道筋。

 そんな瓦礫と血にまみれた道を進んできた私の手を、あの子は恐れることもなく握りしめてくれた。
 言葉を操ることが出来ない身で、それ故に偽りのない指で、瞳で、そして笑顔で私の生を祝福してくれた。そんなあの子に向かって私が戸惑いながらも微笑むと、あの子はとても嬉しそうに微笑みかえしてくれた。

 ささやかな幸せが砕け散ったのは、幼くして両親を亡くしたあの子が奉公していた館の主人が私の存在に気付き、あの子を盾に私を己の意に従わせようとした為だった。あの子の身を護るためにと館の主人に従うことにした私は、その結果、私を利用しようとする者たちにとってあの子が切り札であると、愚かにも明かしてしまったのも同然だった。

 あの子は様々な勢力に狙われ、奪い取られ、しまいには他者に奪われるよりはと血迷った馬鹿者に殺された。だから私はあの子を狙った者、奪い取ろうとした者、そして殺した者たち全てを周囲の存在諸共に全て壊した。壊すことしか考えられなかった。静かに生きることしか望んだことのない私が、出来る限りの時間を共に暮らしたいと願ったあの子を奪ったものなど存在を許すわけにはいかなかった。

 幼い息子を病で失った男が息子の死を認めることが出来ず、膨大な時間と資金と技術、それに息子と同じ年頃の子ども達を使って練り上げた、永遠に歳を取らず病に冒されることもなく、常人には持ち得ない強大な力を備えた絡繰り仕掛けの息子。哀れな男の狂った夢から生み出された呪いの結晶を埋め込まれた、神の御許から遠く離れた朽ちることのない泥人形。

 そんな自分が、まさか父と同じ懊悩に灼かれる日が来ることになるとは思いもしなかった。生きていて欲しいと願うこと自体が呪いそのものであると充分に承知しながら、それでも生きていて欲しいと願う存在を甦らせる手段が存在するなら、ひとは悪魔に魂を売らずにいられるのだろうか。私がこの手で殺した父が、それでも最期に私に託してきた呪いの結晶を、私は使わずに済ませられるのだろうか。

 答えは既に決まっている。
 あの子を一人で天国に送るくらいなら、二人で地獄を彷徨うことを選ぼう。
 結局、私は己の願いを叶えるために息子を地獄に突き落としたあの男の息子でしかないのだ。
 例え、あの子が二度と私に笑いかけてくれることが無くなっても。

 呪いの結晶を埋め込んだあの子の躰から、瞬く間にあの子の命を奪った傷が消え失せていく。
 私は無言のまま、あの子の目が開くのを待った。
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後輩の陰謀と彼女の策略

2013-08-29 23:03:57 | 即興小説トレーニング
 可愛らしい容姿と甘えた口調で幸せなカップルの間に割り込み、無数の破局を産みだしてきた小悪魔系の後輩が、とうとう僕と彼女に眼を付けたらしい。
 せんぱぁーい、と駆け寄ってくる後輩を、彼女は物凄く判りやすい程にあからさまな態度で排除しようとしたが、それに怯むような後輩ではなかった。
「だってお二人はアタシのあこがれなんですぅ、いつも仲良しでステキだなって昔から思っていましたぁ」
 先輩なら判ってくれますよね?と一見無邪気な風を装って腕を絡めてきた後輩に、彼女は満面の笑顔で答えた。
「そう思うなら邪魔しないで貰いたいわね、知ってる?邪魔って言葉の意味」
 すると後輩はいかにも傷付いたと言わんばかりの表情となって口元を歪めながら、しかし瞳に涙など一滴も浮かべぬまま途切れ途切れに呟き始める。
「そう…… ですよね、邪魔ですよねアタシ、でも…… それでもアタシ、やっぱり、お二人のことが好きなんです…… 」
イヤなところがあったらなるべく直しますから…… 、そう言いながら僕の顔をちらちら見てくる後輩。さすがに辟易して多少きつかろうと拒絶の言葉を並べようとした直後。
「今年に入って三組目だね、同じ言葉を言ったの」
 やはり満面の笑顔のまま、しかし明らかにそれと判る修羅の形相で僕の言葉を遮り、彼女は言った。
「憧れの先輩カップルが沢山いるのは構わないけど、どうして貴方の憧れたカップルは必ず別れることになるのかしらね?」
 ええー偶然ですぅーなどと小首を傾げて可愛らしく答える後輩に、彼女は無言のまま自分のポケットの中に手を突っ込んだ。その直後。
『ええー、お二人が別れたのはお二人の勝手じゃないですかぁー、アタシは関係ないですぅー』
 音割れ寸前の音量で、彼女の甘ったれた口調が再生される。途端に後輩は彼女に飛び掛かりかけたが、僕が後輩の腕を引いた隙に身を引いて逃れる彼女。
『第一、アタシはお二人が好きとは言いましたけど、アナタが好きだなんて一度も言ってないですぅー』
 更に流れる音声に、後輩の顔色は始めにどす黒く、次に血の気を失った白に変わっていった。
「…… 貴方が前回別れさせた二人には本気で忠告したのよ、貴方に気をつけろって。でも、破局が訪れるまで信じては貰えなかった」
 そして破局が訪れてからようやく信じてくれた彼が、それでも半信半疑で録音に協力してくれた末に得たのがこれだった。
「とにかく、これから貴方について友人に相談を受けたら、コレを聞かせて当人の判断を仰ぐことにするから…… !」
 直後に女の子とは思えない力で僕の手を振り切った後輩は、獣のような叫び声を上げながら彼女のポケットの中に入っていた録音装置を奪い取り、地面に叩き付けた。
「コレでアンタの言うことなんか誰も信じないわよ!」
 勝ち誇ったような後輩に、彼女は心底哀れむような視線を向けながら言って聞かせた。
「そんなもの、コピーに決まっているじゃないの」

