カケラノコトバ

たかあきによる創作文置き場です

花屋二軒

2013-11-16 02:23:21 | 即興小説トレーニング
 私が住んでいるアパートからさほど離れていない小さな商店街には、何故か同じ通りに花屋が二軒あった。それも商店街の中程に他の数店舗に隔てられた恰好で二軒だ。元々からの地元民ではない私にも、その二軒に何らかの因縁があるのは容易に想像が付いたので、なるべく何も気付かぬように、余計なことに首を突っ込まぬようにと、その花屋のどちらでも買い物をしたことはない。

 ただ、私が駅前にある別の花屋から、部屋を飾るために購入した花束を持ってその花屋の前を通りかかると、決まって変なモノが視えた。
 それはちょうど高原に現れる粒子の粗い霧が淡い緑色になったような流れで、ある時は南側の店から北側の店に、またあるときはその逆といった風に双方の店を行ったり来たりしているようだった。ただしその量は均一とは限らず、文字通り雪崩れ込むような量が北側の店から南側の店に流れ込んでも、次に視えたときはか細い糸のように南の店から北の店に繋がっていると言った感じだ。
 流れそのものに意思は感じられなかったので、どうやらそれは花の精とかそう言ったモノでは無さそうだと思った私は特に気にしないまま、相変わらず花を買うときは別の店から買い、帰り道にある二軒の花屋を通る度に『今日の流れは派手だな』とか、『今日はショボイな』などと呑気に考えていた。

 そんなある日、二軒の花屋のうち北側の店に臨時休業のお知らせが貼り出された。そして、何があったのだろうと思う間もなく寂れていった。
 大概の花屋はディスプレイの関係上、店舗の正面ないし入り口面がガラス張りになっているが、もちろん二軒の花屋も例外ではない。故に、私は北側の店に置かれた鉢植えが誰にも世話を受けられぬまま茶色く乾涸らびていくさまを見届けることになった。

 そしてあれは確か去年のクリスマス。赤いチューリップとオレンジのガーベラという定番極まりない組み合わせの花束を持って花屋の前を通りがかったとき。
 私は今まで見たこともない程に濃密な緑色の流れに出くわした。北側の店に絶え間なく雪崩れ込んでいく流れの発生源は、しかし南側の店ではなかった。クリスマスシーズンの商店街に置かれたポインセチアやシクラメンの鉢植え、近所の保育園が設置し、保育園児が世話をしているパンジーやビオラの鉢植え、商店街の片隅にひっそり根を下ろした野草、そう言ったものから絞り出されるような勢いで発生していた。そして、『絞り出されるような』という言葉のイメージ通りに枯れていく草花。
 これはヤバイと、私は花束に手持ちの塩(私のような体質の人間は一応の用心として塩を持ち歩けと、やはり似たような体質の母から忠告されていたのだ)をまぶしてから北側の花屋の店先に置き、そのまま振り返ることなく速やかにその場を走り去った。

 私が住むアパートの三階からは、花屋から天に向かって立ち上る緑色の流れが良く見えた。チーズを肴に買ってきた赤ワインを傾けていると、流れはやがて茶色く濁り、枯れ果てたように崩れ去っていった。多分、あれ以上の被害を喰い止めるには他に方法がなかったと思いながらも、私の胸はちくりと痛んだ。

 商店街に置かれた鉢植えが軒並み枯れてしまったのは誰かが除草剤を撒いたのではないかと噂され、実際に警察も動いたらしいが、鉢植えの土にそのような痕跡は残っておらず、今度は色鮮やかな葉ボタンと、園児によって植え直されたパンジーやビオラが年末年始の商店街を飾ることになった。

 一軒残った南側の花屋は相変わらずの営業を続けているが、あの日以来緑色の流れを見た事はない。そして、元北側の花屋は正月明けそうそうに改築ないし取り壊しが始まったらしく、足場の組まれた店の前には立ち入り禁止のネットで覆われている。


 
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いえのわらし

2013-11-14 17:57:00 | 即興小説トレーニング
 いったい何年ぶりの帰郷になるのか、俄には思い出せなかった。
 そもそも、余程のことがなければ、例え一時的であろうと帰る気など無かった。

 生まれ育った家は敷地内に増改築を繰り返した広い家だが、母屋は昔の田舎家にありがちな障子と襖を外すと一間になるような造りをしていて、冠婚葬祭の際は私の部屋だった場所から机や本棚を撤去した空間に親戚や友人知人を称する連中が遠慮無しに行き来することになった。
 一時的にとは言え自室難民となった小学生の私は小母さん達が忙しく立ち働く台所にも、来客の接待所と化した応接室にも居場所を見付けることが出来ぬまま周辺をうろうろしては、何処に行っても大人連中に邪魔者扱いされた思い出が残っている。

