アレキサンドラがボーエンと初めて出会ったのは、錬金術アカデミーの作品発表会場でのことだった。
普段は関係者以外立ち入り禁止の学舎が年に一度だけ開放され、錬金術師の仕事に興味を持つ多くの人々が訪れる会場で、課題作品としてアレキサンドラが出品した自律型の猫絡繰りを随分と長い間熱心に見入っていた老人は、たまたま通りかかったアレキサンドラ本人にこう言ったのだ。
「なあ兄ちゃん、この猫、随分とエロティックな造形だと思わないか?造った奴は絶対女体を知ってるぜコレは」
元々から短気な性格をしているアレキサンドラは無言のまま殆ど反射的に老人を張り倒し、その後でようやく気付いた相手の身なりの良さに対して少しばかりの不安を感じながら謝罪の言葉と共に助け起こそうとした直後、老人に蹴られた。
それからはお互いに掴み合いの喧嘩となり、警備員に引き剥がされた辺りではお互いボロボロの姿と化していた二人はそのまま学長室に連行され、普段は温厚な学長からみっちりと説教を食らった。学長との会話から判断すると老人はアルバート・ボーエンという貴族で、かつてアカデミーに在籍していたが劣等生のまま中退し、現在は郊外の荘園で隠居生活を送りながらアカデミーに対する援助を行っているらしかった。
いわば上客に対する無礼に対して流石のアレキサンドラも厳重な懲罰を覚悟していると、学長は重いため息とともにボーエン卿に向かって呟いた。
「どうせ君の事だから、またうちの生徒に向かって不適切な発言をしたんだろう」
「不適切?女の体を知ってるだろうって言うのが不適切か?」
「充分に不適切だ、特にアレキサンドラのような若い女性に対して向けていい言葉ではない」
「女?これが?」
ボーエン卿が極めて素直に疑問を口にした直後、アレキサンドラは再び老人を殴り飛ばし、学長に即刻の退出を命じられた。
結局は数日の自室謹慎という軽い処置で済んだアレキサンドラだったが、謹慎空け早々のアカデミー正門脇で再びボーエン卿と顔合わせすることになった。嫌味にならない程度のフォーマルな格好で花束を手にした卿は、アレキサンドラの姿を見つけるなり笑顔で近づいてくるなり言った。
「よおサンドラ、そう呼んでいいよな?」
「好きに呼べよクソじじい。それで何の用だ」
「男が女を花束付きで誘っているのに、何の用もないと思うんだがな」
「ひとを男と間違えておいてか」
「軌道修正は早い方がいいだろう。とりあえず学長に許可は取ってあるから飯に行こう」
アレキサンドラが連れて来られた店は王都でもそれなりの格式を誇る店だったが、ボーエン卿は臆した風も見せず鷹揚な態度でウェイターの案内を受け、明らかに上客が案内される席に躊躇なく着席した。
「先ずは乾杯だな」
悪戯っぽく笑いながらワイングラスを掲げるボーエン卿に毒気を抜かれ、半ば自棄で手にしたグラスの中身を空けるアレキサンドラ。
「それで、私に何の用だ。殴ったことを謝らせたいのか?」
すると卿はいかにも心外だという渋い表情になってから、自分のグラスを少しだけ傾けた後で宣言する。
「男が若い女に花束持参で会いに行って食事を共にしている時、何でそんな下らんことを話題にしなければならんのだ」
「で、具体的な話題は?」
「あんたに惚れたから付き合いを深めていきたい」
ちょうど運ばれてきた前菜がテーブルに置かれるのをぼんやりと眺めながら、ここで暴れたら今度こそアカデミー退学だろうなとアレキサンドラが考えていると。
「別にお前の活きがいいからとか、そんな理由じゃない。お前の作る作品に惚れて、その作品を作ったお前の頭脳や技術、更に作品を作り上げる腕や指先を想像するだけでゾクゾクしてくるようになった」
「下半身がだろう」
「否定はしない、あんたの作品は久しく枯れていた筈の男に春を呼び覚ます程には艶めかしいからな」
どうやら叶わぬ恋をしているようだが、さっさと諦めて俺に乗り換えるのも悪くないと思うぞ、そんな卿の言葉に呆れを通り越した脱力を感じながら、アレキサンドラは級友の事を思い出していた。自分などより遥かに可愛らしく、賢く、健気で儚げでありながら、同時に冷酷で、図太く、揺るぎない逞しさを持った愛しい人。
「……年の差を考えれば、あんたは私より先にくたばりそうだけど、そうしたら面倒な遺産争いに巻き込まれるんじゃないのか」
自身も貴族であるが故に、遺産相続のゴタゴタがどれだけ凄まじいものであるのかを肌で知っているアレキサンドラが呟くと、卿は初めて嬉しそうに笑いながら言った。
「それはつまり、オレの誘いに対して前向きな検討を考えているということだな、サンドラ」
先の事は先の事として、先ずはいい感じに親睦を深めていこうじゃないかと続く卿の言葉に、サンドラは冷然と答える。
「毒殺されたいか、クソじじい」
サンドラとクソじじい・終