 後輩が退学処分となり、一連の騒動に決着がついた日。
 お祝いに行こうと居酒屋に僕を誘った彼女は、グラスを片手に呟いた。
「本当は、あそこまでやるつもりはなかったのだけどね」
 彼女が許せなかったのは自分の友人が後輩の被害にあったこと、そして、今度は彼女と僕をそのターゲットに選んだことだったと言う。
「多分、彼女は他人のものを欲しがる悪癖を抑えられない人だったのよね。だからわざわざカップルを狙って仲を掻き回して別れさせて、自分に意識を向けた相手はもう要らないと」
 可愛い子に言い寄られていい気になった彼氏を擁護する気はないけどね。彼女はそう締めくくった。
 その日以来、僕は彼女に惚れ直すと共に、お互いのためにも不誠実な真似だけはするまいと心に誓った。
 何しろ、明日は我が身かもしれないのだから。 
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休日は、マサラの日

2013-08-28 22:49:07 | 即興小説トレーニング
 残業続きだった数日間を終え、ようやく迎えた休日の朝。
 値千金と称しても大げさではない微睡みの中で極上の安息を貪っていた僕は、一片の慈悲もない振動と言葉によって現実に引き摺り戻された。
「とっとと起きて頂戴、布団を干したいんだから」
 そして加奈子は僕から掛け布団を剥ぎ取り、次に引っ張り上げた敷き布団から僕の躰を転げ落とした。頼むから寝かせてくれよと哀願する暇もない。

 ここで意地になって寝転がると、加奈子は間違いなく蹴りを入れてくる。仕方ないのでパジャマを脱ぎ捨てて着替えた僕は顔を洗ってから台所に向かった。
 僕のために用意しておいてくれたらしい一人分のご飯と味噌汁、それに焼き魚と漬け物を一人で頂きながら、僕は何故か唐突に『今夜のお昼はカレーにしよう』と思い付いた。それもカレーライスではなくマサラだ、間違いない。
「おーい加奈子、マサラ作るけど牛と鶏、どっちがいい?」
 物干し竿に吊した布団を叩きながら、それでも僕の声が聞こえたらしい加奈子は『それじゃ鶏でお願い』と答えてきた。

 冷蔵庫を開けると材料が心許なかったので、近所のスーパーまで行って材料を買いそろえて家に戻った僕は、まずは大量の玉ねぎをみじん切りにする。もちろんフードプロセッサーを使ってだ。戦いの初手から涙で視界を滲ませる気はない。

 加奈子は滅多に使わない厚底の鉄製フライパンにバターを一片落とし、焦がさないように注意しながら玉ねぎを飴色になるまで炒める。
 次に玉ねぎを移したフライパンで鶏肉を色が変わるまで炒め、皿に取り出してから今度は野菜を炒める。
 大鍋に脂を溶かし、クミンシードとコリアンダーを炒めてから玉ねぎ、鶏肉、野菜を投入して香りを移す程度に炒め、そのままナベに水を張り、煮立てる。
 沸騰したら月桂樹、パプリカ、鷹の爪など各種のスパイスを秘伝の配合で投入する。ちなみに加奈子はオリジナルスパイスの配合に興味がない。
 灰汁を取りながら煮立て、様子を見ながら更にスパイスを投入して数時間、更に煮込む。。