 まだ日照権など存在しない時代、半ば騙される形で売ってしまった実家に隣接した土地に高層の建物を建てられ、極めて日当たりが悪くなった実家はやがて床板が腐ったのか、畳を踏みしめると足元がふわふわと不確かな感触を伝えてきた。
 二階や使っていない部屋は有ったのだが管理が大変だと打ち棄てられ、いつしか分厚い埃を被ったガラクタ置き場と化していた。

 それでも母が生きていた時はまだマシだったと思う。母は綺麗好きで、少なくとも家族の居住空間だけは綺麗に掃除を続けていたし、生け花を嗜んでいただけあって部屋の調度にもある程度は気を使っていたのだ。そして母が死んだと知らせを受け、葬式のために帰省した私が見たのは、一見は昔と変わらぬ、しかし昔より遥かに劣化した外観の我が家だった。片付けが出来ない上に田舎にありがちの『珍しい者は部屋の調和も考えずに飾る』という思考から抜け出せない父親が天井に張り付けた天女画像に気付き、死んだ母が使っていた、八畳間に何もかも持ち込みながらも整然とした部屋に、ああ、母はもうこの部屋しか居場所が無くなっていたのかと哀しい思いを抱いたことは今でもありありと思いだせる。

 やがて父が死に、姉が婿を取って家を継いだのを見計らって私は故郷を捨てた。生まれた町が嫌いな訳ではなかったが、この機会を逃せば私自身もあの家の匂いに絡め取られて二度と外の世界に出て行くことが出来ないと判っていたからだ。
 だから、高校時代に仲の良かった友人の結婚式に出席すると返事を出した際も実家には帰らずホテルを取るつもりでいたし、特に仲が良かったわけでもない姉が実家に泊まるようにと言ってきたときも最初は断った。だが、友人の結婚相手が私の親戚であるという良く判らない理由で押し切られ、久し振りに実家に戻ってきたのだ。  

 当然だが実家に私の部屋は既に無く、私は以前母が暮らしていた部屋と襖一枚を隔てた八畳間を寝室に使うように言われた。暫く人の出入りがなかったと思われる部屋を急いで掃除をしたのか埃っぽく、部屋の隅に用意してあった布団は何となくじっとりしているように感じた。
 その晩、どうにも寝苦くて目を覚ました私は、耳障りな音を立てて天井にへばり付いている蝉の姿に気付いた。慌てて飛び起きるなり電気を点けると、けたたましい鳴き声を上げなから狂ったように室内を飛び回り始める。必死に手持ちのタオルを振り回しながら追い払おうとすると、細めに空いていた廊下に続く障子の隙間から出て行った。

 一息つきながら障子を閉める途中、そもそも私は部屋に入る時、完璧に障子を閉めたはずだと思い出した。その意味を深く考える間もなく、廊下を隔てた場所にある灯りの消えた仏間から奇妙な音が漏れ伝わってくるのに気付く。雑音混じりにしゃあしゃあと聞こえてくるのは、どうも古いレコードの再生音らしかった。
 鳴り続けるレコードを止めようと仏間に入ると、何故か仏壇の隣に設置された床の間にかなり古い型のレコードプレイヤーが、歪んで波打つレコードを再生していた。レコード盤には致命的な傷が入っているのか、プレイヤーの針は特定の地点で同じリフレインを繰り返している。

 きぃぃん…… ょを っぴぃきぃぃぃ…… じぃぃこぉろぉすぅぅぅぅ……

 北原白秋の童謡、『金魚』の一節だと気付いた私は、速やかに荷物をまとめてこの家から出ようと決心した。傷んだ家に手を入れることも出来ず、気休めでしかないと知りながら護符や魔除けになりそうな物を家中に並べたてた父、何とか逃れようと安全地帯と信じた八畳間に逃げ込んだ母。真っ先に喰われ、取り込まれたと思われる姉。
 何故今まで忘れていたのだろう。いや、なぜ今まで平気だと思っていたのだろう。
 古い家に住む子どもの姿をした妖怪、アレを何故、幸運をもたらすという座敷童だと皆が思ったのだろう。

 そんなことを考えながら荷物を片手に立ち上がりかけた私の眼前で、きちんと閉めていたはずの障子が音もなく開く。現れた着物姿の童女の右手には、先程逃げた蝉が暴れていた。
 童女は煩げに手中の蝉を握り潰してから投げ捨て、私に顔を向けると歯茎まで剥き出した笑顔を浮かべながら言った。
「遊ぶべぇ」

 ああ、今度は私の番なのか。奇妙に醒めた感覚の只中で、私はそれを悟った。


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夜を歩く

2013-11-13 01:10:43 | 即興小説トレーニング
 空に月の姿はなく、住宅街の狭間を巡る細道を奇妙に白っぽい輝きで照らし出すのは街灯と、立ち並ぶ家々の窓から僅かに漏れる照明だった。学生と思しき賑やかな集団が、若さに任せた蛮声を張り上げながら躰をすり抜けていくのを大した感慨もなく見送ってから、僕は歩き出す。

