日本の神社は何となくだがどんな地方の社でも、例えば天神様を祀っていれば参拝時に天神様自身が神社やご神体を依り代に来臨なされるイメージがあるが、中国では関帝廟など有名な神様を祀った小さな廟は、実は関帝とは何の関わりもない生前にいくばくかの徳を積んだ死者の霊が在駐しているらしい。
考えてみれば中国のみならず世界中に廟を祀られた関帝はいちいち全部の廟を回るのも大変な気がするし、関帝廟に参拝する人々の願いを叶える事で死者も更に徳を積んでより高位の廟に栄転出来るのだそうだが、それでも何処か釈然としないモノを感じる。
ちなみにキリスト教、と言うかカトリックには守護天使および聖人という、実にきめ細かい分野に特化したお助けシステムが確立されている。
考えてみれば中国のみならず世界中に廟を祀られた関帝はいちいち全部の廟を回るのも大変な気がするし、関帝廟に参拝する人々の願いを叶える事で死者も更に徳を積んでより高位の廟に栄転出来るのだそうだが、それでも何処か釈然としないモノを感じる。
ちなみにキリスト教、と言うかカトリックには守護天使および聖人という、実にきめ細かい分野に特化したお助けシステムが確立されている。