 炊飯器に仕掛けておいたターメリックライスが炊きあがった頃、僕は加奈子を呼んでやや遅めの昼食を始めることにした。普段の加奈子は僕が台所に入るのを嫌うが、休日にマサラを作ると言ったときだけは一切の手出しをしないまま、好きにさせてくれるのだ。

 二人でマサラを頂いていると、加奈子は大概笑顔でこう言う。
「やっぱり休日の朝に貴方を叩き起こすのは正解ね」
 だから、貴重な微睡みの楽園を追われた僕は大いなる不満を感じながらも、結局は別の楽園で別の楽しみを見出すことになるのだった。

 明日までにはヨーグルトと各種スパイスに漬け込んだ鶏肉が良い具合に仕上がるはずだから、月曜日のお弁当のおかずにはタンドリーチキンを入れて貰おう。
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出会い頭の轢き逃げ犯

2013-08-27 22:16:25 | 即興小説トレーニング
 轢き逃げにあい、散々の騒動の末に何とか事態の収拾が付いた頃。
 自動車保険の担当員から妙な話を聞いた。

 馬鹿馬鹿しい話ですがね、と担当員は前置きしてから話しはじめる。
「実はお客さんを轢いた車と全く同じ状況で被害にあった方が、うちの会社だけでも何人かいるんですよ」

 全く同じ車種、同じ色、そして同じナンバープレート。
 信号無視の状態で横断歩道に突っ込み、歩行者をはね飛ばしても直進を止めず、その速度に目撃者は姿を見失う。
 どれだけ警察が捜査を重ねても該当車は見付からず、結局事件は犯人不在のまま処理される。

「それがですね、本当は最初の一件だけは轢き逃げ犯の正体が分かって、警察が逮捕に乗り出したんですよ。なんでも主婦で、同乗者の話によると見たい番組があるとかで非常に急いでいたとか」
 まあ、だからって轢き逃げが許される訳じゃないし、見過ごせなかった同乗者が通報したのも当然と言えば当然ですよね。そこまで話して担当員は表情を曇らせる。
「けど、当の主婦の方は我慢できなかったようなんですよ…… 自分が轢き逃げ犯として捕まるのも、自分を警察に売り渡した同乗者も…… だから」

 事件発生から三日後、行方不明になっていた主婦と同乗者は、県境山道沿いの崖下で、潰れた車の中で発見された。主婦の方は確かに事故死だったらしいが、同乗者の体中には刃物で滅多差しにしたような痕が残っていたと言う。
「それ以来なんですよ、奇妙な轢き逃げ事故が発生するようになったのは。事情を知ってる人間には呪いだの、祟りだのと言われていますが、もしそうだとしたら、一体『誰』が、『誰』を呪ってるんでしょうねえ」

 そう言われて思い出したのは、車にはね飛ばされた直後、脳裏に浮かんだ鮮明すぎる映像。
 ハンドルを固く握りしめたまま驚愕に目を見開き、開いた口からどす黒い舌を突きだした女。そして、そのすぐ後ろ、後部座席で血まみれのまま歪みきった笑顔を満面に浮かべながら、女の首に両手で力任せに爪を立て続ける男の姿。

 きっと同じような轢き逃げ事故は、これからも続くだろう。
 だが、生きている人間がその原因を取り除くことは、恐らく出来ないのだ。
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従妹の絵本

2013-08-26 22:25:52 | 即興小説トレーニング
 従妹が同人活動を行っていると聞いて、昨今良く聞く『腐女子』なのかと尋ねたところ、物凄く嫌な顔をして否定された。

「この世界に縁のない人間に詳しく説明しても無駄だろうけど、同人ってのはつまり、基本的に素人が趣味で行う創作活動全般なの。二次創作とかBLとかエロだけじゃないの」
 かなり機嫌を損ねてしまった従妹に必死に謝って許して貰い、それでは従妹は何をやっているのかと質問すると、児童文学やら絵本制作やら、そんな辺りだという。
「まあ、王子さまやお姫さまが出てくるような話は滅多に描かないけどね」
「それじゃ、具体的にはどんな話を?」
「ごく普通の町で暮らすごく普通の子どもが体験する、ちょっと不思議な出来事や冒険談かな」
 だから今日もお兄ちゃん(従妹は僕をこう呼ぶ)の家のもっぷを借りに来たのよ。などと訳の判らないことを言い出す従妹。まさか、わざわざ掃除用モップを我が家まで借りに来たとも思えないので、やはり従妹の言うもっぷとは、うちで飼っている謎の大型モップ犬のことだろう。
「うちのもっぷは普通の犬とは違ってるから、参考になるかな?」
「何言ってるのよ、普通の犬とは違うから、参考になるうんじゃないの」