 最初の曲がり角を回ると、リードに繋いだ犬の散歩を日課にしているという中年男性と顔を合わせた。
「よう、また会ったな」
僕が夜道を歩くようになってから始めて声を掛けてくれた人懐こいおじさんだが、何の仕事をしている人かは知らない。それを聞くのは『ルール違反』なのだそうだし、実際のところ特に知りたいとは思わなかった。
 いつものように挨拶を交わすと、おじさんは犬の耳の後ろを掻いてやりながら僕の肩から吊った左腕に視線を向けた。治るまで、暫く時間が要りそうだなと言われ、骨をやりましたからと答えると、そうか、と納得したように頷き、ふと思い出したように忠告してくる。
「そうそう、お前さんのような『流され者』は上着の袖に手を通さず引っかけておきな。その方が安全かもしれん」
 行くぞクダ、と名前を呼びながら再び歩き出すおじさん。犬にしては長くてふさふさの尻尾を翻してそれに従う犬。多分顔立ちからすると柴系の雑種なのだろうが、どういう血が混じればあれだけ細身でしなやかな犬になるのだろうか。

 おじさんと別れて再び歩き出すと、後ろから靴音とは違う足音が響いてくる。ああ、あの人かと思う間もなく僕の躰をすり抜けて足早に去っていくのは学生帽を被り、古風なマントを羽織った下駄履きの学生だった。何処を目指しているのかは判らないが、僕を追い越していくときはいつも足早に下駄の歯を道に叩き付けるような勢いで歩いているのだ。

 三本ほど交差した細道をやり過ごし、お城に通じる坂道を上り始めると、今風の学生や酔客に混じって着物姿の人影が散見される。小柄な彼らは大概身なりが良く、動きもすっきりしているが、それは彼らの時代にこの辺一帯が大名屋敷の立ち並ぶ区域だった為なのだろうかと、僕の瞳には朧な残影にしか映らない彼らの姿を見ながら考える。

 地方都市特有の、やたらと広い駐車場を横切ってコンビニに入ると、古民家を思わせる古びた黒い柱と漆喰の壁に囲まれ、赤茶けた照明が照らし出す空間が現れる。今どき誰が使うのか想像も付かない竹で編んだ籠や、そもそも何に使うのかすら判らない道具の数々に混じって何故かある最新携帯ゲーム機とソフト、ブリキ製の玩具、プラスチック製のお砂場セット、箱に入った鰹節とそれを削る道具、ガラス瓶にぎっしり詰まった色取り取りの飴玉、棚に並んだ亀の子タワシや洗剤などの生活用品。
 見事なまでに訳の判らない品揃えの只中に、座布団に座ったお婆さんが笑顔を浮かべながら言った。
「おや、また来たのかい?」
 僕は頷いて持参してきた袋をお婆さんに渡す。お婆さんは眼を細めながら袋の中身、砂時計と掌サイズのソーイングセットを確認すると、ソーイングセットだけ返してくる。
「あたしゃ、もう目が効かなくて針仕事は出来ないからね…… それじゃ、一つだけ店のものを持って行きな。でもソイツはアンタに不幸をもたらすだろう、その覚悟はあるかい?」
 ある、とも、ない、とも答えぬまま、僕は前回ここに来た際に見付けた指輪を手に取る。無惨にひしゃげ、元々セットされていた筈の石も幾つか取れてしまった指輪の残骸。まるで兄弟のようにして育った幼馴染みに、僕が婚約の証として贈った指輪。信号を無視してスクランブル交差点に突っ込んできた暴走トラックが僕の左腕を折り、彼女の躰をボロ切れのように変えてしまった時に、彼女が身に付けていた指輪。

 犬を連れたおじさんが言うことには、療養のためとは言え僕のように社会から一時期離れて暮らしている人間は世界との接点が希薄な分、空間の乱れに巻き込まれやすいのだそうだ。
 面白いものが見られるのは確かだが、深入りは止めた方が良い。そんなおじさんの忠告を僕はあえて無視した。葬儀の際に顔さえ見せて貰えぬまま荼毘に付された彼女に、もう一度逢いたかった。
 きっとこの指輪を頼りに、彼女は僕を見付けてくれる。そんな風に思いながら歩いていると、背後から何かの気配が僕を追ってきた。きっと彼女だと振り返ろうとした直前に全身の毛が総毛立ち、僕は立ち止まった。生臭い匂い、何かを引き摺るような不確かな足音、にちゃにちゃと響きわたる粘りつくような水音。
 決して開けられなかった棺の蓋、半狂乱になった彼女の母親、そして。
「おにいいいいちゃあああぁぁぁんんん」
 悪夢の只中で響き渡るノイズにしか聞こえない声で、僕に甘えて縋りついてくる肉塊。薄情と言われようと冷血と言われようと、その時の僕は死にものぐるいでその場を駆け去ることしかできなかった。

 その翌日、僕は夜道を歩くのをきっぱりと止め、新しい上着を買った。
 
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