私が住んでいるアパートからさほど離れていない小さな商店街には、何故か同じ通りに花屋が二軒あった。それも商店街の中程に他の数店舗に隔てられた恰好で二軒だ。元々からの地元民ではない私にも、その二軒に何らかの因縁があるのは容易に想像が付いたので、なるべく何も気付かぬように、余計なことに首を突っ込まぬようにと、その花屋のどちらでも買い物をしたことはない。
ただ、私が駅前にある別の花屋から、部屋を飾るために購入した花束を持ってその花屋の前を通りかかると、決まって変なモノが視えた。
それはちょうど高原に現れる粒子の粗い霧が淡い緑色になったような流れで、ある時は南側の店から北側の店に、またあるときはその逆といった風に双方の店を行ったり来たりしているようだった。ただしその量は均一とは限らず、文字通り雪崩れ込むような量が北側の店から南側の店に流れ込んでも、次に視えたときはか細い糸のように南の店から北の店に繋がっていると言った感じだ。
流れそのものに意思は感じられなかったので、どうやらそれは花の精とかそう言ったモノでは無さそうだと思った私は特に気にしないまま、相変わらず花を買うときは別の店から買い、帰り道にある二軒の花屋を通る度に『今日の流れは派手だな』とか、『今日はショボイな』などと呑気に考えていた。
そんなある日、二軒の花屋のうち北側の店に臨時休業のお知らせが貼り出された。そして、何があったのだろうと思う間もなく寂れていった。
大概の花屋はディスプレイの関係上、店舗の正面ないし入り口面がガラス張りになっているが、もちろん二軒の花屋も例外ではない。故に、私は北側の店に置かれた鉢植えが誰にも世話を受けられぬまま茶色く乾涸らびていくさまを見届けることになった。
そしてあれは確か去年のクリスマス。赤いチューリップとオレンジのガーベラという定番極まりない組み合わせの花束を持って花屋の前を通りがかったとき。
私は今まで見たこともない程に濃密な緑色の流れに出くわした。北側の店に絶え間なく雪崩れ込んでいく流れの発生源は、しかし南側の店ではなかった。クリスマスシーズンの商店街に置かれたポインセチアやシクラメンの鉢植え、近所の保育園が設置し、保育園児が世話をしているパンジーやビオラの鉢植え、商店街の片隅にひっそり根を下ろした野草、そう言ったものから絞り出されるような勢いで発生していた。そして、『絞り出されるような』という言葉のイメージ通りに枯れていく草花。
これはヤバイと、私は花束に手持ちの塩(私のような体質の人間は一応の用心として塩を持ち歩けと、やはり似たような体質の母から忠告されていたのだ)をまぶしてから北側の花屋の店先に置き、そのまま振り返ることなく速やかにその場を走り去った。
私が住むアパートの三階からは、花屋から天に向かって立ち上る緑色の流れが良く見えた。チーズを肴に買ってきた赤ワインを傾けていると、流れはやがて茶色く濁り、枯れ果てたように崩れ去っていった。多分、あれ以上の被害を喰い止めるには他に方法がなかったと思いながらも、私の胸はちくりと痛んだ。
商店街に置かれた鉢植えが軒並み枯れてしまったのは誰かが除草剤を撒いたのではないかと噂され、実際に警察も動いたらしいが、鉢植えの土にそのような痕跡は残っておらず、今度は色鮮やかな葉ボタンと、園児によって植え直されたパンジーやビオラが年末年始の商店街を飾ることになった。
一軒残った南側の花屋は相変わらずの営業を続けているが、あの日以来緑色の流れを見た事はない。そして、元北側の花屋は正月明けそうそうに改築ないし取り壊しが始まったらしく、足場の組まれた店の前には立ち入り禁止のネットで覆われている。
ただ、私が駅前にある別の花屋から、部屋を飾るために購入した花束を持ってその花屋の前を通りかかると、決まって変なモノが視えた。
それはちょうど高原に現れる粒子の粗い霧が淡い緑色になったような流れで、ある時は南側の店から北側の店に、またあるときはその逆といった風に双方の店を行ったり来たりしているようだった。ただしその量は均一とは限らず、文字通り雪崩れ込むような量が北側の店から南側の店に流れ込んでも、次に視えたときはか細い糸のように南の店から北の店に繋がっていると言った感じだ。
流れそのものに意思は感じられなかったので、どうやらそれは花の精とかそう言ったモノでは無さそうだと思った私は特に気にしないまま、相変わらず花を買うときは別の店から買い、帰り道にある二軒の花屋を通る度に『今日の流れは派手だな』とか、『今日はショボイな』などと呑気に考えていた。
そんなある日、二軒の花屋のうち北側の店に臨時休業のお知らせが貼り出された。そして、何があったのだろうと思う間もなく寂れていった。
大概の花屋はディスプレイの関係上、店舗の正面ないし入り口面がガラス張りになっているが、もちろん二軒の花屋も例外ではない。故に、私は北側の店に置かれた鉢植えが誰にも世話を受けられぬまま茶色く乾涸らびていくさまを見届けることになった。
そしてあれは確か去年のクリスマス。赤いチューリップとオレンジのガーベラという定番極まりない組み合わせの花束を持って花屋の前を通りがかったとき。
私は今まで見たこともない程に濃密な緑色の流れに出くわした。北側の店に絶え間なく雪崩れ込んでいく流れの発生源は、しかし南側の店ではなかった。クリスマスシーズンの商店街に置かれたポインセチアやシクラメンの鉢植え、近所の保育園が設置し、保育園児が世話をしているパンジーやビオラの鉢植え、商店街の片隅にひっそり根を下ろした野草、そう言ったものから絞り出されるような勢いで発生していた。そして、『絞り出されるような』という言葉のイメージ通りに枯れていく草花。
これはヤバイと、私は花束に手持ちの塩(私のような体質の人間は一応の用心として塩を持ち歩けと、やはり似たような体質の母から忠告されていたのだ)をまぶしてから北側の花屋の店先に置き、そのまま振り返ることなく速やかにその場を走り去った。
私が住むアパートの三階からは、花屋から天に向かって立ち上る緑色の流れが良く見えた。チーズを肴に買ってきた赤ワインを傾けていると、流れはやがて茶色く濁り、枯れ果てたように崩れ去っていった。多分、あれ以上の被害を喰い止めるには他に方法がなかったと思いながらも、私の胸はちくりと痛んだ。
商店街に置かれた鉢植えが軒並み枯れてしまったのは誰かが除草剤を撒いたのではないかと噂され、実際に警察も動いたらしいが、鉢植えの土にそのような痕跡は残っておらず、今度は色鮮やかな葉ボタンと、園児によって植え直されたパンジーやビオラが年末年始の商店街を飾ることになった。
一軒残った南側の花屋は相変わらずの営業を続けているが、あの日以来緑色の流れを見た事はない。そして、元北側の花屋は正月明けそうそうに改築ないし取り壊しが始まったらしく、足場の組まれた店の前には立ち入り禁止のネットで覆われている。