 私が散歩に連れて行っても大丈夫かな?と尋ねてくる従妹。もっぷの奴は大人しいから大丈夫だろうと思いつつ、僕は一応もっぷがいる犬小屋まで行って尋ねてみる。
「なあもっぷ、僕の従妹がお前と散歩に行きたいと言ってるんだが」
「ひゃん」
「一緒に行ってくれるか?」
「ひゃん」
 どうやら大丈夫らしいと判断した僕は、もっぷの胴輪にリードを付けて従妹に貸してやった。

 数時間後、随分と帰りが遅いなと心配し始めた頃。
 従妹はもっぷを連れて戻ってきた。
「おかえり、どうだった?」
 そんな僕に従妹は碌に答えようとせず、もっぷのリードを僕に押しつけるようにして帰っていった。
「…… おいもっぷ、お前何かやったのか?」
「ひゃん」
「ひゃんじゃないだろう、ひゃんじゃ」
「ひゃん」

 それから暫く後、一次創作オンリーの同人イベント(僕には良く判らないが、そういうものがあるらしい)で、従妹が手作りの絵本を新刊として発表した。
 それはもっぷのような犬を連れて散歩をしていた女の子が、すでに無くなってしまった、子どもの頃の思い出の町並みに迷い込むと言う仕掛け絵本だった。
 モップのような外見の犬と女の子が立体で形造られた最後のページに辿り着くまで、めくる度に町並みが姿を変えながら物語が進んでいく形式のなかなか凝った造りで、ほんの数冊しか作れなかった割に今までで一番の好評を博した、とは従妹の談。
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『月が綺麗』は、『愛しています』

2013-08-25 22:09:18 | 即興小説トレーニング
 言語というのはつまり概念の表音もしくは表意化であり、それは即ち他国語を使用する国民ないし民族の思考概念と言える。
 早い話がいくら言葉の意味を理解したつもりでいても、常識の違う他国では使用される言葉の意味や概念が我々とは根本的に異なる可能性が存在するわけだ。

「…… というわけで、あっち暮らしの長いお前にイロイロと教えて貰いたいわけだが」
 酷く回りくどい言い回しは相変わらずだが、奴にしては奇妙なくらいに腰が低い物言いに何となく不気味なものを感じたオレは、単刀直入に訊いてみることにした。
「何を企んでいる」
 とたんに奴は面白いくらい動揺して、それでも無駄に言葉を重ねてきた。
「別に何を企んでいるわけでもなく、単に国際社会である現代に於ける人付き合いとして、そう言った言語形態の異なる相手との円滑なコミュニケーションを計るために云々…… 」
「つまり、掛川と円滑なコミュニケーションを計りたいわけだ」
 今度こそ絶句する奴。掛川とは先日転校してきた帰国子女で、あまり日本語は得意ではないらしい。ちなみにオレも一応は帰国子女なのだが、既に日本暮らしの方が長いので言葉に問題はなかった。
「残念だが、そういう場合は自力で何とかするんだな」
 ばっさりと切り捨てるオレに、奴は尚も縋ってくる。
「しかしだな、一体何をどう話せば相手に誤解を受けず、なおかつ好印象を与えることが出来るかは正確な言語選択がどうしても必要なわけで…… 」
「お前はいつも半端な理論武装ばかりしているから判らないかもしれないがな、意思伝達ってのは本当はシンプルなモノなんだよ」
 例えば『好きだ』とか『I LOVE YOU』とかな。
 そんな風に混ぜ返すと、奴はたちまち顔色を変えてどこかに行ってしまった。他人の色恋沙汰に部外者が首を突っ込んでもろくな事にはならない。ここは一つ、奴自身の奮闘に期待しよう。まあ、一の結果を語るために十の理屈を並べるような奴が、難しい日本語が分からない異性相手にどれだけアピールできるかお手並み拝見と行こう。

 そして三日後、奴は生涯で初めての彼女が出来たと報告してきて、オレは人生の理不尽を思い知った気がした。

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しあわせなひと

2013-08-24 23:01:06 | 即興小説トレーニング
 幸福な人間は己が幸福である理由を深く考えることは少ないが、不幸な人間はしばしば己の不幸の原因を真剣に探ろうとするものだ。

 まあ、だからと言って複雑なことを考えない幸福な人間よりアレコレと思いを巡らす不幸な人間の方が頭が良いかと言うと、そうとも限らないことが多いもので、つまりこの世は理不尽と不公平に充ち満ちていると言う結論に達せざるをえないのだが、仮にそうであったとしても自分自身の人生内容が変わるわけではない。
 そんなわけで、僕は随分前から物事を深く考えるのは単なる頭脳の体操、ゲームのようなものだと思うようにしていた。むしろ複雑に入り組んでいるように思える思考から虚飾を徹底的に廃した果てに残るものこそ揺るぎない真実であると思うようになっていた。

「つまり、貴方は自分自身の人生ですら真剣に考えるのを放棄したのね」
 当時付き合っていた彼女が心底軽蔑したようにそう言ってきたとき、僕は答えられなかった。ただし、それは己を恥じたからではなく価値観の違いに戸惑ったからだった。
「そうやって本来考えるべきことを切り捨てて、自分自身が楽である道ばかり進んで、それで貴方の人生に何が残るの?」
 実はこの瞬間まで、僕は彼女を尊敬していた。僕とは違った方向で真剣に人生というモノを見据え、更なる高みを目指して進んでいく姿に憧れもしていた。
 だが、彼女がそう言う生き方を己自身に課しているが故に、彼女とは違う価値観の元に生きている人間の存在を認められないというのなら、僕が出来ることは彼女から離れる以外に何もなかった。
「貴方はきちんと自分の頭で物事を考えることが出来る人なのに、どうしてそれを放棄するの?」
 別れの言葉を切り出した時に彼女がこう尋ねてきたので、僕は答えた。
「これ以上、不幸になりたくないからかな」
 すると、彼女は僕に哀れむような視線を向けながら言い放った。
「そう、それじゃ私はもう、貴方を救ってあげることが出来ないわ。さようなら」
 そうだね、さようならと答えてから頷いた僕は、それ以上は何も言わずに去っていく彼女の背中を、やはり無言で見送り、結局は、それが僕と彼女の『おしまい』となった。

 数年後、彼女は更なる真実を求めてとある宗教団体に入団し、厳しい修行の果てに独自の新宗教と多数の熱烈な信者を獲得して独立したと聞いた。やがてその団体は徐々に、だが確実に反社会的な性格を帯びていき、何人もの死者を出した挙げ句に解散させられることになった。ただし、逮捕者の中に彼女の名前はなかった。警察の捜査が及ぶ直前に自らの命を絶ったのだ。

 そして僕は、相変わらず己を取り巻く日常に一喜一憂しながら日々を過ごしている。
 結局、僕が彼女に何も出来なかったように、彼女も僕を何一つ変えることは出来なかったと言うことなのだろう。
 
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愛と憎しみのオムライス

2013-08-24 00:17:27 | 即興小説トレーニング
 旦那と大喧嘩をしていた。

 切っ掛けは些細なことだったかもしれないが、日常の生活の中で一緒に暮らしている相手に対してふと感じ、じわじわと堆積していく違和感や不快感。そういった類の、普段は決して表に出てこない筈の悪感情が無駄に掻き乱されて噴出したのだ。

 まあ早い話が、お互いに虫の居所が悪かったので、大したことのない話が拗れるだけ拗れた挙げ句に様々な別件の不平不満を芋づる式に引きずり出して来た訳だが、こうなると大概、己の地雷を踏まれた相手が激昂するか、或いは地雷を踏んだ相手が逆ギレして、時には暴力沙汰を伴ったとんでもない修羅場が現出することになる。

 今回も例外ではなく、旦那が私に対して決して口にして欲しくない言葉を叩き付けてきた直後、私の視界がすうっと暗くなり。
 次の瞬間には固く何かを握りしめた私の指から鈍い手応えが腕に伝わり、眼前の旦那が赤く染まった。

 愕然とする旦那の顔を奇妙に醒めた感情で見据えながら私が考えていたのは、辺り一面に飛び散った赤い飛沫の後始末をするのが面倒くさいな、だった。

「…… お前、なんだってこんなものを」
 未だ動揺から抜け出せない旦那が呻くように呟く。
 そんなの弾み以外の何物でもないでしょうがと呆れながら、私は言い切った。
「なあに、カゴメじゃ不満だった?
 貴方がハインツを好きなのは知っているけど、アレは高いからドラッグストアの特売商品にならなきゃ買わないわよ。それともデルモンテにした方が良かったかしら」
 旦那に向けて勢いよくぶちまけたために殆ど中身が無くなったポリチューブを握りしめたまま、奇妙なほどの昂揚感と共に私は言い放ち…… ありがちだが、そこで目が覚めた。隣ではケチャップに塗れていない旦那が呑気に眠りこけていたが、夢の中で感じていたはずの憤りは既に消えていたので苛立ちは感じなかった。

 夢判断をするまでもなく自分に余裕が無くなっていること、それに恐らくは旦那に対する気遣いが薄れつつあることに気付いた私は、今は己の感情よりも優先させるべきものがあるのだと肝に銘じる。何より、諍いを起こしたときに何かを失うのは旦那だけではないのだ。

 そんなわけで本日、旦那を会社に送り出した私は遠くのドラッグストアまで足を伸ばして、特売品だったハインツのトマトケチャップを買い込んで来た。今晩の夕飯メニューは旦那の好物でありながら『子どもっぽいから恥ずかしい』と言う理由でなかなか食べる機会がないというオムライスにしようと思う。



 
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もっぷのお使い

2013-08-22 22:13:21 | 即興小説トレーニング
コショウ
 板チョコ
 チリトマトヌードル
 消しゴム
 詰め替え用洗濯洗剤

 半分冗談だったが、うちの犬(ナゾの大型モップ犬、ちなみに名前はもっぷ)に籠と買い物メモ、それにお金を待たせたら家を飛び出してしまい、慌てて探していたら、ちゃんとメモに書いた商品を籠に入れて帰って来た。ついでにメモに書いていない犬用ビーフジャーキーまで入っていた。何故かお金は減っていない。

 感心するより先に一体何があったのかと不安になり、取りあえず犬を連れてレシートの発行先であるスーパーに行ってみると、ちょうど荷出しをしていたパートのおばさんがうちの犬を見るなり言った。
「あら、さっきのモップちゃん。今度は飼い主さんと来たの?」
 やはり大概の人間はうちの犬をモップと認識するのだな、などと妙な感慨を抱きつつ、冗談とはいえ大型犬を一匹で外に出してしまったことを一応は謝り、こちらのスーパーに何か迷惑を掛けていないかと尋ねたところ、とんでもない!と答えが返ってきた。
「このモップちゃんがね、ちょっと親が目を離した隙に車道に飛び出した小さい子を助けてくれたのよ」

 本当にぴょーんと一跳びで道路の半分を超えちゃってね、向こうの歩道に渡ってから横断歩道の青信号を確認して子どもを連れて渡ってきたの、お利口ねえ。

 などと身振り手振り付きで教えてくれるおばさん。もっぷの芸達者振りは良く知っているつもりだったが、いつの間にか飼い主も知らないうちに芸の幅を更に広げていたらしい。
「それで子どもの方もモップちゃんが気に入って、お母さんに頼んでモップちゃんが持っていたカゴにあった買い物を済ませてあげたのよ。ついでにおやつも付けてあげたんですって」
 ああ、それであの買い物内容とビーフジャーキーが、などと納得する。
「本当はモップちゃんに付いていって飼い主さんにお礼を言いたかったらしいんだけど、モップちゃんったら、買い物をすませるなりすごい勢いで帰っちゃって。よっぽど飼い主さんが好きなのねって話をしていたのよ」
 恐らくもっぷにも脱走同然の外出に対する後ろめたさがあったのだろうと予想は付いたが、当然口には出さない。

 また来てね、モップちゃん。
 そんなおばさんの笑顔に曖昧な表情で応てから家に帰る途中、僕はいつものように呟いてみる。
「なあ、もっぷ」
『ひゃん』
「お前、本当に犬なのか?」
『ひゃん』
「何時まで誤魔化しきれると思ってるんだ?」
『ひゃん』

 結局、もっぷの奴はいつものようにひゃんひゃん鳴くだけだった。  
 コイツは本当に犬なんだろうか。もし未確認動物的な、或いは異次元生命体的な、更には宇宙生物的な何かだったら随分と高値が付きそうな気が気がしないでもない。

 でもまあ僕個人としては、もっぷの奴は種類が混じりすぎて何だか良く判らない外見になった、うちで飼っているモップ犬で一向に構わなかった。
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